CESA Developers Conference 2010(CEDEC 2010)レポート

MIT教授 石井裕氏による基調講演「重力に抗して:タンジブルビット」
2200年の未来に何を遺すか? すべてのクリエイターに向けたメッセージ


8月31日~9月2日開催

会場:パシフィコ横浜



 ゲーム開発者向けカンファレンス「CEDEC 2010」。初日、2日目の基調講演では、ゲーム産業を代表してコーエーの松原健二氏、文芸界を代表して作家・瀬名秀明氏によるスピーチが行なわれた。そして最終日となった会期3日目の基調講演では、ゲーム産業以外の分野を代表して、マサチューセッツ工科大学教授 石井裕氏が登壇した。

 MITメディアラボ副所長を務める石井裕氏は、ヒューマンインターフェイスの先端研究に取り組んでいる代表的な人物だ。情報のビットを有形化して、人が直接触れるものにするという概念「タンジブルビット」の提唱者、実践者として知られ、多数の研究実績を持っている。

 学問の世界に生きる石井氏は、同時に、独特の視点でゲーム産業を捉えている。Wiiリモコンに代表される体感型コントローラーと、それによるヒューマンインターフェイスに対する社会的な概念の変化。そこから生まれる無数の応用と、人の世の進化。石井氏はMITメディアラボにおける最新の研究成果を紹介しつつ、小手先の技術や手法よりも、はるかに長く生き続ける「ビジョン」を持つことが大事であると、多くのゲーム開発者にメッセージを送った。




■ 身体と同化するコントローラーというものが、重要な未来を示している

講演を行なった石井裕氏
石井氏の「テトリス」解釈
身体的なインタラクションがデジタルに反応する卓球台。石井氏の研究物のひとつ

 1,000人近い聴講者が集まった大ホール。壇上に登場した石井氏は、まずはじめに「今回のテーマは未来です」と一言。続けて、講演のスタンスを独特の表現で設定した。

 「重力。我々は1Gの世界に生きており、重力が存在することが当然であるという世界観を共有しています。しかしながら、なぜ重力が存在するのか、もし重力が1Gではなく0Gだったらどうなるのか。根本的な仮説、前提条件を疑うこと、それが我々にとって非常に大事な概念なのではないかと考えています」。

 学者らしい形で話を起こしていった石井氏は、まず自己紹介を兼ねてMITメディアラボの様子を紹介。広大なラボの中にはそこらじゅうに研究中のプロトタイプが置かれており、それが「議論を活性化する環境」を作ることに貢献しているという。

 そのような世界で研究活動を中心に人生が回転しているという石井氏は、今回の基調講演を引き受けるにあたって非常に悩んだと告白した。自分自身は娯楽遊戯としてのゲームからは離れたところにあり、門外漢だからだ。そう言いつつ石井氏は、「テトリス」について「下の仕事を片付けている間に、上から次から次に仕事が落ちてくる、中間管理職の悲哀がこめられている」と語って笑いを誘った。

 また「ラブプラス」について、「最近すごいショックなことがありまして、フランスの数学者ラプラスかと思ったら全然違うゲームだったと。こういった形で愛をシミュレートした日本男児は、いったい日本をどう背負っていくのだろうかと考えているところでございます」とジョークを飛ばし、会場を爆笑させた。

 続けて石井氏は、自身は卓球の熱心なプレーヤーであり、自分にとってのゲームとは「真剣勝負」であると語った。それに関連して、卓球台にボールが接触する都度、表面に波紋など様々な文様が浮かび上がる「リアクティブテーブル」という、自身が1999年に成した研究成果を紹介。その上で自身の根本的な研究テーマを次のように表現する。

 「卓球のラケットというのは、使っている間に、だんだん自分の身体の痕跡をキャプチャーしていきます。木というやわらかい素材でできていますから、それを握ることによって次第に変形していくわけです。そして最終的にラケットは自分の身体の一部になります。考えなくてもスマッシュが打てる、そういう身体と同化するコントローラーというものが、非常に大事な未来を示しているのではと思っています」。

 続いて「競創」という言葉を挙げ、その概念に触れた。それは、ただ人より走ることではなく、誰も入ったことのない原野を切り開き、まだ生まれていない道を全力疾走することであるという。石井氏はその好例として、「Wii」を取り上げた。

 「身体というものを決定的に埋め込み、なおかつソーシャルなフルボディのインタラクションをこの世界に持ち込んだことは、ヒューマンインターフェイスの革命的な進歩ではないかと考えています。それによってフルボディ、ソーシャルなインタラクションという原野が広がっていったと、その意味でWiiをデザインされた方に深い敬意を抱いております」。


石井氏は本講演で、ほとんどの議論を身体的感覚に結びつけて語っていた。ちなみに卓球の腕前は、動画内の動きによればプロ級のすごさ
Wiiの話題があったかと思えば、即座に宮沢賢治の肉筆原稿の話題になる。非常に目まぐるしい印象だが、話の軸はまず身体性、物質の持つメタ的な情報特性にあった。軸を定めて、議論が縦横無尽に旋回していく
研究成果物のひとつ、「musicBottles」。ボトルを開くと音楽が飛び出してくる。ボトルの形状、透明感、その美しさと音楽の印象がリンクして、フタを開けるたびに音が重層的に増えていく。母の台所にあった醤油の瓶、開くと醤油の香りがする。そんな感覚の再現を目指したのが最初だという



■ 激しい変化にある世界で、人生という尺度を超えて生き延びるものとは?

「Illuminating Clay」。粘土が入力と表示を兼ね、その物理形状そのものが情報となる
アートとサイエンスの融合
情報環境の変化
技術やプラットフォームはいずれ歴史上のものになってしまう

 続けて石井氏は、「表現」、「感動」、「変化」というキーワードをスライドに表示しながら話を進めた。その多くは、石井氏自身の研究テーマ「タンジブルビット」に関連したものだ。直接触れることのできないデジタルのビットとは異なり、手で触ることができ、形があり、直接操作することのできるビットである。

 その例として紹介された研究物のひとつは「Illuminating Clay」と呼ばれる、それ自身が表示装置と操作インターフェイスを兼ねる粘土だ。手でこねて山岳・丘陵の形状を作ってやると、それ自体の形状について計算が行われる。そして、標高、傾斜などの形状的な特性や、水流や風シミュレーションの結果が、粘土自身が多色に発光することによって可視化される。コンピューターの入力と出力の装置が完全に一体化し、なおかつ物理的、直感的な実在を持っているというわけだ。

 こういったものを石井氏は「Physical Design Media」と呼ぶ。物理的なものは操作がしやすく、理解のたやすさ、空間的な理解がしやすい。一方、デジタルなものには高い精度、伝播力、厳密な分析が可能であることなどのよさがある。石井氏が関心を持つのは、この2つのメディアを1つにつなげることだという。

 「スケッチをする、粘土をこねるという上流工程は物理メディアで、分析作業や大勢による共同作業はデジタルメディアが向いてます。その両方を、一方通行ではなく同時にできるようにすることが夢です」。石井氏は、その先にアートとサイエンスの融合があり、そのような時代は近くにきていると語った。

 ここまでの議論を重ねた上で、石井氏のスピーチは核心部分に近づいていった。 石井氏は「変化」というキーワードを挙げ、近年、急激に発達してきたソーシャルメディアと、それによる情報の発信、伝達の規模・スタイルの変化に触れた。すなわち「情報環境」は、数十年前ではせいぜい数台のメインフレームと端末で構成されるシンプルなものだった。それが今では、比べものにならない、目もくらむばかりの巨大なネットワークを形成している。

 そういった変化を巨視的に捉えることが大事であると石井氏はいう。クリエイターたる者の内にある、創造性を駆動させるものは何か。技術は変化が速く、数年単位であっという間に陳腐化してしまう。技術によって形成されるユーザーニーズや応用品も、やはり10年やそこらで歴史の中に消える。その中で、人生よりも長いスパンを持ちうる概念がある。それを石井氏は「ビジョン」と呼ぶ。

 「その中で本質的に変わらないものが、私はビジョンであると思います。これが私の研究における一番大事なフォーカスです。唯一ビジョンだけが、我々のライフスパンを超えて生き延びるのではないかと思うからです」。

 続けてスクリーン上に「現代の化石」と題された、とあるアーティストの作品が表示された。化石化したカセットテープ、化石のフロッピーディスク、化石となったiPod、ゲームのコントローラー。まるで数万年後の未来人が「発掘」したかの様相だ。

 「みなさんが一生懸命お仕事をしているプラットフォームも、やがてこういう形で次の世代に発掘されるようになります。すなわち消えてしまう。それを乗り越えられるストーリー、メッセージ、感動をどうデザインしていくかがとても大事であるというのが私の思いです」。その根底を支え、クリエイターを駆動するものが「ビジョン」というわけだろう。

 続いて石井氏は、自身の「ビジョン」に基づく研究の成果を次々に紹介していった。ポイントとなるのは、その研究の数々が、現在のヒューマンインターフェイスであるGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)を離れ、TUI(タンジブルユーザーインターフェイス)へ移行しようとする挑戦の軌跡であることだ。

 水面下(ビットの世界)に隠されたデジタルな情報を、水面上(アトムの世界)に引き上げて、直接的なインタラクションを可能にする。それによって新しいレベルの情報と人間の関係性を産み出そうというビジョンである。


近景は激しく動き落ち着かないが、遠景の富士は決して動かない。ビジョンとはそういう、道しるべになるもの
「タンジブルビット」について。実体のあるビット、手で触ることができて、同時にコンピューターが演算することもできる情報の形
触感を距離を越えて伝える装置、動きを時間を超えて伝える装置、動きを学習する「骨」を組み合わせて動物的なものを組み立てる玩具。また、様々な物理制約を「演算」に活かす半物半デジタル的な装置や、現実をキャプチャーして絵の具にする筆、そしてSF的なジェスチャーインターフェイスシステム。「タンジブルビット」の考え方から生まれた様々な研究成果が紹介された



■ 死後の未来に何を遺すのか? クリエイターが自らに問いかけるべきもの

「協創」。才能を持ち寄るだけでなく、互いが互いの才能へ深い理解を持つことで、より高いレベルのコラボレーションが生まれる
道なきところに道をつくる、という考え方がこのセッションで度々触れられた
登るべき山、それそのものを自ら創造しなければならないのがMIT流

 「タンジブルビット」にからむ様々な研究成果をひととおり紹介した石井氏は、再び未来についての話を始めた。そこでウィリアム・ギブソンの言葉「未来はすでにここにある。まだ普及していないだけだ」という言葉を紹介し、未来を作っていく上で重要な概念として、「独創」、「協創」、「競創」という3つの言葉を挙げた。

 独創とは、ただ新しい発明というだけでなく、本当に素晴らしい価値を創造することだという。協創とは、違った分野の知見を持ち込んでコラボレーションすることだ。

 「エンジニアやアーティストが一緒に仕事をするのが学際的なコラボレーションだ、という人がいますが、それでは十分でない。単なる分業ではなく、各人がアーティストのマインド、デザイナーの感性、エンジニアの素養を全部持つ。そういった人たちが集まることで本当におもしろいコラボレーションが可能になるのではないかと考えています」と石井氏。

 次の「競創」は、クリエーションのために本当に大事なエンジンだという。「出る杭は打たれる」というが、それは中途半端に出るから打たれるわけで、徹底的に出すぎれば打たれない。そうすることでしか生き残る術はないのではないか。そのためには燃料が必要で、そのために最も強力なものは「飢餓感」であるともという。

 飢餓感という言葉の意味を明確にするために、石井氏は自身の父について語った。石井氏の父は、日本兵として大戦末期にソ連軍と戦って捕虜となり、満州に送られた。そして3年間の地獄のような生活の中で、「目の前にあるものを食べられるかどうか、0.5秒で見分けられる。0.5秒の間にはもう飛びついている」という能力を身につけたという。「そのような能力を得たのは、父が深刻な飢餓体験を味わってきたからです」と石井氏。

 知的産業に生きる者が、そのような飢餓感を持てるかどうか。石井氏が勧める処方は、「屈辱」を大事に貯金すること。自分の作品を誰も見てくれない、名前もしらない、評価してくれないという悔しさを、発散せずに貯めこんでいく。その途中で腐らないためのプライドと、萎えてしまわないための情念も大事。やがてそれをポジティブなエネルギーに変換していくことで、本質をいちはやく見出し、知的収穫を貪欲に平らげる強靭さが生まれる。

 石井氏はモデルケースのひとつとして、自身がMITを選んだ理由を語った。それは、頂上が雲に隠れて見えないほどの高い山であり、その山を登ることに挑戦のしがいを感じたからだという。しかし、改めて振り返ってみると、それは幻想だったともいう。

 「ところが、そこには山すらありませんでした。だから、自分が登るべき山を5年で創り上げて、登ること。それが生き残るための条件になりました」。そこにある問いを解くのではなく、自ら新たな問いを発せなければ生き残れないという世界である。ゲーム開発者も、そのような世界に生きているのかもしれない。

 そうして石井氏は、最後に今後の人生プランを語った。「私、今後のプランがございまして、2050年には今とはちょっと違ったところに参ります」。スクリーンには「天使の羽根」をつけた人物のシルエットが昇天していく様子が表示され、会場にまた笑いが起きた。

 「もちろん、2100年までにはみなさんもご一緒です。未来とは、自分の死後ということでもあります。みなさんが2200年の人々にいったい何を残せるのか、どうやって思い出して欲しいのか。WhyでもHowでも、アーキテクチャーでも、それは何でもいいのですが、2200年の人々に自分が遺すものを考えようじゃないかと、学生たちとよく議論しています。自分が死ぬ、その先に『永遠』という未来があるということを指摘して、講演を終わりたいと思います」。

 この講演のまとめには、石井氏が講演の半ばで語った「ビジョン」という言葉が重なってくる。自分の死後という未来を考えたときに、歴史的、社会的な視点でクリエイターとして何が残せるか。多くのゲーム開発者に、巨視的なかたちで自分自身を見直す機会を提供したといえる。やや難解でもあったが、深く、時空的にスケールの大きな余韻を残す基調講演であった。


将来のプラン。遅かれ早かれ2100年には皆死んでいる。その先の2200年の人々に何を遺すか、それが問題だと石井氏は問いかけた

(2010年 9月 3日)

[Reported by 佐藤カフジ ]