CESA Developers Conference 2009現地レポート

「慣れたら死ぬぞ」富野由悠季氏がゲーム開発者にたたきつけた挑戦状
「おまえらと一緒に仕事をやりたいから」ゲームへの富野氏の期待とは?


9月1日~3日開催

会場:パシフィコ横浜



 日本最大規模のゲームカンファレンス「CESA Developers Conference(CEDEC) 2009」の2日目、パシフィコ横浜のメインホールは早朝から長蛇の列ができていた。9月2日の富野由悠季氏の基調講演を聞くため、開場30分以上前からゲーム開発者達が並んでいたのだ。

 富野由悠季氏は「機動戦士ガンダム」の監督として知られ、「伝説巨神イデオン」、「機動戦士Zガンダム」など日本サンライズのアニメーションを数多く手がける。現在も精力的に作品制作に取り組み、熱狂的なファンを生み出している。日本を代表するアニメ監督である。長い列を作り、開場を心待ちにするゲーム開発者達も間違いなく富野氏に魅了されたファンだ。会場は1,000人を収納できるが、その会場がいっぱいになり立ち見すら出た。ゲーム開発者のみが参加できる受講者が必要なイベントでこれだけの盛況は珍しい。

 富野氏は過激な言葉を投げつけるエキセントリックな人物としても有名である。ここ数年は講演やイベントなどを積極的に行なっている。富野氏がゲーム開発者に何を語りかけるのか興味の惹かれるところである。しかも講演のタイトルが、「慣れたら死ぬぞ」という非常にインパクトのあるものだ。どんな講演になるのだろうか。



■ ゲームは地球を滅ぼしかねない悪。そうでないという知恵があるなら見せてほしい

現在も積極的に新しいチャレンジを続ける富野由悠季氏。独特の雰囲気と言葉遣いに思わず引き込まれる
富野氏は壇上を歩き回り、会場中を見回しながら話す。大きく手を動かしポーズをとるなど、観客の目を引きつける
収容人数1,000人以上の会場が立ち見が出るほどの満員に。ゲーム開発者向けのセミナーという非常に限定された場でこれだけの人が集まる
富野氏は帽子を目深にかぶり、上着を着て登壇した。話が進むと帽子と上着を脱いでさらに熱が入った様子で語り続けた

 「慣れたら死ぬぞ」という非常にエキセントリックな講演タイトルをつけた富野由悠季氏は登壇し、開口一番「実は自分でもびっくりしていまして、なんでこんな演題を付けたんだろうと。どうしてこんな題にしたのかほとんど覚えておりません。打ち合わせの時にうかつに口を滑らしたのだと思いますが……それでも今回は基本的に『慣れたら死ぬぞ』というタイトルで話していきます」と語った。

 会場から笑いが起き筆者自身も驚かされたが、真実はどうあれ、これは富野氏のレトリックのようにも感じた。いきなり否定し、結局その否定すら曖昧にしながら自身のその瞬間の想いを語るというのが富野氏の講演のスタイルのようである。今回の講演で富野氏は、時に偏った視点や乱暴な意見を出しながら、頻繁に脱線しつつも浮かび上がる思考を口にしながら大きな意見を練り上げていく。結論を言いながらそのまま言葉を句切らずそのまま否定してみたり、独特の引き込まれるリズムで話を展開していった。

 富野氏は、広い舞台を左右に動き回り、手を大きく振り体を折り曲げ受講者達に鋭い視線を投げながら話しをしていく。言葉の使い方から仕草まで、十二分に「観客」を意識しながらの講演で、広い会場全てが富野氏という“キャラクター”に引き込まれているように感じた。言葉だけでなく手の動き、視線の1つ1つが観客を意識した演出を感じさせる。

 挨拶のあと富野氏は、「僕自身はアニメーションの演出家、監督であるのでおわかりの通り、ゲーム業界を白眼視しており、ゲーム業界に参入できなかったという悔しさを徹底的に持っています」と語った。富野氏がアニメ業界に入った40年近く前の時代は、テレビが生まれ映画産業が衰退していく。その時代は映画を志す若者がいても新しい人材が入りにくかった。映像分野はテレビ作品やCMなどが求められるようになっていたが、映画を志す者にとってはテレビという媒体は「きちんとした仕事ができない奴らがやる仕事」だった。斜陽になる映画産業の中で、映画スタッフ達もテレビの仕事をするようになったが、映画人達は「自分たちは地に墜ちたんだ」と嘆く、そういう時代だったという。

 「ですから“テレビ漫画”の仕事をするというのは、最下層の人間だという評価を受けていたのです。私達はだから、前の世代の人間に馬鹿にされました。私達は映画の人たちから映画の作り方、アニメの作り方、ドラマの作り方を教えてもらいたかったのです。しかし、低く見られ、蓄積した技術を継承するべきだと思ってくれる人がいなかったために、漫画映画がどういうものかというのを独学するしかなかったというのが我々の時代です」。富野氏はアニメーションの仕事を、この後もわざとアニメを「テレビ漫画」という名前で言い続ける。それは当時のアニメに対する、映画業界からの馬鹿にしたニュアンスを含めた言葉だったのだろう。

 「私はテレビ漫画の仕事で食べてきましたけれども、映画界への劣等感を徹底的に植え付けられました。およそ20年前、電子ゲームという世界があることを知り、これが新しいビジネスシーンになるということも見当がつきました。だから私も時代遅れの人間になりたくない、ビッグビジネスに参入したいと思っていました。しかし今日ただいま、それから20年後、僕はゲーム業界に参入できませんでした。何もやらなかったわけではなく、やってみてもできなかったんです。大手のメーカーも呼んでくれなかった、という言い方もできます。だから、自分としてはこの場所に立つのは似つかわしくないと思いましたし、講演の依頼を2度お断りをしているのですが、それでも来ました。最初にいったとおり、ゲーム業界を私は仲間に入れてくれなかったから白眼視している部分もあります。みんな優しくしてくれないし。1人の人間ですから、そういう感情を持ってもいいでしょう?」

 「ですけど今日来ましたのは、アニメ業界というのが、僕たちにとっての映画業界と同じかもしれないと自惚れさせてもらった上で、現在のゲームがかなり映像に頼っている部分があるのが見えてきた中で、映像がどうできていくのか、映像作品がどう作られていくのか、仕事の仕方を考える中で同じようなところがあるんじゃないかと、うすうす感じるようになりました。そしてゲーム業界も30年たちました。30年というのは、動脈硬化を起こし明日が見えなくなってくることもある。それを突破するためには、前の時代を経験している人々が、後の世界の人に教えるというのは、無駄ではないのではないかと思ったのです。だから来ました」と富野氏は語る。

 ここからもの作り、20年、50年後に向けた視点へと富野氏は話を進めていく。「次の30年を目指すもの作りに関するハウツーはありません。あったら僕が誰にも言わずにやっています。私にもわからないから、こういうところで話をして考えているんです。そして年寄りとして若い人にガイドラインを示せるんだろうか、示さなくてはいけないと思いましたが、そんなことができる天才はおそらくどこにもいません。だから自分でやらなくてはいけません」。

 富野氏は「1つだけ示すことができる考えるための手順」として、「原理原則に立ち戻って考えろ」という方法を提示する。しかし、「原理主義者にはなるな」という。原理は大事だが、原理主義者に陥る危険がある。原理主義者は何1つ新しいものを生み出せなくなるという。

 ここで、富野氏の視点からの「ゲームの原理」がスタートする。富野氏は最初に「僕にとってのゲームは“悪”です」というエキセントリックな、挑発的な表現をゲーム会場の開発者達にぶつける。ゲームは日常的な行為を支えるものではなく、まして現在の電子ゲームはエネルギーを消費している、エコとはほど遠いものだ。「一千万人、一億人、十億人のレベルでハードウエアを売ることは悪なんですよ!」と会場に言葉をたたきつけた富野氏は次の瞬間、「これは私自身にも降りかかってくる問題で、ガンダムをあれだけ売ったらエコじゃねえだろとおっしゃられるとおりなんです」。

 だからこそこれから、ゲームの作り手達は悪ではなく、善とまではいかなくてもそこへ向かうゲームを開発していくことをしなくてはならない。悪ではないゲームを目指すというのが、ゲームの原理原則ではないかと、富野氏は会場に語りかける。ゲームというのは、元々は戦争をするための図上演習、戦術論を考えるものではなかったかと疑問を投げかける。その進化から、さらに電子ゲームは「1人遊びを完結させる」危険なものになっているのではないか?ネットゲームやバーチャルのコミュニティーもゲーム的な世界、現金すら獲得できリアルとバーチャルの境界のような世界まで含めて膨らんでいくゲームは、「もっと人気がでる、もっと売れる方向」へ向かうことができるのではないかという流れが生まれている。

 「そこでやはり原理原則に立ち戻ってほしい。何をもってプレーヤーを楽しませられるのか。ゲームで消費する時間をもったいないと思わないのか。そうすると次の開発のテーマが見えてくると思います。しかし、それはほとんど思いつきません。『テトリス』を越えるゲームが生まれない中で、ハードウェアの進化でそこに対応したゲームの売り上げが続いているのは、何となく業界が気が済んでいる。しかし、新しいステップに対応していない。根本的に新しいゲームがあったら教えてください」富野氏はそういって会場を見る。

 「ゲームの本質にあるものは、実はそれほど多種類なものではないんです。その部分でどうプレーヤーに対して驚喜させるかを考えなくてはならない。実際の体を動かしたり、脳を鍛えるというキーワードで“顧客が開発できるだろう”といわれる。顧客を開発、という言葉は実はとても危険な言葉なんです。顧客開発という言葉は、人を喜ばせる行為の言葉なんでしょうか。もっともらしい言葉に聞こえますが、それは本当の意味で新しいゲームを生み出す言葉にはなっていません。人は何のために遊び事をするんだという問題に触ってないんです。もっと顧客を開発しなくてはいけない、という言葉が“真実”になっているのは危険なんです。そういうところに囚われないところで開発者はものを考えなくてはいけないんじゃないか。ですから、簡単に乗り越えられるものではありません。」

 「電子ゲームが恐いのは、ゲームというのを一般化しすぎたところではないかと僕は思っています。30億人のプレーヤーがゲームをしていれば生産活動が止まります。生産活動を止める人が100億になったら、地球は滅んでしまう。顧客開発というのは地球を滅ぼす言葉になりかねません。この言葉に対して、『私が関与しているゲームはそうではない』と言い切るゲームを作ってほしいと思います。私は、人類は知恵があると信じています。その知恵があるなら、時間を消費しないですむゲームを作ってみてください、それはきっと無理でしょうね」。富野氏の激しい言葉に、会場はしんと静まりかえった。

 「ただ、重要なことがあります。こんな生意気なことを言う年寄りがいたら、『俺は本当に腹が立つ。おまえは何もわかっていない。俺が、私がやってみせる』という人が出てきていただきたい。人類が歴史を作っていくというのは、きっとこういう事の繰り返しだったのではないでしょうかと思っています」。

 話のスケールが壮大になったとき、富野氏は自分のことを語り始める。「僕自身がここでこんな話をしているのは、僕が才能がなくテレビ漫画の仕事を続けていたから……ではありません。僕は人前でこういう話ができる、こういう自分になることをずっと意識してきました。机の前にかじりついているだけのテレビ漫画という偏見を取り払う努力をずっと続けてきました。だからこそ、『あのじじいを黙らせてやれ』ということをずーっと考えてください。そしたら突破口が見えてくるかもしれません。だから目標は徹底的に高いところに持ってください。そうすれば少なくとも現在の自分に満足することがなくなります」と富野氏は挑戦するような視線で会場を見回した。



■ 「おまえらと一緒に仕事をやりたい」富野氏のこの声にどう答えるか。受講者にむけた富野氏の宿題

中央の台は、スタッフにわざと用意させたものだという。演台を用意させながらあえてそれを無視するのは、動き回る話し方をさらに印象づける演出というわけだ
時に鋭い眼光を投げかけ、時に笑う。壇上で富野氏の表情はめまぐるしく変わる
「僕がしゃべっているんだからこれだけの人が集まっているんです」と富野氏が言うと会場から大きな拍手が。しかし次の瞬間富野氏は、拍手から逃げるように照れながらステージの奥に逃げてしまう。圧倒的な迫力を見せたかと思うと、自分の言葉に照れる親しみやすさも見せるのが富野氏の魅力だ

 富野氏は、「ものを考えて作っていく上での大事な話をする」と宣言した後で、「個性」に関する話を始める。「皆さんは『あなたらしく、君らしくがんばろう。あなたの個性はあなただけのものだ』といって“嘘をつかれて”教育されてきましたよね?」。大人になって気がつくのは、本当に個性があったらとっくの昔にその個性を開花させてひとかどの者になっている。

 だから、「君たちに個性なんてない」と言うことを大人が教えなくちゃならない。でもそれは残酷すぎてできないから、大人は嘘をつくしかない。だからこそ、子供はその嘘を前向きに受け止めることで、努力して行かなくてはならない。嘘を信じ込んでそれだけで何もしてなければもう少しましになるかもしれない。

 と、ここまで話しておいて富野氏は笑顔を浮かべ、「この話、ほとんど嘘です」という。会場からは笑い声が上がるが、筆者自身は、正直富野氏がどんな意図で、この話をしているのかわからず、頭が混乱してきた。富野氏はそのまま言葉を続ける。「僕は去年の暮れの押し迫った頃、ハンナ・アーレントという政治哲学者の話を読みました」。

 富野氏がその本で1番衝撃を受けた一文は、「17世紀、ルネッサンスまでほとんどの人類が判断して決定するということができない」ものだったという。人類はそこまで馬鹿だったのか、それならばなぜ人類は固有の文明を築き得たのか。ハンナは「それは人類が集まればなしえる」という。判断する力のない人類がそれまで生きてこれたのは「信じて」いたからだ。宗教を信じることで、ものを考えず、生きることができた。しかし現在、原理主義者と呼ばれる人たちが、何か新しいものを生み出すことができているだろうか。

 ここで富野氏は、もの作りにおいての「原理主義者」に話を戻す。原理原則を信じてはいけない。原理原則に立ち戻り、判断の材料にしなくてはならない。地動説を唱えたガリレオのように、宗教を盲目的に信じるのではなく、自分で考え、データを観察して判断しなくてはならない。個性があると言う教育は、基本的に“嘘”だ。その嘘を信じたまま大人になれば、自分の好みの企画、考え方だけでもの作りのプロジェクトを作る人間になってしまう。

 器用貧乏な人間も、自分の企画に凝り固まってしまう人間もプロジェクトを進める上では適さない。プロジェクトには多くの才能が必要で、自分の感性を信じて進めるプロジェクトは時代があえばヒットするが、大きなプロジェクトにはなり得ない。好きでなくても幅広い考えや才能を取り入れてプロジェクトは進んでいく。自分がどんな立場にいて、どう進めていくかを客観的に判断する視点が必要だ。

 「富野の話を我慢して聞くのも必要な事かもしれないし、必要だと思うから僕はしゃべりたいと思う。ハウツーがわかっていればおまえらにはやらせない、俺がやる。それだけの話」。そう言いながら、富野氏は手を目の上に置き、ライトの光を遮って会場全体を見回す。「僕は話しながら、どんな年代の、どんな顔つきの奴らが僕の話を聞いているかかなりムキになって見てます。他の会場と違う人たちがいて、その人達の反応を資料にしている。おまえらに俺の話を聞かせてやるとは悔しいがそこまで偉ぶれない。どうしてかというと、おまえらと一緒に仕事をやりたいから」。最後の言葉に会場から大きな拍手が起こった。

 「僕は幸いにも大きな病気もせず、ここまで生きてきました。生きているうちは、やっぱり元気でいたい。次の世代の人たちには迷惑をかけずに死んでいきたいという想いもある。死ぬのが恐いのは当たり前だが、死んだらつまらない。生きていることの切なさやつらさ、日常で暮らすためのいろいろなこと、妄想や願いや欲は、生きているからこそです。欲を持っていることも大事にしつつ、いい形で獲得できればいいじゃないですか。それだけのことです」と富野氏は語った。

 富野氏はここで少し休憩を入れた後、2年ほど前に聞いた「ついにCGも理工系の仕事から、デザイナーのものになっちゃったか」というある人物が漏らした慨嘆を例に挙げた話を始める。富野氏はその言葉で、「これまでのCG作品は理工科系の人が作っていたのか」と思ったという。そして「CGにするとなんか絵が下手になる。絵になってない。理屈で説明されれば頷くし、レンダリングがどうとか訳のわからないことをいうんだけど、それは理科系の仕事なのか、だからつまらなかったのかと思いました」とまた過激な問題提起を始める。

 「CGでも、おまえの能力を持って、センスを持って作れといわれていたけど、これはほとんど嘘八百だ」。富野氏はさらに過激な言葉を重ねる。なぜ嘘かといえば、絵描きは筆や鉛筆で線を引くだけでその人の才能や個性、そして職業や立場がわかる。CGはキーボードやマウスでそこまで到達していない。筆やペンと、デジタルワークで使うソフトはまだ筆やペンのように使い切っている人がいない。道具という言葉がまだ大きな違いがある。

 水彩画や油絵をやっている人たちは、ホントにその人だけの色を持っている。人によっては自分で岩を掘って混ぜて色を作ったりする。この1年、CGの人たちと仕事をしていて富野氏は「動く、止めの絵を描くCGは、デザイナーの仕事に移行しつつある。ソフトウエアはようやくその水準まで来て、これからはCGワークはかなり変わってくると思っています。新しい環境に新しい才能が生まれてくるのは間違いありません」。

 ここで富野氏は、「ピクサーのCGはまだ理工科系の作画法を踏襲しているように思える。もっと自由にCGは作画ができると思っています。実をいうと、絵に限らずゲーム作りでもデジタル技術を使ってみせるという、道具を使うことに振り回されて、この道具を使って何をしよう、何を考えようという思考回路を遮断されていたのではないかと思っています」。

 「道具を作るだけで気が済んでいた。60年前、戦艦大和を作ることだけを考えて、どう使うかを全く考えていなかった。建造時期にすでに巨大戦艦は無用とわかっていたのに作ってしまったために、現在の価値で20兆円もの資金を使ってしまった。CGのツール、ゲーム開発のツールを使うことだけで精一杯で、10年後にも対応できるという作品を、この10年考える事をしなかったのではないかと思っています。『テトリス』を越えるゲームが出ていないというところからも、証明されています。道具を使うことが目的となり、道具を使って何をやるかを我々が想像することができなくなっていると言うのがかなりあるのではないか、これを覚えておけば、皆さん方が編み出せるはずです」。富野氏は一気に言葉を語り、そして「はい、質疑応答です」と話を終えた。

 富野氏への質問は物怖じする人も多かったが、いきなりお礼を言う人、自分の思いの丈を言葉にならないままぶつける人など、多くのユニークな人が富野氏に語りかけた。富野氏は、孤高さ、カリスマ性と共に、どこか話しかけてみたいという「親しみやすさ」を持っているように感じた。富野氏の話は、細かく言葉を追っていくと、前の言葉を否定したり、いきなり自分の話を始めたり、事例で脱線したりと、予測のつかない動きをする。それでも、真摯に言葉をぶつけてくるのがわかる。否定を多く混ぜながらも、否定するその瞬間までは、間違いなく自分の信じている真実を語るような独特の心の動きを感じた。

 富野氏の今回の講演からは、「自分はゲームの専門家ではない」といいながらもゲームへの強い興味も間違いなく感じさせられた。富野氏自身のゲームの理解は、特に現代のゲームにおいて、作り手であり、現役のゲームプレーヤーである受講者とは情報の受け取り方も知識も理解も違うだろう。しかし富野氏の生の言葉を聞いて、ゲームの作り手の心には何らかの想いが浮かんできたのは間違いない。

 「本当に才能がある人の芽を摘まないように、気を付けてください。才能のある若い人に活躍の場を与える。それこそがもの作りにおけるハウツーじゃないかと思っています」。富野氏はもうすぐ70歳となると講演で何度も繰り返した。その富野氏が、ゲーム業界に精力的に語りかける姿は、現役のクリエイターという姿と共に、後ろに続く者達へ光を指し示す力強い先輩という印象を与えた。

 「何とかしたいんだ、何とかしたいんだと思い続けていることで、ある日いきなり答えが落ちてくるんです」と富野氏は、自身の体験を語る。「ゲームは人類に何をもたらすのか、100億の人の生産活動の時間を奪い、地球を滅ぼすものなのか」この壮大きわまりない富野氏の問いかけに対しては、「問い続ける姿勢」こそが今現在、答えを出すためにできる唯一の方法かもしれない。「どうしてかというと、おまえらと一緒に仕事をやりたいから」こう語った富野氏に対して、会場は拍手で応えた。拍手で応えた人たちがどんなものを作っていくか、興味を持ってみていきたいと思う。


(2009年 9月 3日)

[Reported by 勝田哲也 ]