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「大東京トイボックス」漫画家“うめ”インタビュー(前編)

いざ連載スタート……の前に念入りな取材。あの「セガガガ」も参考に!?

いざ連載スタート……の前に念入りな取材。あの「セガガガ」も参考に!?

影響を受けた作品として話に挙がった作品。上からアクワイアの「侍」(PS2)、セガの「セガガガ」(ドリームキャスト)、SCEの「ボクと魔王」(PS2)
米光さんの講座の内容が「大東京トイボックス」に登場。答えが他の人とかぶったら着席というルールで、最後まで残った太陽の答えがコレ

――「東京トイボックス」立ち上げの際には、ゲーム業界についてどのような取材を?

小沢氏: 取材を始めたのは、2004年頃の話ですね。

妹尾氏: 企画を決めたものの、どこから手を付ければいいのかわからなくて。当時、ドリームキャストの「セガガガ」とかを遊んでいて、あれもゲーム制作のゲームだったので「開発の現場はこんな感じなのか……?」って(笑)。

小沢氏: 当時はゲーム制作サイドの人間を描いた本や作品って少なかったんですよね。そのなかで、ゲームジャーナリストである新清士さんの「ゲーム開発最前線「侍」はこうして作られた―アクワイア制作2課の660日戦争」(新紀元社)という本と出会えたのが大きかったです。

妹尾氏: あんなにも生々しいゲーム業界の裏側というのは、あの本で初めて知ることができて。まさにこれが自分たちの求めていたものだと思ったんですよ。このままこの本をコミカライズしてもいいんじゃないかってぐらい、描きたいことが入っていました。

小沢氏: 大手ではなく、中小規模のデベロッパーが苦労して開発して、パブリッシャーからゲームを出してもらうという構図が、漫画家としての自分たちと似ていて。要するに、パブリッシャーとデベロッパーの関係が、出版社と漫画家の関係と似ていたんですよね。最初はパブリッシャーとデベロッパーの区別すらついていなかったんですよ。

妹尾氏: アニメの制作の現場などは、なんとなくわかっていたんですけど、ゲームの作り方は本当にさっぱりだったんですよね。

小沢氏: 同じエンターテイメントを作る仕事なので、さっき話したパブリッシャーとデベロッパーの関係を、出版社と自分たちの関係に置き換えていく作業を進めていくと、かなり出版業界とゲーム業界は似ているところがあって。起きるトラブルや、詰まるところなども似ていて、この置き換えをできるようになってからは進めやすかったですね。

 その後は「こういうこと起きそうじゃない?」って考えてゲーム業界の人に話を聞いてみると、「ああ、あるある!」と。ネットなどで「東京トイボックス」について、「こんなことあり得ない」とか書かれたこともあるんですけど、そういうネタに限って実話だったり(笑)。

――具体的には、どんな人やメーカーを取材されたんですか?

小沢氏: 1番お世話になったのはアクワイアさんですね。新さんの本を読んで、すぐに編集部に「ここに取材に行きたいんだけど、アポ取れませんか?」ってお願いしたんです……けど、なかなか動いてくれなくて。で、自分でお問い合わせアドレスにメールを出したら、1時間半でメールがが帰ってきて、「なんだこの会社!?」って(笑)。

妹尾氏: どこでも寝られるように土足禁止だったり、そういうところは「スタジオG3」のモデルになっていますね。社内に打ち合わせスペースとして「ちゃぶだい」があるところは、「ソリダス」の仙水の部屋に取り入れられていたり。

小沢氏: 現在は別の会社に移ってしまわれた方も含めて、当時の「侍」チームの方々には本当にお世話になりましたね。「大東京トイボックス」に登場するゲーム「デスパレートハイスクール」のひな形になった「次元転換システム」は、実際に企画会議を開いていただいて生まれたものです。「大東京トイボックス」2巻が発売した後に、「3分間」というプレゼンの時間と、「燃え×萌えのシューティング」という縛りでブレインストーミングしてもらって、少しずつ形になっていったものなんですよ。

妹尾氏: 現在はカプコンで、元「侍」ディレクターの中西晃史さんも、当時はまだアクワイアにいらっしゃって、随分お世話になりましたね。

小沢氏: あとは米光一成さんですね。ブログなどもおもしろかった米光さんが「デジタルコンテンツ仕事術」という講座を池袋で始めるというので、それに自腹で申し込んだんです。そこに行って、米光さん自身はもちろんだったんですが、その講座を受講している人たち――企画の人もいればプログラマーの人もいたり、昔ゲーム業界にいたけど今は別の業界にいるみたいな、同人ゲームを作っている、そんなおもしろい人たちが集まっていたんですよね。

 大体ああいう講座の一期生って、自分たち棚に上げて言いますが、変な人が多いイメージがあります(笑)。そんな人たちの話を、当時はmixiだったんですが、ある程度クローズドな場所を作って「こういうことある?」って聞き集めたり。そうすると、夜中に質問を投げても、朝方までに誰かしらが答えてくれているという。今はFacebookに場を移したんですけど、そういうコミュニティで教えてもらったことは役に立ちましたね。

妹尾氏: 最終巻となる10巻でもお世話になりましたね。

――米光さんの講座の内容は、どのようなものだったんですか?

小沢氏: 「大東京トイボックス」3巻の「“ち”で始まる丸いもの」をみんなで考える、発想力テストのようなシーンがありますが、あれですね。ちなみにあのシーンで太陽が言った「ちまめ」という答えは、妹尾が実際に挙げたものです(笑)。

妹尾氏: 米光さんは「地球」って答えてもらいたかったらしいんですが、私が“ちまめ”って言っちゃって。「そういう答えを返されると困っちゃうんだよなぁ」って言われたのを覚えています(笑)。

小沢氏: “ちまめ”は米光さんのなかで、今でもベスト回答1つらしいですよ。

――作中ではストーリーにからめる形で、「チームワーク」という答えも出ていましたね。

小沢氏: あれは僕が時間をかけて考えたものですね(笑)。「丸いもので“ち”」のシーンは、米光さんに「使ってもいい?」って聞いて「人の飯のタネを!」と言われました。でも、米光さんも大学の講義であのシーンの絵を使っていたので「お互い様か(笑)」って感じで。

 でも、本当にあの講座は勉強になりました。ゲームを作る人の考え方をそのまま学んだという感じですね。名前こそ変わりましたが、今も米光講座は続いているので、興味のある方はぜひ。あとは、いろんな飲み会に連れて行ってもらって「弟切草」の麻野一哉さんとか、「巨人のドシン」の飯田和敏さんとかをご紹介させていただいて。

――なかなか濃いメンバーですね(笑)。

小沢氏: ゲーム業界的には極端な人たちかもしれませんね(笑)。最初はちゃんと取材をしようとしすぎて、固くなってしまっていたんですよ。でも、話していくうちに「これは違う。グチを聞き出したほうがおもしろい!」というところに辿り着いて。

妹尾氏: 失敗談とかもですね(笑)。

小沢氏: そういう話を飲み会などで聞いたのが、1番漫画にも使えましたね。だから「表に出したらヤバイ!」というネタは、マンガになっていない部分でもたくさんあります。いろんなチェックの抜け道とか、そういうちょっと「ワルイ話」とか(笑)。アクワイアさんと米光さんに加えて、さっき話題にもなった遠藤さんからの影響も大きいです。初めてお会いしたのが「東京トイボックス」が終わった後ぐらいですね。

妹尾氏: 作中に「ドルアーガの塔」を登場させた直後でした。「1回遊びに来いよ!」ってブログに書き込みがあって「は、はい!」みたいな(笑)。会社に伺って、そこでサイン会の練習だと言われて、スタッフ持参の単行本にサイン入れたりとか(笑)。

小沢氏: 遠藤さんにはいろんな話を聞かせてもらいました。あと、ゲーム業界の若い人たちの飲み会に誘われたとき、遠藤さんもいらしてて、ちょうど僕らに子どもが生まれた頃で「子どもが生まれまして」とお伝えしたら「よくやった!」と(笑)。

 「こんだけ若い連中がいるなかで、彼女がいるヤツなんかほとんどいないぞ……ましてや結婚して、子どもがいるヤツなんてほとんどいない。これじゃダメなんだ」って。これは遠藤さんに言われて、「大東京トイボックス」のストーリーにもちょっと影響を受けた言葉ですね。

(イマイチ)