【特別企画】
「ニンテンドーDS」日本発売20周年! “ゲーム人口の拡大”を成し遂げた任天堂の携帯ゲーム機
2024年12月2日 00:00
- 【ニンテンドーDS(NTR-001)】
- 2004年12月2日 発売
- 価格:15,000円(発売当時)
2004年12月2日に任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」が日本で発売されて、本日2024年12月2日で20周年を迎えた。
現在の任天堂の主力機は携帯も据え置きも可能な「Nintendo Switch」だが、今でも上下2画面で折りたたみ可能な「ニンテンドー3DS」シリーズを現役で使っている方も多いだろう。その元祖となる初代「ニンテンドーDS」が本日で日本発売20周年を迎えた。
初代といえど、基本的なデザインや機能は既に「ニンテンドーDS」で完成されており、少しずつブラッシュアップしながら「ニンテンドーDS Lite」や「ニンテンドーDSi」、そして「ニンテンドー3DS」へと進化していった。そこで本稿では、任天堂の新時代を築いた「ニンテンドーDS」の歴史を振り返っていきたい。
「ゲームボーイ」時代からバトンタッチ。「PSP」とともに2004年の年末商戦を盛り上げたニンテンドーDS
DS以前の任天堂の携帯ゲーム機は、長年にわたって「ゲームボーイ」シリーズとして展開されており、1989年の初代「ゲームボーイ」に始まり、1998年に「ゲームボーイカラー」を発売。2001年には後継機種「ゲームボーイアドバンス(GBA)」が登場するなど、携帯ゲーム機市場ではシェアをほぼ独占していた。
一方で当時、据え置きゲーム機市場ではソニーが「プレイステーション」と「プレイステーション 2」でシェアを急速に伸ばしており、任天堂は「NINTENDO64」や「ニンテンドーゲームキューブ」を投入するも苦戦。そのソニーが2003年5月に携帯ゲーム機市場への参入を発表し、「プレイステーション・ポータブル(PSP)」を2004年末に発売すると明かすと、任天堂の次世代携帯ゲーム機にも大きな注目が集まった。
そんな中、任天堂は2004年1月に新型携帯ゲーム機「ニンテンドー・ディーエス(仮称)」を発表。これが後の「ニンテンドーDS」であり、発表時点で上下二つの液晶画面を搭載することが明かされていたほか、当時は据置機でも携帯機でもない“任天堂の第3の柱”として開発が進められていた。
同年5月に行なわれた「E3 2004」では初めて「ニンテンドー・ディーエス」をお披露目。任天堂は「ニンテンドーDS」のプレイアブル出展、ソニーが「PSP」のプレイアブル出展を実施し、発売前の新型携帯ゲーム機が対面したことで大きな話題となった。その後、2004年7月には正式名称「ニンテンドーDS」に改められ、正式なデザインが公開された。
その後、ニンテンドーDSは2004年11月21日に米国で先行発売となったが、日本での発売日はニンテンドーDSが2004年12月2日、PSPが2004年12月12日と非常に近く、2004年の年末商戦は大いに盛り上がった。結果としてニンテンドーDS、PSPともに大人気のゲーム機となり、家電量販店では新型携帯ゲーム機を求めるための行列が各所で発生した。
なお、ニンテンドーDSは“任天堂の第3の柱”として開発された一方で、DS発売後は2005年9月に「ゲームボーイミクロ」が発売されたものの、その後「ゲームボーイ」の後継機種が発売されることはなく、DS世代へバトンタッチ。ニンテンドーDS、ニンテンドーDS LiteまではGBAスロットを搭載し互換性があったが、2008年発売のニンテンドーDSiでGBAスロットも廃止され、16年以上続いた「ゲームボーイ」の歴史は幕を閉じた。
岩田聡氏による「ゲーム人口の拡大」第一弾。二画面×タッチパネル、Wi-Fiで新たな遊びを提案
2000年代前半はゲームハードの高性能化によるグラフィックスの進化が飽きられ、ゲーム内容の複雑化も相まって“ゲーム離れ現象”が顕著だった時期。そこで2002年に任天堂の社長に就任した岩田聡氏は、基本戦略として「ゲーム人口の拡大」を掲げた。その第一弾として登場したニンテンドーDSは、“かつてない斬新なインタラクティブ娯楽体験の実現”をテーマに開発されている。
まずは“DS”という名前の由来にもなった二つの画面(Dual Screen)だ。当時は二画面搭載することに懐疑的な意見もあったが、二つの画面を一つの大画面のように表示したり、上の画面にゲーム画面を表示させて下の画面にはマップを表示させるなど、二画面を活かした様々な遊びが生み出された。
また下の画面はタッチパネルになっていて、直接タッチして操作したり、手描き入力も可能。二画面×タッチパネルを活かした新たなタイトル「脳を鍛える大人のDSトレーニング」や「nintendogs」が続々と登場し、初期のニンテンドーDSの代表作となっていた。
さらに任天堂のハードとしては初めて「Wi-Fi」互換のワイヤレスネットワーク機能を内蔵。「ニンテンドーWi-Fiコネクション」と呼ばれるネットワークサービスも開始となり、「マリオカートDS」でのオンライン対戦や「おいでよ どうぶつの森」のおでかけシステムなどが実装された。
このように「ゲームボーイ」シリーズにはなかった要素を詰め込み、ゲームでの新たな遊びを次々と提案したニンテンドーDSは、子供からお年寄りまで大人気のゲーム機となり、岩田聡氏が掲げた「ゲーム人口の拡大」を第一弾にして達成。この流れは据え置きゲーム機の「Wii」にも引き継がれることとなる。
先述のように、ニンテンドーDSは「ゲームボーイアドバンス」シリーズの後方互換を備えていて、DSの本体上面に「ニンテンドーDS」のスロット、本体下面に「ゲームボーイアドバンス」のスロットを搭載。初代「ゲームボーイ」や「ゲームボーイカラー」のソフトはプレイできないが、GBAソフトの名作をプレイすることができるほか、DSソフトの機能を増やす拡張スロットとしても使われていた。
大ヒットも1年3カ月で「DS Lite」へ移行。その後の「ニンテンドーDS」シリーズ
先述のようにニンテンドーDSは2004年の年末商戦を盛り上げ、老若男女問わず大人気のゲーム機となり、翌年2005年の年末商戦でも各地で売り切れが続出。発売から一年で国内販売500万台を突破しており、任天堂が品切れのお詫びを発表した。
爆発的ヒットを記録した「ニンテンドーDS」だが、発売から1年3カ月が経った2006年3月2日に「ニンテンドーDS Lite(DS Lite)」を発表。“Lite”という名前から廉価版を連想させるが、実は上位モデルとなっておりDSの機能はそのまま、本体を薄型軽量化したことで携帯しやすくなっている。これによって初代ニンテンドーDSは生産終了となり、主力機はDS Liteへと切り替わった。
DS Liteは9,386万台を売り上げ、DSシリーズ全体で最も売れたハードとなったため、DSといえばDS Liteを思い浮かべる方も多いだろう。筆者も一番最初に触ったDSはDS Liteで、後になって初代ニンテンドーDSを触った時には「こんなにゴツいデザインだったんだ」と感じた。
DS Liteが爆発的ヒットを記録する中で、2008年11月には「ニンテンドーDSi(DSi)」を発表。DSiは先述のGBAスロットの廃止のみならず、カメラの搭載や画面の大型化など、ハードウェアの各所がブラッシュアップされた。さらに画面を大型化したバリエーションモデル「ニンテンドーDSi LL」も登場している。
2011年2月には「ニンテンドー3DS」を発売。ニンテンドーDSとの互換性を備えながら、ニンテンドー3DS専用ソフトが登場し、事実上の後継機種としてラインナップされた。その後「ニンテンドー3DS」シリーズとして、大画面化した「ニンテンドー3DS LL(2012年)」や3D機能を排した「ニンテンドー2DS(2013年)」、処理性能が向上した「Newニンテンドー3DS/3DS LL(2014年)」とラインナップが拡充される。
そして2017年3月、現在の主力機である「Nintendo Switch」が発売。Switchは据え置き機としても、携帯機としても使用できる新しいカタチのゲーム機として登場し、しばらくは「ニンテンドー3DS」シリーズも併売されていた。Switch発売後となる2017年7月には「Newニンテンドー2DS LL」も登場している。
だが、2020年9月に「ニンテンドー3DS」シリーズの生産終了を発表。2004年より続いてきた「ニンテンドーDS」シリーズの歴史は幕を閉じることとなった。
現在の任天堂の主力機となった「Nintendo Switch」は、発売から既に7年半以上が経過しており、ゲームハードとしては珍しい息の長いプラットフォームとなっている。一方で2024年度中に“Switchの後継機種”を発表することも明かしており、そろそろ何らかの発表がある時期だろう。
ニンテンドーDSが成し遂げたゲーム人口の拡大によって、Nintendo Switchも老若男女問わない大人気のハードとなった。近く発表されるであろう新ハードのみならず、今後の任天堂のゲーム機にも「ニンテンドーDS」のDNAが受け継がれていくことだろう。
(C) Nintendo