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【必見! エンタメ特報】「トゥームレイダー ファースト・ミッション」レビュー

ゲームの様々な場面が実写に! ララのキュートで凛々しい姿を堪能できる作品

3月21日より公開予定

 ワーナー・ブラザースは、3月21日に映画「トゥームレイダー ファースト・ミッション」を公開する。今回、上映に先行して試写会で本作を見ることができた。本作は世界的に有名なアクションゲーム「トゥームレイダー」シリーズの主人公女・冒険家ララ・クロフトを描く映画だ。

 「トゥームレイダー ファースト・ミッション」は、2013年にスクウェア・エニックスが発売したアクションゲーム「トゥームレイダー」を“インスピレーション源”にしている。実際、ビジュアルから“邪馬台国の女王ヒミコ”を探しにララが旅立つという物語の展開、様々な場面はゲームから引用されている。ゲームをプレイした筆者のような人には本作は特に楽しめる映画となっている。弊誌ではゲーム版もレビューしているので、参考にして欲しい。

 本作はゲームのストーリーに加えて、「父と娘の絆」というゲームではバックボーンとされている要素を前面に打ち出している。邪馬台国のあった場所にララが向かうのは、7年前父がそこで行方不明になったからだ。父は本当に死んでしまったのか、いなくなった父を求めるララの切実な姿は、観客とララを一体化させる。

 そして何より、ララを演じるアリシア・ヴィキャンデルがとてもキュートなのだ。今作はまさに新しいララ、アリシアが演じるキュートなララのデビュー作となっている。これまでの映画やゲームで描かれているような超人的な冒険家であるララ・クロフトではなく、かわいらしく、少しはかなげで、それでも強い新生ララを提示する映画となっている。本作の見所や、ゲームのプレーヤーだからこそ感じるポイントを語っていきたいと思う。

【「トゥームレイダー ファースト・ミッション」本予告】

美しく、躍動感を持ち、そしてはかなげ。新しいララの姿を演じるアリシアに注目

 「トゥームレイダー ファースト・ミッション」の時代設定は現代。ララはロンドンで暮らしている。映画はララの総合格闘技のトレーニングシーンから始まる。強そうな女性格闘家と互角に渡り合う彼女。だが少しの差で首関節を極められ絶息寸前でギブアップする。そしてコーチに言われるのだ。「これ以上ジムに通いたいなら、ちゃんと金を払ってくれ」。

 そう、今作のララは貧乏なのである。彼女は自転車配達のアルバイトをしている。アジア料理のデリバリーも担当し、ロンドン中を自転車で軽快に駆け回る。仲間達の無謀な賭けに乗ってお金を得るため、数十人の配達仲間から逃げ切る“兎”役を買って出たりする。何故彼女は貧乏なのか……それは彼女が巨大企業クロフト・ホールディングスの社長令嬢でありながら、父の死亡を認められず、遺産の受け取りを拒否していたからだ。

 ララの父、リチャード・クロフトは7年前に行方不明となっていた。ララはこの7年間父の死亡を認める書類のサインを拒否してきた。しかし、前に進むためララはサインを決心する。サインする直前、ララは会社の役員から「ララが父の死亡判断同意書にサインするときこれを渡して欲しい」と言付かった“パズル”を渡される。それは日本に伝わるという「カラクリ」だった。そのカラクリを難なく解いたララの前に“鍵”が現われる。それは父の“真実の顔”を見せるものだった。ララはその鍵で父親が何をしていたかを知った。

 父は世界を巡る冒険家だった。きっかけは母の死だった。リチャード・クロフトは何とかして母を取り戻すため世界中の遺跡を調べ、不死や生き返りの秘密を解き明かそうとしていた。そんな父が見つけたのが“邪馬台国の女王ヒミコ”なのである。父はそのヒミコが眠る島に向かい、消息を絶ったのだ。ララは単身香港に飛び、謎の島を目指す手がかりを探すことを決意する。それは後に女冒険家にしてトゥームレイダー(遺跡泥棒)と呼ばれるようになる、ララ・クロフトの最初の冒険だった……。

父の手がかりを掴んだララは、香港から日本の東南にあるという謎の島へ向かう

 ゲームと映画ではララが島に向かう動機が大きく異なる。ゲームでは若き考古学者であるララが東アジア歴史研究の博士と共に、邪馬台国の研究のため島に向かうのだが、「トゥームレイダー ファースト・ミッション」では父の足跡を追って島に向かうのだ。映画は父の後を追うララの心が大きなテーマとなっている。

 映画のララは大きく心に傷を負っている少女だ。7年前、いなくなった父の姿を追い求め、彼の死を認められずにいる。その寂しさを紛らわせるためか、彼女は総合格闘技のトレーニングに夢中になり、自転車配達の仲間と無謀な賭をする。彼女は父親の指導で幼い頃から弓の訓練などもしてきた。これらの“下地”が冒険家としての本能を目覚めさせていくきっかけになる。前半の様々なアクションと、後半の激しく超人的な活躍。傷ついた少女の寂しさと、激しく命の躍動感に満ちたアクションを見事に表現したのは、ララを演じる、アリシア・ヴィキャンデルだ。

 アリシアが演じるララは本当にカワイイ。弱くはかなげな面を持ちつつ、凛々しくカッコイイと多面的なララをうまく表現している。崩れる足場を飛び越えたり、野卑な男と格闘したり、ジャングルを駆け抜けるなど激しいアクションをしながら、弓を引き絞る表情が幼い少女のように見えたり、こちらをまっすぐに見つめる目がとても真面目に見えたり、危険な場所で不安を除かせる顔が気弱な表情にグッと引き込まれたりと、成長しつつある、大人になりきっていないかわいらしさを感じるのだ。映画「トゥームレイダー ファースト・ミッション」は、アリシアが演じるララのかわいらしさが最大のセールスポイントである。

ララを演じる、アリシア・ヴィキャンデル。今作のララは本当にカワイイ

 ララを引き立てるのが本作の“悪役”であるマサイアス・ヴォーゲルだ。彼はヒミコの島で待ち受ける男で、7年前にリチャード共に島を訪れ、武装した男達を手下に島を探索し、ヒミコを探し続けている。島は常に嵐に覆われており、彼をバックアップする組織以外その存在を知らない。マサイアスは武力を使い島に漂着した人々を奴隷として使い、破壊活動中心の乱暴な探索をしている。マサイアスはララを大きな手がかりと考え、自分に従わせようとする。そして言うのだ。「俺は、お前の父親を殺した男だ」。

 マサイアスは酷薄で、危険な男だ。病に倒れた奴隷を冷酷に撃ち殺す。何年も世間から隔絶され、組織に命じられたヒミコの墓を探し当てるしか、この島から脱出する方法はない。長年の荒れ果てた生活で彼自身の性格もすさみ、目の奥には狂気もある。彼もまた追い詰められているのだ。彼が心から望んでいるのは、この島から出て妻と娘に再会すること。心の奥底に家族への愛があるからこそ、その焦りが彼を狂気に満ちた支配者にしている。ウォルトン・ゴギンスは非常に恐ろしく、マサイアスを演じる。

 もう1人強く印象を残すのが、ダニエル・ウー演じるルー・レンだ。彼はララを助ける東洋人で、彼の父親はララの父と共に謎の島に向かって消息を絶っている。彼は謎の島でララと共に囚われるが、彼女を逃がし、奴隷となった人々を解放すべく戦う。ルーは非常にカッコイイ。最初は飲んだくれた姿で出ててくるところも相まって、ちょっと影のあるところが魅力的なキャラクターだ。

 「トゥームレイダー ファースト・ミッション」で監督を務めるのは2013年のゲーム「トゥームレイダー」に強く衝撃を受けたというロアー・ウートッグ。脚本を手がけたスタッフもゲームのファンだという。後述するが本作は「トゥームレイダー」のシーンをそのまま映画化しており、ゲームのファンにはニヤリとさせられるシーンが多い。そしてララのアクションである。ゲームそのままの、飛んで、跳ねて、しがみつく生き残るために身体能力をフルに活用するララを、アリシアが必死に演じているところが、本作の最大の魅力である。

ララを助けるルー・レン。演じるのは香港の俳優で、映画監督でもあるダニエル・ウー

ゲームの名場面が映画に。プレーヤーが感じることができる謎の優越感

 「トゥームレイダー」の映画と言えば2001年に公開されたアンジェリーナ・ジョリー主演の作品を外せないだろう。大きな胸とセクシーな衣装、細い腕にごつい自動拳銃を2丁構え、立ち塞がるものを蜂の巣にする、超人的な活躍をするララは、まさにゲーム世界から飛び出してきたかのようだった。アンジェリーナはララにピタリとハマったのである。

 映画ファンにとっては2001年のスーパーウーマンのようなララと、今作のララの大きな違いに戸惑うかもしれない。2001年の作品もテーマとして「父と娘」は掲げられていたが、笑みさえ浮かべて超絶アクションをこなすララと、今作の可憐なララには大きなギャップがある。

 2013年のゲームはまさにその“ギャップ”にフォーカスした作品だった。2013年版のゲームは弱々しかったララが強く、たくましく成長していく。このため最初はララの弱々しさが大きくクローズアップされ、ゲームの発売前は「トゥームレイダー」シリーズのファンは戸惑い、一部は怒りの声を上げた。しかし、ゲームが発売されると批判の声は小さくなった。ゲームをプレイしていく上でユーザーは“納得”していったのである。ゲーム序盤のララはいきなり直面した命の危機に戸惑い、嘆き、苦しむ。しかしそうしながらも諦めず、生き残りの道を探していく。

邪馬台国の謎に迫るララ。ララは冒険者として成長していく

 ララはどんなときでも生き残ろうとする。それは時には本人の意思さえも超える“本能”である。その本能はララの優れた身体能力を目覚めさせていく。そしてプレーヤーの腕前の上昇も相まって、銃を持った男達にさえひるまない戦士へと成長させていく。敵に冷静にヘッドショットを決め、断崖絶壁に足場を見つけ、目もくらむような高所から飛び下りる。物語での内面の成長と共に、プレーヤーの腕前で卓越したアクションをこなしていく。「ひ弱なララは、やがてラフなスーパーウーマンに成長していくのだ」ということを実感できるゲームなのだ。

 数十時間(やりこめば50時間)で丹念にララの成長を描くゲームに比べ、118分でララの成長や親子の絆を描かねばならない映画ではやはり尺が足りない。アリシアのララはかわいらしく、まだ幼さがある。そんな彼女がスーパーウーマンに成長できるかは今後の展開だろう。本作は多分に続編を考えての作品となっている。「トゥームレイダー ファースト・ミッション」はその名の通り“最初の冒険”である。アリシアのララはまだまだ活躍する予感があるし、個人的にも見てみたい。映画は制作に時間もかかる。次回作以降は、さらに美しく成長したアリシアによる、美しく凛々しいララが見れそうである、大いに期待したい。

 ゲームをプレイした人向けにもう少し映画でのシーンを語ろう。「トゥームレイダー ファースト・ミッション」は非常に積極的にゲームの場面を取り入れている。ララのお腹に破片が刺さり、苦しみながら引き抜くシーンや、滝の上に墜落して朽ち果てた爆撃機を恐る恐る進んでいくシーン、パラシュートで森の上スレスレを進むシーンや、岩の隙間で敵に足をつかまれ引きずるシーン……気づいただけでもゲームの場面そのままのシーンが多数取り入れられている。

 「ゲームのプレイ動画がそのまま映画にできるんじゃないか」、そんな気持ちさえもしてくるし、何より自分のお気に入りのゲームを、多分ゲームをプレイしたことがないであろう観客と一緒に見ていることが楽しい。「君たちが驚いているド派手なアクションを、俺はすでにゲームで体験しているんだぜ」という奇妙な優越感さえわいてくる。改めてゲーム文化の成熟と、他のエンターテイメントへの影響が実感できるこの感覚はゲームファンだからこそ味わえると思う。この「謎の優越感」はぜひとも体験してもらいたいところだ。

朽ちた爆撃機の上を進む。ゲームの名場面が映画に取り入れられている

 もちろん本作はゲームなどの知識がなくても、1本の独立したアクション映画として楽しめる。父の不在の寂しさを紛らわそうとする少女、ニヒルな東洋人の協力者、恐ろしい敵、謎に包まれた女王ヒミコ……そしてアリシアが演じるララのアクションとかわいらしさこそが最大の魅力だ。

 ゲーム同様ヒミコという存在の描かれ方は日本人としてはツッコミを入れたい部分もある。日本での本作の宣伝に、本来ならばパワーワードである「日本の古代文明がテーマ」というところがすっぽり抜け落ちているのもそういう部分のためだろう。しかし、日本の「中世風ファンタジー」だってツッコミどころは満載だし、エンターテイメント作品としてそういった考証などは本作の本筋とは全く関係がない。肩肘を張らずに楽しみたいところだ。

 繰り返すが“これから”に期待したい映画だ。そしてララを演じるアリシアの、キュートで凛々しく、可憐な姿をたっぷり楽しめる映画である。特にゲームのプレーヤーは見て欲しい。本作をきっかけにゲームの「トゥームレイダー」の世界に足を踏み入れるのもオススメしたいところだ。