インタビュー

レトロアーケードギャラリー「バック・トゥ・ザ・アーケード」、そのオーナーに事の始まりから今後の展望までをインタビュー

テーマは“繋がり・ネットワーク”。大成功のクラウドファンディングについても聞いてきた

【店舗情報】

店名:バック・トゥ・ザ・アーケード(B.T.T.A.)

所在地:千葉県松戸市金ヶ作419-31 1階

営業日:公式ツイッターアカウント(@B_T_T_ARCADE)を参照

利用料:30分500円~1日券5,000円(時間制、入館料込み)

 千葉県松戸市、新京成線五香駅から徒歩数分のところに、家庭用に移植されてない大型筐体ゲーム機を中心にしたレトロアーケードギャラリー「バック・トゥ・ザ・アーケード」がある。家庭ではまず体験することができない、過去に稼働していたドライブゲームのような大型筐体が多数設置してあり、それらを今現在プレイできるという、好きな人にとってはたまらない場所だ。

 そんな「バック・トゥ・ザ・アーケード」が、さまざまな理由により営業継続が難しくなった旧店舗から移転して、新店舗で営業を再開するための資金を募るべくクラウドファンディングを実施したのは、今から約1年近く前になる2020年2月。当時、掲載された記事を読んで、その存在を知った人もいるかもしれない。

 クラウドファンディングは、大勢からの支援を受けて見事に成立。執筆現在は、当時予定していた場所とは別の立地で継続運営を果たしている。筆者も、「レイブレーサー(ナムコ、1995年)」や「ガンブレードNY(セガ、1996年)」といった大型筐体ゲーム好きとして、再オープンを心から嬉しく思った1人だ。しかし、運営再開の知らせを聴いてから「新店舗では、どのようにして切り盛りしているのか? そもそも、なぜクラウドファンディングを行なうようになったのか? 今後の展開はどのようになるのか?」などの疑問が、いくつも飛び出してきた。そこで今回、詳しい話を聞けないかと店舗のオーナーに打診したところ、本人の写真や名前を出さなければOKとの返答をいただいたので、お店まで足を伸ばして話を伺ってきた。そのインタビューを一挙に掲載しよう。

すべての始まりは、セガの「アウトランナーズ」を入手したことから

――そもそも、筐体を集め始めるきっかけはなんだったのでしょうか?

オーナー:セガのドライブゲーム、「アウトランナーズ(セガ、1993年)」はゲーム機に移植されていますけど、アレそれっぽくないじゃないですか(笑)。遊んだらやっぱり本物が欲しくなり、それがきっかけで筐体を集め始めました。そのとき一緒に譲ってもらったのが「クライシスゾーン」で、そのタイミングで元々駐車場だったところを数台分お借りして、倉庫を九十九里に建てたんです。

――最初は九十九里からスタートなんですね。それは値段の都合ですか?

オーナー:そうですね。数台分の駐車場代を払えば、そのスペースを使い放題ですし。その後も自分が好きなゲームと移植されていないタイトルを集めていったので、ガンシューティングものやドライブゲームなどの大型筐体もの、家庭用では味わえないギミックの筐体ものが多いですね。

――九十九里から、どうして八千代台へ移転したんですか?

オーナー:台数が増えてきたので、いろいろ探して八千代台で新たに物件を借りたためです。

――筐体は、集め出すとドンドン増えていく(笑)。

オーナー:そうですね(笑)。どこかでお店が閉鎖になった時に欲しいタイトルがあったりしても、それだけと言うわけにはいかないですよね。トラックに積める分をすべて引き取ったりすると、自分の欲しい作品とは違うものも手に入ってしまうこともありますし。

オーナーが、この道に入るきっかけとなった「アウトランナーズ」も、もちろん元気に稼働している

――そうすると、さらにギュウギュウに?

オーナー:そうです。当初は仲間内で遊ぶ程度だったんですが、台数が多くなったので「じゃあお店開けちゃおうか」というノリと、自分のやりたいラインアップでお店を運営したかったということもありまして。このときに、“ゲーセンのようなコインオペレーションではなく、ギャラリーや博物館のように入場料という形にするのが良いかな”と考えたんです。そこで、じゃあどうすればいいか? となり、ディストリビュータになって機械の仕入れを経験したり、自分で筐体を集めるにはトラックで運ぶ必要があるからとトラック業界に入り自分で運転したり……なので、筐体はほとんど自分1人で運んでいます。こうして、今の原型ができあがった感じですね。

――今回の立地は、前回(2019年5月)に取材させてもらった時とは違う場所ですよね?(ムック「このレトロゲームを遊べ!)」にて来訪)

オーナー:そうです。八千代台での2軒を経て、ここ松戸市で今回の店舗となったわけですが、八千代台の最初のスペースは12、13坪程度でした。その後、前回取材にきていただいた店舗に移っているのですが、そこは18坪ですね。八千代台最初の店舗が手狭になったのが、2軒目への引っ越しの理由です。今の場所は22坪なので、前の2軒と比べてもかなり広くなりました。

店内には、数多くの大型筐体ゲームが配置されていた。ドライブゲームがメインではあるが、「アイドルマスター(ナムコ、2005年)」や「恋愛寿命+肉体寿命 X-DAY2(ナムコ、1995年)」、オーナーが個人的に遊びたいために入れているという「バーチャファイター3(セガ、1996年)」なども見える

――ここは駅からも近いですよね。

オーナー:そうなんですが、大通り沿いなのでトラックが止められないため、搬出入が大変なんです。なので、そういった作業は深夜の12時以降にひっそり行なっていたり……そういうこともあって、入れ替えは基本、店舗の一番手前1列だけになっていますね。

――入れ替えの結果、現状のラインアップに?

オーナー:店舗奥側にあるセガのドライブゲームは固定ですけれど、アイドルタイム(遊ばれていない時間)の長いものを積極的に入れ替えしていたら、比較的連続プレイされている現在のタイトルラインアップになりました。とはいえ倉庫のスペースにも限りはありますので、お店に入らない筐体や自分が欲しかったものとは別のタイトルは、オークションで売却したりしています。

――搬出入さえ何とかなれば、入れ替えは積極的に行ないたいですか?

オーナー:もちろんです。棚卸しをしたところ倉庫に70台くらい筐体があったので、できればそれらを随時入れ替えたいのですが、体力と年齢がついてこなくて(笑)。

――ちなみに、設置されている筐体の中で最も貴重なもの、入手するのが一番大変だったものはどれですか?

オーナー:どちらも「サイバーコマンド(ナムコ、1994年)」ですね。基板はオークションで、筐体は業者さんから入手しました。今はSD筐体とデラックス筐体があるのですが、これを通信対戦できるようにするのも目標です。ただ、まだ調査不足で2台が繋がるかどうかが分からないのと、デラックス筐体はプロジェクタが映らないので、この先時間を見つけて復元しなければなりません。貴重と言えば、「クールライダーズ(セガ、1995年)」もそうですね。それら筐体を引き取る際には前オーナーの思い入れなどを聞いたり、自身の思い出を語ることもあるので、すべての筐体に物語が詰まっています。筐体の台数分だけエピソードがありますから、それで1冊の本が書けそうです(笑)。

――ご自身が好きなゲーム、思い入れがあるのはどんなタイトルでしょう。

オーナー:好きで思い入れがあるのは、やはり「アウトランナーズ」と「クールライダーズ」ですね。でも、原体験は近所の駄菓子屋にあった「リブルラブル(ナムコ、1983年)」、「ゼビウス(ナムコ、1983年)」、「源平討魔伝(ナムコ、1986年)」、「熱血硬派くにおくん(テクノスジャパン、1986年)」、「ダブルドラゴン(テクノスジャパン、1987年)」、「テーカンワールドカップ(テーカン、1985年)」などだと思います。「テーカンワールドカップ」なんて、手の皮がちぎれて、置いてある雑巾を血だらけにしてまで遊んでいました(笑)。当時はプレーヤーが多くてなかなか順番が回ってこなかったり、駄菓子を食べてお小遣いがなくなりゲームができなくなっても、上手な人のプレイを見ているだけで楽しかったですよね。でも、PTAが見回りに来て見つかると怒られるので、バレないよう逃げ回る……ゲームは、そういう時代から遊んでいました。

 写真にある「バーチャファイター3」は、自分の基板ではなくて借り物なんです。「バーチャファイター3」はロケテストをあちこちでやっていまして、僕も東京ジョイポリスで行われていたロケテストに出かけて、1時間待ったのに瞬殺された記憶があるんですが、それが「バーチャファイター3」との出会いでした。「バーチャファイター2(セガ、1994年)」の時は先日閉店してしまった「ゲームスポット21」さんに遠征して、その熱量に驚かされたりもしました。今、ゲームセンターミカドさんなどで「バーチャファイター3」が盛り上がっているのを見ると、やっぱりセガは10年も20年も早かったのかなと(笑)。

 「バーチャファイター3tb(セガ、1997)」の基板も、もの凄く高騰していますしね。本当は、それらの基板も置きたいところなんですが、お店維持のために手放してしまいました。ビデオゲームはHeyさんなどの強いところに任せて、BTTAは大型のナンバリングを設置するのが味なのかなとは思っているんですが、ビデオゲームも大好きなので、いつか余裕ができたら「ドルアーガの塔(ナムコ、1984年)」と「イシターの復活(ナムコ、1986年)」をペアで、「ダブルドラゴン」を「1」から「3」までセットで、それぞれ置いたりしたいです。

ファンディング達成も、当初予定していた場所が……

――今回、1度お店を閉めてからファンディングを行ない再オープンしましたが、それはなぜだったのでしょうか?

オーナー:単純に、以前の場所で運営できなくなったからです。場所を維持するのにかなりの費用がかかることが1番大きいですが、仕事の休みにお店を開けていたので自分の時間がこの10年ずっと取れなかったこと、くわえて近所からの苦情という要因もありました。しかし、次に移るお金もないし、でも家賃や倉庫代金などの支払いは次々とやってくる。そこで、今後のジャッジをお客さんにお願いすることも含めて、ファンディングをしようという結論に至りました。ファンディングの準備は2019年末から始めたのですが、移転前の店舗があった八千代台駅の反対側に、高いけれど良い物件がありまして、次はそこを借りたい。そう思い筐体移動にかかる費用などを試算して、最終的に設定した金額が250万円です。ファンディングの種類も複数ありましたが、お客さんに選んでもらうという意味を込めて“目標金額に達成しなかった時は支援0”という、オールオアナッシングを選びました。その後は、ファンディング会社と連絡を取りあいながらリターンの調整などを行ないつつ、推移を見守ったという感じです。

――結果的には、無事ファンディングが成立しましたよね。

オーナー:はい。お客さんから支持をいただいたので、休んでバイクでも買おうかなという甘い考えは捨てて(笑)、一生懸命仕事をしながら頑張っています。実際、ファンディングのリターンも一部送れていないので、お店に新しい人を入れて手伝ってもらいつつ、自分の休みの日には集中してファンディング関連の作業をしている次第です。1月中にはすべて終わらせたいと思っているので、リターンが届いていない方はもうしばしお待ちください。

ファンディングのリターンには、オープン後1年間無料などが並んでいた。これだけのタイトルを1年間無料で遊べるというのは、好きな人にとってはまさに天国!

――ファンディングが成立したのは2020年2月末でしたよね?

オーナー:そうです。それを受けて3月か4月には移転しようと思っていたのですが、当初予定していた物件のオーナーさんが変わってしまい、ゲームセンターを入れたくないという話になったんですよね。そこで、慌てて別の物件を探し始めました。この頃、新型コロナウイルスが大変なことになり始めて本業の会社も自宅待機になったりしたので、その間に物件の選定をしていました。

――そうなると、ファンディングを達成しても……。

オーナー:先行きは不安でした。しかし、そのときに見つけたのがこの場所でしたので、ある意味不幸中の幸いです。

――物件は、あちこち探したのでしょうか?

オーナー:もちろんです。今までのような博物館スタイルではなく、将来的にはコインオペレーションでやりたいと思っていたので、それを前提とした場所を探しました。ただ、風営法の許可が下りる物件となると、駅前に限られてしまうんですよね。そうなると、かなり価格が上がってしまうのが難点でしたが、結果的にこの立地になりました。

――引っ越し作業は大変でした?

オーナー:めちゃめちゃ大変でした! まずは、前の物件を引き払わないといけないので全筐体を1度倉庫に入れましたが、それで大いに苦労しました。資金的な余裕もないので大部分を1人で作業したのですが、何度か落としたり壊しそうになったりと、非常にスリリングな引っ越しに(笑)。

「将来のクリエーターやプレーヤーに、ぜひこの時代のゲームを遊んでもらいたい」

――プレオープンを迎えた時の感想を聞かせてください。

オーナー:お客さんをかなりお待たせしてしまったので、申し訳ないという感じでした。また、筐体の移動費用だけで資金が大幅に減ったこともあり、1日でも早くオープンしなければという焦りもありました。

――10月のプレオープンまでは、仕事をしながら準備をしていたわけですよね?

オーナー:もちろんです。平日は仕事、休みの日は準備と毎週動いていました。知り合いの1人“メンテの神様”には店内の配線や、機械の修理をお願いしていました。

――その“メンテの神様”がいなければ、オープンは無理でした?

オーナー:間違いなく無理でした。僕は、ユニットやモニターの交換くらいしかできないので、“メンテの神様”には本当に頭が上がらないです。お店番も、お願いしている人がいるし、お店のロゴも先輩の営業部長さんに作ってもらったしと、全部人の繋がりですよね。

先輩の営業部長さんが作ったロゴマークを使用した看板は、営業中は店頭に掲出されている。また、この日は“メンテの神様”も来店していて、調子の悪い筐体にメスを入れていた

――大勢の人の繋がりで、お店が運営できている。

オーナー:そうです。そういう意味を込めてFacebookとTwitterのトップページにも書いていますが、「未来に繋げていけたら」ということ、僕の中では“繋がり・ネットワーク”と言っていますが、それを体現していきたいなと思っています。最終的には僕じゃなくて国か、都か、県か、市か、それはわからないですけれど、そういうところが運営を請け負い、そして後世に残していけたらなと。各メーカーが筐体を保存していないのはわかっているので、歴代シリーズ物などを1カ所に集められるようなところを残しておくべきだと、ずっと思っています。それらを将来のクリエーター、ゲームを作る人、プレーヤー、そして今盛り上がっているeスポーツプレーヤーなどに遊んでもらい、「昔はこんなゲームを作っていたのか」と感じてほしいです。

 今ではオンラインでバージョンアップするのは当たり前ですが、この当時は作ってリリースすればそれで終了でしたから、「よくこんな完成度の高いのを最初から作れるな」など、そういう視点からも見てもらえたらなと思っています。また、現代ではアップデートでキャラクターの追加などもできますが、当時は時限プログラムなどさまざまな方法が考えられていましたよね。その熱量を、ぜひ感じ取って欲しいです。今日のお客さんを見てもらうとわかりますが、若い人が多いんです。僕は40代50代の人に遊んでもらいたい気持ちもあるんですが、実際に来店する人は20代前半〜が多い。その動機が、「YouTubeで動画を見たから」や「昔どこかの旅館やボウリング場で遊んだから」という感じなんですよね。

 なかでも驚いたのが、1枚のカードに1つのデータだけが保存されるのが凄いと言うんです。今時は、1枚のカードに多数のゲームデータが収録されていて便利ですが、そうじゃないと。私たち世代が通った道を、若い人たちは新鮮なものとして受け止めている。そういう感覚を残すためにも、未来へ繋げるべく筐体たちを引き継がなければならない、そんな使命感はあります。

――そのためには、熱量と……。

オーナー:熱量と資金があれば、ですが、今回は資金が足りないのでファンディングさせてもらいました。熱量と資金があって、筐体を自宅に置ける人は自宅ゲーセンを作りますよね。僕は、筐体が自宅に置けないからこうなっちゃった(笑)。

――自宅ゲーセンと言えば、この場所の電気容量は工業レベルなんですか?

オーナー:一応、家庭用レベルの最大となる60Aです。でも全稼働すると落ちてしまうので、ギリギリでやりくりしている感じですね。

――今後“こうして運営したい”という考えはありますか?

オーナー:「アウトラン」シリーズを全種類入れたいし、「アルペンレーサー(ナムコ、1995年)」、「アルペンレーサー2(ナムコ、1996年)」と並べて置きたいというように、ナンバリングでズラリと配置したいですね。しかし、今のところ場所の制限などもあって、志半ばで進んでないのが残念です。

今のところ、「アウトラン」シリーズは「ターボアウトラン(セガ、1989年)」と「アウトランナーズ」が、「アルペンレーサー」シリーズは「アルペンレーサー2」のみが設置されていた。数カ月後には、ここにシリーズ全筐体が並んでいるかもしれない!?

「ここにあるゲームは、お客さんにプレイして楽しんでもらってこそ」

――2020年11月から正式オープンとなりましたが、コロナ禍での運営はやはり大変なのでしょうか?

オーナー:そうですね。入り口とトイレにはアルコールを設置して、お客さんもマスクは必須。常に掃除をして、開店中は換気もずっと行なっています。こちらでできることはしっかり行なっていますので、あとはお客さん個々の判断になってしまいますね。

――以前は、遠くから週末泊まりがけで来られる人もいましたよね。

オーナー:やはり、そういった方々は大幅に減りました。このご時世、行ったり来たりすると周囲からいろいろ言われると思いますし、今は我慢の時なんでしょうね。

――そんな中、各地でゲームセンターの灯がいくつも落ちていますが、これについて思うことはありますか。

オーナー:ビジネスで運営されているところは、苦しいと思いますね。売り上げに対しての人件費や家賃が厳しいでしょうし、やはり新型コロナウイルスにはそう簡単には勝てないのかなと……。うちのような場所もいずれ、新型コロナウイルス次第では誰も来なくなる可能性もありますし。でも、ワクチンなり治療薬なりで収束が見えてくれば、またメーカーさんや大手のゲームセンター運営の方が活躍すると思います。うちは、倉庫に寝ている70台を随時稼働できるような、そういうお店運営ができたらいいなと思っています。

――今では、ここにあるような大型筐体ゲームも「××ミニ」ような形で復刻されることがありますけれど、それについてはどう思います? 例えば、最近発売された「アストロシティミニ」などですが。

オーナー:それは僕も欲しいです(笑)。ミニシリーズは、今までは1980年代までがプレイバックされてきていましたが、今後は1990年代や平成をプレイバックする作品が商品の主流になっていくのかな? と思いました。これまでよりももう1世代上がると、その当時のタイトルがここBTTAに揃っているので、良い時代になったのかなと。ほかにも、アーケードアーカイブスなんかは素晴らしいですよね。昔は小さいテーブル筐体で遊んでいたのが、今では自宅の大きな液晶テレビで遊べるのですから、魅力ですよね。そんな環境でガンシューティングゲームなんかが遊べたら楽しそうです。

ちなみに、店舗で執筆現在稼働しているガンシューティングゲームは、「ニンジャアサルト(ナムコ、2000年)」、「スペースガン(タイトー、1990年)」の2種類。「ガンブレードNY(セガ、1996年)」などもあるとのこと

――ガンシューティングゲームは、可動部分が多いものは故障しやすいんでしょうか?

オーナー:故障するのが前提なので、ずっと動くのはありません。形あるのはいずれ壊れるか無くなってしまうので、それを1日でも長く稼働させて、壊れたものは修理して、そうやって後世に残していけたらなと思っています。でも僕は、お客さんにプレイして楽しんでもらってなんぼです。それで大いに盛り上がってもらえると嬉しいんですが、このご時世なので静かにプレイしないといけないのが残念です。早く以前のように、ワーワー言いながらプレイできるようになることを願っています。

――最後に、ACゲームファンに向けてコメントをお願いします。

 BTTAの強みはナンバリングタイトルが揃っていて、それらを一度に全部遊べるところです。「湾岸MIDNIGHT」であれば「1」、「2」、「3」、「3DX」、「イニシャルD」なら「1」、「2」、「3」、「4」、「5」、「8」と、歴代シリーズが1カ所で楽しめます。先ほど、各メーカーさんが筐体を残していないという話をしましたが、メーカーさんは常に最先端を求めているわけでして、“過去作を全部並べてミュージアムを作りましょう”なんてことはやりませんよね。そんなことをするなら、新作を作ろうという話になりますし、それが正しいと思います。新作がリリースされれば過去作のサービスは終了され、メンテナンスも厳しくなるので筐体は引退せざるを得ない。だからこそ、BTTAがミュージアム的な事をやることには意味があるかなと思っています。

――本日はありがとうございました。