「電遊道」~Way of the Gamer~ ジョン・カミナリの楽しいゲームライフ

ジョン・カミナリの楽しいゲームライフ【第28幕】

イタヲタのレトロなゲームライフ~ジョン・カミナリのハプニング満載オタク人生~

僕のゲーマーとしての人生を懐かしさたっぷりで語っていきたい。毎回、特定の時代をセレクトして、自分の記憶への冒険をしたいと思う。最終的には1つのストーリーになる。僕というオタクのストーリー。僕という和ゲー好きゲーマーのストーリー。文章だけでなく、クライマックスのシーンをもっとダイレクトに伝えるために漫画も使うことにした。とにかく、日本ではありえないシチュエーションについてたっぷり語っていくぞ!

今回の時代設定:
1999年
イベント:
人生初の就職活動!ローマのゲーム出版社に入社!
ハプニング:
ゲームの素材がない!日本のゲームメーカーにコンタクトするのだ!

 1999年。日本文化会館で日本語講座を修了した僕は人生初めての就職活動に専念した。ゲームが大好きだったので、当時、人気沸騰中のゲーム雑誌「PSM」を出版していたローマの出版社に履歴書を送ってみた。そして、1週間も待たずに、「是非、編集部に来て下さい」と、編集長からの返事が来た! 日本語ができる編集者をちょうど探していたそうだ。

 1発で仕事が決まるなんて、夢のようだった。面接では、日本の文章を読んで、イタリア語に翻訳くださいと頼まれた。僕のレベルは高いと判断され、結局、明日から編集部に来て下さいと言われた。ゲームを愛する人にとって、ゲーム雑誌の編集者になるというのは最大の夢なのではないだろうか。あの日、日本のゲームをいっぱい遊んで、そして、日本語をいっぱい勉強してよかったと、最高の喜びを感じた。

 翌日、ローマの中心にあった例の出版社に向かった。僕の人生の中で初の通勤日だった。バスに揺られること1時間。出版社の建物はテーベレ川に面していた。ローマの観光名所から近いし、ゲームの仕事をしつつローマの歴史あふれる町並みも楽しめるなんて、まさに一石二鳥だった。

 編集部に入った僕は早速編集長から僕の仕事場になる机へと案内された。「このパソコンで日本のゲームを紹介する連載記事を作ってね」。僕の最初の任務は、イタリアで初のプレイステーション専門誌だった「PSM」で、日本のゲームを紹介する連載記事を編集することだった。すごいプレッシャーを感じた。果たして僕にできるのかなと、不安の気持ちも入り交じっていた。

「君は『歩く漢字辞典』という評判だろう?できるに決まっているじゃないか?」

 ニコニコしながら、副編集長は僕に励ましの言葉を送ってくれた。

「かしこまりました!最高の連載になるように頑張ります!」

 パソコンでインターネットブラウザーを起動させ、日本のゲームメーカーのホームページを次から次へと検索していった。その中にあったメールアドレスを登録した。そして、自分の出版社を紹介し、素材を送って下さるよう、メールを送りまくったのだ。日本語を生かす絶好の仕事だった。

 入社から半年以上経過した。「PSM」の日本のゲームを紹介するコーナーが読者の間で特に人気を博していた。日本から定期的にスクリーンショットやイラストなどが入ったCD-ROMが届けられ、そのおかげでニュース記事を沢山書ける環境が整っていた。僕の大好きなアドベンチャーゲームやRPGなどを紹介できるなんて、本当に夢のような仕事だったのだ。

 2000年に入ると、出版社が新しいゲーム雑誌を刊行することになった。タイトルは「GAME REPUBLIC」だった。日本語にすると、「ゲーム共和国」。イタリア共和国にぴったりのネーミングだったと思う。そのゲーム雑誌にはあらゆるゲーム機に関連した最新ニュースやレビュー記事などが掲載されていた。イタリアで未発売のゲームの情報も、日本で発表、発売されたばかりのゲームのプレビュー、レビュー記事も、誰よりも早く掲載されていた。だからこそ、日本のゲームメーカーとのコンタクトを担当していた僕はその雑誌の中で重要な役割を担っていた。つまり、イタリア人読者を驚かせるような日本の新作ゲームの素材確保がより一層大事になったのだ。

 特に素材の提供に積極的に協力して下さったのはセガだった。当時、ドリームキャストが編集部の中で沢山のファンを持っており、「GAME REPUBLIC」の翌月号の表紙をドリームキャストの新作で飾りたいと、編集長が僕に頼んだのだった。早速僕は、新作の情報をゲットする為にセガのホームページを開いた。そのページには、大きく、ドリームキャスト用のあるゲームがピックアップされていた。

 そのゲームのタイトルは「ジェットセットラジオ」だった。アニメのようなグラフィックスにびっくりした。見た事のないようなユニークなスタイルだった。ゲーム性も新鮮みに溢れていた。スケートに乗った主人公が、警察の追っ手に気を付けつつ、東京を縦横無尽に滑走し、あらゆる壁にグラフィティを描いていくという、聞いたことのないような斬新なゲーム内容だった。

 早速、素材の提供をお願いする為に日本のセガにメール作成&送信!そうしたら、1日もしないうちに返信が来た!「もちろん素材の提供は可能です」。僕は「GAME REPUBLIC」の次号に「ジェットセットラジオ」の特集記事を掲載し、そして、表紙をそのゲームのイラストで飾りたいという趣旨を伝えると、セガの広報担当者が、「是非、イタリアで紹介して下さい」と、快く承諾して下さった。この仕事を選んでよかったと、幸せの絶頂にいた。

 あの日から2週間ほど経過した。僕を含めた編集者達は締め切りと戦いながら記事を作成していた。すると、編集部のドアが開いた。そこに雑誌を握った社長の姿があった。満面の笑顔を浮かべたまま、編集長のほうへ歩いて行った。

「この表紙、素晴らしいじゃないか!」

 社長は印刷されたばかりの「GAME REPUBLIC」の最新号の表紙をみんなに見せる為に高くかかげた。すると、編集者のみんなが、「すごい!」と一斉に言った。

「あなた、編集長として選んで本当に正解だった!」

 社長は編集長の肩をポンポンと叩きながら、今回の“手柄”を誉め称えた。

「実は、ほら、ジョン君のおかげですよ。高解像度イラストの素材をゲットしたのはジョン君ですよ」

 微笑みながら編集長は僕にウインクした。すると社長は予想外といわんばかりの表情で僕のほうに目線を移した。僕の顔は言うまでもなく恥ずかしさで真っ赤だった。

「ジョン君、ご苦労さん!」

 マフィアのボスを思わせるような強面の社長は僕に向かってそう言い残し、編集部を出た。社長から直接に褒め言葉を頂けるなんて、新人の僕には信じられないような出来事だった。あの日は特に嬉しかった。「ジェットセットラジオ」という素晴らしいゲームが初めてイタリアで詳しく紹介された。どこまで販売に影響を与えたのか分からないが、「ジェットセットラジオ」があれから爆発的な人気を集めていったのは事実だった……。

ジェットセットラジオ

プラットフォーム:
ドリームキャスト
発売元:
セガ
発売時期:
2000年
ジャンル:
アクション

 「ジェットセットラジオ」は、1999年から流行り始めたスケートゲームの日本人によるユニークな解釈として考えられる。スケートゲームにアニメ的な世界やポップなキャラクター、そして落書きを描くという斬新なゲーム性を加えた、日本が世界に誇る伝説的なゲームだと思う。

 「トーキョート」という街を舞台に主人公がスケートジュースを履き、街中を滑走しながら落書きをするというゲーム性が当時話題になり、特に欧米では絶大な人気を博した。「トーキョート」という名称になっているが、もちろん、舞台になっているのは東京の渋谷や新宿などの有名なスポットばかりだ。トーンレンダリング技術によって、アニメのようなポップなキャラクターや世界観が実現した。

 ちなみに僕にとっての初めての渋谷は、「ジェットセットラジオ」を通して体験したのだ。その後、仕事で東京に行くことになったが、渋谷に真っ先に行ってみて、口をぽかんと開いたまま、「なるほど、これが『ジェットセットラジオ』の舞台となった渋谷なんだ!」と、1人でつぶやいたのをまだ鮮明に覚えている。

 「ジェットセットラジオ」はトリックを駆使しながらガードレールなどを滑走するという、スケートゲームの本来の楽しさを提供しつつ、警察の追っ手をかわしながら落書きを描くという緊張感満点のゲーム性を併せ持ったバラエティー豊かなアクションゲームだ。現在に至るまで、iOSやAndroidなどに移植版がリリースされている。当時、リアルタイムで遊ぶことのできなかった人には特におススメしたい1本だ。

【スクリーンショット】

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