【特別企画】
プレイステーション 2は発売25周年! 歴代PS2ハードや名作ソフトを振り返る
2025年3月4日 00:00
- 【プレイステーション 2(PS2)】
- 2000年3月4日 発売
- 価格:39,800円(発売当時)
20世紀のコンソール機といえば多数の種類があったものの、メインは任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)やスーパーファミコンなのは間違いない。何かゲームで遊んでいると、母親に「いつまでファミコンしてるの!」と怒られた、などという経験を持っている人も多いことだろう。
そんな任天堂ハード一強時代のなか、1994年12月3日に登場したプレイステーション(PS)は、それまでにはなかったさまざまな方法により新たな市場を開拓することで大ヒットを飛ばすこととなり、任天堂のお株を奪うことに成功する。任天堂ハードでしか発売されることのなかったタイトルもPSでリリースされるようになっていくと、国民的ゲーム機として定着するのにそう時間はかからなかった。
順風満帆に見えたPSだったが、時間が経てばハード面でのスペックが物足りなくなっていくのはコンソール機の宿命。そうなると、PSに取って代わる次世代機が求められるようになってくる。そのタイミングでソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE、現SIE)は、1999年3月2日に東京国際フォーラムでPlayStation Meetingを開催。次世代PSとなるプレイステーション2(PS2)を初披露し、続いて同年9月13日に全日空ホテルにおいて「Premiere of the Next Generation PlayStation」と題した発表会で正式に公開する。そして翌年の2000年3月4日、PS2は39,800円という価格で市場デビューを果たすのだった。
今回は、そんなPS2の歴代ハードや個人的に思い出に残っているソフトなど、PS2の25周年を振り返っていこう。
最初はどっしりとしたデザイン。モデルチェンジを重ねてスタイリッシュに進化したPS2の歴史を紐解く
1994年に発売された初代PSは、CDというメディアを採用したことによる大容量と早いリピート生産などをウリにし、また既存の枠に囚われないゲームを多数リリースすることで、それまでゲームに馴染みのなかった人たちの取り込みに成功、着々とユーザー数を延ばしていった。
そして1998年になり次世代PSの噂話が出始め、翌年の99年にそれが事実として表に出てくると、あちこちの雑誌が特集を組むようになっていく。このときには既にさまざまな出版社からPS専門誌が登場していたため、それぞれがいろいろな角度から見た記事を掲載していた。特に発売前から大きな反響があったのが、メジャーゲーム機としては初となる旧機種(PS)との互換性と、DVDプレーヤーとしての機能だ。
PS前のメジャーゲーム機といえばスーパーファミコンだが、ファミコンとの互換性がなかったため、ファミコンのソフトをスーパーファミコンでプレイするのは不可能だった。ところが、PS2ではPSのゲームもプレイすることができることが事前に明らかにされていたことで、「とりあえず購入しておけば今まで買ったPSのゲームも遊べるし、そのうちにPS2のゲームが充実してきたらPS2タイトルも買おう」という考えの元、ユーザーとしても安心して購入する方向に舵を切れたのだ。PS2がデビューしてもソフトがあまり充実しなかった間の本体売上に、大きく貢献したと言える機能だろう。
また、この時期はビデオテープに変わりDVDが少しずつ普及し始めていたのだが、PS2発売前はまだまだマイナーな存在だった。これは、DVDソフトが少なかったことや、DVDプレーヤーが高価だったことなどが理由として挙げられる。しかしPS2が僅か39,800円という価格で登場したことにより、DVDを見ることしかできないDVDプレーヤを買うよりも、ほぼ同じ価格帯でDVDが見られてゲームが遊べるというPS2は、確実にお買い得だったのだ。
ある意味、事前情報からは売れる予想以外は考えられなかったわけで、これらを受けてソニー・コンピュータエンタテインメントジャパン(当時・SCEJ)はPS2の初回販売台数を100万台と発表していた。
そうして迎えた1・2・3ならぬ1・2・3・4(平成12年3月4日)の日、PS発売時にも見られた店頭行列が、各所で再び目撃されることとなる。このときは、初日と翌日の土日だけで98万台を販売したのだが、PSの時と違っていたのは実店舗だけでなくインターネットサイト「PlayStation.com」でも販売を行ったことだ。
この98万台の内訳は、一般小売店向けが約60万台と2/3を占めたが、残りのうち発売日当日に「PlayStation.com」から配送されたのが約12万台、そして26万台が2週間先までの同サイトでの配送分となっていた。これを弾みとして、今に繋がる「PlayStation.com」が確立されたといってもいいだろう。
さらに付け加えるなら、3月4日と5日にはDVDビデオソフトの出荷量が通常の2~4倍に増えたというSCEJの発表もあった。それまでは一般的とは言いがたかったDVDだが、PS2の発売が爆発的に普及していくこととなるきっかけでもあったと言える。それに一役買ったのが、前年に映画館で公開された「マトリックス特別編」のDVD。こちらは2000年3月24日に発売され、当時のDVDビデオソフトとしては大ヒットを記録するのだった。
初代PS2の型番は「SCPH-10000」。初代PSがSCPH-1000だったので、PS2に対してはその10倍の数字を当てはめてきたことになる。正面にはUSBポートが2つとi.LINKポートが1つあり、それ以外はPSと同じくコントローラ接続端子×2とメモリーカードスロット×2となっている。メモリーカードスロットにはPS用のも入れられ、データをPS2用のメモリーカードにコピーすることも可能だ。本体は縦置き横置きの両方に対応しているので、ディスクトレイに付いているPSのロゴは縦横に回転するようになっている
ここでちょっとした脱線話だが、発売日付近ではさまざまなメディアがPS2本体のプレゼントキャンペーンを行っていた。筆者が仕事をしていたところでも、誌面にて「PS2を200名にプレゼント」と告知していたのでどうするのかと思いきや、PS2発売日当日から店頭などで直接本体を買っていたのだ……こういった場合はメーカーから提供されることがほとんどだっただけに、そんなこともあるのかと驚いたものだ。
そんなPS2は、発売から5カ月後の8月1日に300万台を突破したことが発表される。PSが同じ300万台を突破するまでに19カ月かかっていたが、その4倍という驚異的なスピードで同記録をクリアしたPS2は、さらに勢いを増していく。
明けて2001年3月、SCEはPS2が発売から1年で全世界累計生産出荷が1,000万台を突破したと発表。そのうち日本国内分は465万台と公表し、同じタイミングでカプコンの『鬼武者』がPS2初のミリオンセラーになったとのアナウンスした。
PS以上のハイペースで普及していったPS2は、4月18日にモデルチェンジした「SCPH-30000」をリリースする。最大の特徴は、HDDを内蔵可能な機能拡張用スペースが用意されたことだ。これまでは、PCカードを本体背面に差し込み、HDDは別途外へと配置するようになっていたが、今回の変更で場所を取らなくなった。価格はオープンとなったが、このときの「PlayStation.com」では38,800円となっており、若干ながら初代モデルより安価になっている。
同年10月10日には、PS2の全世界累計生産出荷台数が2,000万台に到達したことを公表した。わずか6カ月で1,000万台の上積みを達成していることを考えると、この時期のPS2がいかに勢いがあったのかがよく分かるというもの。なお2002年11月26日には、「スクウェア」と「エニックス」が合併するという、ゲーム業界に激震が走る発表が行われたことも記しておこう。
2003年5月15日、新型PS2となるSCPH-50000が25,000円で登場する。DVD再生機能関連のパワーアップが主だが、初代から搭載されてきたi.LINK端子が削られてしまう。これを利用して『アーマード・コア2』の対戦を楽しんだ身としては、ショックを受けたのをよく覚えている。なお、この時点でPS2は、日本国内で1,250万台以上を出荷していた。
その翌月となる2003年6月12日には「PlayStation2 BB Pack」が35,000円で登場する。これは、従来のPS2に40GBのHDDとネットワークアダプタを組み合わせたモデルで、ここを皮切りにPS2でのオンラインゲームが徐々に存在感を増していくことになった。
ちなみに、PS2のゲームがプレイ可能という異色のハードディスクレコーダ「PSX」が登場したのは、この年の12月13日だった。搭載されていたHDDの容量が大容量モデルでも250GBというのが、時代を感じさせる。
その後は、2004年11月3日に薄く、軽く、大幅にリニューアルされたモデル「SCPH-70000」が登場。SCPH-50000と比較して体積比で約23%、質量比で約45%のスリム化を図ることに成功する。それまでフロントローディングだったディスクはトップローディングとなり、蓋はPSのようにユーザーが閉めることとなった。
ただし、ハードディスクを内蔵または外付けで使用することができなくなったため、HDDへソフトをインストールするようなタイトルを遊びたい場合は、SCPH-50000以前モデルを購入するしかない。電源はACアダプタを使用するようになっており、親にこのアダプターを隠されてしまうと遊べなくなった。まるで昔のファミコンのよう、と思った人もいたのではないだろうか(笑)。
ACアダプタは、2007年11月22日に発売されたSCPH-90000で電源が内蔵されたことで不要になり、ついに電源ケーブル1本で済むように。その8カ月後となる7月に登場したシナバー・レッドモデルが、PS2の最終機種となった。
PS2は2025年時点で、国内では2,100万台以上が発売されており、全世界累計販売台数でも1億6,000万台以上を誇るなど、名実共に一時代を築いた名ハードなのは間違いない。
数あるPS2ソフトの中から、少々目立たないものの個人的には珠玉の名作と思っている作品を5タイトル掲載
PS2ソフトは約3,000タイトル弱ほど発売されており、これだけあればそれぞれが夢中になった作品は分かれてしまうことだろう。とはいえ、誰もが知るビッグタイトルだけを取り上げても面白味に欠けるので、ここでは筆者の思い出に残っている印象深いソフトを5本ピックアップしてみた。
ようこそひつじ村/サクセス
本作はとある村にやってきた主人公が、物々交換で“ひつじ”を手に入れるまでの物語なのだが、驚くほどにハマったタイトル。牧場経営シミュレーションではなく、あくまでも村作物や動植物を「適当に」育てて物々交換していく生活をマイペースで楽しむ作品なので、今でいうところのスローライフを満喫することができるのだ。
ゲームの進め方としては、譲ってもらった農地に生えてきた牧草を刈り取り、干し草にして、これを街に持っていき(街という名のメニュー)マーモットに交換。そしてマーモットを肉にしてウサギやキャベツの種を手に入れ、今度はそれを育てていき……ということを繰り返し、最終的にはひつじの入手を目指すことになる。
街では持ち込んだアイテムをイノシシだったりブドウの種などに交換できるだけでなく、イノシシは解体してイノシシ肉にすることでまた別なアイテムに交換してもらえたり、ほかにもブドウの種からブドウを育ててワインを作るなども可能なので、ひつじを手に入れずに脱線するのも楽しみ方の一つ。
当初は狭かった牧場も、ゲームが進行していくとスペースが広くなっていくが、その時間経過もプレイヤーの手にゆだねられているため、自分が好きなように進めることができるのだ。もちろん時間は無制限で、物々交換が中心のためお金という概念も存在しない。一応村人は登場するのだが、簡単なコミュニケーションだけなので、余計な会話やお使いに時間を取られる心配もナシ。日々の生活に疲れたとき、ふと立ち上げてボーッと遊びたくなる魅力を持った作品だ。現在はPS4/Nintendo Switch/Steamにて新要素を加えた「箱庭牧場ひつじ村」というタイトルでリリースされているので、ぜひ遊んでみてほしい。
真・三國無双/コーエー
「真・三國無双」は筆者が初めてプレイしたとき、そのシステムに驚愕したのを今でもハッキリと覚えているほど、印象に残っているタイトルだ。それまでは、一騎当千は漫画だったりアニメの中でしか見られないものだったのが、遂にゲームでも実体験できるようになった記念碑的作品といえるだろう。
群がるように立ちはだかる兵士の中に飛び込み、武器をふるって次々となぎ倒していく爽快感は、当時唯一無二のものだった。それでいて、戦場を駆け回りながら味方の援護にも回らなければ最終的には勝てないというゲームルールにも、なかなか感心したもの。
操作性は非常にシンプルで、□ボタンで斬りまくり△ボタンでチャージ攻撃。ゲージが溜まっていればピンチの時に○ボタンを押すことで、無双乱舞と呼ばれる必殺技が発動して戦況をひっくり返せると、アクションゲームが得意ではない人でも楽しめる簡単さも良かった。
登場するキャラクターも、三国志でお馴染みの劉備や曹操、孫権、司馬懿、諸葛亮、周瑜、呂布など揃っており、赤壁の戦いや虎牢関の戦いといった有名どころがステージとして採用されているので、シミュレーションゲームの「三国志」シリーズよりも武将として当時を派手に追体験できるという面白さもある。
ストレスが溜まっているからスカッとしたい、憂さ晴らしをしたいという時には、まさにピッタリの1本だ。ただしシリーズ1作目のため、現代の視点から見るとイマイチな部分もあるが……。そのあたりに不満を感じたら、2025年1月17日に登場した最新作の『真・三國無双 ORIGINS』をプレイすれば、問題も解決だ。
ポップンミュージックシリーズ/コナミ
いわゆるリズムアクションゲームの作品だが、ゲームセンターで9つのボタンを器用に叩いている人を見て「あれは絶対に人間技ではない」と思うくらい当初は敬遠していた。しかし、PS2で発売されてから編集部で耳にした収録曲があまりにも良く、そこからコントローラで9ボタンプレイができるまでにドハマりしたほど熱中してしまった、まさに一目惚れの作品。筆者が最初に体験したのは「ポップンミュージック9」で、その後「ポップンミュージック13」まで遊び続け、以降はゲームセンターでプレイを重ねている。
上から落ちてくるポップ君を、リズムに合わせてタイミング良く対応したボタンを押すというだけの単純なルールゆえに、誰もが気軽にプレイできるタイトルだ。画面下に表示されているゲージが、タイミングが合っていれば伸び、合わなければ減っていく。楽曲演奏終了時に、ゲージがGOODと書かれている部分にあればクリアだ。
収録されている曲には、ポップ君の落ちてくる数の多さや場所によって複数の難易度が用意されており、一番簡単な難易度であれば誰もが最後まで楽しく遊べるようになっている。プレイし慣れてくると物足りなくなり、ドンドン難しい方向へと舵を切ってしまうわけだが……。最終的には、アーケード版を模したコントローラも手に入れてしまい、自宅でも練習に余念が無くなってしまったほどだ。
この手のゲームは、システムもさることながら“どのような楽曲が収録されているか”で人気の度合も替わってくると考えられる。筆者が虜になったきっかけは「ポップンミュージック9」に収録されていたEGOISTIC LEMONTEAの「Usual Days」だった。その後は猫又Masterの曲にハマり、現在でもその傾向は変わらず。「ポップンミュージック」シリーズでしか得られないエネルギーがあるのだ。
零~zero~/テクモ
PS用タイトルとして発売されていた「刻命館」の流れを汲むダークな作品で、「刻命館」では解像度が荒いポリゴンキャラとワナが怖さよりもユニークさを醸し出していたが、本作では恐怖が前面に押し出されている。行方不明になった兄を探して名も知れぬ山村の廃屋敷・氷室邸にやってきた主人公の雛咲深紅は、そこで手に入れた射影機(カメラ)を駆使して現れる霊などを撮影して倒しながらゲームを進めていくのだが……。
よくあるゾンビが出まくる洋式ホラーゲームではなく、日本的・和風の空気感から迫ってくる恐怖をゲームで味わうことができる作品だ。当時、編集部でレビュー原稿を書くためにヘッドホンを装着して遊んでいた女性がいたのだが、途中で泣きながら「もう怖くてプレイできません」と言ってコントローラを机に置いたのが、今でも記憶に残っている。実際に体験してみると分かるのだが、そのくらい恐怖を感じられるタイトルなのだ。
ゲームが始まると、プレイヤーは主人公を操作して謎の屋敷内を探索していくのだが、薄明かりで周りがあまり見えない中、突然物音が聞こえたり霊の気配を感じるゲージが動くので、ちょっとしたことでもドキッとしてしまう。もちろん、主人公は霊に触れられると体力を奪われてしまうため、より恐怖感も増していく。
霊を倒すには射影機というカメラで撮影し、敵の体力を0にすれば封印することができるのだが、そのためにはファインダー内に霊を捉え続ける必要があるため、いつ襲われるかもしれないという怖さとも戦わなければならないのだ。射影機を構えている間は自キャラを操作できないため、1枚撮影して体力を削ったものの霊が消えてしまい、ファインダー内からあちこち探し回っているうちに背後に出現、そのまま襲われて思わず悲鳴を上げる、ということも当たり前のように起きてしまう。プレイヤーもさることながら、製作に関わった人たちもさぞかし怖かったろうと、今更ながらに思ってしまった。
恐怖で寒さを感じるため夏にはピッタリの作品だが、あまりの怖さに夜眠れなくなったり、トイレに行けなくなる可能性もあるので、プレイには十分注意を……。
塊魂/ナムコ
オープニング、ストーリー、そして曲と、これをシュールと言わずに何をシュールと言うのか?というほどシュールに仕上がっていたゲーム。王様が酔っ払って壊してしまった星々を、「王様の責任は息子の責任」と称して、小さな王子が塊を転がして周りのものをくっつけまくり、再び夜空に星々を輝かせるのが目的だ。
本作一番の特徴は、そのぶっ飛んだ世界観と、塊を作るときの快感。プレイヤーは王子を操作するのだが、そこで使用するメインは2本のスティック。両方上に倒せば前へ、右スティックを上に左スティックを下に動かせば左に回転と、ちょっと動かせばすぐに慣れるほどシンプル。塊を転がして障害物に接触させるとそれが塊にくっつき、少しずつ大きくなっていくのだが、くっついたときの感覚がとんでもなく気持ち良いのだ。“スポン”や“キュポ”といったSEから、塊が大きくなって人間をくっつけたときの“ギャー!”といった悲鳴など、すべてが快感に。
登場するキャラクターやオブジェクトは、敢えてポリポリした形で作られているので、これがゲームのルールと相まってシュールさを目一杯盛りあげてくれている。最終的には高層ビルや巨大タンカー、大陸まで塊に巻き込むことができるようになるのだ。ここまで来ると、気持ちよさの度合は最高潮になり、まるで神様になったかの気分も味わえてしまう。
しかも、収録されている歌もゲームソフトと思えない豪勢さで、オープニングをクリスタルキングの田中昌之が担当しているだけでなく、他にも新沼謙治や水森亜土、浅香唯、といった有名人が参加している。極めつけは、エンディングが松崎しげるという超豪華さだ。
シュールでカオスな見た目と、ゲーム初心者でも問題なく遊べる難易度バランス、そして素敵すぎるBGMと、現役他タイトルと並べてもまったく見劣りすることはない完成度を誇っている。現在は『塊魂アンコール』というタイトルでPS4やNintendo Switch、Xbox One、Steam向けにリリースされているので、まだ経験したことがないという人はぜひこの機会にプレイして、このシュールかつカオスかつ快感を味わって欲しい。
まだまだ楽しめる作品が豊富なPS2。25年経過しても現役で遊べるハード
PS2が誕生してから25年の間に数々のPS2用ゲームが登場してきたが、それらを振り返ると“まだまだ問題なく現役で遊べる”という作品が多いと感じている。後半で取り上げたソフトも、どれもこれも現代でプレイしても非常にツライというタイトルは無く、新作として登場しましたと言われたら、結構楽しめるなと思ったほど。そう考えると、PS2というハードや発売された作品は実はまだまだ競争力を持っているのでは、とつい思ってしまう。
今や高解像度&大ボリュームのゲームが当たり前の時代になっているが、時には少し立ち止まってPS2用の作品をプレイしてみれば、心の中にある思い出のタイトルに夢中になったあの頃の記憶が蘇り、少しばかり優しい気持ちになれるかもしれない。
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