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「World of Tanks」、ミリタリーバスツアー第2弾を広島県で開催

夏だから海軍! 江田島と呉を巡って帝国海軍に想いを馳せる

7月26日開催

第一術科学校・大和ミュージアム ほか

 オンラインタンクバトルゲーム「World of Tanks(以下、WoT)」を運営しているウォーゲーミングジャパンは「WoT」のユーザーを招待したファンイベントバスツアーの第2弾「Wargaming ミリタリーバスツアー in 呉・江田島」を開催した。タイトル通り、広島県にある海軍関連の施設を巡るというもので、呉の大和ミュージアムや、江田島の第1技術学校を見学した。

 同社のバスツアーはこれが2回目。前回は4月に自衛隊土浦駐屯地で戦車を見ながらのお花見だったが、今回は夏真っ盛りなうえに、同社の新作MMO「World of Warships」のローンチが近づいていることもあり、軍艦づくし、海づくしのツアーとなった。前回同様ミリタリーアドバイザーの宮永忠将氏も動向して、呉にあった海軍工廠などの解説をしてくれた。

 このレポートでは、早朝から夕方まで大いに盛り上がったツアーの様子をお届けしたい。

ウォーゲーミングジャパンの三輪木大氏
ミリタリーアドバイザーの宮永忠将氏

戦艦陸奥の砲塔は近くで見ると一戸建ての家並みに巨大だった

フェリーから見た江田島
第一術科学校

 ツアーは朝8時集合と、オンラインゲームのオフラインイベントにしては異例の早朝からスタートした。ツアーの進行を取り仕切っていた、ウォーゲーミングジャパンの三輪木大氏によると、西日本発で、しかもこんな早朝からのツアーに果たして応募があるのかかなり心配だったということだが、フタを開けてみると定員の3〜4倍の大激戦となった。抽選で選ばれたラッキーな30人は、広島近辺だけではなく大阪から夜行バスで来たという人や、青春18切符を使って横浜から来たという参加者、九州からの参加者もいた。

 朝8時に広島駅前に集合した参加者は、バスに乗り込み、最初の目的地、海上自衛隊第一術科学校に向かって、広島港からバスごとフェリーに乗った。広島にはたくさんの島があり、島と本土をつなぐフェリーが日常の足として重宝されている。今回乗ったのもそういったフェリーの1つ。1階が駐車場、2階が客室、3階がブリッジになっている、この辺りではよくある形の船だ。

 船で約20分かけて瀬戸内海を渡った後、江田島の峠道を越えると、目的地の海上自衛隊第一術科学校に到着する。ここは海上自衛隊が全国に4カ所有している術科学校の1つで、短期から長期まで常時4,000名ほどの現役自衛官が主に砲術や航海、潜水、通信などを学んでいる場所だ。江田島へは広島港からフェリーを使って渡った。なるべく海を絡めたかったので、この行程を選んだという。

【広島港-江田島を結ぶフェリー】
車を1階に載せたオープン感あふれる小型フェリーは瀬戸内海ではポピュラーな存在
短い航海の時間は、オープンデッキで歓談。風が強く、名札が外れて吹っ飛んでいった人もいた

 第一術科学校は戦前までは海軍の兵学校だった。もともとは築地に作られた海兵学校が、明治21年に江田島に移転された。広い敷地の中には明治26年にイギリス人技術者によって設計され、「赤レンガ」という通称で知られる、第一術科学校のシンボル的な存在の旧生徒館や、国会議事堂と同じ御影石で大正4年に作られた大ホール、江戸末期の海軍創設から現代までの貴重な史料が展示されている教育参考館など数多くの見所がある。さらに最近は個人客では近づいてみられなくなった、戦艦陸奥の巨大な砲塔も間近に見ることができた。

 教育参考館は、特攻隊の遺書などプライベートな品が多いため、館内の撮影はできなかったが、坂本龍馬が身につけていたという小具足や、勝海舟の書をはじめとした数多くの書簡、遺書、横山大観や藤田嗣治の戦争画など珍しい品物をたくさん見ることができた。また、施設の外には、真珠湾から引き上げられたという「特殊潜水艇(甲標的)」や、戦艦「大和」の砲弾なども展示されていた。

 今は毎日約300人ほどが見学に訪れるそうで、我々の後ろからもかなり大人数の見学客がきていた。最近のミリタリーブームを受けて観光客が急増しているそうで、これから始まる夏休みが1年で最も忙しい時期なのだそうだ。

【第一術科学校見学の様子】
ガイドをしてくれたのは自衛隊OBで今年78歳になるという中村さん。後ろにあるのはオススメのおみやげ「江田島カレー」
皇族も参加する式典などにつかわれる大ホール。米軍の占領時代には教会として使われていたそうだ
第一術科学校を象徴する旧生徒館。レンガは一部国産だが、ほとんどはイギリスから取り寄せられた。現代では1個が1万円相当もする高価なものが使われている。
戦艦「大和」の主砲につかわれていた砲弾。1発の重量は1トン以上あり、射程は42キロもあった
93式魚雷。1発の長さは9m、酵素を酸化剤にした世界で初めての実用的なレシプロ機関を持った魚雷
「特殊潜航艇(甲標的)」。真珠湾攻撃に参加した5隻のうちの1隻で、昭和35年に引き上げられたあと修繕保存されている
駆逐艦雪風の主錨。戦艦大和とともに出航したが、無傷で旗艦。昭和44年に解体された時に、錨が保存された
第一術科学校は海側が正門となる。貴賓も迎える桟橋は、以前は一般公開されていたが、写真を撮りながら海に落ちる人がいるため、現在は入れなくなった
桟橋の周囲に係留された教習用のカッター船
戦艦「陸奥」の4番主砲として搭載されていた連装砲。大正11年にワシントン条約や昭和5年のロンドン条約で砲塔のサイズが制限されたことを受けて、砲塔を近代化するために撤去されたもの
92式4連装魚雷発射管。T型駆逐艦「梨」に搭載されていたもの。昭和20年に山口県沖で沈没したが、引き上げられ、その後も自衛隊の護衛官「かわば」として活躍した
おみやげ品売り場には、カレーや名物のようかんなどの他、自衛隊の制服も。中には一般人が買えないものもあった

(石井聡)