インタビュー

3DS「ファンタジーライフ」ディレクターインタビュー

オープンワールドRPGの魅力をギュッと3DSに!
こだわりと挑戦が生んだ魅力ある世界の秘密、気になる大型DLCの情報も

収録日:
3月29日
場所:
レベルファイブ品川オフィス

 2012年12月27日に発売されたニンテンドー3DS用RPG「ファンタジーライフ」は、非常に独特な魅力に満ちた作品だった。携帯機である3DSながら“広い世界の中を自由に楽しむ、遊びこむ”というオープンワールドRPGの魅力を持ち、テキストの魅力、テーマ性の魅力、ストーリー後に広がるたっぷりとしたやりこみ要素と、随所に様々な魅力があった。

 携帯機のRPGとしてはだいぶ異色な作品と感じる「ファンタジーライフ」について、レベルファイブのディレクターである菅野敦氏にインタビューをして、制作中の話や、そこに込めたこだわり、RPGとしての魅力のありかた、そしてリリース予定の大型DLCについて伺った。ロングインタビューとなったが、ぜひじっくりとお読み頂ければ幸いだ。

開発当初はDSで2Dドット画のゲームを予定。途中から3DSへ方向転換

インタビューに応じてくれたディレクターの菅野敦氏。「ファンタジーライフ」は、ハードの変更、2Dから3Dへの変更もあり、新機軸なRPGの挑戦だったこともあり、苦労の連続だったとのこと。そのあたりもたっぷりと話していただいた
当初はスローライフを楽しむ2DのRPGだったというが、完成した作品は、上のパッケージデザインからも伝わるが、かわいく元気なオープンワールドのRPGになった

――発売から3カ月後というちょっと変わったタイミングでのインタビューなのですが、本日は宜しくお願い致します。まずは「ファンタジーライフ」の開発初期から順を追って伺いますが、開発はいつ頃からスタートしたのでしょうか?

菅野敦氏:約3年前ぐらいですね。実は最初の企画段階だと、ドット画の2Dグラフィックスのゲームになる予定だったんですよ。ハードも当初はニンテンドーDSを予定していたのですが、制作途中に3DSが発表されまして。日野の意向もあって3DSにすることになりました。その、ハード変更という衝撃が1度ありましたね(笑)。

――だいぶ開発がこなれていたDSから、スペックがグッと上がった新ハードの3DSへという、かなりの方向転換があったんですね。

菅野氏:そうなんです。開発をブラウニーブラウンさんに頼んだ経緯も、ドット画や2Dグラフィックスが得意な会社さんなのでお願いしました。でもそれがハードが3DSに変わりグラフィックスも3Dにすることになったので、一時期「どうしようかな……」と悩みました。

 ドット画をそのまま3D風の立体にしてみようと思った時期もあったんですが……やっぱり「これは違うよね」という結論になりまして(笑)。そういう試行錯誤もあったのですが、結局は3Dデザインをちゃんと作ることになりました。

――ブラウニーブラウンさんが手がけてきた作品(「聖剣伝説 HEROES of MANA」、「MOTHER3」、「マジカルバケーション」シリーズなど)を見ると、暖かみのある作品を2Dグラフィックスで作れる開発会社さんという印象がありますね。当初は「ファンタジーライフ」でもその魅力を前面に出したかったのでしょうか?

菅野氏:そうですね。そこは3Dグラフィックスにしても失いたくなかったので。3D化にあたっても、その暖かみという良さをいかに出していくかということを意識してやっていきました。

――時期的にも「3DSっていうハードはどれぐらいの画面が出せるんだろう?」という感覚もあったのではないですか?

菅野氏:手探り状態でしたね。ブラウニーブラウンさんのスタッフさんでも、3Dデザインは手がけたことが無いという人も結構いらっしゃって。3DSというハードの研究と3Dデザインの両方を、勉強から始めていくような状態でした。

 それに加えて、暖かみの魅力を3Dグラフィックスでも出すところや、今の時代に合わせた新しいものを作るという試行錯誤も同時にありましたね。それもあって、開発の途中で3Dが得意なハ・ン・ドさんに入っていただくことになったんです。

――いろいろな試行錯誤が同時にあって、それこそどの部分においても1からスタートしたんですね。ゲーム内容は、開発初期だとどういうデザインだったのでしょう?

菅野氏:その頃軸に掲げていたのは、“スローライフのRPG”でした。ドット画で作られた暖かな世界の中で、いろんな人々が暮らしている。そういう暮らしをモチーフにしたRPGですね。それをどうやって表現していくのか、ゲームデザインも含め初めての挑戦というプロジェクトでした。

――そこに関しては完成した製品をみると、ブレることなくできあがったのではないでしょうか?

菅野氏:うーん、途中だいぶブレはしましたけどね(笑)。というのも、「アレもしたい、コレもしたい」という思いが、ものすごくたくさんあったんです。やりたいことがたくさんあって、それを思った通りにできればいいんですけど、作業期間などいろいろな理由から、実装できるものはある程度絞られてくる。やはり、全部はできないんですよね。

 そこでは、“最小限で作れて、最大限の効果を発揮できるような要素”を重視しました。それでいて、その要素同士がちゃんと繋がっているかを大事にしてます。いろいろな要素が散らばっているように見えて、実際にはプレーヤーさんが遊んだ時に「ちゃんと繋がっているんだ、連動しているんだな」と感じてもらえるよう設計できているかどうかが重要でした。

 ただ、それを上手くやれているのかどうかは最後の最後までわからなかったです。作っている最中には「これ本当にうまく動いてくれるかな?」と思うこともありましたね(笑)。

――確かに世界の作り込みや要素の豊富さという点では、3DSタイトルの中でも1、2を争うのではと思えるほどに膨大ですよね。把握も難しいし、まとまりを良くするためのハンドリングも非常に難しかったのではないでしょうか。

菅野氏:いろんなスタッフが、いろんなところで、いろんな物を一生懸命に作ってくれたという感じですね。それを、ユーザーさんが面白く遊べるようになっているかという点に注意しながらバランスよく盛り込んでいきました。ちゃんと確認できていたかどうかは何とも言えないですけど、最終的な理想型として「こうなったらいいよね」というのが僕を含めスタッフ全員で共有できていたのが大きいと思います。それがあったので、途中で迷ったりしつつも結果的にはゴールにたどり着けました。完成形を見た時には「あ、ちゃんと動いてるぞ!」って喜びましたね(笑)。

――“スローライフ”と“RPG”というキーワードは変わらずとも、どんどんいろんなものを詰め込んでいったのですね。

菅野氏:そうですね。スローライフは最初のコンセプトにあったものですが、途中から「ライフをどうやって作ろうか」というように変わっていきました。根底に流れているものは「スローライフや暖かみ」なんですけど、それが最も重要な要素ではなくなっていたんです。

――実際プレイしてみると、ファンタジー世界の生活感みたいなものはたっぷり入っていると思うのですが、“スローライフ”というよりもどちらかと言うと“元気”な世界ですよね(笑)。

菅野氏:最初のドット画の頃はまさに“スローライフ”だったんですけど、3Dグラフィックスになった時に「3Dの魅力って何だろう?」と考えて、それはアクションも含めた手触りであったり、心地良いテンポ感ではないかと思いました。そういう方向にゲームデザインが変わったことで、スローというよりも“心地よくて、元気でかわいい”という方向性になったのかなと思います。

――なるほど。2Dドット画だとパターンの切り替わりで動きますけど、3Dだとモーションになりますし、操作の手触りもだいぶ違ってきますよね。

菅野氏:そうなんです。表現が変われば操作する手応えも変わりますし、それに合わせてゲーム性も変えていきました。アクションゲームの得意なスタッフが弊社にいたので、そのへんを中心に練り直しました。

「スカイリム」や「ウルティマオンライン」をキーワードに、海外初のオープンワールドRPGを日本流に作りこむ

菅野氏が考えたのは、オープンワールドRPGの魅力を日本流にアレンジし3DSで作るということ。そのアプローチは、初代「ドラゴンクエスト」の頃の時代背景が参考になったという

――ドット画の2D表現を見越していた当初は、シングルプレイでまったりと暮らしを楽しむようなゲームだったということですが、そこからどのように変わっていったのでしょう?

菅野氏:日野の頭の中には、MMORPGの「ウルティマオンライン」のような、ああいう世界になってくれたらいいなという思いがあったみたいです。ただ僕としては、いきなりそこを目指すとなるとネットワークも含めものすごく大きな話になってしまうので、「RPGを新しい切り口で作る」と考えがありました。

 当時はちょうど「The Elder Scrolls V: Skyrim(以下「スカイリム」)」が出るぞという頃でした。MMO的な規模のオープンワールドを1人でプレイする、ファンタジー世界を自由に楽しむという作品ですよね。僕もRPGが凄く好きなので注目していました。そこで、あの切り口で「日本人が作ったらどうなるか」という考えが浮かんできたんです。

 「スカイリム」等の海外RPGは、世界観がとにかくリアルで、かつなんでもできる。それに負けじと日本でも同じようにリアルで自由な作品を作るのはもちろんありだと思います。でも僕はあえて、見下ろし画面でポップな暖かみのある世界観のまま、ゲームの中身はオープンで自由度の高いゲームにしてみるのはどうだろうと思いました。そういったアプローチで、日本流のオープンワールドのようなゲームとして作れるのではないかなと考え、日野やスタッフと話し合っていきました。

─―それを聞いたレベルファイブのスタッフさんやブラウニーブラウンさんの反応はいかがでした?

菅野氏:うーん。最初は「できるんですかねぇ……」という感じでしたかね(笑)。ただ、DS/3DSというハードの限界はありますから。その時頭にあったのは、あの規模をそのままの形で持ってくるということではなかったんですよ。

 アプローチとして参考にしたのは、初代「ドラゴンクエスト」(以下「ドラクエ」)なんです。僕が個人的に想像しているだけですけど、「ドラクエ」が生まれた頃の時代背景って、海外では「ウィザードリィ」や「ウルティマ」、「ローグ」のようなRPGが流行っていたけど、日本にはRPGがほとんどありませんでした。でも、その面白さは日本にも通用するはずだと考え、日本人に受け入れられやすい形でRPGの要素を1度分解し、ファミコンというハード上で再構築してみようという過程が、「ドラクエ」のときにもあったのではないかと思いました。

 僕らがやったこともそれに近くて、海外製の「スカイリム」のようなオープンワールドのRPGを、日本的な感覚で再構築するというものなんです。再構築していく過程で変えたり、切り落とすところもあります。壮大さもそのまま持ってくるのではなく、“壮大なものを日本流にミニマムな中に凝縮する”という考えだったんです。

――なるほど非常に興味深いところです。かれこれ30年ぐらい前ですが、海外初のRPGから日本流の作品が生まれたという背景があったわけですが、今のRPGってまたその頃とは違いますよね。それをまた、日本流に再構築というアプローチで作ってみるとどうなるのかというものですね。

菅野氏:ちょっと思考実験に近いところもあるのかなと思いますけど、いろいろなオープンワールドのRPGを分解して「この要素は面白いな」と思うものを模索しながら、3DS上で自分達流に作ってみようという感じです。

 あと、時代に合わせたという点では、今はプレイするとたくさん褒めてくれるゲームが多いんですよね。ソーシャルやカジュアルゲームはそういった感覚をうまく使ってますけど、たくさんやることがあって、それをこなすとご褒美がしっかりもらえる。それを繰り返していく気持ち良さのようなものを意識的に入れた部分もあります。それが上手く作用してくれたのか、「プレイの止め時が見つからない」と言ってもらえることが多くて、とても嬉しいですね。

――「たくさんやれることがある」という部分ですけど、本当にすごくやりこめる要素を入れ込んでいますよね。企画当初からこれだけのやりこみ要素を持つ作品を目指していたのかな、というのが気になります。

菅野氏:そうなっていったのは「多数のライフ」という要素が根本にありますね。「いろんな人生」です。ストーリーのテーマでもそうなのですが、“世界にはいろんな生き方があるんだよ”というもので、それをプレイの中で感じてもらえるようにして、それぞれの生き方の魅力を遊びこむことで実感できるように詰め込んでいきました。

――その「いろんな人生」というアプローチはMMORPGっぽくもありますよね。やはり「ウルティマオンライン」を彷彿とさせるというか。

菅野氏:そうですね。MMORPGのようなところから始まって、落とし込み方としては「スカイリム」のようなオープンワールドを日本流にアレンジしながら3DSの中へ入れていくという流れで、具体的な形ができあがっていったように思います。

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(山村智美)