インタビュー
「新・天上碑」16年の歩みをGMも務めたゲームオンスタッフが振り返る
アップデートやトラブル、課金モデルなど、時代の波を彼らはどう越えてきたのか?
2019年6月17日 00:00
「新・天上碑」は韓国で開発された“武侠”をテーマにしたMMORPGで、正式サービスは2003年3月。ゲームオンとして最初のPC向けオンラインゲームサービスであり、ともに歩んできたゲームだ。今回、ゲームオン側から、17年目を迎えて今なお愛されている「新・天上碑」の歩みを本作に関わったスタッフによって振り返り、オンラインゲームが長くサービスされ続ける秘訣を探ってみるのはどうだろうか、という提案が弊誌に寄せられた。
MMORPGはアップデートを繰り返し、変化していくゲームである。そして時代のトレンドを貪欲に吸収していくジャンルだ。釣りシステム、PVP、装備強化、攻城戦、エモーションなど他社のタイトルが新要素を追加すればこちらでも実現する、それでいながら自分のタイトルの良さは失わず、きちんとプレーヤーの心を繋ぎ止めねばならない。韓国、台湾、欧米、中国……そして日本。様々な国がMMORPGを開発し、多くのタイトルがサービスを休止していった。その中で「新・天上碑」はサービスを続け、プレーヤーに楽しい場を提供し続けている。プレーヤーはどうこのタイトルを支え、運営はそこに応えてきたのだろうか?
今回はあえて「最もゲームオンの歴史を見てきた人物の1人」として、現在はゲームオンで執行役員の麥谷将人氏に「新・天上碑」初期の思い出を中心に話を聞いた。麥谷氏は2004年から2007年まで数年“GM蒼鋭”として「新・天上碑」の運営に関わった。今回はさらに2007年から2012年まで運営に参加したGM侠雲氏にも加わってもらい話を聞いた。
気軽に育てながらどこまでも強くなる、16年を支え続けた「新・天上碑」のシステム
「新・天上碑」は「天上碑」というタイトルで2003年3月にスタート、同年10月には「新・天上碑」とタイトルを改め、そして16年運営が続けられている。“武侠”をテーマにしたMMORPGであり、グラフィックスは古き良き2Dクォータービュー方式で、大きな魅力はキャラクターをとことん強くできるところにある。敵を攻撃する「力」、攻撃を受けたダメージを低減する「攻撃耐性」、攻撃回数が増加する「敏捷性」……こういったステータスを「新・天上碑」では戦闘を通じてリアルタイムで上昇させていく。
このためモンスターに非常に弱い武器で延々殴り続ける様な「放置」というプレイスタイルが大きなウェイトを占める。こうして育てたキャラクターで狩りをしたり、ギルド対戦や攻城戦をしていくのだ。もう1つ、手軽なチャットシステムが特徴で、プレーヤーはキャラクターを放置し、まったりとキャラクターを育てながら、他のプレーヤーと話をしていく、というのがプレイスタイルである。それはサービス初期から変わらないと麥谷氏は語った。これまでで50万人ID以上が作成され、現在も数千人のアクティブプレーヤーがサービスを支えている。
シンプルでかつ古き良きゲームである「新・天上碑」はだからこそ「ながらプレイ」をするプレーヤーも多い。一時期はゲームでチャットをしながら他のオンライン麻雀ゲームをするのが流行り、「ゲームの中に麻雀を入れてくれ」という声も大きかったとのことだ。結局それは実現しなかったが、「新・天上碑」を立ち上げつつ皆が他のことをする、そういうソフト的な“軽さ”も本作の魅力とのことだ。
武侠世界を扱う「新・天上碑」では4文字熟語など漢字の難しい言葉が多く入っている。GM侠雲氏が「新・天上碑」のスタッフに参加の際に、最初に行なったことが、四文字熟語辞典の購入だったという。この漢字文化が、「新・天上碑」に独特の味を加えている。昨今のアップデートでは仏教の要素なども盛り込んでおり、他化自在天(たけじざいてん)に達したキャラクターがさらなる強さを獲得するというアップデートが入った。現在は上限値まで達したプレーヤーもいるが、以前までは「強さに限界はない」という感じで、ひたすら育てていくような雰囲気でプレーヤーはキャラクターを育てていたという。
麥谷氏は、2004年のサービス初期から「新・天上碑」を見ている。その中で特に印象に残っているのは“結婚式”の記憶だという。このシステムは人気を集めた。結婚すると夫婦でしか使えない武技(スキル)も獲得できたという。「実はこの武技に最初は不具合があってですね……」と麥谷氏は当時の思い出を語った。やはり不具合でプレーヤーがゲームを制限されるというのは運営にとってかなり苦い記憶になっているとのことだ。
「新・天上碑」はまた“GMとのコミュニケーション”も大きなウリだったという。サービス当初は実際にGMキャラクターがゲーム内にあらわれ、プレーヤー達とコミュニケーションを行なっていた。麥谷氏が関わることになると「チャットサポート」というシステムになり、決められた時間にGMが現われ、プレーヤーと言葉を交わす時間が設けられていた。運営側から声を掛け積極的に関わっていたという。
そこからしばらくしてゲーム内でGMキャラクターは出なくなり声(チャット)のみのサポートとなるが、2010年前後のGM侠雲氏が関わっていた頃は、「昔の運営は姿を現わしてくれていたのに、最近は声だけになって寂しい」という声に応え、再びGMが姿を現わしていたという。「新・天上碑」には古参プレーヤーも多く、GMが現われるようになるとイベントに参加してくれるプレーヤーも多かったとのことだ。
「話してみると、やっぱりプレーヤーさんの方が運営の私達よりずっとゲームに詳しいんです。イベントのアイディアとか、運営のヒントなど、たくさんの助言を頂き、参考にさせていただきました」とGM侠雲氏は語った。この積極的にGMがゲーム内に登場するサポート体制は他のMMORPGも参考にしたタイトルがあったとのことだ。
2010年から2012年くらいは配信番組とゲームの連動が始まった時期でもあった。配信番組で運営側からゲームをプレイしている状況を放映し、その番組を見てリアルタイムでプレーヤーが参加する。そういう中でGM達がプレーヤーとコミュニケーションを取っている時代でもあったと、2人は当時を振り返った。こういったスタイルはいまでもMMORPGに取り入れられているが、「新・天上碑」はこの流れを最初期に取り入れていた、サービスの先端を走っていたMMORPGだったのではないかという。
GM侠雲氏はGMイベントの時、プレーヤーの温かさに感心した記憶があると語った。「私達以上に気を使ってくれるんです」。運営を邪魔したり、自分達だけで盛り上がることなく、運営と一緒に楽しもうという気持ちを感じたという。「新・天上碑」のプレーヤーは他のタイトルより少し高めということで落ち着いているプレーヤーが多いのではないか、というのがGM侠雲氏の感想だ。
運営は終わりなき不具合の対処。オフラインでのプレーヤーとの交流は心の支え
一方、大きなトラブルは強力な記憶だ。麥谷氏にとって2007年のゴールデンウィーク前のアップデートによる不具合は強烈な記憶となっているという。ふとしたことでクライアントが落ちてしまう症状が頻発し、その原因がつかめずゴールデンウィークの前半はまともにプレイできないような状況になってしまった。
休日だったがスタッフは総出で原因究明をを行なっていた。サーバーにパッチを当て直す、当時入っていたクライアント側のプロテクトツール「nProtect GameGuard」を外すような対応やもした。何度も修正作業を行ない、開発側のパッチでこの症状はなくなったのだが、今でも覚えている大きなトラブルだという。原因はアップデートで導入されたセット衣装のエフェクトのせいだったとのことだ。麥谷氏は何日も徹夜しこの問題に対処することになった。
GM侠雲氏も毎回のアップデートの度に緊張したという。何かあったとしても安易に巻き戻しはできない。また「こういうアップデートをします」と告知したとき、「そういうのはいらない」、「このアップデートは役に立ちそうだ」とプレーヤーの意見は分かれる。「アップデートで面白くなくなってプレーヤーさんが離れてしまったらどうしよう」という不安はとても大きいとのことだ。「アップデートをどれだけ楽しんでもらえるか、心配していた人達にどれだけ受け入れてもらえるか」その部分はすごく考えて運営していたとのことだ。
MMORPGは開発元が提示するアップデートをそのまま反映するのではない。プレーヤーに近い位置にいる運営が意見を届け、その上でコンテンツのバランスや方向性を提案し、実際に実装される。「新・天上碑」ではテストサーバーにプレーヤーを参加させアップデート要素を体験してもらった意見なども活かしていったという。
その中でやはり新しいマップ・地域の拡張はプレーヤーの期待値、興奮が大きかったとのこと。また、GM侠雲氏が手がけたアップデートでプレーヤーの反響が良かったのが「討伐系イベント」。複数人が参加できるイベントで、どのようなイベントができるか運営チームが色々なアイディアを練り上げてプレーヤーに楽しんでもらえる様に企画した。このイベントが好評だったときは特に手応えを感じたとのことだ。
プレーヤーがゲーム内で任意にアバターを変えるという要素は今では当たり前だが、「新・天上碑」のシステムではとても難しく、開発側も難色を示していた。GM侠雲氏はこの要素はプレーヤーに求められると確信し、粘り強く交渉をして実現させたのだが、やはりこの新システムは負荷が大きく、実装直後はエラーが頻発した。原因究明にも難航したが、今ではきちんと実装されているとのことだ。
一方、麥谷氏のプレーヤーとの楽しい記憶は前述の「オフラインイベント」。前述の結婚式をモチーフにしたいベントで、5組のカップルを祝うイベントを銀座アスター新宿賓館で開催したのだ。筆者も実はこの時取材している。麥谷氏はこの時がオフラインイベントに参加するのが初めてで、とても印象に残っているという。大量の風船をふくらませたり喜んでもらえる様に色々なことをしたとのこと。
また、ネットカフェで日韓戦を行なったりもした。これらのオフラインイベントのノウハウはゲームオンでの資産となっている。何よりもゲームを遊んでいる人達の顔を直接見ることができ、言葉を交わせた経験は大きかったと麥谷氏は語った。この体験が他のタイトルでもいかされていくのである。
MMORPGは長い時代を越えてきている。一時期大量の不正アクセスに様々なMMORPGが悩まされた時代があった。「新・天上碑」も例外ではなく、不正なアクセスが非常に多くなった時期があった。突然不審なIPから大量のアクセスが来て、セキュリティを見直すようなこともあった。「新・天上碑」はポータルサイト「Pmang(ピーマン).」でアカウントを管理することでセキュリティ対策を行なうようになったという。
またワンタイムパスワードを発行する際、携帯電話が必要となり、プレーヤーの年齢層が高めな「新・天上碑」では、当時携帯を持つプレーヤーが少なかったといった“時代”を感じる思い出も多いとのこと。この不正アクセスの前は単純行動を繰り返すBOTの横行と、その不正プレーヤーによるRMTの問題が大きかったが、徐々に求められる対策も変わっていったとのことだ。
OSの変化も運営会社にとって大変だったところだ。古いOSを使うプレーヤーも少なくなく、開発・運営はプレーヤーの様々な環境を考えて対策しなくてはならなかった。「新・天上碑」は日本において古参のオンラインゲームであり、現代の環境に合わせるための改善も行ない続けている。
現在の「新・天上碑」の課題は「OSのアップデートに伴う対応」である。16年の運営を続ける中プレーヤーだけでなく開発のゲームそのものの基幹システムが、Direct Xのサポートなど様々な点で対応を求められており、ここ2年ほどかけて最新の環境に合わせるべくアップデートを行なっているとのことだ。
様々な時代の波で変化していく「新・天上碑」。本作ならではの自由度がもたらしたもの
MMORPGは様々な時代の波を越えてきたゲームであり、ゲームオンをはじめとしたオンラインゲーム会社は特にタイトルを続けながら大きな流れに何度も動かされていく。その中で「基本プレイ無料・アイテム課金」というビジネスモデルの大きな変化があった。麥谷氏が「新・天上碑」に関わっていたときは、まさにこの波により、多くのオンラインゲームのビジネスモデルが変更されていった時期だった。
「それまでは月額1,480円で運営していました。これをお客様が払ってくださるようなサービスって何だろう、というのはすごく考えました」と麥谷氏は当時を振り返る。基本プレイ無料でプレーヤーは爆発的に増えた。それまで麥谷氏をはじめとしたスタッフは「どうすればプレーヤー数を増やせるか」に頭を絞っていただけに、それまでの目標値をはるかに超える人気振りに驚いたことを覚えているという。
このころゲームオンは「レッドストーン」という基本プレイ無料・アイテム課金のMMORPGを手がけ始める。このビジネスモデルを参考にしつつ、「新・天上碑」ではどうするかを決めていったという。それでも試行錯誤は多く、社内で活発な議論が交わされた。「レッドストーン」と「新・天上碑」はゲームシステムも世界の大きさも違うため、「新・天上碑」ならではの要素、というところを考えるのが大変だったという。そして他の運営タイトルもそれぞれのビジネスモデルを見つけていくこととなる。
ゲームオンはその後も様々なタイトルを運営していく。その中で「自分のタイトルではどうするか」というヒントになったと麥谷氏は語った。ゲームオンはその後も様々なタイトルを手がけ、大きなヒットになることもあれば、そうでないタイトルもある。麥谷氏、GM侠雲氏も様々なタイトルを手がけていく。
「新・天上碑」はゲームオンがスタートしたときの最初のタイトルであり、だからこそ大切なタイトルである。会社的に「新入社員はまず『新・天上碑』に関わる」というわけでは決してないのだが、社内でも「新・天上碑」に関わった人が多いとのこと。様々な職業を経ていく現代において、気がつくと社内だけでなく、ゲーム業界を見渡しても「新・天上碑」に関わった人達が今でも業界で活躍している人が多い。このことは面白いのではないかと麥谷氏は語った。
それは「色々なことが経験できたタイトルだったからではないか」と麥谷氏は指摘する。1つは「アップデート内容やスケジュールがかっちり決まってなかったところ」。昨今のタイトルは極めてシステム的で細かくスケジュールが決まっているが、麥谷氏が関わっていた頃の初期の「新・天上碑」は他のタイトルに比べるとスケジュール設定が緩く、だからこそ運営側で様々なことを決めることができた。そういった能動的な行動が運営の経験を積ませてくれたという。決まっているのではなく、模索している時期であり、自分の企画を自分の責任で通せたとのことだ。
麥谷氏が実現させたのは「アドバイザーシステム」。「ウルティマオンライン」の「コンパニオン」を参考に、プレーヤーをアドバイザーに指名し、プレーヤーと運営の橋渡しをしてくれるシステムを実装した。麥谷氏は「いかに初心者をゲームに繋ぎ止めるか」というテーマを会社から与えられており、その課題をクリアするために、企画を考え実現させたという。
今のタイトルよりもっと直接的に運営がプレーヤーに働きかけることができた側面があったのではないかと麥谷氏は語った。「考えてみると、上場前、だったというのもあるかもしれません」と振り返って言葉を続けた。上場後は企業として様々なものをきっちり決めることが求められる。その前だったからこそ、勢いで色んなことができたのではないかとのことだ。
それでも他の運営チームからも「『新・天上碑』のパワーはスゴイ」という評価は受けていたという。他のシステムを参考にしたり、思い切った企画を盛り込んだり、他のタイトル以上に貪欲に、積極的に様々なチャレンジをしているそういう評価を得ている実感はあったとのこと。Bandicamとコラボをして2Dで動画を撮るイベントをしたり、武侠の世界観に「タツノコアニメ」の要素を入れるコラボレーションをしてみたり、他のタイトル担当者を驚かす企画を行なっているとのことだ。
GM侠雲氏は「新・天上碑」チームの構成や業務の形も多くの経験が得られたと語った。企画やデバッグ、こういった様々な役割の垣根が低いため、業務の範囲が広くなる、様々な仕事をやることになるという。デバッグチームからも企画を出してきたり、チームが様々なことで話し合える環境ができていたとのこと。後になって考えると、「新・天上碑」チームは総合的にMMORPGとは何かを学べる場所だったのではないかと思うという。
また、「GMツールの自由度の高さ」で得られた経験が大きかったと語る。「新・天上碑」ではツールを使ったイベントが手軽に起こせる。モンスターを任意の場所に登場させたりパラメーターを割り振ったり、イベントをGMレベルで実行させられるからこそ、チーム内でのフラッシュアイディアが実現でき、イベントでの反省も活かしやすい。「イベントをやろう!」と考え、企画書を作って、精査してから、開発側でコンテンツを作り、テストをしてようやく実現、という手順を踏まずに様々な働きかけができるのは、色々な経験が得られたと麥谷氏はコメントした。
どういうイベントならばサーバーの負荷を掛けずにできるか、何をすれば効果的か、そういった試行錯誤を試すすることができた。GM侠雲氏が印象に残っているのはとんでもないステータスを持った「小熊」を各地に配置したイベント。その小熊相手に参加プレーヤー達が果敢に挑んで倒されていくというユニークな風景を作り出せたのはプレーヤーからのイベントに対する意見も大きかったとのことだ。こういったイベントを運営レベルで手軽にできるのは、運営チームのモチベーションにも繋がったという。
また、このツールの経験があるからこそ開発側にバランスに関してのフィードバックもできたとのことだ。良い意味でもシンプルな「新・天上碑」だからこそフットワークが軽く、様々なことができ、その経験が他タイトルを手がける大きな資産になったとのことだ。
一方で長く続いているだけに課題もある。初心者には情報が膨大でどのように伝えていけば良いのか、運営自身がスタッフが変わるときなどどう学んでいけば良いのかが難しい。ゲームバランスはかなりのレベルまでさくさく上がるようになったが、細かい仕様やシステムは学びきれない。また今となっていると機能してないシステムもあり、こういった全体の見直しも取り組んでいるとのことだ。
だからこそ「新・天上碑」に関わったスタッフは過去の情報を調べるというスキルは上昇するという。今では更新していないブログやホームページなど断片的に残されているプレーヤーの情報を集めて、検証し、そこで「新・天上碑」のシステムを知ると言うことも少なくないとのこと。過去の運営の告知はもちろん、プレーヤーは様々なことを運営以上に詳しくなっている場合がある。そういった情報を調べ「新・天上碑」を深く知っていく、というのも運営に求められるスキルであり、他のタイトルに関わるときもとても役に立つとのことだ。「新・天上碑」はゲームオンスタッフにとって、様々なことを学ばさせてくれるタイトルなのである。
16年の運営は、「新・天上碑」の本質をぶれずに持ち続ける開発がいてくれているから
そしてオンラインゲームは不具合との戦いでもある。運営は常にプレーヤーからの「バグを直せ」という言葉をぶつけられ、その対応は終わることがない。アップデートはそれが増える可能性が増大するし、優先順位から不具合修正が長期になる場合もある。運営の頭にあることは常に「お客様に申し訳ない」という言葉であり、今回も話をしながら何度もその言葉を聞いた。
筆者として心配なのは運営や開発に「プレーヤーからの感謝」が伝わっているかだ。長く1つのゲームをプレイできる。それはもちろん気の合う友達を見つける事が出来たからだが、何よりもその世界があって、支えてくれているからこそ友達と楽しめるのだ。プレーヤーがタイトルを支えている、それは間違いない事実であるが、その世界を作ってくれたこと、ちゃんと存在し続けていることは開発・運営の努力なしにはなしえない。オンラインゲームの1プレーヤーとしてその運営絵の感謝は間違いなく持っていても、伝えるようなアクションは確かにしていない。我々が持つ「この世界が存在し続けてくれて、ありがとう」という想いは、伝わっているのだろうか?
麥谷氏もGM侠雲氏も今は「新・天上碑」のスタッフではないがオンラインゲームに関わり続け、現在ゲームオンの執行役員として、「黒い砂漠」をはじめとした複数のゲームタイトルの運営を束ねている麥谷氏は「バグは直し続けるしかない。それはお客様とは、一緒に向き合っている、という意識を持っています。そこは常にあります」と答えた。運営をちゃんと応援してくれる声もあるし、こちらがきちんと対応を心がければきちんとプレーヤーからも良い反応をもらえる。
また、今はスマートフォンタイトルに関わっているGM侠雲氏も、当時を振り返るとオフラインイベントで顔を合わせたときのプレーヤーからの暖かい声は特に印象に残っているとのことだ。「オフラインイベントでプレーヤーさんから伝わってくるのは『一緒にこのゲームを良くしていこう』という気持ちです。僕らもがんばろうと、力をもらえます」とGM侠雲氏は語った。そして、プレーヤーがゲームを楽しんでいる姿は運営にとって大きな力になるとのことだ。
そして「新・天上碑」は開発がずっとタイトルを支え続けてくれていると麥谷氏は語った。開発元であるNASで「新・天上碑」のプロデューサーを務めるジョン・ウヨン氏はずっと本作を見守り続ける人物だ。開発は移行がアナウンスされたが関わるスタッフは変わらず、開発を継続し現在に至っているという。
麥谷氏達が気をつけ、そしてその後の「新・天上碑」の運営チームにも継続していることは開発チームとの密接なコミュニケーションである。気軽に意見を交換し、相談できる関係を続けること。年に数回、日本の運営チームと韓国の開発チームで場所や時間を共にし、意見交換を積極的に行なっていたという。
麥谷氏はウヨン氏が「新・天上碑」の本質を理解し、軸の部分でぶれないからこそこの16年の歴史があったと語る。運営側でまだ経験が浅いスタッフが作品のカラーとは違う要望を出すこともあるが、ウヨン氏はこちらの要望を聞きながら、「新・天上碑」としての答えを考えてくれる。「新・天上碑」は韓国だけでなく、台湾でも運営が続いておりそれぞれの国の運営方法や方針が違うにもかかわらず、そこにも対応している。
麥谷氏はウヨン氏の手腕には本当に感心していると語った。ウヨン氏がぶれずにいてくれるからこそ「新・天上碑」は続いているというのは間違いないとのことだ。もちろん季節イベントで丁寧に日本の風習を説明するなど、麥谷氏をはじめとした運営の努力も大きい。両者の協力が16年という運営実績をもたらしたのである。今回インタビューに先がけ、ゲームオン側でウヨン氏にメールインタビューを行なっているので、こちらも巻末に紹介したい。
最後に「新・天上碑」のプレーヤーへのメッセージとして麥谷氏は「自分は2004年から2007年まで関わらせていただきました。その頃からプレイを続けて下さっている方もいるかと思います。私は“GM蒼鋭”としてやっていまして、覚えている方もひょっとしたらいらっしゃるかもしれません。本当に皆さんにはお世話になりました。自分も『新・天上碑』でかなり成長できました。ゲーム自体も成長し続けています。これからもゲームオンとして長く続くように運営していきます。今後ともよろしくお願いします」。
GM侠雲氏は「私はオンラインゲームを『新・天上碑』を通じて学んでいきました。入社前に漢字検定に受かった、というのがこのタイトルに配属される大きな理由だったそうですが……しかし『新・天上碑』のおかげでオンラインゲームの暖かさ、人との関わり方など様々なことの基礎を学ばせていただきました。それが今の仕事にも活かされています。タイトルを離れた今でも『新・天上碑』は特別なタイトルです。ここから数十年、自分がの死後も続くようなゲームになって欲しいです」と語った。
今回は筆者にとっても感慨深いインタビューとなった。運営担当者とは直近のアップデート内容に関する話がほとんどで、改めてタイトルや、運営そのもので話を聞けることは少ない。筆者自身もライターという仕事はオンラインゲームの成長と共にあり、話を聞きながら様々なことを思い出した。
プレーヤーが支え続け、運営がプレーヤーをサポートし、そして開発が創造性を発揮しつつ、プレーヤーの想いに応えていくオンラインゲームという世界は、他のゲームとは一味違う文化であり、それぞれのタイトルならではの風景がある。今回の運営担当者の話から、自身がプレイしているタイトルへ思いを馳せ、「自分が楽しんでいる世界があること」そういう世界を持つことができた幸せを改めて感じていただければと思う。
NAS天上碑開発プロデューサー ジョン・ウヨン氏メールインタビュー
こちらはこのインタビューの前にゲームオンが行なったジョン・ウヨン氏へのメールインタビューとなる。そのまま掲載したい。
Q1:サービス初期から現在に至るまで、印象に残っていることは何ですか?
開発やサービス支援をしてきた期間が長いので、印象に残っていることは数えきれないほど多いですが、いざ文章にしようとすると、何を書けばいいのか直ぐには思い出せなくなりますね。開発が中断されてしまいそうな危機を何度も乗り越えたり、いろいろありましたが、10年ほど前に開かれたオフラインイベントでお会いした、優しい笑顔のプレーヤーの皆様が一番記憶に残っています。
Q2:16年間の中で、最も大変だったアップデートは?
アップデートは規模の大きさと関係なく、終わった後にゲームが安定するかどうかが最も重要な部分だと思います。サービス開始から長い年月がたった今、アップデートの内容ももちろん重要ですが、アップデート後にサーバートラブルや不具合などが発生した時に、プレーヤーの皆様は最も失望感を表します。
開発チームでは、より多くのプレイヤーの皆さんに遊んで頂くために、徹夜で新しいコンテンツを開発することもあります。しかし、アップデートの実装後に問題が発生し、数回に渡り臨時メンテナンスを行ったせいで、皆様にご迷惑をおかけしました時は、開発で寝られなかった時よりも辛く、力が出ませんでした。楽しいコンテンツと安定的なサービス、どちらも見逃さないように、これからも奮発致します。(__)
今までで最も大変だったアップデートを一つ選びますと、約7~8年前にあった、アップデートの後にサーバートラブルが止まらなかった時です。連日苦労した甲斐もなく、再現ができず正確な原因も把握できなかったため、仕方なく開発者たちを日本に送りました。2週間ほど修正作業を行い、ついに判明した原因は簡単なコード上の誤りだったんです。
その時は私も気が気ではなかったですが、当時「天上碑」を遊んで頂いていたプレーヤーの皆様、そして対応にご尽力頂いた運営チームの皆様には、今も申し訳ない気持ちです。改めてお詫び申し上げます。
Q3:アップデートの開発作業以外で、苦労した点などありましたか?あればどのような作業がありましたか。
日本と韓国はゲームのバージョンが異なる上、プレーヤー様の好みも微妙に違うので、追加の調整作業が少し難しいです。難しいというのは、時間や努力が多くかかるというよりも、下手したらバランスに影響してしまうのではという心配ですね。バランスを気にすると、日本版と韓国版の差がさらに大きくなってしまうので、アップデートの際に一番苦労している部分ではあります。
Q4:普段の開発作業において、プレイヤーを飽きさせないために何かしていることはありますか。
日本サーバーに直接接続してプレイすることはできないですが(日本語が分からないので……(´;ω;`))、プレーヤー様の中に紛れてプレイしながら生の声をたくさん聞き、ゲームに反映しようとしています。長くサービスを続けているゲームの場合、ゲームを作っていくのは企画者ではなくプレーヤーの皆様だと思うので、皆さんのニーズに沿ったアップデートができるよう努力しております。
Q5:韓国や日本において長くサービスを続けられていますが、その要因は何だと思われますか。
そうですね……私ども開発チームの頑張りも少しはありますが、やはり「天上碑」を昔からプレイしてくださっている皆様のおかげだと思います。私は「天上碑」の初期から関わっていますが、今のプレーヤーの皆様の中にも同じく初期からプレイされている方々がいらっしゃると思います。その方々のおかげで、本日まで開発を続けることができました。いつも感謝の気持ちを持って開発に臨んでいます。
日頃から「天上碑」をご愛顧頂いている皆様に、心より感謝申し上げます。
より長く遊んで頂けるよう頑張りますので、今後とも何卒よろしくお願い致します。