インタビュー

【タイトー特集】タイトー代表取締役副社長大和一彦氏インタビュー

タイトーの根幹は“アーケード事業”。徹底的に現場にこだわる独自の経営哲学とは!?

 タイトー特集締めくくりの第3弾では、タイトー代表取締役副社長大和一彦氏のインタビューをお届けしたい。「LINEパズルボブル」プロデューサー西脇剛志氏ON!AIR事業部 事業部長の川島健太郎氏のインタビューと合わせてご覧頂きたい。

現場にこだわり、“根明”を重視する大和副社長の経営哲学

タイトー代表取締役副社長大和一彦氏
2005年8月に電撃発表されたタイトーとスクウェア・エニックスの対等合併。タイトー代表取締役社長西垣保男氏(左)とスクウェア・エニックス代表取締役社長和田洋一氏(右)。いずれも役職は当時のもの

――まずは大和さんがこれまでどのようなキャリアを積んでこられたのか教えてください。

大和氏: 私はいま62歳なのですが、早稲田の法学部を出て、最初に入ったのが昭和電工株式会社という総合化学会社です。ゲームとはまったく関係のない会社でした。そこでは入社以来ずっと財務畑でキャリアを重ね、途中、アメリカ ニューヨークの方に5年半ほど駐在して日本に戻り、また財務を担当していました。その後、タイトーが上場するにあたって財務をきちんと見ることのできる人間が欲しいということで、私に白羽の矢が立ってヘッドハンティングでタイトーに来たという経緯があります。

 それでタイトーに21年前に移ってきて、最初の5年ぐらいはひたすら財務の業務を行なっていましたが、ある時突然財務とIRを兼務することになりました。それからいわゆるマスコミ対応の仕事も一緒にやることになり、上場させていただいてから東証決算説明会などではだいたい社長と2人で発表を行ない、終わったら記者の方から質問を受け、各社対応を行なうというパターンで5年くらいずっとやってきました。

 そうこうするうちに、タイトーのような開発会社では、四半期の業績で株主さんにウォッチいただくという形では、なかなか腰を据えた開発に取り組めないということがあって、会社を非上場にしたらどうなのかという動きが出てきました。その時代、ゲーム会社を非上場化するというのは少し流行でもあったのです。当時の親会社は京セラ株式会社だったので、そちらの方とも相談させていただき、いろいろ検討しているうちにたまたま株式会社スクウェア・エニックスとご縁ができて、ぜひ一緒にやろうじゃないかという形になりまして、思い切ってスクウェア・エニックスグループの中に入ることにしました。

 お互いにそれなりの相乗効果も求めていて、非上場化することによってタイトーとしてのハンドリングできる部分を多く持ち、そしてじっくり腰をすえて会社を運営していこうかという取り組みになりました。スクウェア・エニックスグループになった段階で私は、当時社長だった和田氏や松田氏から言われて経営企画を見ることになり、最初の5年間はずっとタイトーの経営企画を見てきて、そのあとから事業全般を見るようになりました。

――今回の中国のような、海外の新規事業も大和さんが担当しているわけですか?

大和氏: そうです。ですからその前の段階としてタイトー独自として、韓国や北京でもアミューズメント施設の運営や機器の販売を目的とした合弁子会社を展開していました。

――現在はどのくらい現場に足を運んでいるのですか?

大和氏: 実はこの体制になったのは私が副社長になってからの話で、1年3カ月になりました。できるだけ現場を回るようにしていまして、タイトーの場合には1番大きいのはアミューズメント施設の運営を行なっているオペレーション事業ですね。これは全国で今144(FC店含む)のアミューズメント施設があるのですが、今、その全直営店舗を回っています。残り7店舗くらいになりましたが1年かかりましたね。北海道から九州まで、ずっと回ってきて、行く現場現場でスタッフの方と現状の把握を行ない、さらに夜は懇親会などでもっと細かいところまで話を聞かせてもらい「頑張ってくれよ」と伝えています。

――それはゲームセンターの店長さんとですか?

大和氏: もちろん店長もいますし、実際にお店を切り盛りされているクルーの方もいますので、その方たちも一緒にいろいろな話を聞いています。現場を見るという意味では、1つ大きいのはそういった直営店舗回りですが、他にもFC店舗もあります。また、当社は、アーケードゲーム機器のレンタル事業もやっていて、タイトーが開発しているゲームの機械等を貸し出しして、売り上げを分ける。そういったビジネスも日本全国でやっていますので、その営業所やお客様の店舗等も見るようにしています。そして海外もできるだけ現場を見るようにしています。ですから、体制が変わった時に私が1番最初に言ったのは、「トップと現場の距離感を極力短くする」。これしか生きる道はないということで、一応実践はしているという形にはなっています。

――今回、中国市場を視察され、China Joyに参加されてどのような印象を持たれましたか?

大和氏: 昨日が初めてだったのですが、もっと熱気があってわんさかわんさかという感じかと思っていたので、それほどの驚きはありませんでした。季節的に今日はこういう悪天候ですし、行った時間帯もあったのかもしれませんが。7月のはじめにパリのジャパンエキスポに行って来たのですが、あれは凄まじかった。ものすごい熱気と、人もすごかったですし、だからそれを見たばかりだったので、昨日は少しインパクトが弱い感じはしました。

――ジャパンエキスポで何を出展したのですか?

大和氏: タイトーは出展していないのですが、視察です。アーケードゲームの海外での展開、特にヨーロッパでの展開を、できる可能性があるのかなと。もう国内が飽和状態にきていますので。そういった市場視察をやっていかなければということで、ロンドンとそれからパリとイタリアの3都市の視察をした際に、たまたまジャパンエキスポがありましたからね。ちょっと市場調査を兼ねて行ってきました。

――今回のChina Joyへの参加の理由は?

大和氏: 先ほど申し上げましたが、タイトーは韓国と中国への店舗のビジネスを長く展開してきたのですがなかなかうまくいかなくて、合弁会社さんとの仲も厳しい時があって、結局中国の合弁企業の撤退作業は2年前ぐらいに終了したのですが、それは相当しんどかったです。実際、最後の交渉が終わって北京空港から日本に帰る時には、「俺はもう2度と北京の、中国の土は踏まん!」と(笑)。「これが俺の人生最後のお別れだ!」という言うくらいの気持ちでした。

 ただ、その時点では、私は経営企画で単なる取締役で部長だったので、全社のことは考えておらず、自分の都合だけの気持ちでした(笑)。今回こうやって全社を見る立場になったとき、代表取締役になって当初いろいろとタイトーとして事業構造をどうするかを考えた時に、店舗は店舗であるのですが、このON!AIR事業部のモバイルの部分だけがグローバルで見てもタイトーとして右肩上がりで伸びている。そこでインターフェイスしている唯一の事業網なので、この事業を育てていこうと考えたときに、やはり世界最大の人口を持っている中国というマーケットは無視できないなということで、私も自分の志を曲げまして(笑)、もう1回中国というものを勉強してみようと思いました。

――大和さんの中では、中国市場というのは苦戦続きだったアミューズメント事業を一旦クローズして、改めてON!AIR事業部のモバイルで再展開を計ると、そういう流れになっているのですか?

大和氏: はい、そういう流れになっています。ただ、今タイトー自身まったく中国との接点がないかというと、そういう訳でもないのです。アーケードゲーム機器の組立の一部を業務提携している会社にやっていただいたり、それから香港に近いところでは、うちのもう1つの事業でキャラクター・トイという部門があって、これはクレーンゲーム用のプライズ(景品)を扱っている事業部門なのですが、そこの製品をやっていただいているとか若干そういったこともあるのですが、本格的にビジネスとしてタイトーが前面に出てやっているような所については、久々にチャレンジしてみようかと考えています。

――今回、大和さんに取材する前に、タイトーの各事業の責任者にインタビューさせていただきました。ON!AIR事業部の川島さん、「パズルボブル」プロデューサーの西脇さん、海外事業部のチャンさん。お三方それぞれ個性的で非常に面白い人材だと思うのですが、外部からの登用も積極的ですよね。タイトーでは、どのような人材を求めていますか?

大和氏: 単純です。根明(ねあか)です。

――根明、ですか。

大和氏: 「何を言ってるんだこいつは」って感じですかね(笑)。でも結局ビジネスの原点というのは、行きつくところですねやっぱり根明なことだと思うのです。会社は何かと言うとチームですから。チームを引っ張っていくためには、上に立つ人に明るさがないと下はなかなかついて来られない、という感じがします。

 そういう観点から昨年の5月に私は今のポジションになったのですが、それからもう大幅に人を入れ替えました。もう役員から、事業部長から担当部長から、相当意図的に入れ替えました。そういう人材に切り替えていくということをやりました。結果、大正解でしたね。会社の雰囲気が変わってきましたから。

 ある日、開発会議をやっていました。「どうだった?」と話を聞いてみたら、「泣いている人がいました」と。私は「違うだろ」と思うわけです。開発会議なんてもっと明るく、丁々発止でやればいいのに、上からガーンと抑えられてみんな萎縮してしまっている、みたいな状況が散見されたものですから。それでは面白いものが作れるわけがない。だったら遊べや、仲良くしろやみたいな感じで。だからそういった時には一緒に飲みに行ったりコミュニケーションを取ったりといった所から手を付けています。

 もう1つはやっぱり年齢ですかね。年齢は大事なファクターですね。過去の成功体験だけではどうしようもないので。やはりできるだけ若い方たちを引き立てていく。だからもう、タイトーの事業部長クラスは40代になってきています。そこでも大きく人事構造を入れ替えましたね。

――中でも強く印象に残ったのは川島さんです。川島さんはバンダイナムコから来て、まだ数年の方を事業部長に昇格させている。川島さんの魅力はどこにあると思いますか?

大和氏: なんだかんだで根明でもあるし、本当は辛いところもあるのかもしれないけれど明るく振る舞えるという所。もう1つは闘争心を持っているところですかね。やはりリーダーである以上は闘争心がないと、僕から言われたらヘコンとして「おっしゃるとおりです」となっていると、それはなかなかマズいので。

――やはり社内では川島さんとバトルがあるのですか?

大和氏: 目だったバトルはなくて、私も比較的強い方なので押さえ込んでしまうところがあるのですが、私もどちらかというと武闘派なものですから。でも川島だけじゃなくて、全事業部長と僕はそういう風にやっていますから。

――川島さんに昨日インタビューをさせていただいて、1番印象に残ったのはタイトーという長い伝統を持つ会社の“場の力”というものが、開発に良い影響を与えているのではないかとおっしゃっていました。大和さんはその点をどう思われますか?

大和氏: 以前はそれが死んでしまっていたのです。残念ながら一昨年赤字になってしまいましたし、その前もいろいろとうまくいかなかったのは、マネジメントの力というものが若干不足していた。現場の力というものを十分に引き出すことができていなかったという気がします。だからとにかく人を変えて、組織を明るくし、トップと現場の距離を短くし、とにかく小さくまとまって一枚岩になってくるくる早く回っていく。これを方針にやってきて、みんなの協力もあってひとつずつ回り始めている。

 店舗もしかりで利益も高くなってきたし、ON!AIR事業部も動きが見えてきた。キャラクター・トイ事業部も上がってきていますので、こういう形で今は全社的に非常にいい動きになってきています。ですからこれから1、2年でタイトーがどう変化していくかが楽しみなところだなと思います。

――川島さんが担当されているアーケードゲームとスマートフォン事業がここ数年でかなり活況を呈する状況になっていますが、これはなにが要因でしょうか?

大和氏: ここ数年ではなく、ここ1、2年ですよね。ごく最近なのです。やはりトップを変えて、意識も変えて、とにかく皆が責任をもって動くという体制を作るしかないのですよね。典型的なやらされ仕事になっていましたので、自分の頭で考えるということがなくなってしまっていたのです。

――そういう意味では川島さんの存在は非常に大きいと?

大和氏: 大きいですね。バンダイナムコから来てもらい、新たなDNAをタイトーの中に注入してもらって刺激をいただいてます。1つの歯車がだいぶ錆ついていたのがようやく「KURE5-56」が入って動き出して、「川島はKURE5-56だ!」って(笑)。

(中村聖司)