【特別企画】

祝「大神」発売20周年! 幾度となくナカツクニを救い、その度に号泣した筆者が語り尽くす

【大神】
2006年4月20日 発売

 「世界を救う」という体験をさせてくれるゲームは星の数ほどある。しかし「世界を癒し、花を咲かせる」という体験で、これほどまでにプレーヤーの心を浄化し、温かい涙で満たしてくれるゲームが、ほかにどれだけあるだろうか。

 2006年4月20日、カプコンからプレイステーション 2向けに発売されたアクションアドベンチャー「大神」。本日、2026年4月20日をもって、本作はついに発売20周年という大きな節目を迎えた。

 結論から言おう。筆者はこのゲームを「人生のオールタイム・ベスト」の一つとして愛してやまない。PS2版に始まり、Wii版、そして高画質化された「大神 絶景版」に至るまで、ほぼ全ハードでプレイし、限定版などのグッズも買い集め、今でも時折起動してはナカツクニの空気を吸っている、重度のファンである。

 ハードの世代交代とともに何度も移植され、その度に買い直し、最初からプレイし直しているというのに、エンディングを迎えるたびに、ただの一度も例外なく号泣してしまう。20年経った今でも、だ。

 なぜ「大神」はこれほどまでに色褪せず、私たちの心を掴んで離さないのか。20周年を祝し、全ハードを制覇した筆者がその唯一無二の魅力と、何度見ても泣いてしまう理由を徹底的に語り尽くしたい。

画像は「大神 絶景版」のもの ※画像提供:カプコン(以下同)

「絶景」は20年前から完成されていた。日本画がそのまま動く圧倒的なアートワーク

 本作の最大の特徴は、何と言ってもそのグラフィックにある。ポリゴンで作られた3Dモデルでありながら、輪郭線には墨筆のタッチが残り、背景は水墨画や日本画のように和紙の質感を帯びている。

 現行機向けの「絶景版」では4K解像度にも対応し、その美しさはまさに「絶景」の一言に尽きるが、驚くべきは「PS2のオリジナル版の時点で、すでにこの完成された美術設計が出来上がっていた」という事実だ。

 リアルな3Dグラフィックを追求するゲームが多い中、「大神」はあえて「絵巻物の中の世界」という表現を選んだ。これにより、本作のビジュアルは時代による「古さ」を一切感じさせない、普遍的な芸術の域へと到達したのである。

こちらの画像はPS2版より

 枯れ木に花を咲かせた時、呪われたタタリ場が浄化され、一気に緑が広がっていくあの瞬間。画面いっぱいに桜の花びらが舞い散り、色鮮やかな大自然が息を吹き返す演出は、何度見ても息を呑むほど美しい。ただ歩いているだけで、足元から草花が芽吹いていくアマテラスの姿を見ているだけで、プレーヤー自身の心まで洗われていくような錯覚に陥るのだ。

 筆者が本作を「人生のオールタイム・ベスト」と呼ぶ理由は、ハードの進化に合わせて幾度となくプレイスタイルを変え、その度に新しい感動を与えてくれたからでもある。

 例えば、Wii版で初めてWiiリモコンを握った時の感動は今でも忘れられない。リモコンを本物の筆に見立てて空中に線を描く操作感は、まさに自分自身が神となって「筆しらべ」を行っているというかつてない没入感をもたらしてくれた。

 その後、PS3で初めて「絶景版」としてHD化された際の衝撃も凄まじかった。墨の輪郭線がくっきりと浮かび上がり、枯れ木に咲く桜の淡いピンク色が息を呑むほど鮮やかにテレビ画面を彩ったあの瞬間は、元々完成されていたアートワークが、解像度の向上によって真の「絶景」へと到達した歴史的瞬間であった。

 そして現代。Nintendo Switch版では、携帯モードでの「タッチ操作」という究極の快適さを手に入れた。指先ひとつで画面を直接なぞり、瞬時に敵を一両断し、花を咲かせる。寝転がりながらでもナカツクニの神になれるこの手軽さと直感的な操作性は、間違いなく一つの完成形である。

破壊ではなく、創造と癒しの力。システムと世界観が完全一致した「筆しらべ」

 「大神」をゲームとして類まれなる傑作に押し上げているのが、画面に直接絵を描くシステム「筆しらべ」である。

 空に丸を描けば太陽が昇り、横一文字に線を引けば敵を両断し、枯れ木を丸で囲めば花が咲く。この、プレーヤー自身が神の筆を振るうというシステムは、主人公であるアマテラスが「太陽神」であるという設定と完璧に合致している。

 アクションゲームの基本は敵を倒すことだが、「大神」の根本にあるのは世界を蘇えらせることだ。筆しらべを使って、干上がった川に水を引き、壊れた水車を直し、困っている村人の願いを叶える。プレーヤーの介入によって世界が目に見えて豊かになっていく手触り感は、他のゲームでは決して味わえない多幸感をもたらしてくれる。

 筆者は今でも、気分が落ち込んだ夜にはふと「大神」を起動し、あちこちを走り回って桜花を咲かせて回るだけで心が安らぐのを感じている。

 筆しらべがもたらす快感は、単なる世界への癒しにとどまらない。アクションとしての爽快感や、探索のワクワク感も同時に提供してくれるのが本作の凄みだ。

 最も多用し、最もテンションが上がるのが、対象を真っ二つに切り裂く「一閃」である。横にサッと線を引く。ただそれだけの動作で、行く手を阻む大岩が両断され、襲い来る妖怪たちが真っ二つに裂ける。筆が走った瞬間のシャキンとした効果音と、ズバッと物が切れる手触り感は、何度やっても飽きることがない。

 探索面で筆者の心を踊らせたのは、水面に足場を作り出す「桜花(水蓮)」だ。広大な湖や、激しく流れる川。普通なら進めない水面に墨を落として水蓮の葉を浮かべ、それを足場にしてピョンピョンと渡っていく。あの道なき道に、自分で道を創り出すというワクワク感。水蓮を駆使して、隠された宝箱や新たな陸地へとたどり着いた時の達成感は、冒険の喜びそのものであった。

神話を体感するオロチ戦のギミック

 物語の中盤に立ちはだかるヤマタノオロチとの決戦は、本作のバトルシステムと神話的モチーフが見事に融合した屈指の名バトルである。

 ただ剣を振り回して敵のHPを削るのではない。伝説の通り、オロチの8つの首すべてに酒を飲ませて酔い潰す必要があるのだ。

 猛攻を掻き潜りながら、筆しらべ「水郷」を使って、酒桶からオロチの口へと酒を導く。巨大な首がグビグビと酒を飲み、酔っ払ってドスンと地に伏せたところに、渾身の攻撃を叩き込む。あの有名な神話を、パズル的なアクションギミックとして自らの手で再現するというこの壮大な体験に、筆者は心底痺れた。

 カプコンのアクションゲームとしての手応えと、筆しらべの謎解き要素が極めて高い次元で結実した、忘れられない死闘である。

愛すべきナカツクニの住人たち。アマテラスとイッスンの名バディ

 この美しい世界に命を吹き込んでいるのが、個性的でどこか間抜けで、それでいてどうしようもなく愛おしいキャラクターたちだ。

 主人公のアマテラスは、最高神でありながら一言も喋らない。しかしその仕草は完全に「犬」である(なお、設定は白狼である)。穴を掘り、餌を無心に食べ、褒められれば尻尾を振る。この「神々しさと犬っぽさ」の絶妙なギャップがたまらない。

 そんな無口なアマテラスの代弁者であり、相棒となるのが、口の悪い小さな旅絵師・イッスンだ。

 最初はただの騒がしい同行者に見える彼が、アマテラスと共にナカツクニを旅する中でどれほど深く結びつき、互いをかけがえのない相棒として認め合っていき、この二人の関係性の変化こそが物語の大きな原動力となっている。

 そして忘れてはならないのが、大剣士を自称する怠け者・スサノオの成長や、胡散臭いがどこか憎めない陰陽師・ウシワカの存在だ。

 神話や昔話の登場人物たちをモチーフにしながらも、誰もが人間臭い弱さと温かさを持っている。だからこそ、プレーヤーは彼らの生き様に深く感情移入し、ともにナカツクニの明日を案じてしまうのである。

 今も一瞬ちらりと名を挙げたが、「大神」の物語を極上のエンターテインメントに昇華させている最重要人物が、陰陽師のウシワカである。

 初登場時の彼は、軽薄な態度で「ミー」や「ユー」といった胡散臭い英語交じりの言葉を操り、アマテラスたちの行く先々で意味深な予言を残しては去っていく、とにかく鼻につく男であった。

 しかし、終盤でプレイヤーは彼のもっている背景を知ることになる。

 そんな彼が、最終決戦の地でアマテラスに見せた本気の覚悟。そして、すべてを懸けて放ったこのセリフ。

 「ミーたちの旅はまだまだ終わらない」

 あんなにも胡散臭かった男の言葉が、これほどまでに重く、熱く、頼もしく響く日が来るなんて誰が想像できただろうか。最初はただの嫌味なライバルだったウシワカが、最後の最後で、アマテラスにとって絶対に欠かせない最高の「戦友」へと昇華した瞬間。この鮮やかなキャラクター描写の反転こそが、筆者が幾度となくエンディングで号泣してしまう大きな要因の一つなのだ。

何度プレイしても涙が止まらない、ゲーム史に残るラストバトル(※ここから先は物語の核心に触れるため、未プレイの方は注意してほしい)

 ここからはラストバトルの話をしていきたい。

 最終ステージ「箱舟ヤマト」の最深部で繰り広げられる、常世ノ皇との最終決戦からエンディングにかけての展開だ。戦闘開始時はアマテラスが全ての筆しらべを奪われた状態から始まる。

 そこでスサノオが、クシナダが、これまで旅の中で出会い、助けてきたナカツクニのすべての人々が祈りを捧げる。

 彼らの祈りが光の玉となって箱舟ヤマトに届き、アマテラスの体に再び力が宿り、美しい隈取が鮮やかに浮かび上がるあの瞬間。ここで流れるBGMが、名曲「太陽は昇る」だ。

 これほどまでに、プレーヤーの感情とゲーム内の演出、そして音楽が完璧なシンクロを起こす瞬間を、筆者は他に知らない。

 自分がこれまで筆しらべで癒してきた世界、助けてきた人々。そのすべてが、今度はアマテラスを信じ、祈ってくれている。ただのNPCではなく、間違いなく自分が愛したナカツクニの住人たちとして、画面の向こうから力を送ってくれるのだ。

 この一連のシークエンスは、何度見ても、展開を完全に分かっていても、涙腺が崩壊する。コントローラーを握る手が震え、画面が涙で滲んで「太陽は昇る」のメロディとともに必死に筆しらべを行う。この圧倒的な感動こそが、何度もこのエンディングを見届けてしまう最大の理由なのである。

グッズやサントラに注ぐ溢れんばかりの愛

 ゲーム本編への愛は当然として、筆者の家には「大神」への愛を証明する品々が並んでいる。その筆頭が、イーカプコン限定で発売された「満開桜花ボックス」をはじめとする限定版の数々だ。

 手元に届いた特製ボックスを開ける時の高揚感、そして中から現れるオリジナルグッズの数々。ただのゲームソフトを超えた美術品を手に入れたような喜びは、ファンにとって何物にも代えがたい宝物である。

 特にPS3版の「大神 絶景版」に付属した予約特典グッズである作中最高のシーン「大神降ろし」をスノードーム風に再現した「満開桜花玉」と、「大神」12周年時にイーカプコン限定で製作された「ADERIA×大神 ガラス製丸皿セット」は、今でも大事な宝物のひとつである。

 また、本作を語る上で欠かせないのがサウンドトラックと設定画集(大神絵草子 絆)の存在だ。

 雅な和楽器とオーケストラが融合したBGMの数々は、ただゲーム音楽という枠に収まらず、目を閉じればいつでも神木村の風を感じられる名盤中の名盤である。

 そして分厚い設定画集には、アマテラスの初期構想から妖怪たちの恐ろしくもユーモラスなデザイン、背景美術に至るまで、開発陣の尋常ではない執念が詰め込まれている。ページをめくるたびに「この世界は、これほどの愛と情熱で作られていたのか」と、今でもため息をもらしてしまうのだ。

平原綾香さんの「Reset」が心に刻む、永遠の旅の記憶

 すべての戦いが終わり、アマテラスたちがタカマガハラへと旅立つエピローグ。ここで流れる平原綾香さんの主題歌「Reset」が、また涙を誘う。

 この曲の歌詞はアマテラスの旅そのものであり、同時に現実世界を生きる我々プレーヤーの背中を優しく押してくれるメッセージでもある。ゲームを終え、スタッフロールを見つめながら、清々しい疲労感とともに「ああ、本当に良い旅だった」と心から思える。

 2006年に産声を上げた「大神」は、20年という歳月を経てもなお、その輝きを一切失っていない。むしろ目まぐるしく変化し、時に殺伐としてしまう現代だからこそ、このゲームが持つ世界を癒し、他者を思いやる温かさは、より一層の価値を持っているのではないだろうか。

 限定版のパッケージを眺めながら、あるいは最新ハードの美しい画面で桜花を咲かせながら、筆者はこれからも幾度となくアマテラスとイッスンの旅を見守るだろう。

 ありがとう、アマ公。
 そして発売20周年、本当におめでとう。

 ナカツクニの太陽は、これからもずっと、私たちの心の中で温かく昇り続ける。