【連載第8回】オンラインゲームの楽しさを再認識しよう!


てっちゃんのぐだぐだオンゲーコラム


温故知新の新春特集! 「UO」だからこそ存在したPK
爆殺PKとの出会い。Pacificで暴れた伝説のPKにインタビュー!


 新年、明けましておめでとうございます。突然だが、僕は正月になると必ず思い出す強烈な記憶がある。1998年末、「ウルティマオンライン(UO)」で初めて「PK(プレーヤーキラー)」に遭ったのだ。この記憶は強烈で、1999年の正月はずっとブルーな気持ちで過ごした。そこで今回の「てっちゃんのぐだぐだオンゲーコラム」では、“新春特集”として、「UO」のPKを取り上げたい。

 ゲーム内でプレーヤーがプレーヤーを襲う。現在のMMORPGにもある要素だが、初期の「UO」ではひと味違った。プレイスタイルの1つとして確立し、プレーヤーはPKと関わりながら生きてきた。そこには危険な世界に生きるための警戒心と、安全を得るための試行錯誤があった。PKとのエピソードも様々で、現在のMMOとは違った交流があったと思う。

 PKを個性的なプレイスタイルとして、他の人に印象づけさせるために努力していた人達もいた。今回は、僕が出会ったPKの思い出を語っていきたいと思う。僕は殺される側だったが、今回はPKへのインタビューも行なってみた。北米サーバーのPacificで、サービス開始時期1日に30人以上殺した有名PK「KAF the DooMer」。その正体は、GAME Watchのライター仲間である佐藤カフジ氏である。佐藤氏から、KAF the DooMerの誕生秘話、そして“活躍”も取り上げたい。


■ 「ファンでも殺すんだ」。襲われた時に垣間見た、こだわりのPKの姿

14年目を迎える「UO」。昨年の10月は、海の冒険ができる最新拡張パック「未踏の航路」が発売された

 1998年末、僕が「UO」を初めて2週間くらいの頃だ。お正月を実家で過ごすために、帰省しようとしていた直前に、僕はPKに初めて殺された。そのとき僕は、実家への電車までまだ時間があったので「UO」を少しだけプレイすることにしたのだ。街からそれほど離れていない狩場、ほんの少しスキルを上げておきたい、お金を稼いでおきたい。そういう軽い気持ちでゲームをプレイしたのだ。

 狩場には1人だけ先客がいた。僕はその人の近くで、しかし彼の獲物はとらないように気をつけながら狩りをしていた。そのとき突然「○○ is attacking you!」という赤い文字と共に、矢を撃たれたのだ。ドスッドスッと矢が当たる度に、僕の体力が減っていく。完全に不意を突かれ、なすすべもなく殺されてしまった。初めてPKに殺された瞬間だった。

 僕は幽霊のままそこから走って逃げ、街で裸で蘇生した。「何であの人は突然攻撃してきたんだ。復讐しようにも悔しいけど勝てそうにない。荷物は残したままだけど、戻っていってもう1度殺されるのも嫌だし、とはいえ丸裸にされてしまって、この後どう生きていこう……。何よりも、もう家を出ないと帰省の電車に間に合わない、このイライラした気持ちをどうしよう」という考えがぐるぐる回り、結局そのままログアウトした。実家ではゲームはプレイできず、その年の正月は、殺された記憶を引きずったままブルーな気分で過ごした。人生最悪のお正月である。

 今思えば、そのPKはほんの好奇心だったんだと思う。気まぐれで他人を攻撃できる世界、それが「UO」だった。この後も、ゲームを続けていく中で僕は何度もPKに襲われ、彼らをどう避けるか、出会ったときはどうするか、偵察しているような人への警戒心や、狩りの時の周囲への目の配り方、逃げるための心構えをしておくなど、様々な警戒と対処の仕方を学んでいった。PKはこの世界の自由度と危険を象徴する存在であり、その厳しい世界でいかに信頼できる仲間を作り、生き抜いていくか、それこそが「UO」の面白さだった。

 そんな世界で、印象的なPKにも何人か遭遇した。1番感心させられたのは、「Dynamite Deka」というPKである。僕がいた「Wakoku」サーバーには“Deka”という名前を付けたPK集団がいた。Dekaとはもちろん刑事(デカ)の意味で、Dynamite Dekaはそのメンバーの1人。元ネタは言うまでもなくセガが当時発売していたアクションゲーム「ダイナマイト刑事」だ。僕は仲間とダンジョンで狩りをしているとき、このDeka集団に襲われた。Dynamite Dekaはその名の通り爆弾を投げてきて僕らを殺した。

 当時僕は熱狂的なセガファンだった。Dynamite Dekaという名前を見たときは既に死体になっていたが、「ちくしょー(『ダイナマイト刑事』の)ファンだったのにー」と彼に向かって叫んだ。「UO」では幽霊は幽霊同士でしか会話ができない。生きている人には「OOoo OooOO」といった意味不明な表示にしかならない。どうせ聞いてもらえない。しかしそれでも、同じセガファンであろうDynamite Dekaに一言声をかけたかったのだ。ところが、Dynamite Dekaはくるりと振り返ると……。


イラスト:ミズノ マサト

「ごめんね、ファンでも殺すんだ」

 と、一言、すたすたと去っていったのだ。僕は一瞬あっけにとられ、そして猛烈に感心した。「UO」をやった人でなければ、彼がいかにユニークなキャラクタービルド、ロールプレイをしているかわからないだろう。幽霊の言葉を理解するためには「スピリット スピーク」という、「OOoo OooOO」という幽霊の声を聞くためだけに必要なスキルを上げる必要があるのだ。彼はそれをきちんと上げ、犠牲者の怨嗟の声に耳を傾けているのだ。

 PKは人を殺すためにも対人戦用にスキルを組み立てていかなくてはならない。人を殺すためには、高い対人用スキルが必要だが、「UO」ではスキルの合計値は決まっており、上げられるスキルは限られている。当時のスピリットスピークは本当に幽霊の声を聞くためだけのスキルで、PKにはまったく役に立たない一種のネタスキルだ。それなのにDynamite Dekaは名前の通りに爆殺PKとしてキャラクターを作っていただけでなく(もっともセガの「ダイナマイト刑事」はそういうキャラクターではないが……)、犠牲者の声を聞くためだけにスキルを上げていたのだ。PKとしてのこだわり、ある意味での「かっこよさ」を確かに感じた。今でも覚えている強烈な出会いだった。

 他にも、印象的なPKはいた。ある時は、狩場に突然現われたPKが、逃げようとした僕たちに「待ってくれ、今日は雑談がしたいんだ」と話しかけてきて、僕らは半信半疑のまま、結構長い時間雑談していたこともあった。どんな話をしたかは覚えていないが、「いきなり襲いかかってきたりして、他のPKを呼んでたりしているかも」と心の隅で考えてちょっと緊張していたことは覚えている。狩場にリコールで飛んできた人が、PKの姿を見て、あわててもう1度リコールして逃げていく、というのが面白かった。正直に言えば、PKとのほとんどの出会いは、出会った瞬間殺され、「運が悪かったな」と反省してすぐに忘れる、殺伐としたものがほとんどだ。しかし、時には、殺す、殺されるだけでなく、こんな交流もあったのだ。

 このように、「UO」のPKは様々なエピソードを生み出す面白いプレーヤーがいたし、タフなPKは名前が知れ渡る有名人だった。有名PKに殺された話でも友人との間で盛り上がれた。その後「UO」はPK不可の世界「トラメル」が生まれ、PKに会わなくても狩りや生産活動が行なえる環境が用意された。確かにプレイしやすくなり、資産も貯まるようになったのだが、かつてのような殺伐とした世界を生き抜く熱気という、「UO」にとってかけがえのないものを失った気がする。

 「UO」の混沌とした世界から生まれたMMORPGは、その後多くのゲームが生まれ、ゲームのジャンルとして確立していった。ゲームのプレイスタイル、面白さの提示、ルール……10年以上の歴史の中で、新しい価値観と、手法が生まれ、MMORPGは今も進化し続けている。しかし、隣の人がほんの気まぐれで突然襲いかかってきたり、有名PKがエキセントリックなプレイスタイルで活躍するような世界は、もうないのではないか。MMOというジャンルの最初期だったからこそ生まれた世界だったかもしれない。今でも「あの頃はとても面白い体験をしたなぁ」、と時々振り返ることがある。


■  特別インタビュー、Pacific有名PK「KAF the DooMer」

KAFの活動地域はブリテイントリンシック周辺がメインだったという。写真は鉱山の街ミノック。この街周辺もPKの名所だった

 今回のお題はPKということで、北米サーバーのPacificで有名PKとなった「KAF the DooMer」こと、佐藤カフジ氏にインタビューを行なってみた。

 KAF the DooMerが「UO」にデビューしたのは北米でのβテストから。βサービス最終日にNPCと間違えて人を殺したのが初体験で、「やっちまった」という想いから、「正式サービスではPKとして生きよう」と決心したという。FPS仲間を中心とするギルドを結成してコツをつかみ、正式サービス時には「闇スパーリング」と称して、仲間同士で殴り合い、魔法使いはそれを回復することでわずか数日でスキルを限界まで上げた。

 剣術を極めたKAF the DooMerの次の目標は「家」。家を手に入れるには大金が必要となる。このお金を得るために彼が選んだのがPKの道だ。トリンシックの南で、森に秘薬を取りに行く人や鹿や熊を倒している人を次々に襲い、彼らの持ち物を根こそぎ奪った。「UO」では何人か人を殺すと名前が赤くなり、街に入れなくなる。彼は最初そのことも知らなかった。街に入れなくなってからは全財産を宝箱に入れて持ち歩き、他人の家の影に全財産を隠して暮らしていたという。

 ため込んだアイテムはギルドメンバーに頼んで街で売り払い、自分は森の中で隠れてテリトリーに入る人間を狩り続けた。宝箱は重くなりすぎて持ち運べず、時には逆襲されて全財産を失うこともしばしばだった。丸裸になると、まず釣り人のような弱い人を殺してナイフなどを手に入れ、徐々にいい装備の人を狙って殺して装備の充実を図っていくという方法で復活を果たしていたことから、「わらしべPK」と自称していたこともある。街に近づかない山賊そのままの生活をして、1日平均で30人以上を狩り続けた。1週間もすると、「KAF the DooMerというPKがいる」ということが有名となり、PKK(PKキラー)に狙われるようになった。

 KAF the DooMerの戦い方はハルバートを持ち、テンキーで細かくキャラクターを動かしながら相手の周りを動き回る、というもの。相手にターゲッティングさせない動きで敵を翻弄し、5人を相手に立ち回り勝利したこともあったという。あまりの強さに「不正しているんじゃないか」と疑われ、GMを呼ばれて装備品をチェックされ、「問題なし」とお墨付きをもらったこともある。悪名が高くなるにつれ、所属ギルドが感化されて次第にPKギルド化していった。他の有名PKギルドに勧誘されるようにもなったという。

 PKギルドとして砦を持つまでに至ったが、彼のミスで敵に侵入され、砦中のアイテムを奪われたことがあった。その時は、「全裸でくつろいでいたら乱入されてヘルメットだけかぶって死亡」という状態だったという。その後砦を襲撃したギルドとの抗争にも発展した。しかしその頃には彼のプレイ熱は冷めていった。ゲームのルールが変わり魔法が強くなったりバランスの変化もあり、KAF the DooMerが活躍したのはわずか3カ月だった。佐藤カフジ氏は「あの頃の『UO』は何をやってもロールプレイになりました。世界の中で役割を果たすことで、周りの人達の反応が変わる、山賊PKとしてロールプレイができました。まさに山賊そのままのメンタリティーでプレイできたのは、今のゲームではできない体験だったと思います。メンバーに助けてもらったのもいい思い出です」と語った。

 僕自身も友達と「山賊みたいなPKはやりたいよな」と話していたことがあった。僕がPKをしなかったのは、プレーヤースキルも要求されるし、街でリラックスしてお喋りが楽しめなくなるなど、後戻りできない「殺人者」として生きる覚悟がなかった、という点が大きかった。そこを突き抜け、悪漢として生きた佐藤氏の話は痛快な感じがある。PKは殺された人にとっては恨み骨髄だし、やっぱり是非を問いかけたくなる部分はあるが、佐藤氏のように、悪役として生きていくというプレーヤーも存在するという“幅”が、世界をより過酷で危険な世界としていたのは間違いない。現在は多彩なゲームがあり、ユーザーはPKのいないゲームも選べる。しかし、「UO」初期はそんな選択肢はなく、プレーヤーは否応なく過酷な世界と直面させられた。だからこそ、「あの頃のUO」を体験した人にとって、PKは特に思い出深いものなんだと思う。



■  てっちゃんの割とどうでもいい話 「毒を飲み、青い顔に笑みを浮かべてスキル上げ」

写真はクッキングスキル。スキルを上げるには大量の食べ物を作る必要がある

 KAF the DooMerは仲間達で殴り合って戦闘系のスキルを上げていたと言うが、「UO」のスキル上げは同じ動作の繰り返しになる。マクロを組んで、キーボードを押しっぱなしの状態で、自分が寝ている間にスキルを上げるいわゆる「寝マクロ」でスキルを上げる人も多かった。寝マクロは当時も「規約違反行為」で取り締まりの対象となっていたが、こうでもしないとスキルが上がらないという1面は確かにあったし、単純な繰り返し作業を強いるゲーム性そのものはどうなのかという議論もあった。その後、そういうことをしなくてもスキルが上げられるようにシステム自体が改変された。

 僕がやった単純作業の繰り返し系のスキル上げで、最も奇妙と言えるのが「ヒーリング」だ。包帯で傷を治すスキルで、戦士の必須スキルだ。スキルを上げるためにわざと怪我を負って、それを治すことを繰り返さなくてはならない。ここで思いついたのが「毒」だ。さらに他の人に包帯を巻くと自分で治療する時間の半分で効果が現われる。

 そこで、僕は友人と向き合って立ち、お互いが1番弱い毒を飲んで、徐々に体力が減る中、相手に包帯を巻き合うことでヒーリングスキルを上げていった。リアルで考えると、かなり気持ち悪い光景である。お互い毒で顔色が悪くなり、手は小さく震えながらお互いに包帯を巻き合う。こんな状態なのに効率が良いので顔は間違いなく笑顔だ。僕の「UO」での思い出には、こんなちょっと不気味な光景もある。



~今回ぐだってしまったオンラインゲーム~

「ウルティマオンライン」

運営主導、プレーヤー主導のイベントは現在でも行なわれている

 北米で1997年よりスタートしたMMORPGの元祖「ウルティマオンライン」は、1998年には日本サーバーでの運営がスタートし多くのプレーヤーに強い衝撃を与えた。多数のプレーヤーが1つのワールドを共有し、スキルを伸ばすことで魔法使いや剣士、武器職人など自分の目指すキャラクター像に育て上げることができる「UO」は、これまでのゲームとは違う新しい楽しさをプレーヤーの前に提示してくれた。今回の記事の通り、プレーヤーを襲うPK(プレーヤーキラー)等も可能で、PKのプレイスタイル、PKKの存在の是非など様々なテーマでの議論も行なわれたが、様々なことが可能な「自由度」こそが本作の最大のウリであり、プレーヤー達は過酷な世界での生き方を確立していった。

 その後、PK不可の世界や新世界の追加など頻繁なアップデートが行なわれ、「UO」は大きく世界を変えていった。3Dグラフィックスのクライアントの導入や、「ネクロマンサー」、「忍者」といった新職業が追加されていった。2010年10月13日には最新拡張パック「未踏の航路」を発売。大砲を積んで強化された船で、海の冒険ができるようになった。公式ページでのイベント告知なども盛んで、現在も遊ばれ続け、進化し続けている作品である。


【スクリーンショット】
森、山、ダンジョンに海、「UO」の冒険の地は広大だ

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(2011年 1月 11日)

[Reported by 勝田哲也]