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【必見! エンタメ特報】オタクだからこそ世界を救える! 「レディ・プレイヤー1」

ゲーマーだから、ネットゲーマーだから共感できるポイント満載の映画

4月20日より公開予定

 4月20日からワーナー・ブラザース配給により公開される「レディ・プレイヤー1」は、VR空間「オアシス」をテーマに扱った世界だ。西暦2045年、世界はエネルギー問題で荒廃、主人公ウェイドはトレーラーハウスを積み上げたようなボロボロの集合住宅に住む青年だ。

 ウェイドの住むところだけでなく、見渡す限りの光景は廃墟のよう。一方で巨大企業は大きな権力を持ち格差社会が広がっている。そんな世界だからこそ人々はオアシスにのめり込む。ここのシューティングで勝てば賞金がもらえ、レースで勝てば一攫千金。負けた人は貯金を失っていくが、ここにはつらい現実を忘れられる楽しさがある。華やかさがある。ウェイドだけでなく、誰もがオアシスに夢中だ。

 そのオアシスに大事件が起きる。この世界の創始者ジェームズ・ハリデーが死の間際「オアシスにイースターエッグを隠した」と宣言したのだ。このイースターエッグを見つけた者はハリデーの遺産を全て受け継ぎ、オアシスの運営権を得るという。イースターエッグを探す“ガンター”としてウェイドは仲間達と競っていく。しかし巨大企業IOI(イノベーティブ・オンライン・インダストリーズ)がその力でオアシスを奪おうとしていた……。

 今回筆者は試写会でいち早く映画を見ることができた。「レディ・プレイヤー1」はメインのストーリーはもちろん、“元ネタ”探しが楽しい。オアシスは今のネット文化そのもので、見覚えのあるキャラクター達がひしめくカオスな世界だ。PVを見ればそのネタの豊富さに楽しくなってしまうだろう。そしてストーリーにも様々なネタが隠されている。映画の魅力、特にゲームプレーヤー、ネットゲーマー、ネットユーザーだからこそ共感できる部分をピックアップしていこう。

【映画「レディ・プレイヤー1」予告】

ストーリーそっちのけで元ネタ探しに夢中? ネット世界ならではのカオス空間

 「『ポプテピピック』って全然意味わからないし、面白くないんだけど」。ある日、筆者はいきなりこう言われた。当然だろうと筆者は思った。だからこそどんな人でもその衝撃が伝わる第7話のAC部による「ヘルシェイク矢野」だけを薦めたのだ。しかし友人は「ポプテピピック」そのものを薦められたと受け取ってしまったようだ。

開田裕治氏書下ろしポスター。元ネタ探しに夢中になってしまう

 筆者自身も「ポプテピピック」そのものを理解しているとは言いがたい。あまりに濃すぎるパロディが詰まっていて、元ネタが把握しきれない。しかしその元ネタがわかる人達の解説は、一級品の面白さがあると思う。

 アニメ版「ポプテピピック」の楽しみ方は、ニコニコ動画などで視聴者のツッコミに笑い、そしてTwitterやまとめページでパロディの考察を見て、その濃さにあきれながらも感心する、というのがとても面白いのである。そういう楽しみ方ができる作品であり、逆にそういう濃い楽しみ方をしなければ、「ポプテピピック」の真の魅力は見つけられないんじゃないか、筆者はそう思っている。

 「レディ・プレイヤー1」はもちろん映画としてメインストーリーにも大きな魅力があるが、大いに元ネタ探しが楽しい映画なのである。ストーリーは気になるのだが、目は“元ネタ”を探してしまう。オアシスの世界は言わばネットの世界を具象化した世界。人々は自分のアバターをお気に入りのものにしている。ウェイドがオアシスでの自分「パーシヴァル」としてオアシスを歩くとき、周りの人々(キャラクター)は様々な格好をしている。

 「ストリートファイターII」の春麗がいる、「トゥームレイダー」のララ・クロフトがいる、「ヘイロー」のマスターチーフがいるし、「オーバーウォッチ」のトレーサーがいる。キティちゃんまでいるのである。彼らはパーシヴァルが道を歩いていたり、他のキャラクターとゲームしていたり、仲間と話しているシーンでふらりと画面に現われる。気になるともう止まらない。映画本編そっちのけで、目はネタ探しを始めてしまう。

主人公ウェイドはオアシスに夢中のゲーマー。しかしだからこそこの世界の大切さを実感している

 冒頭のレースシーンも凄まじい。パーシヴァルが乗る車は「バック トゥ ザ フューチャー」のデロリアンだし、その横を駆け抜けていくヒロイン・アルテミスが乗るのは「アキラ」に出てくる金田のバイクだ。「マッドマックス」のインターセプターもいれば、「バットマン」の1970年代のTVドラマ版のバットモービルだってある。しかもレースを邪魔してくるのはエンパイアステートビルから飛び下りてくるキング・コングだ。

 パーシヴァルとアルテミスの出会いの会話はもう全くついて行けなかった。古い映画ネタなんだと思うが、パーシヴァルが“誘い”の言葉を話すと、アルテミスはディープな引用セリフで応える。お互いどれだけ知識が深いか、元ネタを知っているかで“バトル”を始める、そのオタクならではの言葉のやりとりと、「相手がそれをわかってくれる異性」だからこそ盛り上がる恋愛感情というのは……ちょっとアレだけど、強く共感できる。ゲーム、映画、日本文化、アメリカカルチャー、アニメなどなど、知識があればあるほど、深ければ深いほど楽しめる映画だ。

 そしてだからこそ「ポプテピピック」なのだ。公開されてから濃い人達のツッコミが見たい。Twitterでの指摘、まとめページでの多くの人達の意見が見られて初めて本作の大いなる魅力が見えてくると思う。現代のネット社会、コンテンツ文化にマッチした映画だと思う。勘違いも、ウソ情報があってもいい。「俺はこの映画でこのネタを見つけた」という話題が爆発する映画になって欲しいし、その“祭り”にぜひ参加したい。

オアシス内でウェイドはパーシヴァルとなる。彼の愛車はデロリアンだ
【映画「レディ・プレイヤー1」日本限定スペシャル映像】

ネット恋愛、裏ワザ、業者の不快感……ネットゲーマーだからこその共感

 もちろん「レディ・プレイヤー1」はメインのストーリーも面白い。そしてゲーマー、ネットゲーマーに共感する要素に満ちあふれている。パーシヴァルがアルテミスに恋の告白をしたとき、アルテミスはそれを拒む。「あなたは本当の私を知らない。私の本当の姿を知らない」。

 そうじゃないんだアルテミス! ネットゲームは人間性がモロに出る場でもある。とんでもない状況でピンチに立たされたとき、ミスをしたとき、レアアイテムを手に入れて分配でもめたとき、困った人に出会ってしまったとき……そういうときにできる行動、かけられる言葉、頼りになる行動、そういう1つ1つが繋がりを強くする。

 映画は少し早足だけど、アルテミスの行動が、人間性が、そして“魂”が魅力的だから、パーシヴァルはアルテミスに告白したのだ。仲間達との絆もそうだ。色んな事があっても繋がり続けられる、そういう人の繋がりは、ネットゲーマーだからこそ一段深く共感できるだろう。

オアシス内での繋がりは現実の絆の強さに繋がる。オフ会の最初の戸惑いと、少しの会話での「ああ、ネットの仲間だ」と感じる気持ちは、ネットゲーマーなら強く共感できるだろう

 そしてハリデーはゲーマーだった。とても濃いゲーマーだ。だからこそパーシヴァルにしか、ゲームの中に本当の生き方を見つけたウェイドにしかわからないものがある。彼は世界とどう向き合い、そして人生に何を感じながら生き、死んでいったか。オアシスにはハリデーの人生全てを記録した「図書館」に収められている。その図書館でウェイドはハリデーのイースターエッグの秘密を探し何度も彼の人生を見ていく。

 ハリデーのイースターエッグは「3つの鍵」によって隠されている。最初の鍵はレースゲームにあるはずなのだが、そのクリアすら誰もなしえない。どうすればクリアできるのか……ウェイドはハリデーの人生、そしてその1つの言葉からついにヒントを見つけ出す。そして「最初の鍵を見つけた者」として全世界に名前をとどろかせるのだ。

 ゲームの謎を解き明かす楽しさ、その楽しさは深くゲームを遊んだ人ならばわかるだろう。そしてパーシヴァルにヒントを得た仲間達も鍵を手にしていく。ネットゲームで「レアアイテムの場所」を教えてもらった友達や、ギルドメンバーがゲーム内で有名になる現象に似ている感じだ。

 そしてパーシヴァルは狙われる存在となる。オアシスを“力”で牛耳ろうとする巨大企業IOIは、その資本力でイースターエッグを奪おうとする。彼らは膨大な社員を投入しゲームを支配しようとする。同じ格好、同じアバター、同じ車に乗った“兵士”達が、レース場を占領しようとするのだ。IOIの兵士達は他のゲームでも同じ姿でパーシヴァル達を取り囲み、キーを探し出すために人海戦術でゲームを支配しようとする。

 ネットゲームプレーヤー達は似たような姿を見たことがないだろうか? 一時期MMORPGを中心としたゲームで狩り場に蔓延していたbotプレーヤー、RMT業者が動かしていた不正プログラムが動かすゲームキャラクターが狩り場を占有していた姿を筆者は思い出した。ゲームを楽しむわけでもなく、そのゲームが好きでもない、RMTという“外”の論理でプレーヤー達を不快にさせ、ゲームの世界を汚す人々。IOIの無個性な“兵士達”はあのbotプレーヤーと重なるのである。パーシバルと仲間達も彼らに反抗する。オアシスを彼らに支配されてはならない、その想いは強く共感できる。

IOIは現実世界でもウェイドを“始末”すべく、彼を追い詰める
ディストピアとも言える未来世界の描写も本作の大きな魅力だ

 ゲームの楽しさ、世界の面白さだけでなく、パーシヴァル達を追い詰めるIOIからはネット社会の怖さや、今後さらに広がっていく格差社会への不安、ゲームの世界のさらなる向上、現実とゲーム世界の比重が逆転してしまうような期待と心配もあって、様々なことを考えさせられる。そしてゲーマーであるウェイドがどう活躍していくか、映画のストーリーにぐいぐい引き込まれていくだろう。

 元ネタの多さ、共感していく部分、未来世界の描写など、「レディ・プレイヤー1」は何度も見て各場面をチェックしたくなるし、友人や、ネットコミュニティで話したくなる映画である。レビューでは色々書けないネタも多く、早く見た人とこの楽しさを共有したい。「レディ・プレイヤー1」は弊誌の読者に間違いなく薦められる映画だ。たくさんのところで共感して欲しい。