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【夏休み特別企画】ミャンマーゲームマーケットレポート(マンダレー編)
悠久の時を刻むパゴダの片隅で、全人類に通用するゲームデザインを知る
(2013/9/2 00:00)
ミャンマーゲームマーケットレポートは、前編のヤンゴン編に続いて後編のマンダレー編をお届けしたい。マンダレーはミャンマーのへその位置にある内陸都市で、ビルマ最後の王朝が置かれていた古都である。街は旧王宮を中心に碁盤の目のように区画整理され、王宮の北東に位置する丘全体が寺院になっているマンダレーヒルからその景色が一望でき、在りし日の偉容を現代に伝えている。
マーケット的には、ヤンゴンに次ぐミャンマー第2の都市で、人口は100万人超、都市圏人口は250万人を超えるミャンマー北部最大の経済都市だ。ヤンゴンのようにバイクや自転車の走行は禁止といった妙な規制はないため、市街には信号もない簡易舗装路を無数のバイクが走り回り、アジアの新興市場ならではの熱気と喧噪に満ちた風景が広がっている。風が吹くと空の色が変わるほど埃っぽくなり、アジアの内陸部に来たという手応えがある。アジアウォッチャーとしては、この光景にミャンマーに入って初めてガチッとギアが入った感があり、全身からアドレナリンが吹き出てくる。
ヤンゴンでは、モンスーンの時期ということで全日に渡って雨が降り続けたが、マンダレーでは着いた初日の午前中こそ雨がぱらついたが、午後からは綺麗に晴れ上がり、連日晴天で、むしろ熱波と日焼けに悩まされたほどだった。それではさっそくマンダレーのゲームマーケットはどうだったか、じっくり見ていきたい。
まずは「ゼーチョーマーケット」を覗く。“量”より“価格”が重視される新興市場マーケット
ヤンゴン編のレポートでもお伝えしたように、ミャンマー最大の都市ヤンゴンでは思ったほど人々のゲームシーンを見かけることができなかった。このため、より地方のマンダレーはさらに見られないのではないかという不安もなくはなかったが、結論から先に書くと、ゲームの受容度はヤンゴンよりマンダレーのほうが断然高く、より多くの人々がゲームにアクセスしていた。
最初に違いを感じたのはマンダレー国際空港だ。乗り合いタクシーで常客が集まるのを待つ間、外の景色を眺めていたら新品のプレイステーション 3を抱えた人を見つけたのだ。マンダレーには、タイのバンコクやチェンマイから直行便が出ているため、そこで買ったものと目されるが、ヤンゴンではゲームショップどころか、1台のPS3すら見かけることができなかったため、これは案外期待できるのではないかと思ったのだ。
タクシーに1時間ほど揺られてマンダレー中心部のホテルに着いた後、さっそく街歩きを開始した。ひとまず北東の王宮を目指して数時間歩き回り、途中バイクタクシーに切り替えながら、マンダレー市街を一巡りした。マンダレーは、まさに京都のように南北東西が直交する街路がどこまでも続いており、油断するとすぐ方角を失ってしまう街だ。どの区画にも1階が店舗、2階以降が住居というショップハウスが並んでおり、特に歩きでは迷子になる観光客も多いだろう。こうした都市では地図とコンパス(今回はiPhoneで代用)が欠かせない。
街の作りとしては、街の中心部にある王宮から見て南側にあるマンダレー駅周囲にオフィスエリアが広がり、南東方面がホテルエリア、東側に多くのパゴダ(仏塔)が並ぶ観光地エリア、そして南西側がマーケットエリアとなっている。我々が滞在したホテルはマーケットエリアど真ん中にあり、めぼしいショップはすべて徒歩圏にあった。
マーケットエリアを代表するランドマークになっているのがゼーチョーマーケットだ。いわゆるショッピングモールだが、大通り沿いに5階建ての近代的なショッピングビルが4棟連なり、その西側ににじみ出るようにトタン屋根と木造で普請された長屋市場、そして路面にパラソルを広げただけの中世的なバザールエリアが広がる。4棟のショッピングビルだけでも、ヤンゴンのボーチョーアウンサンマーケットの数倍規模だが、バザールエリアもすべてひっくるめると、アジア有数の規模ではないかと思われる。バザール好きの筆者にはまさにシャングリラのような空間だ。
取り扱っている商材は、食品や衣類、雑貨、生活用品、薬品など日々の暮らしに使うものばかりで、現地の人々の暮らしの一端を垣間見ることができる。おもしろいのは売り方だ。食品は量り売りが基本で、量り売りができないものは、小分けのパッケージにして、現地の所得水準に合わせて最小単位あたりの価格を極限まで下げている。シャンプーや洗剤なども同じで、ボトルや詰め替えパッケージなどではなく、すべて1回使い切りの小分けのパッケージで販売されている。
実際に筆者も、サンダルで長時間歩いて足の皮が?けたため絆創膏と、マンダレーでのエキサイティングな食生活に備えて抗生物質を買いに薬局を訪れたが、絆創膏は1枚30チャット(約3円)、下痢用の抗生物質は1粒100チャット(約10円)と、いずれも最小単位から買うことができた。30チャットなど持ち合わせがないから200チャット(約20円)を手渡すと1つおまけしてくれて7つの絆創膏が買える。そういう世界だ。
筆者のエピソードでもわかるように、新興国のマーケットで重視されているのは“質と量”ではなく“質と価格”だ。ミャンマーのような新興国は世界中からモノが集まるが、日本で売っているような何十個入りの徳用パッケージや、500mlを超えるような大容量ボトルなどを売っても高すぎて手が出せない。かといって、民主化の影響で、大量に販売されている新聞や雑誌、街中の看板、あるいはインターネットなどによって製品の善し悪しの情報は入ってくるため、質の悪い商品は欲しくない。彼らにとっては手持ちの数ドル分の現金で多くのモノを賄う必要があり、結果として唯一妥協できる要素が、量になるわけだ。
これはゲーム市場にもまったく同じ事が言える。新興市場のゲームソフトがほぼ100%海賊版なのは、彼らが生来の極悪人だからというわけではまったくなくて、それしか選択肢がないからだ。1日数ドルで暮らしているのに、60ドルでソフトを買って下さいというビジネスが通用するはずがない。新興市場でゲームプラットフォーマーを筆頭としたゲームコンソールビジネスがうまくいかないのは、実は関税や嗜好の違いといった問題ではなく、純粋にマーケットインの思考が皆無で、欧米日で展開しているビジネスモデルをそのまま押し通しているだけだからだ。
その一方で、バザールの軒先では、若い店員や乳飲み子を抱えるお母さんたちが、客待ちの間、地べたに腰を下ろしてスマートフォンやタブレットでカジュアルゲームをプレイする姿を見ることができた。ここにミャンマーゲームマーケットの萌芽がある。いかに彼らに刺さるゲームを提供していくか。薄暗い軒先で、これこそがいまゲーム産業が未来に向けて解決していくべき最大の課題ではないかと思った。