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【GDC 2013】技術革新が変えるゲームのストーリーテリング

バーチャルな友達がいるのが当たり前? 奇才が思い描く未来のゲームの「物語」

3月25日~29日開催(現地時間)

会場:San Francisco Moscone Center

ゲームデザイナーのJesse Shell氏。アメリカではオンライン上で火がつき、講演の名手として有名人になったという

 GDC 2013の会期2日目、GAME NARRATIVE SUMMITの締めくくりとして、ゲームデザイナーのJesse Shell氏による「The Future of Storytelling」が講演された。

 1つのテーマに絞って開催されるサミットの中では、ゲームの中の物語に焦点を当てたGAME NARRATIVE SUMMITは初の試み。コンピューターゲームの登場から30年が経ち、文化としてのゲームが次の段階へ進むために「物語」の力が重要になってくるのでは、という主催者側の意識が垣間見える。

 Jesse Shell氏は、ゲーム開発会社Shell Gamesの最高責任者でありながら、カーネギーメロン大学エンターテイメント テクノロジー センターのDistinguished Professorを務める人物。かつてはディズニーの頭脳集団「イマジニア」に参加していたこともあるというキレ者で、講演巧者としても知られている。

 そんなShell氏が語るのは、ストーリーテリングの未来。抽象的な話題を具体的なビジュアルとジョークを交えた例え話でわかりやすくまとめた、Shell氏らしい講演の内容をご紹介したい。

小説、映画とは何が違う? 古典が登場しづらいゲームの弱点

「白鯨」、「市民ケーン」と並んで「ファイナルファンタジーVII」? 確かによくできているけど、どうなんだろう、とShell氏
作中劇の荒唐無稽さの言われようがゲームの状況に似ているという「ロック・ミー・ハムレット!」(英題は「Hamlet 2」)

 まずShell氏はゲームの現在の状況について、「シェイクスピアのような古典がないのではないか?」と問いかけた。文学なら「白鯨」、映画なら「市民ケーン」といったように古典が確立している一方で、現在あるゲームが200年後も遊ばれているかと思うと、しっくり来るようなタイトルが挙がらない。

 その理由として、ゲームメディアにはいくつかの弱点があるとShell氏は指摘する。その1つは、「Verb(動詞)」。ゲームの動詞は、走る、撃つ、飛ぶ、掴む、投げるなど首から下の肉体的な動きで、映画の動詞は話す、尋ねる、交渉する、納得させる、議論するなど、首から上の精神的な動きが中心となる。

 第2の問題は、感情表現にも様々ある中でも、「悲しみ」が表現しにくいということ。例えば「ロミオとジュリエット」がゲームだった場合、“ジュリエットが死んでしまった”という悲劇も「じゃあチェックポイントに戻ろうか」で済んでしまう。

 悲しみの表現も可能ではあるが、「戻れる」ことがリアリティを阻害してなかなか難しくなっているのだという。「全てに悲しみがいるかというと違うが、偉大なストーリーには悲しみがポイントとして入っている」とShell氏は述べた。

 そして第3の問題としては、プレーヤーによって物語の始まりと終わりが違うものになっている、ということにある。プリンセスを助けに行く、という単純なストーリーがあったとしても、ゲームではその途中で街に寄ったり、買い物をしたりと人それぞれに違って、一定のストーリーを紡げない。

 ここでShell氏は、シェイクスピアの演劇を利用した映画「ロック・ミー・ハムレット!」を引き合いに出した。映画は冴えない俳優兼高校教師が、「ハムレット」をタイムマシンさえ登場する荒唐無稽なSFミュージカルに改変する、というもの。

 映画の中では「話が成立しない」と呆れられる演劇だが、正にゲームは同じ状況だという。「ゾンビやモンスター、タイムマシンなど、荒唐無稽になりがちな物語をハッピーエンディングまで持っていく。これらは難しいが、それが我々に課されたチャレンジ」だと述べた。

Shell氏はわかりやすく簡潔なイメージで講演を進めていった

ゲームの可能性を秘めた1つの可能性「Virtual Companions」

技術の革新が新たなストーリーを与えた例「逆転裁判」。以前はこんなストーリーは考えられなかったという
世界的な「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の2年前に、実は初のダンジョンゲーム「Hunt the Wumpus」(しかもBASIC)が出ていた、という話

 ではゲームの中で物語を紡ぐのは絶望的かというと、そうではない。機械と技術の発展が、ストーリーテリングを可能にすることもある。映画は、音声を獲得して以降、様々な感情をストーリーに組み込めるようになって発展してきた。同じような革新が、ゲームにもあり得るのではないか、ということだ。

 Shell氏が思い描くのは、ゲーム内のキャラクターとのインタラクティブな交流にある。交流と言ってもただ会話ができるというだけでなく、プレーヤーを認識し、記憶として保っていることが理想だという。

 サンプルとしてキャラクターと会話する「ピカチュウ元気でチュウ」やiPhoneの音声認識機能「Siri」、プレーヤーの発想したオブジェクトをほぼ完璧にゲーム内に登場させる「Scribblenauts Unlimited」、Kinectを使って少年と会話する「Milo and Kate」などを挙げながら、将来的にはゲーム体験を一緒に共有していくキャラクター「Virtual Companions」が登場するのでは、と語った。

 「Virtual Companions」が実現できれば、キャラクターとの交流によって「動詞」は豊かになる。「悲しみ」は、「Virtual Companions」と10年か15年付き合うことで「何かひどいことが彼らに起こるかもしれない(笑)」し、もしくはプレーヤーが飽きてゲームから離れれば、「彼らにとっての悲劇がゲームの中で起こる(笑)」と冗談交じりに答えた。

 ただし、残る「導入と終わりまでが人によって違うこと」と、「ゲームのシェイクスピアは生まれるか」という問題については、「Virtual Companions」が直接的には解決に至らない。

 しかしShell氏は「Virtual Companions」に可能性を感じており、人生のほとんどを「Virtual Companions」と過ごすようになれば、プレーヤーが死んだあとも子孫に人となりを伝えられ、また先祖がどのような人物であったか知れるようになるのでは、と考えを述べた。

 「変な話だとか、SFみたいだと思いましたか? しかし将来的に確実に実現するだろうことは、よく知られている話です。誰が実現するかはわかりませんが、ゲーム開発者から出てくるだろうと考えています。最初の開発者は、どこにいるのでしょうか?」と、Shell氏は会場に集まった開発者にエールを送っていた。

バーチャルなキャラクターとプレーヤーとの関わりの変遷を辿ったサンプル例
完璧な「Virtual Companions」が登場すればゲームの状況が変わるのは明らか。ただし、それがすべてを変えるかどうかは、Shell氏は保証しなかった

(安田俊亮)