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「大東京トイボックス」漫画家“うめ”インタビュー(前編)

最終巻発売&ドラマ化記念。その作品、「魂は合ってる」か?!

9月24日 「大東京トイボックス」10巻発売

10月5日より テレビドラマ放送開始予定

“うめ”として活躍中の小沢高広氏(写真左)と妹尾朝子氏(写真右)。かれこれ10年以上コンビで活動し、連載中に2人のお子さんも授かっている
「東京トイボックス」のドラマ化は、東京ゲームショウ2013でも記者会見が開催された

 ゲーム業界の華やかな表舞台と、地道な努力によって支えられている舞台裏――。その両面を熱く描いたコミックが「東京トイボックス」だ。

 小沢高広(おざわたかひろ)氏と妹尾朝子(せおあさこ)氏のコンビ“うめ”によって、2005年に「週刊モーニング」(講談社)にて連載スタートした「東京トイボックス」は、2006年に掲載誌を「月刊コミックバーズ」(幻冬舎コミックス)へと移し、同時にタイトルを「大東京トイボックス」と改めた。

 連載中には「マンガ大賞2012」で2位に選ばれ人気作の地位を確立し、7月30日に発売された「月刊コミックバーズ9月号」で連載を無事終了した。9月24日には、その最終巻となる「大東京トイボックス」10巻が短編集「大東京トイボックスSP」と同時発売されたほか、10月5日からはドラマもスタートする。

 今回は、そんな「東京トイボックス」シリーズの最終巻発売とドラマ化を記念して、約10年にわたって本作を手がけてきた小沢氏と妹尾氏に、作品が生まれるきっかけから始まり、連載を終え、最終巻発売を迎える直前の心境などについてたっぷりお話を聞かせていただいた。

 インタビュー前編となる今回は、「東京トイボックス」シリーズを読んだことがないという人への紹介も兼ねて、本作のストーリーや登場人物、制作秘話などについてお伝えしていく。後編ではネタバレも含めて内容に深く切り込み、かつドラマ版についても伺っている。

 なお“うめ”の小沢氏については、CEDEC 2013最終日の8月23日に登壇している。天候不良により会場に来られないというアクシデントにあいつつも、取材先の沖縄・波照間島からSkypeを使用しての登壇となった。本作のファンであり、飛び入りで登壇したサイバーコネクトツー代表取締役社長の松山洋氏と「東京トイボッックス」について熱く語り合っているので、その記事も、参考にしていただきたい。

9月24日に発売された「大東京トイボックス」10巻。2006年に発売された「東京トイボックス」1巻から数えて全12巻にわたる「東京トイボックス」シリーズは、準備期間から約10年という長期連載作となった
10月5日からスタートするドラマ「東京トイボックス」。要潤さんがどのように太陽を演じるのか“うめ”先生の期待も高い

コミック「東京トイボックス」、「大東京トイボックス」とは!?

天川太陽
「スタジオG3」のディレクター。たとえ現場がデスマーチに陥ろうとも、ゲームの「おもしろさ」を優先してしまう困った人

 本作を未読の方に、簡単にあらすじを紹介したい。舞台となるのは秋葉原にある小さなゲーム制作会社「スタジオG3」。主に他社の下請けとして、パチスロのムービーやTVのCG制作をこなす「スタジオG3」のディレクターが、主人公の天川太陽(てんかわたいよう)だ。ある日この会社に、ゲーム業界とはほど遠い大手町のIT総合企業から、出向社員のキャリアウーマン・月山星乃(つきやまほしの)がやってくる。

 ゲーム制作の現場において、まったく異なる価値観をぶつけることになる2人。そこに、かつて「スタジオG3」が制作したゲーム「サムライ☆キッチン」の海外版を作るという企画が舞い込んで来るのだが、それはかつて太陽が所属していた総合アミューズメント企業「ソリダス・ワークス」にいる、仙水伊鶴(せんすいいづる)からの提案であった……。

 と、大筋はこのようなお話である。また「大東京トイボックス」は、全2巻の「東京トイボックス」の“その後”を描いた作品。新たに企画志望の女性キャラ・百田(ももだ)モモを迎え、ゲーム制作の現場のみならず、業界全体がはらんでいる問題などにも深く切り込んだ作品となっている。

 随分前置きが長くなってしまったが、「東京トイボックス」という作品がどのように生まれ、どんな魅力をもってして連載が続いていったか、お2人の声をお届けしていこう。

月山星乃
「スタジオG3」に出向してきたキャリアウーマン。ジャージ姿で特撮「電脳戦士モバイラー」を見るのが至福のひととき
仙水伊鶴
「ソリダス」所属のクリエイター。かつて太陽とともに「ソードクロニクル」シリーズという作品を作っていた
「大東京トイボックス」で加わるモモも含めた、個性的すぎる「スタジオG3」のメンバー

漫画家“うめ”の制作現場は、ゲーム制作の現場とそっくり?

連載スタート時の苦労話を懐かしそうに話してくれたお2人。その苦労は企画を通すゲームクリエイターと重なる部分も?

――まずは、うめ先生を知らないという方に、お2人がどんな風に仕事を分担されているか教えてください。

妹尾氏: 基本的に小沢が原作、私が作画ということにはなっていますが、ネタ出しや打ち合わせは2人で行ないます。「前回こんな話だったから、次はこうしよう」など、2人で相談してまとまった段階で、小沢がシナリオを書きます。それができたら、そのシナリオに対しても「どうだろう」と2人で話して、その後に私がネームの形にして……さらに、そのネームについても相談して、それが固まったら担当編集さんに見てもらうという流れですね。

小沢氏: 普通の原作と作画だと、基本的に原作者がシナリオを起こして、それを編集がチェックして作画のネーム作業に回した段階で、原作者は2度とタッチできないことが多いと思うんですよね。だけど、僕の場合は延々と完成までタッチし続ける形なんです(笑)。

妹尾氏: 作画に入っても、映画・ドラマの美術や演出のような形で、小沢が背景を3Dで作ったりしていますね。あとは小道具とか。

小沢氏: 「このタイミングで持っているべきファミコンのコントローラーは、ボタンが四角なのか丸なのか……」とか、時代考証的なところも含めてですね。拾えるディテールは拾うようにしています。

――そこまで納得いくものを作ってから、編集さんに渡しているんですね。

妹尾氏: 編集さんからOKが出て、ペン入れも仕上げも終わってほぼ完成……というときに「やっぱここ直したほうがいいかな?」と小沢が言い出すこともあって(苦笑)。ページを入れ替えてネームを切り直してとかも結構あります。だから、主人公の太陽の「仕様を一部変更する!」というセリフがあるんですが、本当にそんな感じで。「スタジオG3」と同じく、こちらの現場も「……ふぅ」という雰囲気になりますね(笑)。

小沢氏: その分、仕上がりに関しては納得のいくものになっているんじゃないかと(笑)。

――そもそも「東京トイボックス」という作品が生まれたきっかけは?

小沢氏: 前作の「ちゃぶだいケンタ」(講談社)は、小学生が主人公の作品だったんですが、さほど売れなかったということもあって「小学生はやめましょう」という編集部からのオーダーが1つありました。

妹尾氏: 実はそのとき「幼稚園もの」の企画を考えていたんです。小学生からさらに年齢を下げようと思っていたところ、そんなオーダーが……。

小沢氏: それで「サラリーマンもの」という縛りのなかで、何か考えられないかなということになって。コンセプトとして「打倒、島耕作」というものが掲載誌の「週刊モーニング」側から提案がありました。まだペーペーの新人と超ベテランなんで、そういう失礼なキャッチフレーズが成立するんですけど。

 そこで何をしようと考えたときに、ネクタイを締めたサラリーマンの経験は自分もあまりなかったし、わからなかったんです。そうやって悩んでいたときに「ボクと魔王」というゲームを遊んでいました。

 あの作品は、自分たちがゲームのキャラであることに自己言及する、メタ的な構造を持ったゲームで。あれを遊んだときに「ゲームの作り手」をなぜかサラリーマンとして初めて意識したんですよね。それまでも作り手のインタビューや記事を読んではいましたが、それまではフリーランスに近いイメージがありました。

 でもこのゲームをやって、なんとなく作っている現場やそこで交わされたであろう会話なんかが想像されて「ああ、そういえばゲームを作る人もサラリーマンなんだな」って気づいたんです。そこから生まれた企画ですね。

――それに対して編集さんは、どんな反応を?

小沢氏: だいたい編集さんは、企画の段階だとOKを出してくれるんですよ(笑)。サラリーマンものというオーダーもクリアしていたので。

妹尾氏: ちょうど企画を練っている頃って「電車男」とかがブームになって、アキバとかいう要素、キーワードも入れ込めばいいんじゃないかって。

小沢氏: 2004年~2005年って、やっと「メイドカフェ」というものが、コンテンツの中に組み込まれ始めているような時代だったんですよ。メイドカフェって「お帰りなさい、ご主人様!」とか言ってくれる場所でしょ? というのが、うっすら社会に認知されてきたぐらいでしたね。ズラリと並んだメイドさんが、一斉に頭を下げてくれるシーンを描くと、まだそれが笑いになった時代。で、編集さんとしても「ナシじゃないね」って話になったんですけど、そこからネームはなかなか通らなかったですね(苦笑)。

――そこから連載スタートに辿り着く道のりは険しかった、と。

小沢氏: そこでちょっと「ウラ技」的なものを使ったんですよ。直接の担当である若い編集さんがいて、その上にベテランのデスククラスの編集さんがいて、さらにその上に編集長さんがいるという構造で企画が通っていくんです。で、この真ん中のデスクさんのところでいつもネームが戻ってきてしまうと。

 その人は、ゲームをまったくやらない、どちらかといえば「子どもは元気に外で遊ぶべき」というタイプの方でした。この企画をやる以上、基礎教養的にいくつかのゲームを遊んでほしいということもお願いしたのですが、それも全部却下されて(苦笑)。関連書籍はかろうじて読んでくれたのですが、「何ひとつおもしろくなかった」と取りつく島がありませんでした。

 「ゲームをやらない人もおもしろく読める作品でないといけない」という考え方も一理はありますが、ネームに対するダメ出しも、どう説明を聞いても腑に落ちない。直せば直すほどつまらなくなっていく。そこで若い編集さんに頼んで、一足飛びに編集長にネームを見てもらったらスッと通って。

――それはまさに「ウラ技」ですね(笑)。

小沢氏: このやり方って後に「ドルアーガの塔」の遠藤雅伸さんと全然別の話をしていたときに、「企画を通すときは一個飛ばしの法則ってのがあってな」って教えていただいたことがあって。体育会系の部活とかを思い出してもらうとわかりやすいと思うのですが、1つ上の代というのは、もう1つ上の代と仲が悪い、その結果、自分と1つ飛ばした代の人とは仲良くできるという。今振り返ると、この法則を使ってたんだなぁ、と。

(イマイチ)