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【CEDEC 2013】世界で注目される概念「ナラティブ」とは何か?

ゲームだけが実現できる物語方法論。日本産ゲームでわかりやすく解説!

8月21日~23日 開催予定

場所:パシフィコ横浜

受講料:15,000円(デイリーパス)~

 CEDEC 2013の2日目には、モバイル&ゲームスタジオ取締役ゲームデザイナーの遠藤雅伸氏と、スクウェア・エニックス テクノロジー推進部ゲームデザインリサーチャーの簗瀨洋平氏による「国産ゲームに見るナラティブ」と題するセッションが行なわれた。

 このセッションでキーポイントとなったのは、「ナラティブ」という普段は聞きなれない単語。今年開催されたGDC 2013では「Narrative Summit」という集中セッションも行なわれ、世界的なトレンドとして「ナラティブ」が注目されている(弊誌でもGDC 2013レポートの中でいくつか取り上げているので参考にしていただきたい)。

 海外で注目されつつある単語ではあるが、今回のセッションは「海外から遅れて入ってくる訳の分からない単語1つに嫌悪感を示す前に、およそこんなもの、というものを知ってもらう」という目的もあったという。

 GDCでNarrative Summitに関するセッションをレポートした際は「ナラティブ」という概念そのもの自体は詳しく取り上げなかったが、今回は日本産ゲームも事例に挙げつつ、日本人にもわかりやすい解説となっている。ゲームにおける「ナラティブ」とはなにか? それが今後どのように使われていくのか? 世界最先端の概念を説明したセッションをお届けしたい。

モバイル&ゲームスタジオ取締役ゲームデザイナーの遠藤雅伸氏
スクウェア・エニックス テクノロジー推進部ゲームデザインリサーチャーの簗瀨洋平氏

ナラティブの原点は「ドラゴンクエスト」からすでにあった!

賞レースやGDC 2013で話題を席巻した「風ノ旅ビト」
簗瀨氏が「ドラゴンクエスト方式」と呼んでいた手法は「メルセデスメソッド」として命名されていた

 ナラティブとは、端的に言えば体験の中で形作られる体験者自身の物語のこと。ストーリーは終わりと始まりがあるような一本道の物語を指しており、同じ「物語」という意味ではあるが、ゲーム体験でしか味わえない深みが与えられるという点で大きく異なっている。ナラティブの概念を持ち込むことは、単純にストーリーを入れ込む以上にゲームの価値を高める可能性を秘めたものだ。

 ではもう少し具体的に……というわけで、簗瀨氏はGDCで「ナラティブなゲーム」として評価を受けて話題になった「風ノ旅ビト」と「Faster Than Light」の2作を例に紹介した。「風ノ旅ビト」は、「一見雰囲気ゲー」ではあるが、セリフと説明がほとんどないにも関わらず、わずか数時間で非常に長い旅をした感触がある。

 「Faster Than Light」は、宇宙船をカスタマイズして戦いながら、宇宙を旅していくというゲームで、宇宙船の中で火災が起きたり、仲間にしたキャラクターが戦死したりと、途中で起こることはランダムにも関わらず、それぞれのプレーヤーならではの濃密な体験があることに特徴がある。

 ここで2人は、日本のゲームに目を移す。特に後者のランダムな状況が物語を与えるというのは、「風来のシレン」に代表されるローグライクゲームが連想される。ストーリー自体は濃密ではないが、どんな敵にあたって、どんなアイテムがあるか。人によっては操作ミスでダメになったり、上手くアイテムを手に入れて難を逃れたりと、人それぞれの思い出ができる。

 もう1つ、ナラティブを存分に活かした作品としては「ドラゴンクエスト」が挙げられるという。「ドラゴンクエスト」の最大の特徴は、「次に何をやれ」という命令を決して言わないことにある。各情報は断片的に提示され、断片的な情報をもとに、どう解決してくかはプレーヤー自身の力にかかっている。

 また解決に複数のアイテムが必要なとき、どのアイテムから先に手に入れても構わない。例えば「にじのしずく」を手に入れるためには、「ロトのしるし」、「あまぐものつえ」、「たいようのいし」が必要だが、その順番はどれでもいい。人から押し付けられたものではない、自分の決断として物語を進めていけるこの方法は、ナラティブな工夫の1つとなっており、クリエーター同士で「ドラゴンクエスト方式」と簗瀨氏は呼んでいたそうだ。

 なおこの「ドラゴンクエスト方式」、GDCではWitcherの作者が三つ又のロゴになぞらえて「メルセデスメソッド」と名付けられていた。方法論を発表していくという体制が日本では確立されていないことが要因となっており、「方法論はアメリカで名付けられて逆輸入されてしまう。その前に、CEDECなどの場所で自身が作った方式にはどんどん名前を付けて発表して下さい」と遠藤氏は受講者に向かって話した。

ストーリー、自由度の偏りはナラティブを生まない

自由度とストーリーのバランスがマッチしていないとされた「グランド・セフト・オート」シリーズ(画像は「グランド・セフト・オートV」)

 その後2人は、日本産のゲームにおける「ナラティブ」を振り返っていった。例えば「ときめきメモリアル」。これは人によって誰と出会っていくか、イベントが起こる順番が変わるので、ストーリーラインにはないのに、その人の体験としてストーリーが組み立てられていくという面がある。

 簗瀨氏が「ときめきメモリアル」未プレイの大学の先輩に一晩中プレイさせてみたとき、ある女性キャラクターと出会ったあたりからそのキャラクターの成績が落ちていってしまったのを見て、真面目な先輩は「これは俺のせいじゃないか」と悩んでいたという。その様子を見て、これはすごいと思ったそうだ。

 では物語があればいいかというと、そうではない。最近の例では、直近の「ファイナルファンタジー」シリーズや「メタルギア ソリッド」は、物語はふんだんにはあるものの、ナラティブな体験とは少し違う。超人的なキャラクターを操作するというゲームになっているため、プレーヤーは自分ではないキャラクターのストーリーとして捉え、楽しむこととなる。

 一方で「ひぐらしのなく頃に」は、選択肢はほとんどないノベルゲームだが、物語を進めると謎が提示されていき、プレーヤーが無意識に立てる仮説に対して意外だったり、当てはまるような事件が起こっていく。物語を様々な人と議論するような形でも広がり、その謎解きの様子が「ゲームらしさ」となっていった。

 また「オホーツクに消ゆ」は、1枚絵とコマンドだけにも関わらず、事件解決に向けては広い範囲を移動させて自由度が高いものとなっている。情報を得て、場所を巡る順番と行ける範囲の広がりはプレーヤーにとっても違和感を感じさせないものだった。

 この自由度を進化させて行くと、ゲームシステムは「オープンワールド」へと辿り着く。自分の選択として、思ったことが自由にできる特徴がある。しかし、オープンワールドの代表格「グランド・セフト・オート」にナラティブがあるかというと微妙で、ストーリーよりは銀行強盗や、車で道路を飛ばすなどのプレーヤーが好き勝手やった行為の方が大きく心に残ってしまう。これは「自由さが物語をはるかに上回っている」ためで、「その世界の人間として生きてはいない」という点がネックとなっているという。

お金をかけずにゲームに深みを。インディー系から熱く注目

「ダーウソウル」
「ワンダと巨像」

 日本で「ナラティブなゲーム」と言われているのは、「ダークソウル」と「ワンダと巨像」の2本が挙げられた。「ダークソウル」は何度も死ぬマゾゲーとしても悪名高いが、死ぬと復活して再挑戦していくというのは世界観として取り込まれている。そのため、何度も挑んでいくモチベーションがプレーヤーと主人公で一致することとなり、プレーヤーの腕とキャラクターのパラメーターの両方が鍛えられていくというデザインになっている。これが鬼のような難易度でも許せてしまう要因だと簗瀨氏は分析した。

 また「ワンダと巨像」は、ストーリーとして提示されているものが非常に少ないという特徴を持つ。主人公は何者か、主人公が連れてきた女性は何者なのか、これらはプレーヤーの想像次第だが、想像の余地があるからこそ、これを裏切るような要素が排されている。ストーリーで裏切る点がないため、大きな敵に向かって戦う気分はプレーヤーと主人公で一致していく。プレーヤーと主人公が一致する、というのがキーポイントとなるそうだ。

 「ナラティブなゲーム」を作り出すには、必ずしも多大なリソースを掛ける必要はない。むしろお金をかけないでも深い体験を残すことができるため、インディーゲーム界隈で注目されているという。ストーリーは誰がなぞっても同じだが、ナラティブは人それぞれの体験がそのまま物語となる。

 2人の定義によれば、ナラティブとは、「時系列が設定されておらず、自分の経験や出来事を通じて語るものであり、そこには意外性と偶発性がある」というもの。またナラティブを使うコツとしては、情報が過多でも不足でもダメで、プレーヤーの期待にちょうど応える量の情報を与えることだという。

 予算をかけずにゲームを魅力的にする方法、それがナラティブだ。海外ではナラティブデザイナーなる職業も登場してるそうで、この概念は今後ゲーム界を席巻する可能性を秘めている。ゲームにしか成し得ない体験でもあるため、ナラティブを追求することは作品の芸術性も高めることになるだろう。

 ナラティブを探るコツは、「とにかくナラティブなゲームをプレイすること」だという、その際にはナラティブに失敗している作品もたくさんやることが大事で、見比べることが糧になるそうだ。今後ゲームを遊ぶ、もしくは作る際には、この「ナラティブ」の観点から作品を見ると、世界が変わるかもしれない。

(安田俊亮)