カプコン、「鬼武者Soul」のサービス開始を10月に延期
ネットワーク部分の負荷対策のため。「戦国体験」を3回追加実施
株式会社カプコンは6月15日、開発中のブラウザゲーム「鬼武者Soul」において、正式サービス開始を6月28日から10月19日に延期すると発表した。これに伴ってスマートフォン版のサービス開始予定時期も2012年冬に延期される。
これまで「鬼武者Soul」の正式サービスは6月28日を予定していたが、約3カ月半の延期となった。この理由として本作プロデューサーの杉浦一徳氏は「ネットワーク部分の負荷対策」にさらなる時間が必要になったことを挙げており、快適な環境を届けるために、これを改善し調整する期間を設けることにしたという。
「鬼武者Soul」ではこの延期に伴って、クローズドβテスト「戦国体験」の第3弾、第4弾、第5弾が実施される。実施期間は、「戦国体験 第参陣」が7月13日~17日、「第四陣」が8月24日~27日、「第伍陣」が10月5日~9日と約1カ月ごとの開催となっている。カプコンではこれまでにもテスターから集められた意見を検討し、これら「戦国体験」にも積極的に反映させていく方針だ。
なお「第参陣」については、本日よりテスターを募集している。期間は7月9日14時までで、当選発表は7月11日にメールにて行なわれる。
またカプコンは、「鬼武者Soul」で選択する都道府県によって異なる建造物の一例と、新たな武将プロフィールを公開した。
【都道府県限定建造物】 | |||
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青森県(陸奥) 三内丸山遺跡 | 岩手県(陸中) 霜畑八幡宮 | 栃木県(下野) 足利学校 | 千葉県(上総・下総・安房) 笠森寺 |
東京都(西武蔵・小笠原) 増上寺 | 高知県(土佐) 土佐神社 | 広島県(安芸・備後) 明王院本堂 | 福岡県(筑前・筑後・豊前) 山野の石像群 |
■ 井伊直虎(いい なおとら)・鬼陣営
イラスト:碧風羽 |
静岡県(伊豆・駿河・遠江)
徳川家家臣。三河井伊谷城主、直盛の娘。直盛に男子がいなかったため次郎法師と名付けられた。直盛が桶狭間で討死、次当主の直親も今川氏真に謀叛を疑われて殺されたため井伊家の家督を継ぐ。生涯独身を貫き、直親の遺児、直政を養子として育てた。
■ 伊達政宗(だて まさむね)・鬼陣営
イラスト:萩谷薫 |
宮城県(陸前)
伊達家当主。出羽国米沢城主、のち仙台城主。18歳で家督を相続すると周辺諸大名を破って24歳で奥州をほぼ平定。秀吉に降るも大領を保ち、将軍徳川家光の代まで生き抜いた。苛烈な政略・軍略と豊かな風流心を兼ね備え、「独眼竜」と渾名された英傑。
■ 龍造寺隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)・鬼陣営
イラスト:萩谷薫 |
佐賀県(東肥前)
龍造寺家当主。大内義隆と誼を通じて偏諱を受け、その滅亡後は毛利家と連携して大友家に対抗。今山合戦で大勝して支配権を確立した。「肥前の熊」と渾名された武勇と、恩義ある蒲池氏を謀殺するなどの非情な策略で四囲の敵を平らげていった。
■ 長野業正(ながの なりまさ)・人陣営
イラスト:伊藤サトシ |
群馬県(上野)
関東管領・山内上杉家家臣。上野・箕輪城主。主君の上杉憲政が北条氏康に敗れて越後に逃げた後も箕輪城に残って上杉謙信の援軍が来るまで持ちこたえた。また、武田信玄の侵攻にも城を守り抜いた名将。
■ 前田利家(まえだ としいえ)・人陣営
イラスト:ミヤジマハル |
石川県(加賀・能登)
前田家当主。尾張荒子城、加賀金沢城主。もと織田家臣で、信長に近侍し「槍の又左」と呼ばれた武辺の傾奇者であった。乱暴が過ぎて一時出奔、帰参後は算盤を手に財務を
こなし誠実な人柄で信用を集める知将に変貌。五大老、そして加賀百万石の藩祖となった。
■ 三好長慶(みよし ながよし)・人陣営
イラスト:伊藤サトシ |
徳島県(阿波)
三好家当主。摂津芥川城主。10歳で家督を継ぎ、管領細川晴元に出仕。阿波から摂津に上陸して畿内諸勢力を討伐し、幕府の実権を握って9カ国を支配した。だが家臣松永久秀の暗躍の下、嫡子や弟たちを相次いで亡くし、失意のうちに夭折した。
■ 雑賀孫市 皐月(さいがまごいち さつき)・人陣営
イラスト:碧風羽 |
和歌山県(紀伊)
雑賀党の次期頭領。雑賀孫市の名を受け継ぐ鉄砲の名手。『鬼武者2』に登場した雑賀孫市の従妹に当たる14歳の少女。自慢の鉄砲をひっさげ、傭兵隊長として各地を転戦している。鉄砲以外にも南蛮の技術全般に興味があり、かなりの南蛮オタク。
■ 三村鶴(みむら つる)・幻魔陣営
イラスト:Joon-Ho. Jeong. 本イラストはシルエットです。プロモーションサイトにてイラストが公開されています |
岡山県(美作・備前・備中)
三村元親の妹。備前常山城主上野隆徳に嫁ぐ。毛利勢に城を包囲され、一族が次々と自刃する中、敵を1人も討たないまま自害するのは口惜しいと自ら具足を身に着け、夫や侍女ら数十名とともに敵陣に斬り込んで奮闘。その後、城に戻って自害したという。
(2012年 6月 15日)