【特別企画】

「ファイナルファンタジーVII」が本日で発売26周年! かつてない悲しみに涙し、憎悪に身を焦がし、壮大な物語に打ち震えた

【ファイナルファンタジーVII】

1997年1月31日 発売

画像は全てHDリマスター版より

 スクウェア(現スクウェア・エニックス)より1997年1月31日に発売されたプレイステーション用RPG「ファイナルファンタジーVII」(以下「FFVII」)が、本日発売26周年を迎えた。2020年4月10日はフルリメイク作品となる「ファイナルファンタジーVII リメイク」が発売となり、こちらで「FFVII」に初めて触れたという人もいるだろう。

 「FFVII」は根強いファンが多く、コンピレーション作品も多く発売されているシリーズだ。「ビフォア クライシス -ファイナルファンタジーVII-」、「ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン」、「ダージュ オブ ケルベロス -ファイナルファンタジーVII-」、そして昨年の2022年12月にリマスター版が発売された「クライシス コア -ファイナルファンタジーVII-」の他、2023年には「ファイナルファンタジーVII エバークライシス」の配信も予定されている。

 本稿では「FFVII」のネタバレにも多く触れているので、念のため「FFVII」本編について実はあまり知らない、という人は注意してほしい。

【ファイナルファンタジーVII(PS)PV】

「FFVII」での推しキャラは?

 筆者は、「ファイナルファンタジー」シリーズの全てをこよなく愛しているが、実を言うと「FFVII」が自分史上最大周回数を誇る「FF」だ。もう正確な周回数は覚えていないが、30周以上はプレイしている。「もっとやっている」という人ももちろんいると思うが、一応社会人である大人が、ひとつのゲームをRTAでもなくこれだけの周回数遊ぶということは、それなりに難しいことであるのは間違いない(悲しいことに、26年前の発売当時から実質社会人と言っていい年齢である)。

 では、「FFVII」の何がそんなにも筆者を惹きつけたのだろう。そのひとつは、キャラクターやストーリーの魅力なのは言うまでもない。当時は「ティファVSエアリス」派の争いなどがあったものだが(リメイクでも改めて再燃しつつあるが)、推しキャラの存在は大事である。

 だが、筆者は声を大にして言いたい。筆者はユフィ派であるということを。26年前、ユフィを最速で仲間にする方法から、ユフィ(とバレット)とのデート方法を自身が運営する攻略サイトにいち早く載せていたのは(恐らく)筆者である。

 マテリアハンター・ユフィ。ウータイ復興のための空回り感が最高に愛らしい。どんなに強がっても隠しきれない、その可愛さ。お茶目で、強欲で、でも乗り物にはめっぽう弱い。全部好きだ! 結婚してくれ!

イベントを見るためにティファ、エアリス、バレットともデートをしたが、残りのデートは全てユフィに費やしている

 どうやら筆者は、女子の場合ちょっと空回りしているキャラクターが好きなのか、他の推しはタークスのイリーナちゃんである。生真面目な新人タークスの彼女だが、うっかりやさんでタークスの機密をしばしば漏らしてしまうところが可愛い。さりげなくツォンさん推しなところにも共感が湧く。そうだよな、ツォンさんはいいよ。さすがイリーナちゃん、わかっている。好きだ。

 そんな筆者なので、ティファVSエアリス派とは無縁……と思っていたのだが、実は「FFVII リメイク」にてティファとエアリスについに陥落した。このふたりも可愛い。ついでにジェシーも可愛い。もうつまり 「FFVII」に出てくる女の子は全員可愛い 、ということである。

 男性キャラは主にクラウド派かセフィロス派か大穴ザックス派に分かれていたが、筆者ははたまた「興味ないね」とばかりに、26年前からひとりルーファウス社長の推し活へと突き進んでいた。どマイナーもいいところである。

 ルーファウスのやたらに髪をかきあげるところが好きである。頭がいいものの性格の悪さは最高レベルで、民衆を愚民と思っているあたりも好きだ。それでも体裁を取り繕っていた父親とは打って変わって非情なところも好きである。

 なので、筆者はクラウド派でもなければセフィロス派でもなかったのだが、実は「FFVII リメイク」にてクラウドとセフィロスについに陥落した(2回目)。(なおザックスには「クライシスコア」で、ヴィンセントには「ダージュオブケルベロス」で陥落している)

 「FFVII リメイク」ではついでにバレットにも陥落したし、レッドXIIIは可愛いし、他にも色々色々とにかく筆者は25年近くも経ってようやく 「FFVII」に出てくる男子も全員かっこいい という境地に至ったのである。

 ここにまで至ると、「FFVII」の全てが楽しいのは当然である。推しキャラのオンパレード。どこを切り取っても推しがいる。だが、「リメイク」に至るまでの24年間、筆者は頑なにルーファウス以外の大半に「興味がないな」のスタンスを取り続けてきていたので、この空白を埋めたものについて、次は話していきたい。

今でも人気のある植松伸夫氏の楽曲たち

 「FFVII」といえば音楽も忘れられない要素のひとつだ。「エアリスのテーマ」や「ティファのテーマ」をはじめとした名曲の数々は、かかっていたシーンと共に焼き付いて離れない。

 そんな「FFVII」を彩る楽曲といえば、まず真っ先に挙げたいのは「オープニング〜爆破ミッション」だ。ミッドガルの全景からクラウドのアップへと推移していくオープニング、そこからの魔晄炉爆破ミッションへの流れは、「FFVII リメイク」はもちろんのこと、「CCFFVII」でもオマージュとして踏襲されている。

 あの音楽と、オープニング映像の美麗さ、そこからゲーム本編へと続く流暢なシーンの遷移は何度見て、聞いても、飽きることがない。かくいう筆者はゲームに触れ始めて40数年、数えきれないほどのRPGを遊んできているが、「FFVII」のオープニングこそがRPG史上最高のオープニングであると思っている。26年前にもそう感じたし、26年経ってもそれが変わることはない。

 「闘う者達」や「更に闘う者達」については言うまでもない、「FF」史上語り継がれる人気楽曲であるが、どのシーンが浮かぶかは各自の思い入れで変わるだろう。

筆者はもちろん「更に闘う者達」と言えばルーファウス戦である

 「FFVII」のバトル曲と言えばもうひとつ、「J-E-N-O-V-A」を忘れてはならない。ジュノンを脱出して運搬船に乗ったあと、ひとしきりイベントをこなすとBGM「血の跡」に変わり、運搬船全体が不穏な雰囲気に包まれる。そこから始まる初めてのジェノバ戦で流れる「J-E-N-O-V-A」はイントロのアルペジオからいきなり疾走感と緊張感を感じさせ、今までのボスとは異なる新たな異形との戦いになることを音楽から知るという、素晴らしいギミックであった。

この時点でもセフィロスは敵であるとわかっているのだが、前述の通りプレーヤーが敵として感情移入するには至っていない
初めて「J-E-N-O-V-A」を聞いた時は、鳥肌が立った

 もちろんセフィロス戦で流れる「片翼の天使」を忘れてはいけないのだが、「片翼の天使」のインパクトについてはもはや語るまでもないだろう。個人的には「片翼の天使」の影に隠れた名曲「神の誕生」のほうを取り上げたい。どうしても「片翼の天使」の前座のような扱いを受けがちな楽曲だが、パーティメンバー全員で挑むリバース・セフィロスとの戦いに相応しい熱い楽曲で、「ザ・植松サウンド」という印象が強い一曲となっている。

 残念ながら「FFVII リメイク」でもアレンジ群に加えてもらえなかった楽曲ではあるが、オリジナル版のサウンドトラックを持っている人はぜひとも改めて聞いてもらいたい。バックに流れている少しピコピコしたアルペジオが実に植松氏らしい、最高の一曲だ。

「片翼の天使」での「うおおおおお!」というテンションは、当時凄かったものだ。どれだけゲスト作品などで多種多様なアレンジをされても、全く色褪せることがない

 実質クラウドのテーマとも言える「F.F.VIIメインテーマ」もある。実は「FFVII」の中でも1ループが最も長い(はず)曲で、1ループで5分もある。明るいスタートながら、途中から迷路に迷いこんだように暗くなったり、そして夜明けを迎えるように再び明るくなったりと、フィールド曲とは思えないほどメッセージ性の高いメロディが特徴だ。

当時の衝撃をなぞるようにひたすらループし続ける

 エアリスの死が、当時の全「FFVII」プレーヤーにとって衝撃的だったことは言うまでもない。そしてこの展開は、当時まだSNS社会になかったからこそ響いたものだとも言えるだろう。

 二大ヒロインのうちのひとりの死。彼女が当時のプレーヤーに与えたものは、哀しみだけではない。クラウドはこの時に言う。

 「指先がチリチリする。口の中はカラカラだ。目の奥が熱いんだ!」

 これは喪失感、憎悪、絶望、エアリスを救えなかったことへの罪の意識、色んな感情がない交ぜになったクラウドとプレーヤーの気持ちそのものだったと思う。

 エアリスと過ごした時間は、そんなに長いわけではなかった。だが、いつのまにか当たり前のようになっていた身近な光景でもあった。クラウドにとってのエアリスという存在が果たしてどのようなものだったのかは、物語上明確には描かれていない。それでも彼女は、先の見えない旅で先に進むための、小さな希望のような存在であった。

 その希望が、一瞬の出来事で弾けて、飛んだ。エアリスを殺したセフィロスだけが哄笑し、忘らるる都の中でただ唯一、異質なものだった。多くのプレーヤーはあの時、ようやく、セフィロスが明確な敵であると認識した。

 それでも、言葉が出なかった。

 ただ、心の底から激昂した。黒い泥に、心を浸食された。涙は、熱湯のように頬の皮膚を焦がした。

 その感情は、決して心地よいものではない。むしろ忘れたい記憶のひとつとも言える。なのに、何周もプレイしてはその時の気持ちを反芻する。

 もちろん、もう最初の時のような激しい衝撃はない。決められた手順として、エアリスの死をなぞるだけだ。これから起きることは、決定的に決定づけられた災厄に過ぎない。

 もう、当事者であるというよりは傍観者である。その死は、こびりついて剥がれない瘡蓋のようである。膿んで、膿んで、膿んで、旅の最後まで辿り着いてようやく傷が治るような、酷く後味の悪い傷である。

 けれど、深く胸に刻まれたこの出来事は、25年以上の月日が経ってなお、我々の心に残り続けている。

 この出来事に「ありがとう」と言うのは間違っている。それでも、プレーヤーの心を深く抉ったからこそ、「FFVII」は名作の一本足り得るとも思っている。クラウドが負った心の傷を、プレーヤーも同じように感じることができた。それは「FFVII」の、物語への没入感が為せた業だった。

 何度でもこの気持ちをループし続ける。深いところに根付いた哀しみの感情が、零れ落ち続ける。まるで呪いにも似た、けれどそれはとても純粋な愛なのだと信じている。

全てがあわさって、ようやく「FFVII」最高と言えるひとつの作品になる

 キャラクター、ストーリー、楽曲、演出……「FFVII」の全てが合わさった時、「FFVII」は筆者にとって30周以上プレイするに相応しい名作となった。恐らくなにかひとつが欠けていたら、こんなにも中毒性の高いゲームとはならなかっただろう。

 クラウドのキャラクターがブレブレなのも、終盤までプレイした時に全てわかる。何度でも、その演出に身もだえる。特にクラウドの精神世界で「F.F.VIIメインテーマ」がかかり、これまでのピースが全て噛み合う瞬間、体中に震えが走る。

今となれば、クラウドが「ほう……?」とか格好つけて言っているのを見ると、つい指をさして笑いたくなったりもするのだが、そんなクラウドもこれはこれでやっぱり好きなのである

 そして「FFVII」と言えば、来冬には「FFVII リメイク」の続編となる「FFVIIリバース」の発売も予定されている。すでに「FFVII」本編とはだいぶ顔色の違うシナリオとなっており、「FFVII」の全シナリオをそのまま諳んじることのできる筆者も、今後が楽しみでならない。

 果たして「FFVII リバース」ではどこまでが描かれるのか。本編とは、異なる世界軸となるのか。エアリスの生存は有り得るのか——。「FFVII」最大の名シーンなだけに、その行く末が気になるところだ。その発売を楽しみにしながら、「FFVII」26周年のお祝いプレイに勤しみたい。

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