【特別企画】
TRPG的要素が魅力の「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」
ひらめきと行動が物語を生む、ユニークな"自由度"を持ったシステム
2022年8月12日 00:00
- 【ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット】
- 8月25日 発売予定
- 価格:4,939円(税込)
- CEROレーティング:D(17歳以上対象)
- プレイ人数:1人
「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」は「ドラゴンクエスト」などと同じRPGというジャンルのゲームだ。RPGというとモンスターを倒し経験値を溜め、キャラクターを育て、装備を充実させて行動範囲を拡げ物語を進めていくというイメージがあるが、本来はロールプレイング、つまり"役割を演じる"というのがテーマだ。
本作でプレーヤーが演じるのは「飲んだくれの記憶喪失の刑事」だ。プレーヤーは自分が誰ともわからない、ホテルのど真ん中で酒瓶を抱え裸で倒れている男としてゲームをスタートする。相棒となる別の分署のキム警部補がサポートしてくれることで、自分も刑事であり、殺人事件を解き明かすためにここにいることを知る。主人公はキム警部補と共に様々な場所に赴き、街の住人と会話し、殺人事件の真相へ向かっていく。
「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」の大きな魅力は他のゲームとひと味違う会話やアプローチで展開していくゲームシステムだ。このシステムはTRPG(テーブルトークRPG)的な要素といえる。他のゲームとの違いを際立たせる本作の「TRPG要素」とは何なのだろうか? まずはTRPGとはなにか? というところから説明し、「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」ならではの面白さに迫っていきたい。
複数の人間で1つの物語を即興で練り上げていく、TRPGという遊び
そもそもTRPGとは、「コンピューターRPG」の対比として生まれた言葉だ。ゲーム史から見れば、現在TRPGと呼ばれる「ロールプレイングゲーム(役割を演じるゲーム)」を1人で、コンピューターを使って遊べないか、と生まれたのが「ウィザードリィ」や「ウルティマ」といった最初期のコンピューターRPGなのである。
TRPGのそもそもの始まりはシミュレーションボードゲームに物語要素を組み入れた変則的な遊びからだという。この遊びを発展・整理し、具体的なゲームとして提示したのが1974年にTSRが発売した「D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)」である。「D&D」のルールブックで整理され、ゲームとしての具体的な遊び方が提示されたことで、この新しいゲームジャンルはその後爆発的に進化・発展していく。
「D&D」は1人のDM(ダンジョンマスター、他のゲームではゲームマスター/GMと呼ばれる)と複数のプレーヤーで遊ぶ。プレーヤー達は、魔法使いや戦士など専門技術を持った冒険者を演じる。そして冒険者達が挑むダンジョンや物語をDMが設定する。「D&D」の大きな特徴は"物語をDMとプレーヤー達が共同で作る"ということ。スキルチェックはサイコロで行うが、DMが「絶対倒せない撤退するしかできない敵」を用意しても、プレーヤーが出した奇跡的な出目により倒されてしまうこともある。そうなるとDMは用意してなかったその後の展開を必死に考え提示しなければならない。
DMは物語の舞台や冒険者が挑戦する迷宮を設定しているが、プレーヤーの行動は自由。王が奪取を命じた迷宮の奥の宝物をネコババしたり、独り占めを狙って騙し合いをすることもありなのだ。このユニークで想像力を刺激する遊びはすぐに最初のルールでは足りなくなり、追加ルールや、全く別のルールブックが必要となった。
「D&D」によって生まれたRPGは宇宙を舞台とした「トラベラー」(GDW、1977年発売)、ミステリー要素を強調した「クトゥルフの呼び声」(ケイオシアム、1981年発売)など様々な作品を生み出していく。「D&D」の面白さをコンピューターゲームとして表現しようと「ウィザードリィ」や「ウルティマ」といった作品が生まれ、これらを参考に日本国内でも「ブラックオニキス」、「ドラゴンクエスト」といった優れたコンピューターRPGが生まれた。1980年代のコンピューターゲームが盛り上がる中で、「D&D」や「クトゥルフの呼び声」といった海外RPGが翻訳され輸入されていく。そしてコンピューターRPGと差別化するためにこれらのゲームには「TRPG(テーブルトークRPG)」というジャンルが与えられた。TRPGとは、和製英語なのだ。
筆者はまさにTRPGが大きなブームになっている頃に青春時代を過ごした。日本でのTRPGの第一次ブームは1989年の「ソード・ワールドRPG」の存在が大きい。筆者自身は「クトゥルフの呼び声」といったゲームで様々なストーリーを作るGM(ゲームマスター)として、友達や、時には同好の士が集まる「コンベンション」でゲームを楽しんだ。
繰り返すがTRPGの楽しさはGMとプレーヤーが共同で話を作る、音楽でのセッションのような即興ならではの楽しさがある。話の枠組みはGMが作るものの、その状況でどう考え、どう行動するか、物語の主役はプレーヤー達なのだ。たとえGMが望んだ話の方向でなくても物語は展開していく。こういった自由度の高い即興のストーリーテリングは時には破綻する場合もあるが、うまくかみ合うと想像もつかなかった面白さをもたらす。
筆者が今でも強烈に覚えているTRPG体験はGMとして取り組んだ、自作のシナリオによる友人達とのゲームでのことだ。プレイ前日に、5人のプレーヤー全員に「実は明日のゲームなんだけど、君にだけの秘密任務がある」と電話をしたのだ。本来1つの目的で集まったはずの仲間達が、それぞれ仲間に隠れた行動をはじめる。筆者はGMとしてプレーヤーが干渉しなかった場合のタイムテーブルを作っていたが、各プレーヤーが対立したり協力する動きの中、予想と全く違う物語となった。
最も活躍したプレーヤーはゲームとしての本来の目的も、筆者が与えた秘密任務もぶっちぎり、殺されるはずだった物語のヒロインとハッピーエンドを迎えたのである。TRPGはコンピューターゲームの「用意された物語」とは全く違うストーリーテリングも可能なのだ。TRPGはプレーヤー層がカードゲームなどに移行し、一時期は人気が下火になったが、現在ではコアなプレーヤーを多く獲得し人気を盛り返している。
「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」はコンピューターRPGである。生身の複数の人間が即興で物語を作っていくTRPGとはジャンルそのものが異なる。しかし「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」をプレイすると確かにTRPGのような、GMの裏をかこうとして無茶な提案をしたり、他のプレーヤーの行動に引っ張られたり、非常に確率が低い行動を成功させたりと、かつてのめり込んだTRPGの体験を思い出した。こういった本作ならではの面白さを紹介していこう。
より自由度の高いプレイを! ユニークなゲームだからこそ楽しめるアプローチ
「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」はまずプレイ体験がTRPGでGMと対面してゲームを進めている感覚に近い。グラフィックスはクォータービューだが、主人公が直面している状況の説明はテキストベースで行われる。その表現は簡素なものが多いが、時に写実的で詳細な表現でプレーヤーの感情を刺激してくる。数日放置された死体の腐敗した状況や、飲んだくれた主人公の部屋の描写など、生理的嫌悪をかき立てる描写もある。GMがノリにノって語りかけ、こちらの表情をチラリと見る感覚に良く似ている。
他のプレーヤーはいないのに主人公の周りはとても賑やかだ。何の気なしに視界に入った機械の情報や、歴史人物の詳細、目の前の人物が嘘をついていそうかなどなど、様々な声色や独得の言い回しで語りかけてくる"声"がする。これらは「スキル」なのだ。「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」の主人公にはスキルという名の24の人格があり、彼等はそのスキルで得られた情報を主人公に語りかけてくる。
様々な知識を持っている「百科事典」は主人公がどこで知ったかもわからない専門的な説明で目の前のことを説明してくるし、「演劇」は相手の仕草から嘘を見抜き警告してくる。「知覚」や「聴覚」は見過ごしてしまいそうな小さなことをしっかりと教えてくれる。「内陸帝国」は"直観"だ。必要なもの、時にはゲームのヒントそのもののような情報を教えてくれる。
これらの人格を持ったスキルは、他人には聞こえない声で、主人公の内部から好き勝手に話しかけてくる。複数のプレーヤーでプレイしている実際のTRPGでも、関係ない話や提案などプレーヤーは実に勝手なことを色々しゃべるが、本ゲーム内の主人公はそんなプレーヤーのおしゃべりが聞こえているかのようだ。
また、"本来成功しない行動を成功させることでの大きな変化"もTRPGでは面白いところ。コンピューターゲームではそもそも挑戦できないような行動も、TRPGだとできる。物語序盤で真相の一部を見つけてしまうようなことだ。TRPGでは難しい行動も確率で提示される。「こいつの行動は怪しい、現時点で全く証拠はないけど、直観でこいつが犯人かを調べてみるよ」とGMに提案することもできる。当然そんな超人的な行動は不可能に近いが、"万に一"がある。「いいよ、成功確率は2パーセントだ」。GMの出した確率に、プレーヤーは気合いを入れてサイコロを振る……。
「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」はこういった挑戦要素もきちんと取り入れている。ほとんど成功が望めない確率の低い選択肢が提示される場合があるし、時にはそれに成功する場合もある。もちろんそれだけで謎がすべて解き明かされるわけではないが「低い確率の行動に成功した」という爽快感は大きい。
本作の場合、「腐臭を放つ死体の詳細を知覚でじっくり調べる」という、かなり難易度が高いアクションがある。これを成功しないとゲームが進まなくなるわけではないが、これに成功すると様々な新情報を入手できる。手がかりの少ないプレーヤーにとってかなり魅力的なアクションだ。しかし「耐久力」が低い場合、成功が望めない。失敗した場合はレベルアップを待ち、スキルを上げることでアクションに再挑戦できる。
しかも、ただ機械的に再挑戦するだけでない。死体の周辺や状況を調べたり、耐久力の補正がついた服を装備することで確率を上げることができるのだ。こういった"交渉"もTRPGではよく見る光景だ。状況を改善したり、仲間と協力することで本来の確率よりグッと成功率を上げることができる。プレーヤーの閃きと知識で状況を改善する楽しさを、本作ではきちんと取り入れているのだ。
そしてなにより、ゲーム製作者の想いを探り、じりじりとゲームを進める本作のプレイ感そのものがTRPGを想起させる。コンピューターRPGの場合レベルを上げキャラクターを強くするというのが物語を進める大きな力だが、「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」は、キャラクターレベルの概念はあるものの、これを単純に上げてもゲームは進まない。物語を進めるためのフラグ管理は厳密で複雑だ。どこに行き、何をするか、きちんと考え、やってみて、そしてそれが正解でなければ、出口が見えず堂々巡りになってしまいかねない。
何が正解か、今の状況を突破するために必要なものは何か? 改めてマップを巡ったり、NPCに話しかける。いかにもコンピューターゲーム的な行動だが、実はTRPGでも"ハマる"ことはあるのだ。GMを納得させる行動、物語を進めるためのフラグをきちんとクリアしない場合停滞する場合もある。そしてそこを探し当てたときの爽快感はとても大きい。
「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」は、かなり複雑で入り組んだシナリオが好きなGMによるゲームといえる。主人公は記憶喪失で飲んだくれ、世界は倦怠感と未来への不吉な予感があり、住民達は活気がなく不満をくすぶらせている。
プレーヤーは主人公の「思考キャビネット」に思考をセットし、育て上げることで様々な思想を持った人物に成長させられる。「殺人事件を解決する」という目標と共に、主人公がどんな人物になるかもプレーヤーに委ねられている要素だ。この思考キャビネットによって形成される人物が物語をどう変えていくかも大いに気になるところ。TRPGではできない、「アプローチを変えた複数プレイ」ができるところも魅力だ。
「ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット」はTRPGが持つ独特の面白さを取り入れたゲームだ。もちろん本作とTRPGは全く別なゲームではあるが、この要素が本作に他のゲームでは味わえない独特のゲーム体験をもたらしている。幅広いユーザーにお勧めであるし、TRPGを遊んでいる人には特にチェックしてもらいたい。他のゲームとひと味違う魅力に気づくことができるだろう。
Disco Elysium: The Final Cut ©2022 ZA/UM. Disco Elysium: The Final Cut and ZA/UM logos are trademarks of ZA/UM. All Rights Reserved.