ニュース
「オタマトーン」はこうして生まれた! 明和電機の歴史を土佐信道氏が振り返り【CEDEC2023】
2023年8月23日 18:33
- 【CEDEC2023:明和電機・完全攻略セミナー】
- 8月23日13時30分~14時30分 実施
本日8月23日より開幕となった開発者向けカンファレンス「CEDEC2023」。本稿では、アートユニット・明和電機の土佐信道氏によるセッション「明和電機・完全攻略セミナー」の模様について紹介する。
一見、電機メーカーのような名前をしている明和電機だが、実態は数々の“ナンセンスマシーン(役に立たない機械)”を手掛けてきたアートユニットだ。その活動の一環として生まれたのが、音符の形をしたユニークな形状と、可愛らしい顔が特徴的な電子楽器「オタマトーン」。セッションでは、明和電機の“社史”や「オタマトーン」ができるまでの過程が語られた。
「明和電機」の社史を振り返り。オタマトーン製作者とは思えない“ダークなもの”を作っていた時期も
まずは、明和電機の代表取締役・土佐信道氏によりこれまで手掛けてきた「オタマトーン」や「SUSHI BEAT」、「ゴムベース」の実演が行なわれた。これらの製品を手掛けた張本人であるため、それぞれの楽器の腕前は一級品。「オタマトーン」では「今日の日はさようなら」などを演奏したほか、「SUSHI BEAT」ではさながらDJのような雰囲気を醸し出していた。
実演が終わると、明和電機の“創業”に至るまでの社史が語られた。明和電機は、土佐氏の父が経営していた電子部品工作所「明和電機」に由来しているが、その工作所はオイルショックの影響を受け1979年に倒産。一方の土佐氏は中学時代は打楽器にハマり、ブラスバンドに加入していたほか、その後コンピューターミュージックの影響を受け兄と共に「TOSA」というバンドを組むなど、青春時代は音楽に熱中していたようだ。
その後、土佐氏は筑波大学に進学し電子工作に熱中。ほかにもコンピューターグラフィックス(CG)などにもハマり、卒業制作として“妊婦のロボット”を作ったが、「生命のハリボテ」を作ってしまったと思い悩み、スランプになってしまったことを明かした。大学院に入ると「魚器(なき)」シリーズとして、“魚を撲殺するための棒”や“魚の浮袋を動かす装置”などを作った。
当時作ったものについて、土佐氏は「オタマトーンを作った人とは思えないダークなものだった」と回想。そして大学院の修了制作として「魚器」シリーズのデモンストレーションを行ない、タキシードを着てそれらを実演してみせていたが、土佐氏曰く「怪しいマジシャンにしか見えなかった」という。その時、父がやっていた「明和電機」という名前と制服を使えば“説得力が出るかも”ということで始まったのが、現在まで活動を続けている「明和電機」だ。
1993年に兄と共に結成された「明和電機」。当時ソニー・ミュージックエンタテインメントが開催していたオーディションに、作品と共に応募するといきなりグランプリをとってしまい、活動を本格化させた。最初に製品化した「魚コード(なこーど)」は、魚の骨の形をした電気コードで4万本ほど売れたと明かし、数々の作品を生み出したが、2000年になると兄が“定年退職”した。
それ以来は、土佐信道氏が様々な作品をプロデュース。2009年になると、現在までに180万本を売り上げる「オタマトーン」を発表する。
「オタマトーン」は“不安定な面白さ”が魅力。完成までの道のりを振り返る
「オタマトーン」といえば、音符の形をした可愛らしいデザインと、少し練習すれば簡単に音を奏でることができる本格的な楽器であることが魅力。その「オタマトーン」のアイデアには、土佐氏が手掛けたアート作品たちが深く関わっている。
2000年代に入ると、土佐氏率いる「明和電機」は声の面白さに注目し、「ボイスメカニクスシリーズ」というアート作品を発表。最初にゴムで声帯を再現した「SEAMOONS」を発表するが、駆動するモーターにバグが起きて、音程が行き過ぎたり、逆にその音程に到達しなかったりと不安定な要素があった。だが、これが“こぶし”や“ビブラート”につながることで“不安定な面白さ”を発見したことを明かした
制作段階の「オタマトーン」には、ギターのような“フレッド”がありドレミファソラシドの音階がはっきりしていたが、現在の「オタマトーン」のような“おもちゃ感”がなく楽器のように「演奏しないといけない」という固定観念ができてしまった。そこでフレッドをなくして、ドレミファソラシドの音階をあえてわかりにくくすることで、“不安定な面白さ”を残した「オタマトーン」が完成したという。
また「オタマトーン」の顔は、2004年に制作した「チワワ笛」という作品がきっかけになっていて、この顔によって音のしゃくりやこぶしが生まれているという。会場では、実際にオタマトーンの顔を外して演奏していたが、顔の使い方の有無によって、音の表情が全く異なっていたのが印象的だった。さらにSNS時代やコロナ禍によってこのビジュアルが注目され、「オタマトーン」が長年にわたって売れているのではないかと分析していた。
セッションでは「オタマトーン」制作時のアートも公開。初期のころは「M男」や「Mロボ・Sロボ」という名前で制作された時期もあり、このまま製品化される可能性もあったが発売元のキューブから「危険すぎる」として没になった過去も明かした。それ以外にも「OTAMA」や「ONPOO」などの名前があったが没となり、最終的に「オタマトーン」という名前で検索をかけると0件だったことから、製品名として決まった。
明和電機を救った「オタマトーン」。芸術家・土佐信道氏の姿が印象的
これまでの「明和電機」を隅から隅まで振り返ってきた本セッション。アート作品を実際のプロダクトに落とし込む「明和電機」だが、アートばかり作っていた2000年代は「オタマトーン」がなければ、倒産寸前だったことを明かした。
土佐氏は、こういった活動が「死ぬまで続いていくんだろう」と話し、「明和電機」としての活動を続けていくことを明かした。また「今まで作ったものを見ながら、“よう作ったな”とおもって死んでいくんだろう」と話し、芸術家としての土佐信道氏の姿が印象的なセッションとなっていた。これからの明和電機の活動に目が離せない。
(c) Maywa Denki