西川善司の3Dゲームファンのための「バイオハザード5」グラフィックス講座(後編)
MTフレームワーク1.x世代の完熟グラフィックスが魅せる新表現とは?


4月収録

会場:カプコン本社




 「バイオハザード5」グラフィックス講座の後編では、ここ最近の本連載でも取り上げる機会が増えているグローバル・イルミネーションのテクニックについて触れる。また、今や3Dゲームグラフィックスの定番メニューである「影生成」、「水面表現」における「BH5」ならではのユニークな実装方法、そして気になるPS3とXbox 360版の違いなどについて見ていくことにしよう。


【バイオハザード5】
「バイオハザード5」のプロローグシーン


■ 「バイオハザード5」におけるグローバル・イルミネーション・テクニック

 今世代の3Dゲームグラフィックスは環境光の取り扱いを重要視する傾向になりつつある。シーンに配置された光源からの直接光からの照明だけでなく、そうした光源達が複雑に反射してその空間に充満することになる間接光にまで配慮した照明効果を実現しようとする動きが活発になっているのだ。

 こうした複雑な照明効果は大局照明(グローバル・イルミネーション)と呼ばれ、しばしばGIと略される。「GIへの配慮」と、口でいうのは簡単だが、現在のリアルタイム3Dグラフィックスの標準レンダリングパイプラインでは、直接光からのライティング手段しかない。よってGIを実行に移すためには、何か特別な手法を実装しなければならない。

 GIの最も定義通りの実装は「レイトレーシング」などの手法になるのだが、これをリアルタイム3Dゲームグラフィックスで実装するにはまだ現状のGPU性能は不足しているため、事前計算を用いた疑似的なGI手法が現在の主流だ。日本のタイトルで、この疑似GI手法についてかなり真剣に取り組まれたものとしては「ソニック・ワールドアドベンチャー」がある。こちらは本連載でも取り上げたことがあるので、基礎的なことはそちらを参照して欲しい。

 「BH5」では、プレイ体験としてはとてもダイナミズムに富んだステージ構成を体験できるが、実はこれはレベルデザイン(ステージデザイン)の巧みさによるもので、実際には意外にこぢんまりとした箱庭的な作りになっている。つまり、プレーヤー自身は自由行動をとっているように思えても、実はゲームシステムの手の平の上で転がされている。言葉の聞こえは悪いが、逆にこれはデザイナやアーティストがコントロールしやすい作りともいうことができる。

 「BH5」では、プレーヤーが立ち寄ることが確実で、しかも印象的なビジュアルをプレーヤーに見せやすい箇所に、手動で環境光の設定を行なっている。演劇の舞台や映画セットで、要所要所に環境光が仕込まれているイメージだ。実際には、ステージ中の要所要所に影響範囲を設定し、その影響範囲を支配する環境光が設定される。

 その環境光自体は、開発時のMTフレームワークのツール上でキューブマップ(6面体構造の全方位テクスチャ)構造で設定され、影響範囲に入った3Dオブジェクトに対して全方位6方向からの環境光を与えられる形になっている。キューブマップ自体はそのシーンに与えられた動的及び静的な光源からの影響を、まじめに大局照明計算を行なって事前計算して作成しておくことが基本となる(デザイナの手作りキューブマップでも構わないが)。

【キューブマップ】
左はキューブマップの影響範囲を可視化したショット。囲みのある部分では特別に設定された全方位環境光があることを表している。中央がシーン内に設定されたキューブマップの一例。右がファイナルショット

 「BH5」のステージ構成がいくら箱庭的とはいっても環境光を与えるキューブマップは無数になるので、これを実態のキューブマップのままオンメモリ管理するのはつらい。そこで「BH5」では、キューブマップ環境光を9個の(係数を与えた)球面調和関数で近似表現して実装している。

 球面調和関数についての基本的な概念は本連載の「KILLZONE2」編を参照して欲しいが、簡単に言えば全方位の放射状のエネルギー分布を近似化して非可逆圧縮するメソッドのこと。「BH5」の場合、9個の係数をRGB分格納できれば、多少大ざっぱにはなるが全方位からの環境光を復元できるのだ。

 実際のランタイム時でのライティングはどのように行なっているのだろうか。単純に考えて思いつくのは、9個の係数から球面調和関数(SH)を用いて環境光キューブマップを復元して、これを用いてイメージ・ベースド・ライティング(IBL:Image Based Lighting)を行なう手法だ。

石田氏「そうではなく、キューブマップには戻さない手法を実装しています。SHライティングは、こちらの手法の方がより一般的です。原理的にはスタンフォード大学のRavi Ramamoorthiらの『An Efficient Representation for Irradiance Environment Maps』の手法を採用しています。この手法では3次の(9個の係数の)球面調和関数からピクセルシェーダーで全方位の環境光を復元し、陰影処理対象ピクセルの法線に対応した環境光を取得できます。9個の係数であれば10命令ぐらいで展開できるとはいえ、キューブマップに戻したほうがピクセルシェーダーのコストはより少なくなります」

 石田氏によれば、SPUなどでキューブマップが作れるのであれば、GPU負荷の少ないキューブマップに戻す手法を採択するのもありではないかと分析する。ちなみに、PS3専用の「KILLZONE 2」は、SPUでキューブマップに戻す手法の方を採択している。

【SHライティング】
テクスチャメモリを使わず球面調和関数から直接欲しい方向からの環境光を取り出せるメソッドを実装している

カプコン第一プログラム制作室プログラマーの上田幹夫氏

 ところで、シーンによっては、特定の環境光キューブマップが与えられるエリアとそうでないエリアがある。特に屋外などでは特定のキューブマップが適用されていないエリアが多いのだが、こうしたエリアは、グローバル設定された環境光キューブマップが採択される。具体的には、屋外の場合のこうしたグローバル環境光キューブマップでは、天井方向からは天球光、地面方向からは地面の照り返し光のようなものが設定されていることになる。

 また、隣接している環境光キューブマップ同士の間に3Dオブジェクトが立った場合などは、両者を表す球面調和関数の係数同士を補間した球面調和関数を用いて前出の全方位環境光メソッドを利用している。

上田幹夫氏「環境光以外の静的な光源も、影響範囲の設定と共に細かく置いています。例えば、小屋から屋外を見たときのブルームの出方などもデザイナーの調整がなされています。『BH5』の場合は、物理的に正しい照明というよりは、印象的に見えやすいライティングを心がけていたために『デザイナー視点で正しい照明』を重視しています」

 環境光については、本連載でも取り扱った「メタルギアソリッド4(MGS4)」の手法とよく似ている。もちろん、「事前生成したキューブマップを球面調和関数で持っておく」という実装レベルでの違いはあるが、ステージ中の環境光の配置と、その影響範囲までの設定をデザイナーが行なっていくという制作スタイルは相通じるところがある。「MGS4」と「BH5」はゲームジャンルこそ違うが、映画的で印象的なライティング結果を見せたいという制作者側の意図を重視する部分において非常に近いため、こうした似たようなライティングコンセプトになったのであろう。

【球面調和関数による環境光ライティング】
左が球面調和関数による環境光なし。右が球面調和関数による環境光あり(ファイナルショット)



■ リアルタイムレンダリングをわざとプリレンダー風に見せる?~フィルム的な質感を与えるテクニック

「テレビノイズ」テクスチャの種。これを乗算α合成してフィルムグレイン効果を出している

 「BH5」ではレンダリングされた映像をそのまま表示しておらず、ポストプロセス的な処理によりフィルム的な味わいを付加している。これは映画などでもしばしば用いられる手法で、色味や階調を「アーティスティックな作風」として調整するテクニックになる。「BH5」では、この映画的な質感を出すためにクロマフィルタ、階調補正、コントラスト補正、輝度補正などをリアルタイムフィルタの形で実装して適用している。

石田氏「ロストプラネットの時は4つくらいの独立したフィルタとして実装していたので、あまり贅沢に使えなかったのですが、「BH5」では1つに統合実装することで負荷をロストプラネット時の1つ分くらいの負荷に低減することで積極的に活用できるようになりました」

平林氏「フィルムの劣化による映像外周付近の赤墨感や、周辺減光(映像の四隅付近が暗くなる、レンズで捉えた映像特有の現象)などの効果も入れてます。これはシンプルにそういう描き割りのテクスチャを用意して適用しています」

 前半でも少し触れたが、「BH5」では、ムービーシーンに薄くフィルムグレイン(銀塩フィルムの粒状性に起因する粒子状ノイズ。あくまで“ノイズ”なのだがフィルムらしい味わいとして好意的に捉えられる場合がある)のようなノイズを挿入している。これが、フィルムっぽい質感に拍車を掛け、場合によっては動画圧縮ノイズのようにも見え、わざと「プリレンダームービーなのか」というような“ミスリード”までを誘っている。

 筆者は勝手にフィルグレイン効果だと思い込んでいたのだが、開発チームでは「テレビノイズ」という名前の効果として適用していた。これは、用意したランダムノイズのテクスチャに対し適当にテクスチャアドレスをアニメーションさせつつ乗算α合成をしているだけのものだ。単純かつ地味だが、前出の光学的劣化効果やフィルム劣化効果などとの複合技で、視覚効果としてはかなり、アナログな風情を感じさせてくれる。

 「BH5」では、おまけで、ムービーシーンだけでなく、ゲーム本編も、このテレビノイズを最大に掛けてプレイできるモードが用意されているので、興味がある人は試してみよう。

【テレビノイズ】
上段の左から順に「フィルム効果オフ。TVノイズオフ」、「フィルム効果オン。TVノイズオフ」、「フィルム効果オン。TVノイズオン」。下段はわかりやすいように細部を拡大したもの。色味やざらつき感が付加された点に着目したい



■ さりげなく進化した「BH5」における影生成

 「BH5」における動的な影生成はベースとしては「ロストプラネット」と同じデプスシャドウ技法の改良型の1スタイルで知られる「ライト・スペース・シャドウマップ」(LSM:Light-Space Shadow Maps)技法が採用されている。LSMについては、本連載のXbox 360グラフィックス/物理エンジン講座にて詳細に紹介しているのでそちらを参考にして欲しい。

 「ロストプラネット」では1,024×1,024テクセルのシャドウマップをシーンの遠、中、近の3つの領域に分けて生成するカスケード拡張が実装されていた。「BH5」では、シーンによってはこのロストプラネットと同じカスケードLSM技法が採用されているが、多くのシーンは基本的には単一のシャドウマップになっているとのこと。  「BH5」の場合は、ロストプラネットのようなやたら見通しのよいシーンよりは遮蔽物の多いシーンが主体なのと、後述する静的な影焼き込みをも組み合わせているため、このようなチューニングになっているのだろう。ちなみに「BH5」のシャドウマップ解像度は基本は1,024×1,024テクセルで、ムービーシーンでは512×512テクセルの場合もあるという。

【影生成】
BH5ではシャドウマップを用途別に2枚生成している。中央と右の図は用途1用シャドウマップと用途2用シャドウマップ

 全てではないが、多くの動かない静的な背景オブシェクトについては、動的な影生成ではなく、事前に頂点に焼き込んでおいたり、ライトマップとしてテクスチャに焼き込んでおいたりするような、事前生成の影も併用されている。

 それ自体が動くことのない家屋や壁などの影などは事前生成の焼き込みになるわけだが、そうした場合でも、その影付近に動的キャラクターが入り込めば、ちゃんとその家屋の影は動的生成されて、その動的キャラクタに落ちるようになっている。実は、必要に応じて家屋側の動的シャドウマップ自体が生成され、動的キャラクタへ投射しているのだ。影生成エンジン部では誰が誰にどう影を落とすかといった制御を行なっており、逆に、静的な背景オブジェクトの動的な影が、焼き込みの影に二重投射されることはない。

【影生成】
左は頂点カラーのみの画面。一切の影無し。右は頂点カラーとライトマップのみの画面。テクスチャベースの焼き込み影が見える
左は頂点カラーとライトマップに、動的影生成を加えた画面。右は最終画面
左は静的オブジェクトの動的生成影をキャンセルしたショット。足元の地面に落ちている影は事前生成された焼き込み影だ。右は静的オブジェクトの動的生成影が投射されたファイナルショット

 筆者が「BH5」の影生成に関して最も感銘を受けたのは影の色についてだ。開発チームは「ロストプラネット」の頃の影生成と基本的には同じ処理と説明するが、細かく見ていくと、実は「BH5」の影はさりげなく進化している。

 「ロストプラネット」の時は、LSMで生成された影を、投射先へ影色を乗算して描画するだけなので、影は“暗くなるだけ”であった。ところが「BH5」では、影の部分にちゃんと環境光があたるライティングが行なわれるようになったのである。ソフトシャドウというと通常は影のエッジがぼけた影のことを言うが、「BH5」の場合は影の色がリアルに淡いのだ。

 動的生成されるはっきりとした影は、これはその場所の代表光源が作り出すものだ。この影は代表光源からの光が遮蔽されて出来たもので、間接光(すなわち環境光)の影響は受けていてもよいはずだ。これまでの多くのリアルタイム3Dゲームグラフィックスにおいては、明るい部分においては直接光と環境光によってライティングされているのに、動的な影生成エンジン部によって生成された直接光による影の部分は本当に光の当たらない“影”としてしまっていた。実装例として最も基本的なのは「真っ黒な影」で、もうちょっとマシなのは、ライティングが終わった結果に対して影の部分を暗くするやり方だったが、これは環境光によるライティング結果までを一様に暗くしてしまうため、影色が支配的に出てしまう。

 「BH5」では、この影描画の部分を進化させている。具体的な実装としては、影生成エンジン部で生成した影領域を、マスクとして出力し(シャドウマスク)、ライティングエンジン部はこのシャドウマスクを見て影として判定できる部分においては環境光のライティングだけを行なう。

石田氏「『BH5』は特に影が多いゲームなので、『ロストプラネット』と同じやり方だと本当に真っ暗になってしまうんです。それに、この方が物理的には正確なライティングになりますからね。シャドウマスクは半透明材質向けの影マスクと不透明材質向けの影マスクを分けて生成し、それぞれに適したライティングを行ないます」

【影マスク】
青になっている部分が通常の影マスク、赤になっている部分が半透明用の影マスク

 これにより、「BH5」の影は、ただ一様に暗く描き出されるのではなく、“影”の中にも豊かな陰影が現われるのだ。あまりにもリアルで自然で特別に見えないかも知れないが、主人公キャラクタのセルフシャドウなどを注意深く観察してみよう。胴体に投射されている腕の影がただ暗くなるだけでなく、その場の環境光に照らされて柔らかい陰影も見せているはずだ。影になってないところよりは確かに暗いが、非常に豊かな色味を伴った明暗に気が付くことだろう。

上田氏「影のエッジのソフトシャドウ化については、基本は2×2や3×3の近傍比率フィルタリング(PCF:Percentage Closer Filtering)によるボカシ処理を実施しています。また、デプスシャドウ技法で問題になりがちな影の階段状のギザギザしたノイズについては、古典的なシャドウマップにバイアスを掛ける手法の改良型を導入しています」

 デプスシャドウ技法では光源から遮蔽物までの距離を記録したシャドウマップを生成し、これからレンダリングするピクセルの深度値(を光源までの距離に変換した値)とそのシャドウマップに記録された値を比較し、そのピクセルが遮蔽物の内外を判定する。そして「内側なら影、外側なら光が当たっている」と判断される。しかし、量子化ノイズとも言うべき誤差が影の境界付近の判定を誤らせ、描画結果としてのノイズを生む。このノイズ低減のために、古典的手法として、シャドウマップ生成時に少しバイアスを付加して、判定がきわどくなるところの判定を明確化してやるというテクニックがある。

石田氏「通常の方式ですと、こんな感じで『shadowmap_z < z? 1 : 0』。シャドウマップの深度よりも手前か奥かの二値情報になります。『BH5』では、シャドウマップ側の深度と、レンダリングするピクセル側の深度とが、どの程度離れているかを、こんな感じで『shadowmap_z < z? 0: saturate((z - shadowmap_z) / weight )』。0~1の値で表します。この式が1サンプル分を表していて、これを4(2×2)サンプルなり、9(3×3)サンプルのPCFと組み合わせています」

 原理と実装は違うが、影に入っているか否かの判定を実数で返して、影エッジ付近を滑らかに生成するというコンセプトは「Unreal Engine 3」などで採用されている、「バリアンス・シャドウマップ技法」(VSM:Variance Shadow Maps)とよく似ている。

石田氏「この処理はRSXの4点の同時比較付サンプリングという機能を使って高速化できないため、PS3では省いています」

上田氏「PS3では影の階段状ノイズ低減のためにはバイアスを強めに掛けるだけの手法で対処していますので、微細な凹凸の影描画が一部省略されることがありますね。ソフトシャドウの処理としてはXbox 360と同じく4点ないしは9点のPCFです。結果として生成される影の実態はXbox 360版の方が大分滑らかにはなります」

 まとめると、通常の技法(PS3版)では影か否かを判定する際の判断材料を「遮蔽されているか否かの二値判定」とするが、Xbox 360版では遮蔽されているかどうかをパーセンテージで返す実装になっている。これにより影の輪郭付近では影の最も暗いところから影になっていない明るい部分までを滑らかなグラデーションで繋ぐことができる。

 ここにさらにPCFによるボカしと組み合わせている。2×2の4点PCFのケースで喩えれば、PS3版は4個分の0か1の2値影をぼかすことになり、Xbox 360版は4個分の0~1の実数影をぼかすことになり、ボカした結果の滑らかさも違ってくるわけだ。

【影のエッジのソフトシャドウ化】
左はPCFなし。ジャギーが目立つ。右はPCFあり。ジャギーが低減されソフトシャドウ効果が出る。


■ 目立たないが凄い「BH5」の水面。ハイテクとローテクの一級品コラボ

さざ波の法線マップを可視化したショット

 「BH5」では、寄生生物に汚染してしまった湿地帯のネイティブ・アフリカンの村で、主人公達がワニの棲息する沼へ入ってゆくシーンがある。これはシナリオ上としても水面と強くインタラクトするシーンであり、水面の表現が、これまでのいかなるMTフレームワークベースのゲームよりも重要視される局面となった。「BH5」の水面表現は、基本的には近代3Dゲームグラフィックスの模範的な実装例を採用している。

 さざ波は、テクスチャベースの波動シミュレーションを行なって動的な法線マップを生成して表現している。自然発生的なさざ波は波動シミュレーション用のテクスチャに波紋などの“種”エフェクトを書き込んで発生させ、動的キャラクタとの水面のインタラクションも同様だ。ライティングは水面反射モデルの定番であるフレネル反射を採用し、視線と水面の織りなす角度に応じて、周囲の情景を映す鏡像と、水底の様子を滑らかに合成して描き込んでいる。

 なお、鏡像は動的生成された環境マップとなっており、主人公キャラクタをはじめとした各種動的オブジェクトがちゃんと映り込んでいる。この動的鏡像表現は「ロストプラネット」では省略されていた部分だ。沼のシーンでは、濁った水の雰囲気を出すために水底方向にフォグがたかれていて水底の様子が見えにくいが、携帯ライトを持ちながら洞窟を進んでいくシーンでは、水底がちゃんと見えるはずだ。

【水面表現】
水面無しの状態。水底の様子がそのまま見えている水面が素ポリゴンの状態
素ポリゴンの水面に法線マップによるさざ波とフレネル反射を適用した状態左からさらに屈折を有効にした状態
水面に映る情景(鏡像)を有効にした状態濁りと深さを表現する水中フォグを焚いた状態。完成画面

エアーボートの波はデザインワークスで作られた仕込み系エフェクト。言われなければわからない?

上田氏「水底は、水面をなくしたレンダリング結果をただ水面で動かす簡易的な手法ではなく、ちゃんと視線を屈折させて、屈折された情景が描かれるように『屈折マップ』を生成していますよ。あまり気づいてもらえませんが、ここは声を大にして言いたい(笑)」

 敵が乗るボートに船上の主人公2人が追われる水上のボートチェイスシーンでは、ボートが掻き分けたド派手なジオメトリレベルの背の高い波が生成されるが、これはどういったものなのだろうか。

上田氏「実はこれ、職人技でして、アーティストが作った頂点アニメーションなんですよ(笑)。つまり、ボートの周囲にエフェクトとして発生させているという。これの極まった形態が、水上のボス「アーヴィン戦」です。このシーンでは嵐が吹きすさび、大荒れの波が印象的ですが、実は100個以上のボーンが水面に仕込んでありまして、これを反復的に動かしてボーンスキニングの波となっております(笑)」

 「BH5」ではジオメトリレベルの波は全て波動シミュレーションによるものではなく手付けというか事前生成された頂点アニメーションなのだ。どう見ても「嵐の荒波」にしか見えないが、実態はアーティストの仕込みの波なのだ。映画でもゲームでも、それっぽく見えることが正解であり、またそれが“勝ち”であるわけで、これは原始的な手法ながら面白い。再度プレイするユーザーはこの点を意識して水面を見ると別な意味でニヤリとしてしまうかも知れない。面白い種明かしだ。

【屈折マップ】
左は屈折オフ状態。右は屈折オン状態。ちゃんと視線が折れ曲がる方式で屈折を処理しているため、水面下のキャラクター達の足が短く見えるところに注目!

【アーヴィン戦】
アーヴィン戦の水面のワイヤーフレーム表示。下段には衝撃の事実が隠されている。実はあの波はボーンで制御されていた!


■ 気になるPS3版とXbox 360版の違いは?

カプコン技術研究室室長の伊集院勝氏

 「BH5」のPS3版とXbox 360版は「見た目が同じ」を基本コンセプトに開発されているが、影生成の項でも触れたように、ハードウェアの得手不得手から細かい部分での相違点はある。

 まず、Xbox 360版はダブルバッファの30fpsを採用している。上限30fpsで打ち止めにして負荷の高い例外的なシーンを除けば30fpsを維持できている。PS3版は可変フレームレートになるが、トリプルパッファを採用しているため、フレームレートが落ち込んだときにも粗が目立ちにくい特長を持つ。

 ダブルバッファは表示しているフレームとレンダリングしているバックフレームの2元構成のレンダリングメソッドで、トリプルパッファはバックバッファをもう1枚持つメソッドだ。ダブルバッファでは2つのバッファでやりくりする関係上、ディスプレイ側のリフレッシュレートに同期した表示モード時には、同期待ちの間に次のフレームのレンダリングに取りかかれない。そこで表示同期を無視した表示にするわけだがディスプレイの表示の途中から新フレームの表示に切り替わるため、ディスプレイ側の表示において「上が前フレーム」、「下が後フレーム」の表示状態になってずれて見えてしまう。これがいわゆる「ティアリング」(Tearing)現象だ。

 トリプルバッファはディスプレイ側のリフレッシュレートに同期させて表示しても、バックバッファが確実に1つ空いているのでシステム側は次のフレームのレンダリングに取りかかれる。PS3版は平均フレームレートはXbox 360版に及ばないが、フレームレートが落ち込んだときの粗が見えにくい。なお、Xbox 360は10MBのEDRAMというハードの仕様上の制約から、トリプルバッファを利用することができない。

 アンチエイリアス処理はPS3版はオフ~2×の可変MSAA(Multi Sampled Anti-Aliasing)、Xbox 360版は2×~4×の可変MSAAを採用している。PS3のCELLプロセッサ周りについては、SCEから提供されたSPE(Synergistic Processor Element)向けの新ライブラリを取り入れたことがトピックとして挙げられている。これにより、各SPEが、スレッドよりも細かい単位(ファイバ)での自発的なコンテクスト・スイッチングを行なえるようになり、マトリクスの計算レベルのような、より粒度の細かい仕事を大量にSPEに振っても期待通りのパフォーマンスが得られるようになった。布のシミュレーションなどは、この新ライブラリの恩恵が効果的に得られているとのことだ。なお、SPEでジオメトリをアクセラレーションする「Playstation Edge」は、「BH5」では利用されていない。それは何故だろうか?

伊集院勝氏「入れればもうちょっと速くなったはずという手応えはあるんですが。PS Edgeはそれ自体がメモリを食うのと、頂点データを独自のフォーマットでメインメモリ側に置かなければならないため、今回は容量的な問題で組み込めなかったです。その代わり「BH5」では「SPU Patch」と呼ばれるRSXのアクセラレーション・ライブラリを利用しています。これはSPEでRSXで利用されるシェーダーの成形を行なうもので、これでかなり速くなりました」

 セガの「ソニック・ワールドアドベンチャー」の回でも取り上げた話題だが、1タイトルをマルチプラットフォーム展開する上で、今世代、色々と問題になってくるのが、ゲームディスクのメディアレベルでの容量の違いだ。PS3は2層50GBのBlu-Rayなのに対し、Xbox 360はクラシックな2層8.5GBのDVD-ROMを採用している。

 「バイオハザード5」をPS3版とXbox 360版に展開する上で、開発はやはりXbox 360版のDVD-ROM1枚に詰め込むことを最優先にして設計されたのであろうか。ちなみにDVD-ROMとしては最大8.5GBだが、Xbox 360のゲームメディアになった場合はシステムデータなどの収録の関係でゲームタイトルのデータとして収録できるのは約6.8GB程度になる。

石田智史氏「『BH5』は5.8GBですね。通常のタイトルだと、全てのデータを大きな1ファイルにまとめる実装にして、想定される読み込み時に不用意にシーク動作が発生しないように重複するデータも入れたりしていますが、『BH5』の場合は、重複データ無しの5.8GBです(笑)。1GBは読み込みパターンによってシーク動作を減らすような高速化ファイルに割り当てています。全データは平均で約半分に可逆圧縮されていますから、実総容量的には12GBといったところです」

伊集院氏「DVD-ROMに収めるということは意識はしましたが、DVD-ROMの容量の制約で何かを諦めたということはないですね。DVD-ROM複数枚という線も選択肢としてありましたから。ただ、開発が終わりに近づいた時にギリギリ1枚でいけそうだぞ、ということになって。じゃあ、PS3版の方は余裕だったかというと、世界初のゲームとムービーのハイブリッドBDということで制作レベルで苦労がありました」


■ まとめ~MTフレームワークの進化は止まらない!

「BH5」では植物とのインタラクションをサポートしている

 カプコンが誇るMTフレームワークのゲームは、「デッドライジング」、「ロストプラネット」、「デビルメイクライ4」、「バイオハザード5」の4作品となり、デザイナー陣も、この4作の開発を経ることでMTフレームワークの使いこなすことが可能になったということで、近作では当初想定されていたクオリティを遙かに上回る表現がなされるようになり、技術陣側が驚かされる局面も多いそうだ。

 今回の「BH5」でいうと、肌の質感表現や水面表現などで、これらはまさにMTフレームワークの使いこなし術の熟練がなせたワザといったところではないだろうか。

 MTフレームワークは前述の採用4タイトルごとに順当なバージョンアップもなされているとのことで、技術陣側のエンジンの度重なる改良も、クオリティアップに大きく関与している。「BH5」でいえば、顔表現などの法線再計算の部分などがそれで、この改良がなければ「BH5」でここまでのリアルな顔表現は実現できなかったことだろう。

 しばしば「ゲームエンジンベースのゲーム開発は、表現の進化を止めてしまう」というような危惧について語られることがあるが、MTフレームワークの場合は、デザインスタッフとエンジン技術スタッフの連携が強く、しかも内製エンジンが社内向けであることから柔軟に機能を強化していける「地の利」(≒知の利)があり、そうしたネガティブ面がない。

 また、汎用エンジンベースのゲームは、「開発コスト削減」や「開発期間短縮」の直接的なメリットばかりが取り沙汰されるが、実はそればかりではない。優秀な汎用ゲームエンジンは、同予算の開発費で、全く新しい分野へのリサーチ、あるいは新しい技術との融合を試みるための予算的余裕と時間的余裕を生み出す。「BH5」におけるハリウッドコラボの実現は、MTフレームワークの優秀さの間接的効果といってもよいのではないだろうか。

 日本のゲーム開発動向の試金石的存在として、カプコンの伝家の宝刀である「MTフレームワーク」の最新動向と、これをベースにしたゲームには、今後も注目していかなければならない。というわけで次回は「バイオハザード5」編の特別回として次世代のMTフレームワークの秘密について迫っていくことにする。

【植物インタラクション】
植物とのインタラクションのデモ

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(2009年 6月 1日)

[Reported by 中村聖司]