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元フォトグラファー/モッダーが4,000万本ヒットクリエイターになるまでの道程
Brendan 'PLAYERUNKNOWN' Greene氏が語るバトルロイヤルへのこだわり
2018年3月24日 13:43
2017年、PCゲームでは最大のヒット作となった「PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS(PUBG)」。2017年3月のアーリーアクセス開始から1点ほどで4,000万ダウンロードを達成し、同時接続は300万人を達成。ライバルの「FORTNITE」(Epic Games)がそれに勝るとも劣らないヒットを飛ばしており、Xboxも負けじとばかりに「Darwin Project」を投入し、バトルロイヤルゲームの中興の祖的存在である「H1Z1」も長いβを経て正式リリースに切り替えるなど、今や右を見ても左を見てもバトルロイヤルといった感じの未曾有の大ブームになっている。
「PUBG」の途方もないヒットを実現した中心人物が“PLAYERUNKNOWN”ことBrendan Greene氏だ。ゲームクリエイターらしからぬ風体と朴訥とした喋り、その独特の雰囲気は、極めて個性的で、GDC会場よりも、バリのビーチリゾートや、サンパウロのフェスティバル会場にいる方が似合っている人物だ。
Greene氏は実際にその見立て通りの人物で、もともとゲームクリエイターではない。そればかりかゲーマーでもなかったようだ。Greene氏は、ゲーム制作に入る前、ブラジルでフォトグラファーやグラフィックデザイナー、ときどきDJ、つまり“自由人”として身を立てていたという。とりわけ気に入っていたのがフォトグラファーの仕事で、感動の瞬間を切り取ることが好きだったという。
その後、実家に戻り、ゲーマーとなる。どうやら“ニート期間”だったようだが、そこで様々なゲームと巡り会い、プレイしながらコミュニティを広げ、プレイするだけでは飽き足らなくなり、モッダーとしてMOD制作に携わっていくことになる。
Greene氏がMOD制作のインスピレーションを受けたゲームとして挙げたのは「Delta Force: Black Hawk Down」(NovaLogic、2003)と「America's Army 2」、「America's Army 3」(米国陸軍、2003~2009)だ。「Delta Force」は、マップやゲームモードを自作できるなどMODの自由度が高く、弾道計算を取り入れていたこと、「America's Army」は1度死んだら終わりでリスポーンしないシステムに感銘を受けたという。
MOD制作をはじめたのは「ARMA2」(Bohemia Interactive、2009)のMOD「DAYZ」からで、当時影響を受けていた日本の映画「バトル・ロワイヤル」(2000、高見広春氏原作)をモチーフに、多人数のPvPモードのMOD制作を行なっていったという。バトルロイヤルの楽しさは、多人数同時プレイが生み出す熱狂と、遊ぶ度に展開が異なるユニークなゲーム性で、それらのビジョンを結実させる形としてMOD「DAYZ Battle Royale」を制作した。
「DAYZ Battle Royale」では、24人で戦うサバイバルPvP以外に、ゾンビと戦うPvEコンテンツなども手がけ、様々なゲーム性にトライしつつ、コミュニティとのリレーションを深めていった。この時期の経験が、「PUBG」でのコミュニティ戦略で活かされているようだ。
Greene氏がおもしろいのは、1つの作品の制作にこだわらないところだ。Greene氏は、続いて「ARMA3」のMODとして「ARMA 3 Battle Royale」を制作。これは現在の「PUBG」の原型に相当するもので、多くのアイデアが「PUBG」に引き継がれている。「ARMA 3 Battle Royale」では「PUBG」のように毎回シチュエーションを変えながら無数のテストを実施し、コミュニティの意見を取り入れながらゲーム制作を行なっていった。
すでにやっていることは一介のMODDERの領域を超えているが、ユーザーの声は、コンテンツ制作の力になったということで、このユーザーの声が現在に至るまでのGreene氏のコンテンツ制作の原動力となっているようだ。
この「ARMA3」では、さらにピストルやアサルトライフルで市街戦を行なう「PLAYERUNKNOWN'S STREETFIGHT」や、ロケットランチャーなどを駆使して軍隊と戦う「PLAYERUNKNOWN'S STREETFIGHT WAR」など、次々にMODを制作していく。あくまでMODなので、いくらユーザー集めようが、いくら成功しようが、ビジネス的な成功には結びつかない。にも関わらず自分が遊びたいから、コミュニティが望んでいるからという理由で作り続けるところが、Greene氏の凄いところだ。
MOD制作を行なう一方で、「H1Z1」チームにアドバイスを与えたり、「Iron Front」のMODチームと共にWWIIベースのバトルロイヤルモードを制作したりしたことで、次第にMOD界、バトルロイヤルの分野で大きな存在になっていく。
そんなGreene氏に目を付けたのが、韓国Blueholeのキム・チャンハン氏。Blueholeが現在作っているバトルロイヤルゲームの制作をGreene氏に任せるという英断を行なう。かくしてGreene氏は韓国へ行き、クリエイティブディレクターとして、バトルロイヤルゲームへのこだわりを存分に「PUBG」に注ぎ込むことになる。その後のサクセスストーリーはご存じの通りで、あらゆる記録を塗り替えるヒット作となった。
Greene氏がゲームクリエイターとして特異なのは、自身のこだわり、言い換えれば自らの正義は口にしないところだ。自分が面白いと思うもの、コミュニティが面白いと思うものを時間を掛けてひとつずつ実装していく。そこにあるのは「バトルロイヤルゲームが好き」という純粋な想いだけだ。
話を聞いていて、「PUBG」の強みは、バトルロイヤルゲームに対して誰よりも強い想いを持っているGreene氏の存在そのものだと思ったが、裏を返せばそれは最大の弱点にもなる。「PUBG」ファンにとって最大の心配事は、チート対応に疲れ、自身が携わっていないモバイル版の存在を嫌い、PUBG Corpから居なくなってしまうことだ。「DAYZ Battle Royale」のように、スパッと辞めてしまう可能性がないとは言い切れない。
だが、今のところその心配は杞憂のようで、チート対策にも取り組み、新たなコンテンツ制作にも勤しんでいるようだ。Greene氏は、今後の方針として「リアルな世界を追求し、凄惨なバトルロイヤルを実現していきたい」と決意を語ってくれた。おそらく四肢への弾丸貫通、部位別のダメージ表現により、よりどろどろとしたバトルロイヤルを表現していくのだろう。
要素としては、新たなゲームモードやマップ、カスタムゲームの拡張、eスポーツなどを語ったが、「PUBG」にまだやりたいことがあるということはファンにとっては嬉しい情報だ。
Greene氏は最後にお土産として、現在制作中のマップをチラ見せしてくれた。現在開発中と伝えられているより4×4km規模の小さいマップで、アジアンテイストだ。全体マップはコンパクトな中に太い川が流れ、10本以上の橋が架かるなど、水際の攻防が熱そうだ。今年も愉快にドン勝(チキンディナー)が食べられるかどうか。「PUBG」の今後の展開に注目していきたいところだ。