Game Developers Conference 2009現地レポート

ベイシスケイプ崎元仁氏が語るゲームミュージックコンポーザー概論
オーディオキーノート「ゲーム音楽業界における経験と見識」

3月23~27日開催(現地時間)

会場:サンフランシスコ Moscone Center

 

 GDCの各カテゴリの中でも「オーディオ」は、日本のクリエイターが常に一定のプレゼンスを示している分野だ。今年もその頂点となるオーディオキーノートには、ベイシスケイプの崎元仁氏が招かれ、「ゲーム音楽業界における経験と見識」と題した、これからゲームミュージックコンポーザーを目指す開発者に対して非常にディープなセッションが展開された。

 崎元仁氏は、今や日本を代表するゲームミュージックコンポーザーのひとりである。出世作としては「オウガバトル」シリーズ、「ファイナルファンタジータクティクス」シリーズ、「ベイグランドストーリー」などが挙げられ、その知名度を世界的なものにした代表作としては「ファイナルファンタジーXII」が挙げられる。近作には、2008年にプレイステーション 3向けに発売された「戦場のヴァルキュリア」がある。

 「伝説のオウガバトル」、「タクティクスオウガ」等の作曲を手がけた1990年代当時と、現在では明確に作風に違いが見られるが、いずれの作品にも熱心なファンを獲得しており、オーケストラを駆使した圧倒的なスケール感の楽曲を得意としている。講演は淡々とした語り口で進められたが、その奥には実績と経験に裏打ちされた絶対的な自信が感じられた。

【ゲームミュージックコンポーザー崎元仁氏】
崎元氏の実績を紹介したムービー。オーケストラは「戦場のヴァルキュリア」の収録時のもの。ムービーの中でも個性の重要性を強調している。ムービー後半では作曲を担当したゲームタイトルがダイジェストで紹介されたがもっともビビッドな反応があったのは「ファイナルファンタジー XII」だった



■ “サウンドに詳しいゲーム開発者”時代の制作秘話

ベイシスケイプ代表取締役社長 崎元仁氏。「サンフランシスコは初めて来たが、意外に寒いので驚いた」といって会場を沸かせた
NECのPC8801から話を始めるという超ディープな展開に。欧米中心の参加者にどの程度理解できたのか心配である
スライド下部にあるのが崎元氏のデビュー作「REVOLTER」

 崎元氏のメッセージは非常に明快だった。「ゲームコンポーザーは個性を出すことが大事であり、個性のないコンポーザーは存在する価値がない」。崎元氏はセッションの冒頭でこう結論を切り出し、1時間の講演の中で同じ表現を何度も繰り返した。自ずとセッションの展開は、「個性とは何なのか?」、「技術のほうが大事ではないのか?」という脳内に浮かんだクエスチョンの回答を追い求めるという内容となった。

 崎元氏は、「作曲家はこうあるべきという初心者向けの内容になります」と前置きした上で、デビュー当時のNEC PC8801時代から話をスタートさせた。NEC PC8801は、CPUは4MHz、メインメモリは64KByte、肝心のサウンドはFM音源3チャンネル、SSG(PSG)音源3チャンネル、BEEP音なら1音のみという代物である。

 「FM音源は、ヤマハが作った、キンキンした非整数倍音が出せるというものです。これに替わる音源はないので、今でもVSTプラグインでFM7とかを使っている方もいらっしゃるんじゃないですか。PSGはいわゆるファミコンサウンドのようなピーピーした音ですね。当時はこういうものを使って曲を作っていたんですね」と同時通訳を困らせるような非常にマニアックな話を展開。

 続けて崎元氏は、「これ以前になると、BEEP音といって、PCを起動するときにピーと言ったりしますがあれしか鳴らないコンピュータもありました。1音しか出ない単旋律なんですけど、驚くべき事に一生懸命音楽を書いていた人がいました。1音しか出ない、メロディしか鳴らせないのにどうやって曲を書くのかという(笑)。あんまりピンと来ないし、やる必要もないと思うんですけど、たとえば、分散和音の一種のアルペジオをすごく極端に早くして和音を出したりとか、そういう変態的なことをやってる人もいました。1秒間に400回くらい音切り替えると、それ自体が音程を持ってくるんですね。おおよそ音楽と言えるようなものではない」と当時を冷静に振り返った。

 当時のエピソードとして、岩田匡治(ベイシスケイプ所属のゲームコンポーザー)氏が、自分の部屋でゲーム音楽を大音量で聴いていたら、岩田氏のお母さんが「ウチの息子が狂ってしまった」と嘆かれたという話を紹介。「僕らにとっては素晴らしい音楽だったが、お母さんにとっては単なる危ない音波だった。その曲が雑音か音楽かは人によって違うが、きちんと聞かせる努力はしなければならないということだと思います」とまとめ、当時の空気感を伝えてくれた。

 次に崎元氏は、雑誌にゲームのコードが掲載されてそれを打ち込んで遊ぶ時代だったことや、プロとアマの垣根がなかったこと、パソコンを持っている人はプログラムもできる時代だったことなどを紹介し、自身も音楽を鳴らすためにプログラムを書いていたことを紹介した。「今はミドルウェアが用意されていますが、当時は何もありませんでした。だから自分たちで作るしかなかった。この当時から曲を書かれている諸先輩方は、自分でプログラムを書かれていた。『リッジレーサー』の曲を書かれた細江慎治さんや、『イース』シリーズの曲を書かれた古代祐三さんとかも自らプログラムを書いて曲を作られていました」。

 当時の自身の状況については、「僕らが高校のころに作った『REVOLTER』というゲームが私の作曲家としてのデビュー作。当時17歳ぐらい。懐かしいですよね」と報告し、「僕もこの中で絵を描いています」と意外な事実を告白した。「当時は無駄なことをいっぱいやった。音を鳴らすためにプログラムを書くのは無駄なことだったし、今は曲を書いたり作品の質を上げることに専念できるが、昔は辛かったなというそれだけの話」と簡潔にまとめた。しかし、崎元氏は、当時の制限された環境は、作曲における非常に良い勉強になったといい、「そういう状況を強いられたことはラッキーだった」と良かった面も強調した。

 若手に対するアドバイスとして、「マニピュレートに関して、たとえばドラムを使いたいとします。その中でバスドラムに話を区切っていった場合、なぜバスドラムが必要なのか考えないのではないか。考えるためにはバスドラムは何者であるかという知識がいるし、バスドラムがバスドラムである理由やその効果を発揮する方法も全部考えなければならない。PSGでドラムを鳴らすというのはハナから無理難題のような気がしますが、必要最低限の要素、再現する方法を考えることによって、その機能を果たさせることは可能だと思う。当時はそれを強いられたわけだが、そういう訓練は今の時代も本当は必要なこと」と、限られた環境下で結果を出していく訓練の大切さを強調した。



■ ゲームコンポーザーとしてモチベーションを維持するための方法

崎元氏のキャリア一覧。崎元氏は基本的にずっとフリーランスだが、一時期スクウェア・エニックスに身を寄せていた時代がある
スクウェア・エニックス時代の代表作が「ベイグランドストーリー」。崎元氏はこの1作でサラリーマンに「満足」し、ベイシスケイプを設立した

 本セッションのハイライトといえるのが「仕事を続けるためのモチベーション」に関する話だ。崎元氏自らの経験則による実践的なノウハウが次々に示され、思わずコンポーザーの卵になりきって聴講してしまったほどだ。

 崎元氏は、大前提として「進歩の成果を自分で噛みしめることが大事」と切り出し、そのために「個性を表現しながら、技術を学んでいくことが重要」だとした。この前提を満たすための日々の研鑽が大量に提示された。

 まず、音楽を学ぶために、クラシックやジャズを勉強することはとても大事なことだが、崎元氏によれば、それらは他人が作った他人の感覚による経験則であり、あくまで自分が得た感触や自分が作り上げた経験と、他人の経験は厳密にわける必要があるという。「これは自分の個性を際だたせる過程において絶対に必要なことだと思っている」とまとめ、これがよく聞かれる「個性的な曲を書く秘訣とは何か?」に対する答えだということだ。

 崎元氏は、さらに音楽の聴き方についても言及し、「最初に自分が聞いた感想と、世間一般の評価の予想、プロとしての曲の解析結果の3つを、それぞれ厳密にわけてリンクさせて覚えておく必要がある。ゲームをやって『楽しかった』で終わるのはかまわないが、それでは勉強ではないということです」という。

 “曲の解析”については、「これは音楽に限った話ではないが」と前置きした上で、「手順を踏んでやってほしい。まず、好きな曲を聴き、なぜこの曲が良いのかを考える。自分で仮定を立てて、その仮定を自分の曲でもやってみる。自分で聞いてみて結果を精査する。そこで良い効果が出ていなければ仮定付けから戻ってそれを何度も繰り返す。そのターンをいくつやったかで経験の量が決まってくる。だから意識してやってほしい」と詳しく解説。

 崎元氏は「作曲家としてあるべき論」のまとめとして、「なんとなく綺麗な曲、凄い曲を書く人、技術的にレベルの高い人はたくさんいる。そういうところで勝負するのではなく、この人しかこの曲は書けないという立場を目指すべきだと思っている。技術的な問題は後で学べるし、時間も作れるので、1番最初から個性を発揮する姿勢で作曲に臨むことが重要だと思っている。個性は技術に比べて磨くのに時間がかかるので、意識してやらなければならない。やっていなかった人は今からでもすぐにやるべき」と参加者に発破を掛けた。

 そして来場者の共通の疑問である崎元氏のいう「個性」の定義だが、「変わったものを書くということではない。商業音楽を書くときは、お金を払ってくれる人たちに対して、みんなが喜ぶ曲を書かなければならない。みんなが聞いて不快になるようなものではお金はもらえないので、まずはみんなに喜んでもらうものを書く必要がある。なおかつ、商業主義的な音楽と、個性的な音楽はまったく別物で、両立させられるものだと思っている。突飛なことや不快になるようなことをすることとは思わないで欲しい」とまとめた。崎元氏は、言葉足らずな点を自覚したのか、この部分について「後で話したい」としていたが、時間切れでその機会がなかったのが残念だ。

 崎元氏は、セッションのまとめとして、「ひとつ言いたいのは、私は“ピコピコ”の時代からずっとやってきて痛感しているのですが、技術というものはどんどん変わっていくんです。昔の制作で苦労したことは今は苦労してませんし、これはゲームに限りませんが、時代を超えて愛される音楽というものはある。それはやっぱり、個性が立っていて、商業主義にも合致するもの。その時代時代の流行廃りを取り入れるのもいいが、やってみた程度にとどめておいて、個性的で美しい曲を書くことということを押さえながらやっていくのが重要なのではないかと思っています」とコメントし、セッションを終えた。



参加者にサインを求められる崎元氏。日本人が登場するオーディオ系セッションで毎回見られる光景だ

 質疑応答では、明らかにファンと見られる参加者による長い行列ができたが、いくつかユニークな質問と回答があったのでまとめておきたい。

Q: プログラマから作曲家へ転向したわけだが、昔と前どちらが良いか?

A: 両方好きだが、仕事にするなら昔には戻りたくない。ただ、あえて当時の機材を使うことはある。

スティーブン・スピルバーグは、映画の価値における50%が音楽だと言った。あなたはどう思うか?

A: 映画よりゲームの方が音の効果が高いと思う。映画が50%だとすれば、ゲームは60~70%といっていいのではないか。なぜかというとゲームはインタラクティブなものであって、音に耳を傾けなければいけないシーンが多いからです。

Q: 技術と個性どちらが大事か?

A: ここは言い足りなかった部分。個性は繰り返し重要だといっているが、技術がなければ表現できない。勉強で学べる和声や他人の音楽を学ぶことに関しては、あくまで自分の個性を表現する手段として使ってほしい。どちらが重要かという質問については、人の経験を学ぶことが時間があればできることなので、日々考えなければいけないことは個性を磨くことだと思う。

Q: 作曲の技法について

A: 自然に出てくるものではない(笑)。作曲家によってはいきなり32小節ぐらい思いついたりするらしいが、僕自身はそういう経験はない。絵とか資料とか見ながらひねる出している感じ。かなり苦しんで曲を書くタイプ(笑)

Q: シーンと曲の関係性について

A: ゲームの開発の場合は、ほとんど場面が決まっていて、それに対して音楽を書くということが多い。ただ、見た目通りに曲を付けたらいけないと思っている。たとえば、その場面にいるときにプレーヤーはどんな気分でいるのか、それを想像したり、話の流れの途中で、ストーリーの展開上、先に何かがある場合、それに向けて感情をコントロールしたいはずなんです。「ここに行くまでにこういう気持ちになってほしい」と、より積極的に感情をコントロールするような曲にすることも可能です。そういうふうにやっていったほうがいいんじゃないかと思います。


(2009年 3月 27日)

[Reported by 中村聖司 ]