【特別企画】
初代プレイステーション誕生から30年! 変遷を追いかけながら、プレステ初代機と印象深いソフトを共に振り返る
2024年12月3日 00:00
- 【プレイステーション】
- 1994年12月3日 発売
初代プレイステーション(PS)が登場したのは、1994年の12月3日のこと。それまで、ゲーム機と言えば任天堂のファミリーコンピュータやスーパーファミコンなどがメインであり、どんなハードで遊んでいようとも親からは「いつまでファミコンで遊んでいるの!」と怒られるのが常なほど、ゲーム機の代名詞として一般家庭に浸透していた。その牙城を崩し、セリフを「いつまでプレステしてるの!」に変えてしまったほど、PSは大ヒットを飛ばすことになる。
そんなPSも、誕生から今年で30年が経過した。そこで今回は、初代PSの歴史をモデルチェンジ中心に、懐かしい当時の広告と筆者が経験した裏話とを合わせて簡単に振り返ると共に、個人的なPS名作ソフトのピックアップをお届けしよう。
ソニーがプレイステーションで成功するまでには、実は2度の挫折があった
1994年12月3日にプレイステーションが発売されてから、今日2024年12月3日で30周年を迎えた。プレイステーションでゲームソフトの供給がROMカートリッジからCD-ROM媒体に変わったことで、飛躍的な容量の増加とリピート生産がし易くなり、またソフトの流通形態が変わったりゲーム制作方法にも変化が起きるなど、現在に至るまでさまざまな影響を与えた1機種だ。PSはゲームの歴史において、間違いなく大きなターニングポイントを作ったハードだったと言える。
PSをリリースしたのは、ソニーグループ傘下のソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)。ソニーは1980年代、独自規格となるパソコンのSMC-70やSMC-777、SMC-777Cを発売するもNECのPC-80やPC-88シリーズ、シャープのMZやX1シリーズ、富士通のFMシリーズのようなメジャーになることはできなかった。その後、HiTBiTブランドでMSXパソコンの一翼を担っていくのだが、国内パソコン市場は最終的にNECのPC-98シリーズ一強となっていったこともあり、ホームコンピュータ市場からは撤退している。
そんなソニーが次世代ゲーム機として、セガの発売するセガサターンと似たような時期にPSを発売すると見た時は、“三度目の正直”か、“二度あることは三度ある”か、に注目したものだ。この時点では、筆者はセガサターンが次世代ゲーム機戦争の勝利者になると思っていたのだから、先を見る目がなかったということになるだろう。
そんな筆者が初めてPSの実物に触れたのは、発売直前の1994年11月。とある編集部で青のデバッギングステーションと呼ばれるタイプを見た時は、ずいぶんと変わった形のハードだなと思ったものだ。しかも、付属していたコントローラが立体的で、オーソドックスな平たい形のものではなかったのも気になった。しかし、握った時のしっくり感に驚いたのは、今でもハッキリと覚えている。
とはいえ、日々ゲームセンターでジョイスティックを操作し、自宅では長らくパソコンのテンキーでシューティングや格闘ゲームなどをプレイしていたこともあったため、コンソール機のコントローラというのはすべからく操作しづらく、PSコントローラは斜め入力のしづらさに苦労させられた。それでも、仕事でPSを使うようになるので慣れないと、と思いながら日々使っていたものだ。
この時点で、1994年11月30日に創刊されるプレイステーション専門誌に関わることが決まっていたのだが、そのまま休刊までお付き合いをするとは、このときは思ってもいなかった……。
1994年12月3日のPS発売日当日は、確実に入手するための徹夜組も出たほどの盛況ぶりで、一部店舗では他の商品販売を止めてPSのみを売るほどの人気を見せていた。しかも、当日分として用意された本体は10万台強だが、これらは即日完売を記録している。
筆者も、雑誌のニュースページに掲載される発売日の現場撮影写真を見て、その盛り上がりに驚いたものだ。このときの価格は39,800円(SCPH-1000)で、定価が25,000円だったスーパーファミコンと比べると、なかなかのお値段。とはいえ、先に登場していたセガサターンが44,800円だったことを考えると、それよりは若干ながらお買い得だったといえた。
年が明けて1995年1月1日には、PS初の3D格闘ゲーム「闘神伝」がリリースされ、大人気を博すこととなる。発売したのは、当時のタカラ。ちょっとした裏話だが、「闘神伝」はパッケージの右下に「HYPERSOLID」と書かれたロゴが入っている。筆者は、これをもじった読者コーナーをしばらく連載していたのだが、後にタカラ側から聞いたところ「HYPERSOLID」はオマケのようなもので、それをもじったコーナー名もちょっと……ということだったらしい。結局、その連載は1年弱で終了となるのだが(笑)。
この時期、1月は「闘神伝」を除くと6本、2月にいたっては1本しか新作が発売されず、ゲームタイトルがなかなか増えなかった。余談だが、ソフトが増えないので雑誌では同じソフトを何度も紹介することになってしまい、徐々に書くことが無くなっていったのには悩まされたものだ。担当ゲームの1つである「アイドル雀士スーチーパイ Limited」も途中でネタがなくなり、オープニングアニメーションと歌詞を掲載してお茶を濁したこともあった。それでも、4月くらいからようやくコンスタントに新作が出始めるようになり、少しずつソフトラインアップが充実していく。その状態になり、ようやくそういった苦労から解放された! となったのを覚えている。
これもまた裏話だが、雑誌に掲載する写真はビデオプリンタと呼ばれるハードをコンソール機と繋いで撮影していた。キャプチャボタンを押すと映像がビデオプリンタ側に取り込まれ、印刷ボタンを押すと印刷される仕組みとなっている。使用する紙やインクリボンがなかなかのお値段だったので、ハガキサイズでの出力なのだがページで大きく使う時は1カット、そうではなければ1/4サイズで印刷して各々を切り取り使う、というやり方で節約していた。しかし、ゲームによってはポーズが効かないものもあったため、特にアクションゲームやシューティングゲームで狙ったシーンの撮影には苦労したもの。
しばらくはソフトが少ない状況下にあったが、1995年2月8日の時点でPS本体の出荷台数が50万1,000台と発表され、ソフトは230万枚を出荷、ハードの実売状況は94.7%とのアナウンスも出るほどには引き続き売れ行きを伸ばしていた。そして同年5月29日、出荷台数が100万台を突破したと公表。ついに、念願だった100万台突破を果たすことになる。
新作ソフト以外でこの流れに貢献したのが、PSソフトを取り扱うお店に配っていたソフトのデモ版や映像を盛り込んだ「DEMODEMOプレイステーション」ではないだろうか? 時間制限付きながら製品版と同じ内容で遊べたり、新作ソフトのPVやインタビュー映像などを見られるなど、発売・購入前に“ゲームを実際に体験”できたのが大きかったのではないかと個人的には思っている。
この時代はまだ静止画が掲載されている雑誌が情報源だったため、それと比べると自分の目で動いているところ、実際のプレイ感覚を体験できるのは、購入に際しての決め手となったことだろう。また、7月21日には29,800円に値下げとなった新型本体SCPH-3000が発売され、より一層の普及が進んでいく。
話は少々脇道にそれるが、この頃PSより少し先に発売されていたセガサターンを要するセガは、1本のCMを流していた。2匹のサルがゲームをプレイしているが、片方のサルは早々にゲームをやめて画面外へと去って行くというもの。これについては、当時の雑誌でインタビューに答えたSCEの佐伯氏(当時)が一広告業界人のコメントとして「普通に考えると、勝っていたら絶対にやらない手法であることは事実です。ペプシがもし勝っているのなら、あんなCMはやりませんよね(後略)」と語っていたのが印象に残っている。
1995年末、ついにPSの出荷台数が200万台を突破したことがニュースになったが、セガサターンは一ヶ月早く200万台に到達していた。この時点でようやくPSが追いついた形となったのだが、年が明けた1996年の1月22日に、スクウェア(当時)がスーパーファミコンなどで大人気だったタイトル「ファイナルファンタジー」シリーズの最新作「ファイナルファンタジーVII」をPSで発売するとの発表と共にPS参入を決定。これがきっかけとなり、いわゆる次世代機戦争はその流れがPSに傾き、よりPSが各家庭へと普及していくことになる。
この後もPS本体は、モデルチェンジや値下げを積極的に行なっていく。1996年3月28日には、プレイステーションファイティングBOX(SCPH-3500)と称した本体+コントローラ2個+メモリーカード1枚同梱で24,800円という実質的な値下げを敢行。
6月には本体(SCPH-5000)+コントローラで19,800円と、2万円を切る価格設定に。11月15日には、本体とテレビとの接続がAVマルチケーブルのみとなったSCPH-5500がデビューする。
誕生から2周年を前に、全世界での出荷台数も1,000万台を突破したことが発表されると、続いて1997年1月9日にはエニックスがPS参入を表明。同時に「ドラゴンクエスト」シリーズ最新作をPSで発売するとアナウンスしたことで、次世代ゲーム機戦争はその幕を下ろすことに。これにより盤石となったPSは、同年11月13日に振動機能が付いたコントローラ・デュアルショックを同梱して18,000円へと値下げする(SCPH-7000)。さらに1998年2月には、日本国内での出荷台数1,056万台、全世界3,000万台を記録し、飛ぶ鳥を落とす勢いでシェアを拡大していた。
そして1999年1月18日、15,000円という価格まで値下げが行なわれたPS(SCPH-7500)はその後、1999年5月31日に背面の外部拡張端子をなくしたSCPH-9000モデルを発売し、同一筐体でのモデルチェンジを終えている。
2000年3月4日にはプレイステーション 2(PS2)が発売されるが、PS2にはPSとの互換があったためPSのソフトもしばらくは新作が発売されることとなり、息の長いハードとなったのは周知の通りだ。
余談だが、発売されてから1年ほどの個体は使っているうちに読み込みが怪しくなり、そのうち立てたりひっくり返さないと上手く動かないようになった、という経験を持つ人もいるのではないだろうか。筆者が使用していた初期型は何の問題も起こさなかったのだが、編集部で使っていたデバッギングステーションは縦置きにしないとうまく動かないことが多く、中にはひっくり返して背面に卓上扇風機で風を送らないとダメ、というものもあった。今思えば、何とも牧歌的ではある。
PS用ゲームを数百タイトルレビューしてきた中から、30周年を記念して個人的名作をピックアップ
初代PSタイトルは、最終的に3,000本以上のタイトルがリリースされているのだが、その中から特に印象の残っている作品を筆者的視点でいくつかピックアップしてみた。初代PSはローンチタイトルからレビュワーを担当していたので、その経験から“コレ!”というものを取り上げている。なお、画像は初代PS本体をHDMIキャプチャに接続して撮影しているのだが、筆者の所持しているSCPH-1000の調子がイマイチで、画像に余計な線などが入ってしまっている。大変申し訳ないが、ご了承いただきたい。
ときめきメモリアル ~forever with you~/コナミ
まずは、なんと言っても個人的に本体を購入する原動力となった、1995年発売のコナミの「ときめきメモリアル ~forever with you~」を強力にプッシュしたい。高校卒業時に、学園内にある伝説の樹の下で女の子から告白されるのが目的の恋愛シミュレーションゲームだ。
当時としては非常に良く動くオープニングムービーに惹かれて買ったのだが、ジャンル名を見て最初はパソコン版の「プリンセスメーカー」のように手間がかかるのかと思っていた。しかしプレイしてみたら、今週何をするかをアイコンから1つ選ぶだけと想像以上に簡単で手軽、しかも面白いということもあって、最終的には1年半くらい遊び続けてしまったほど。13人ものヒロインが登場するので、プレイしたほぼ誰もがお気に入りの彼女を見つけることができたというのも特徴だろう。
ゲームは基本的に高校3年間を送りながら、登場する女の子たちと出会いデートなどを重ねて好感度を上げていくことで、意中の相手から告白されることを目指していく。ゲーム内で学園生活を追体験するので、学園祭や体育祭、修学旅行なども行なわれるのだ。今でも十分に楽しめる作品なので、未プレイの人がいればぜひオススメしたい。
トゥルー・ラブストーリー/アスキー
恋愛シミュレーションといえば、1996年にアスキー(当時)からリリースされていた「トゥルー・ラブストーリー」も、やりごたえのあった1本。転校までの残された1ヶ月間で女の子たちとの仲を深めていき、最終的に彼女を作るのが目的となっているのだが、主人公に成長要素がないというのが斬新だった。
また、学校からの帰宅時に女の子と出会えれば、一緒に下校しながら会話を楽しめる下校モードが堪能できたのも特徴。筆者のように男子校通いだった人間にとっては、ゲームの中とはいえ女の子と下校できるというのは、それだけで凄い体験のように感じられたものだ。最初に一緒に帰れたときの嬉しさは、今でも忘れられないほど。ちなみに、オープニングテーマ曲を歌っているのは女優の仲間由紀恵さん。
マリーのアトリエ ~ザールブルグの錬金術士~/ガスト
シンプルながらもやりこむほどに面白くなるのが、1997年にガスト(当時)から発売されていた「マリーのアトリエ ~ザールブルグの錬金術士~」。RPGといえば、世界に限らず何かを救うなどの仰々しい目的が多かったなか、落ちこぼれ錬金術士のマリーが学校を卒業するために頑張るというのがユニークなポイントだった。
アイテムとアイテムを掛け合わせて調合することで、新たなアイテムを産み出すことができるというゲームシステムも非常に中毒性が高く、冒険に出かけて新たなアイテムをゲットしては調合に明け暮れるという日々を送り、仕事が進まなくなったことも数知れず。2作または3作ごとに舞台などが一新されながら、現在までシリーズ作品が続いている。今ではコンソール機だけでなくSteamやスマートフォンでもプレイできるので、興味を持ったらサクッと始められるのも良いところ。
グラディウス外伝/コナミコンピュータエンタテインメント東京
コナミから1997年に発売された作品「グラディウス外伝」は、PSオリジナルシューティングゲームの傑作として挙げたい。タイトル通り「グラディウス」シリーズの流れを汲んでおり、イメージとしては「グラディウスII」っぽい感じと言えるかもしれない。
敵を倒してパワーアップカプセルを回収し、自機をパワーアップさせながら先へと進んでいく「グラディウス」シリーズお馴染みのシステムを採用している。4種類の機体が登場するが、どれも攻撃力のバランスが良く、ゲーム中の難易度もそこまで高くはないので、シューティングゲームが好きな人ならばノーコンティニュークリアが可能だろう。個人的には、これがゲームセンターで稼働していないのが不思議なほどの完成度だと思っていたほどで、当時のPSとは思えない派手な演出なども盛り込まれており、全体的に満足できる1本。「グラディウス」シリーズが好きならば、ハマること間違いなし。
ナムコミュージアムVOL.1~5、アンコール/ナムコ
1995年から97年にかけて発売されていた、ナムコ(当時)の「ナムコミュージアム」シリーズは、自分がゲームセンターでドハマりしたタイトルが収録されているナンバリングを購入し、時間を見てはプレイしまくっていたソフト。本作が発売されたことで、次世代機にて古いゲームが復刻される機運が一気に高まったといえるだろう。
当時としては高い水準でアーケードゲームを移植しており、収録作品も「源平討魔伝」や「オーダイン」、「ワルキューレの伝説」といった名作を網羅していたので、大喜びで購入したものだ。あまりにも遊びすぎたおかげで、「アサルト」をプレイしている最中に編集部の備品だったアナログジョイスティックの左側を折ってしまったことがある。もちろん、えらい剣幕で怒られたことは言うまでもない……。
聖剣伝説 Legend of MANA/スクウェア
1999年にスクウェア(当時)から発売された「聖剣伝説 Legend of MANA」は、筆者が購入した初のスクウェアタイトルだ。パソコン向けゲームでは「デス・トラップ」や「アルファ」、「クルーズチェイサーブラスティー」などを購入済みだったが、コンソール機向けは本作が最初。発売1カ月前くらいに編集部に届いたマスター版でプレイしてドハマりし、勢いでクリアまで遊んでしまったほど。そのまま攻略担当に組み込まれてしまったのだが、攻略用資料が手元にあったのも、熱中できた要因の一つかもしれない。
3Dではない、温かみのあるドット絵で描かれたキャラクターや世界、飛躍的に高い進行の自由度、敵とエンカウントするとアクションゲームのように戦うバトルシステム、非常に練り込まれた完成度の高いシナリオ、満載のやり込み要素など、すべてにおいて満足させてくれた。
強いて挙げるならば、できることが多すぎてプレイヤーの限られた遊び時間の中で何をやろうか? と悩むことがあるかもしれない。また、主人公に用意されたたった一言のセリフに、心を揺さぶられた人も多いのではないだろうか。幸いにして、現在ではHDリマスター版が発売されているので、そちらで遊ぶことも可能だ。
幻想水滸伝・幻想水滸伝II/コナミ
RPGで印象深かった作品は数多いが、1995年と発売時期が早かったにもかかわらず非常に良く出来ていたのが「幻想水滸伝」と、その続編として3年後の1998年に登場した「幻想水滸伝II」だ。108人の仲間を集めて物語を進めていくのは1作目、2作目とも共通。
「幻想水滸伝」発売時期は「次世代機だからRPGも3Dで」という風潮があったものの、その流れに乗らず2D描画を採用。結果的に、そういったことも合わせて大ヒットとなった。仲間たちそれぞれの持つ物語が丁寧に描かれていたほか、戦闘シーンでは特定の仲間とパーティを組んでいると繰り出せる協力攻撃があり、ただ戦うだけで無くそれを見つける楽しみもあった。
シナリオも非常に起伏に富んでおり、プレイヤーをグイグイと「幻想水滸伝」の世界観に惹き込んでくれた。2作目では、主人公と親友を軸にしたストーリーがプレイヤーの心を掴んだほか、1作目のデータを読み込ませることで1作目主人公が登場するといった仕掛けも用意されていた。全体的なバランスも取れており、今でも大勢のユーザーに人気がある鉄板タイトルだ。少しでも気になった人は、2025年3月6日にHDリマスター版が発売予定になっているので、ぜひそちらをプレイしてほしい。
矢追純一極秘プロジェクト「UFOを追え」/日本クラリービジネス
マイナーどころとなるが、日本クラリービジネスより1996年に発売された「矢追純一極秘プロジェクト『UFOを追え』」も、大いに推したいタイトルだ。ゲームではなく、UFOに関する資料や記録が大量に収録されたデータベースソフトではあるが、1980年前後から雑誌「ムー」を愛読している身としては知識を深めるのに大いに役に立ったと同時に、あの矢追純一氏にインタビューまでさせてもらい、非常に感激したのを覚えている。
現代では、NASAもUFO改めUAP(Unidentified Aerial Phenomena・未確認空中現象)に関して、正体は判明していないとの公式見解を出すほど柔軟になってきているが、本作を見れば過去のUFO事件に関してどのような雰囲気だったのかが読み取れるだろう。オカルト番組などが流行した1980年代の空気が、この作品に取り込まれている、とも言えるかもしれない。
息の長かったPSだけに、多数ある対応タイトルの中には名作や怪作がまだまだ隠れているかもしれない!?
最終的には2004年まで新作ソフトが発売されたということを考えると、いかにPSの人気が高かったのかがわかるというもの。とはいえ正直なところ、これだけの数の作品があれば、雑誌で取り上げられなかったタイトルも出てきている。そのため、実は面白いにもかかわらず埋もれてしまっているゲームもあるかもしれない。そんな未発掘ソフトを探す楽しみがあるのも、ある意味ではPSの魅力の一つと言えるのではないだろうか。
この後、ソニーのコンソール機はPlayStation2(PS2)へとバトンタッチし、多数の本体モデルやより数多くのゲームが発売されることとなるのだが、それらは6年後に迎えるPS2の30周年時に語られることとなるだろう。
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