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【特別企画】正直何度か死にそうになった世界有数のワイルドな軍事博物館「スターリンライン」体験レポート

7月5日訪問

会場:スターリンライン

 Wargamingのメディアツアーでは協力関係にある軍事博物館を訪れるのが定番となっている。今回のミンスクツアーでは、「スターリンライン」と呼ばれる史蹟をベースにしたミュージアムを訪れる機会に恵まれた。

 ロシアを含む東欧圏は、日本とは安全基準が異なるため、時折ぶっ飛んだ施設に巡り会うことがあるが、ここはまさにそう言う施設で、控えめに言っても何度か死にかける体験をしてしまった。さっそく紹介していこう。

そもそも「スターリンライン」とは何か?

デカデカと描かれたスターリン。ベラルーシは、旧ソ連地域の中でもスターリン崇拝国として知られる
駐車場にはIS-3の後継T-10 2輌がお出迎え。子供が乗ったり、主砲にしがみついたり、人気のアトラクションだ

 まず我々は、「スターリンライン」のガイドツアーに参加した。日本人は「スターリンライン」を知らない人も多いだろう。フランスのマジノ線(マジノライン)やジークフリートラインと比較するとマイナーな存在だが、第一次大戦後にソ連が国境沿いを防衛する目的で、時の指導者スターリンの命令によって建設された要塞線だ。その長さはバルト海から黒海まで2,000kmに及び、長大な要塞群が築かれている。

 歴史的にあまり知られてないのは、1939年9月の独ソによるポーランド侵攻後に締結された独ソ中立条約締結によってソ連の国境線がポーランドの半ばまで西に伸びてしまったせいで、その存在意義が薄れ、またドイツの電撃戦に対してあまり有効に機能しなかったためだ。

 今回訪れたミンスク郊外にあるスターリンラインもわずか3日でドイツ軍に突破されてしまったということだが、ほとんど戦闘せずに降伏してしまったのか、保存状態は極めてよい。敷地内に点在するトーチカにところどころ銃撃痕が確認できたが、Ju 87シュトゥーカの1トン爆弾が直撃したような痕はひとつもなかった。

 スターリンラインは、塹壕戦を前提とした前時代の遺物として、ドイツ軍がたやすく突破したような印象をもたれがちだが、実際はそうでもないようで、長いところで5カ月、有名なキエフでは3カ月持ちこたえたという。担当者は、スターリンラインのトータルの戦果として、ドイツ軍の戦車を300輌撃破したことを教えてくれた。比較対象として米英による西部戦線で破壊されたドイツ戦車数が600輌だったことを挙げ、スターリンラインだけで西部戦線の約半数の車輌を撃破できたので有効に機能したと言うわけだ。相対した戦車のグレードがだいぶ違うような気もするが、なるほどという感じである。

ツアーガイドは英語が堪能なナイスガイだった
スタッフは男女関わらず、全員軍服に身を包んでいる
当時のスターリンラインを解説する担当者
ミュージアムとなったスターリンライン。地図の右側半分に史蹟が残っている

 興味深かったのは、戦史において、独ソ戦におけるドイツとソ連の撃破数、被撃破数に常に開きがあるが、その理由だ。ドイツとソ連の撃破判定が異なるためだと言う。ドイツ軍は完全に破壊された状態で初めて撃破とするのに対して、ソ連軍は履帯が壊れたりして行動不能になった時点で撃破と判定する。このため常にソ連の撃破数はドイツに比べて大きくなると言うことのようだ。書籍やウィキペディア等でも全ての戦いで撃破数に差があるが、そうした理由があるわけだ。

 担当者の話は、ドイツ軍は独ソ戦開戦当時37mm砲がメインで、ソ連の57mm砲や75mm砲に歯が立たなかったとか、T-34を筆頭にソ連戦車が優秀だったためドイツの戦車兵はソ連の戦車を鹵獲して使いたがったがヒトラーがそれを許さなかったとか、随所にソ連軍のドイツ軍に対する優位性がアピールされ、聞いていてなかなかおもしろかった。やはり歴史は両方の立場から見ないとわからない部分が多いと感じた。

【T-34-76】
スターリンラインの丘の上には、レストアされたT-34-76が展示されている。砲塔の左側面には貫通痕があり、通常は開いていない銃眼が開けられている