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「シャドウ・オブ・モルドール」のムービーシーンにフォーカス
開発者が込めた、ムービーによるストーリーテリングの手法
(2015/3/3 14:36)
ゲームでのストーリーテリングの手法について様々なテーマで研究していく「Game Narrative Summit」の「Embracing your Narrative Nemesis - Cinematic Storytelling in Middle-earth: Shadow of Mordor」は、ワーナーの「シャドウ・オブ・モルドール」のムービーシーンにフォーカスした講演が、WB Gamesで本作のCinematic Leadを務めたEthan Walker氏によって行なわれた。
「シャドウ・オブ・モルドール」は映画「ロード・オブ・ザ・リング」を原作としたアクションゲームで、主人公・タリオンは内部抗争を繰り広げるオークの軍勢に干渉し、時には相打ちにさせ、時には自分の支配下に置いた軍勢を手助けし、自分の勢力を広げていく。「シャドウ・オブ・モルドール」はこのオーク達の権力闘争を表現した「ネメシスシステム」が高く評価されているが、今回はあえてムービーシーンで込められた想いが語られた。
エモーショナルなムービーが、ゲームプレイのモチベーションをもたらす
「シャドウ・オブ・モルドール」は“新しさ”を目指す作品としてPS4やXbox Oneといった“次世代”のゲームにふさわしい作品として制作が開始された。複雑さ、スケール感、目新しさ……すべてがこれまでのゲームを超えるクオリティを実現させると言うことが目標となった。
従来のものを超えるという命題は、もちろんWalker氏が担当した“シネマティック”の部分にも要求された。「シャドウ・オブ・モルドール」は90分以上のムービーシーン、顔面すべてのキャプチャー、大胆なアクション、凝ったVFXと巨大なクリーチャー、「指輪物語」のルールを守った新要素……これを6カ月で、8人のスタッフで実現しなくてはならなかったという。
それでいながら、コストや実現性も考えていかなくてはならない。例えば敵が頭上から飛びつき、タリオンの頭にかじりついて格闘するというアイディアではVFXが必要となるが、モーションキャプチャーで長めの格闘シーンに変更することで、コストを抑えつつより見応えのあるシーンにできたという。また、巨大な生き物はキャプチャーでは再現できない。ここはアニメーターと協力しつつ、リアリティとケレン味を兼ね備えた独特のクリーチャーを盛り込むことができた。
アニメーターと、キャプチャーの“合作”の頂点とも言えるのが「ゴラム」だ。映画と本作をつなぐ重要なキャラクターである彼は、キャプチャーのフェイシャルモーションを活かしつつ、アニメーターの協力により表情豊かなキャラクターとなった。「シャドウ・オブ・モルドール」では膨大なキャプチャー作業が、作品の高いクオリティをもたらしているとWalker氏は語った。
ストーリー部分ではエモーショナルな部分にも神経が注がれている。タリオンは冒頭で“サウロンの黒の手”という敵のボスに妻と子供を殺されただけでなく、自身も殺されてしまう。そして死んでも蘇る呪いをかけられエルフの死霊と結びつけられてしまう。タリオンはことあるごとに自分が死者であること、エルフの死霊と結びつけられていることに直面させられる。
このタリオンの過酷な運命を強調することが、プレーヤーの心をゲームにのめり込ませていく。プレーヤーはタリオンの悲惨な運命に感情移入し、謎めいたエルフの正体を知りたくなる。こういったプレーヤーの情感に訴える要素はムービーシーンで力を込めて表現されている。こうすることでエモーショナルなムービーシーンはプレーヤーの心に強くストーリーを刻み込むと共に、ゲーム本編を進めるていくモチベーションへとつながっていくのだ。
このように力を込めたムービーシーンだが、削ったり、変更したところも多いという。1つの「没シーン」としてWalker氏が公開したのは、タリオンにかつての仲間のレンジャーが共闘を呼びかけるが、タリオンはその手を払いのけ「俺には黒の手への復讐がある!」と叫び、すがりつくレンジャーを打ち倒す。その時に柱に縛り付けられていたオークが「それならば俺がその復讐に手を貸してやる」と声をかけてくる。
ゲームではこのシーンは全く変わり、2つの別々なシーンとなり、やりとりも変わっている。Walker氏はこのシーンを没にしたのは2つの要素を混ぜ合わせてしまったからだという。「半分ずつのくだらない2つのものは、1つのだめなものに劣る」とスラングに満ちた自虐的なジョークでWalker氏は講演を終えた。
ネメシスシステムの衝撃と、大多数の敵と戦うアクションシーンの面白さに目を惹かれがちな「シャドウ・オブ・モルドール」だが、タリオンの運命や、原作映画に劣らないゴラムの繊細な表現、オークの醜さなど、本作のムービーシーンの役割の大きさも改めて実感させられた。