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【特別企画】いまこそ改めて「シヴィライゼーション」を振り返る
「Civ:BE Rising Tide」に見るシリーズの今、そして来るべき「Civ6」に期待すること
(2015/11/5 11:50)
1991年に発売された第1弾「Sid Meier's Civilization」から20年以上の歴史を誇る「シヴィライゼーション(以下『Civ』)」。ターンベースの文明シミュレーションゲームとして圧倒的な存在感を誇るゲームシリーズだ。
政治、外交、経済、軍事、科学技術、文化などなど、文明の歴史を彩る様々な要素を大胆に抽象化して織り込まれたゲーム性は、プレーヤーに対して常に興味深い選択肢を与えてくれる。選択の結果がどう転ぶか、必然性と意外性がめくるめくゲーム展開に好奇心をそそられる。
このシリーズの最大の特徴を一言で表すなら、“時間泥棒”だ。類まれな中毒性で、延々と“あと1ターンだけ!”を繰り返してしまう、いつまでも尽きない面白さ。それが本シリーズのかけがえのない財産でもある。
今回、10月8日、シリーズ最新作となる「Sid Meier's Civilization: Beyond Earth(以下:『Civ:BE』)」の拡張パック「Sid Meier's Civilization: Beyond Earth - Rising Tide(以下Rising Tide)」をプレイしたところ、シリーズのファンとして様々なことを考えさせられた。本稿では特別企画としてその考えを開陳すると共に、今後の「Civ」シリーズに期待していることをまとめてみた。
「Rising Tide」で感じられた“中だるみ”。その原因はどこにあるか?
さて、紀元前4000年からの人類史を描く「Civ」本編シリーズは、2010年に発売された「Sid Meier's Civilization V(以下『Civ5』)」が最新だ。一方、今シリーズ作品として展開している最新作は、未来の惑星開拓史を描く「Civ:BE」(レビュー記事)となっている。「Civ5」を骨格に、未知の惑星+各種SF設定を肉付けした、スピンオフ的な作品だ。
そして去る10月8日、その「Civ:BE」の拡張パックとなる「Rising Tide」が発売された。「Civ:BE」の外交要素を一新し、移動可能な海洋都市や、様々な探索・収集要素、アフィニティーの拡張など、多岐に渡るゲームシステムの刷新が行なわれた1本だ。
さあ、「Civ」シリーズの最新作。秋の夜長にまったりとプレイするにはピッタリだろうということで筆者もいざ、やり込んでみた。確かにオリジナルの「Civ:BE」から改善された部分も多々あり、興味深くプレイを始めることができたものの、しかし全体として、何かがどうにもしっくり来ない。
端的に言うと、本作は序盤こそ面白いが、様々な要素が出尽くす中盤以降、壮絶な“中だるみ”に襲われてしまうという大きな問題点がある。これは「Civ5」以降のシリーズ作が共通して持つようになった問題点でもあるが、本作の場合は「Civ:BE」の時点でかなり複雑度が上がり、拡張パックでさらに管理すべき要素が多くなっていることもあって、中盤~終盤の作業感がものすごいのである。
ちなみにプレイ時間の配分でいうと、様々な要素が出てきて、重大な取捨選択をしながら戦略の方向性を定めていく、実に面白く興味深いゲーム序盤は1~2時間程度。おおよそやることが決まり、規定の戦略に則って都市やユニット、内政・外交面の操作を惰性的にこなし続ける中盤~終盤は6~10時間。ううむ、プレイ時間の大半が惰性というのはいかがなものだろうか。
このとりとめもない作業感は、いったい何が原因なのだろう。まず大きなところで言えるのは、文明間の力の差が永続的になりやすい点。戦略の急な変更も難しいため、中盤~終盤での大どんでん返しがほとんど不可能だ。つまり、1度ついた差がほぼ覆せないため、方向性が定まった時点で重要な戦略判断は不要となり、あとのプレイは惰性となってしまうわけだ。
過去作品を振り返ると、「Sid Meier's Civlization IV(以下:『Civ4』)」以前の作品では、中盤以降の中だるみ感はそれほど高くなかった。それを確認するため改めて「Civilization IV: Beyond The Sword(以下『Civ4BtS』)」をプレイしてみたのだが、やはり面白い。
確かに序盤の高い緊張感からすると、中盤~終盤にはやや落ち着いた雰囲気があるが、「Civ4」では勝ちパターンに入っても、いつでも足元を掬われる可能性や、小国が大国に脅威を与える戦略がありえるため、勝敗が確定する直前までは常にプランBを頭のどこかに置いておく必要があり、ほどよい緊張感が続く。
なによりゲーム全体から受ける印象がかなり違う。「Civ:BE」や「Rising Tide」、もっと言えば「Civ5」は戦争ゲームの趣が強いが、「Civ4:BtS」は内政と外交で差をつけるゲーム、という趣が強い。同じ「Civ」シリーズでも、こうも印象が違うのはどうしてだろう? というわけで「Civ5」以降と「Civ4」以前を比較してみたい。
3つのポイントで見る「Civ」シリーズ新旧ゲームシステム比較
1.技術ツリーと技術交換
「Civ5」以降と「Civ4」以前を比較する上で、ゲームシステム面の違いとして最も重要と思われるのは、“技術”の扱いだ。
地球史テーマの作品では“農耕”、“牧畜”、“神秘主義”といった古代技術から始まる技術ツリー。「Civ4」以前のシリーズ作品では、全60個前後の“技術”が古代~情報時代までの時代区分に配置されており、それぞれの技術を外交の取引材料にすることも可能だった(“アルファベット”の発明以降)。
技術ツリーは、「Civ」シリーズを通じて、文明の発展度を測る最も重要なバロメーターでもある。最先端の技術を保持することによる、内政・軍事・外交上のアドバンテージは非常に大きい。特に「Civ4」以前では、まだ誰も所有していない先端技術をいちはやく研究できた場合、それを取引材料にして他の文明が持つ未知の技術を大量に仕入れることも可能だった(このうまみを最大限に活かすために、自前の研究対象を最先端技術に絞ることや、早期の外洋航海による新大陸への接触も重要だった)。
こういった技術取引のテクニックは、特に小国にとって重要だ。例えば、立地に恵まれて超大国化を果たした文明に対して、複数の弱小国が連合して技術を融通、研究を分担しあい、先んじて軍事上の核心技術(内燃機関→戦車など)を獲得して先端軍事ユニットを投入、超大国を焼け野原にするといったプレイがありえた。「Civ4」以前が外交のゲームという趣が強いのは、このあたりが理由だろう。
これに対して「Civ5」以降では技術交換が不可能となり、その代わりに“共同研究”という外交オプションが追加された。これは、締結から30ターンほど経過すると締結両国が未知の技術をひとつ獲得する、というふうな仕組みだ。
八方美人の外交で共同研究の対象国を増やせば技術獲得のペースを顕著にスピードアップすることはできるが、どの技術を得るのかは指定できないうえ、自国の研究スピードそのものは変えないため、一気に3つも4つも新技術を獲得できる技術交換ほどのパワーはない。そもそも国力が少なく技術研究スピードが遅すぎる場合、大国に追いつき追い越すには馬力が足りない。どうがんばっても大国=技術先行=強力な軍事ユニットという構図がほぼ覆せず、力関係がはっきりする中盤~終盤にかけて、国力に任せたゴリ押し戦略が幅を利かせ、ゲーム全体が惰性に陥りがちになるというわけだ。
2.経済スライダーと革命
「Civ4:BtS」以前のシリーズ作品では、文明全体としての体制や性質を1~数ターンの間にガラリと変えることが可能だった。それを可能としてくれていたのは、文明全体が生み出す経済パワーを“金銭”、“科学”、“文化”、“諜報”(BtS以降)の各項目に配分する割合を自在に調整できる経済スライダーと、社会体制をドラスティックに変換できる“革命”システムの存在だ。
経済スライダーの使い方としてよくあるのが、平和時には科学出力を100%にしておいて技術研究を進め、その軍事上の核心技術を手に入れたら研究を完全ストップし、すべての経済力を金銭に振り分けて、その金銭で最新の軍事ユニットを緊急生産しまくるといったパターンだ。それによる技術の遅れは軍事恫喝と侵略で埋め合わせれば良い(攻められたくなかったら技術をよこせ、とやる)。これを補完するため、平和主義的な体制から軍事国家的な社会体制へと革命を起こす(例えば、都市数による各種ペナルティを減らす“共産主義”の採用は領土拡張のサインだ)。これを徹底してやると、非武装平和国家がわずか数ターンのうちに軍事大国化できるほどの威力があり、それがまた終盤までの展開に緊張感をもたらしていた。
これらの経済スライダーや社会体制の変更は“いつでもできる”というのがキモだ。一夜にして文明の性格を変えてしまうこれらの要素により、プレーヤーにはいつでも、極端から極端へと文明の戦略を変更できる。これはゲーム的に面白いし、人類史のダイナミズムをうまく表現してもいて、非常に優れたシステムだった。
逆に「Civ5」以降、「Civ:BE」や「Rising Tide」も含めて、こういった極端な戦略の変更はゲーム的に不可能になった。文明の性格を決める各要素が、次第に積み重ねてジワジワと効いてくる種のもののみになってしまったためだ。
例えば「Civ:BE」で導入されたアフィニティーは、エイリアンとの付き合い方や発展の方向性、軍事的性格などを決める非常に重要な要素だが、アフィニティーの種類やレベルは獲得した技術の積み重ねで決まるため、途中で変更するというのは不可能だ。「Civ4」以前の社会体制に相当する「Civ:BE」の“美徳”も、要素をひとつづつアンロックして積み上げていく仕組みであり、あとからの変更は不可能となっている。
このため「Civ5」以降のシリーズ作品では、序盤に定めた戦略の方向性に、ゲーム全体を縛られる傾向が非常に強くなった。「Rising Tide」では、新たに導入された“外交資本”システムにより様々なプラスアルファを調整できるが、これもやはりジワジワ効いてくるタイプであり、効果も地味だ。後半・終盤にはその存在すら忘れてしまうほどだ(外交協定の期限切れのたびに更新手続きをするのが面倒な程度)。このあたり、技術交換システムが廃止されたことと同様に、中盤以降が惰性に陥りやすい理由のひとつとして上げられるだろう。
3.ICBM
「Civ」シリーズを通じて筆者が特に魅力を感じてきていたのは、ゲームを通じて人類史のダイナミズムを強く感じ取れるところだった。牧歌的な古代史に始まり、神秘主義が幅を効かす古典時代、局地的な勢力争いが激化する中世、世界全体が総力戦に巻き込まれる工業化時代、そしてほんの数ターンで世界が破滅しうる原子力時代。時代を下るごとに世界が狭まり、外交も戦争も、その様相がガラリと変わっていくところに「Civ」シリーズの本質的な面白さがあった。
その極地といえるのが、「Civ4:BtS」までのシリーズ作品に存在した最強の戦略的軍事ユニット“ICBM”だ。“ICBM”は世界プロジェクトのひとつ“マンハッタン・プロジェクト”を完成させると“全文明に”解禁されるユニットで、世界中のいかなる地点にも即時に届き、1発で数タイル範囲の軍事ユニットを壊滅させ、直撃した都市人口を半減させ、周囲の土地を汚染するという威力を誇る。使用することで外交的に完全破綻するというデメリットはあるが、勝利条件に近づいた大国を駆逐するために他の手段のないときには、これ以上ない決戦兵器となる。
ICBMを保有すれば小国でも大国を脅かすことができる、という事実は大きい。ゲームの終盤、戦争の様相は完全に変わり、核の恐怖と隣合わせのうすら寒い平和が続くことになる。その均衡が破れた瞬間、勝ちパターンに乗っていた超大国ですら足元を掬われ、根本的な戦略変更を余儀なくされることがある。古代、移動力1の“戦士”ユニット同士が殴りあっていた風景から見れば、もう別のゲームといえるほどの変化だ。
そのICBMに相当する戦略兵器が、「Civ5」以降は失われてしまった。「Civ5」には核爆弾や核ミサイルユニットは存在するが、射程が12タイルしかなく、遠隔地に着弾させるためには海上ユニット等での運搬が必要で、戦争のメカニズムを根本から変えるほどの威力はない。また、「Civ:BE」と「Rising Tide」では、核ミサイルに相当する威力(複数タイルに壊滅的ダメージ)のユニットは全く存在せず、戦争の様相は序盤と変わらず白兵+遠隔射撃の組み合わせに終始する。つまり、戦争や外交の形が、古代と未来でほとんど変わらないのである。このため、国力を活かしたゴリ押しが幅を利かせてしまうというわけだ。
「Civ5」以降、戦争ゲームの趣が強く、また、ゲーム中盤以降が中だるみしやすいというのは、このあたりにも理由があるのではないかと思う。
来るべき「Civilization VI」に期待すること
「Civ」シリーズ本編は、2010年登場の「Civ 5」から早いもので、5年も経過した。その間、スピンオフ的な位置づけの「Civ:BE」も拡張パック「Rising Tide」の登場を迎え、ゲームシステムがかなり複雑化したこともあって、ひとつの作品としては完結した感じがある。そろそろ「Civ」ファンとしては、本編シリーズの最新作となるべき「Civilization VI」への期待をはじめても良い頃だろう。
「Civ」シリーズは、ターンベースストラテジーゲームの最高峰としてどういった進化をしていくだろうか。「Civ 4」以降の作品、「Civ 5」、「Civ:BE」、「Rising Tide」あたりを改めて一通りプレイしてみると、上述のように、いくつかの大要素については「Civ 4」以前のほうが優れていると感じられることも多い。
その一方で、いま「Civ4」をプレイすると、ユーザーインターフェイスや画面全体のつくりがさすがに古臭く、操作面でプレイしづらさを感じるのも確かだ。例えば都市管理、ユニットの操作、技術開発・内政・外交・諜報など多数の要素へのアクセスは、「Civ 5」のほうが見やすく、直感的で、さくさくとプレイできる。そういう面で、シリーズは着実に進化してきている。いま秋の夜長にプレイするタイトルを選ぶなら、「Civ4:BtS」も捨てがたいが、現実的には「Civ 5:Brave New World」がいちばん快適で、プレイ意欲をそそる。
そのプレイしやすさをもってしても、「Civ:BE」および「Rising Tide」の2作はシリーズとしての限界を感じる。優に100を越える項目数を持つテックウェブ、それぞれの技術に紐付いた無数の世界遺産、各アフィニティーやハイブリッドアフィニティーに関連づいた大量のユニークユニットや建築物、効果は地味ながら大量の項目数がある外交要素、中盤~終盤以降最も時間を取ることになる大量のユニットの操作などなど、要素の数が膨大でとても覚えきれない。ゆえに緻密な予測や戦略設計も不可能で、おおむね大雑把な戦略を取るしかなく、作業的にやることも増えすぎていて、序盤はおもしろいが、中盤以降は面倒臭さが先に立ってしまい、ストラテジーゲームとして限界を感じるのだ。「Civ5」以降の進化の方向性は、この2作を持って完全に行き詰まったように思える。
もし「Civilization VI」を近い将来見ることができるなら、筆者としては「Civ4」から「Civ5」以上の変革を期待したい。まずは、細分化されすぎた各要素の思い切ったシンプル化。特に「Civ5」で導入された遠隔攻撃ユニットの仕組みは廃止して良いと思う。これのために戦術ゲーム要素が強くなりすぎているのではと見ている。
そして、より大局的なプレイを促進するための、都市、文明、各種要素の大胆な抽象化。その上で、人類史のダイナミズムやドラマ性を感じられる内政・外交・軍事の新たなゲームシステム。こういったところを期待している。
紀元前4000年。未知の大地に囲まれた場所に、ぽつねんと人類最初の都市がある。たったそれだけの風景で、プレーヤーをどれだけワクワクさせることができるか。「Civ」シリーズにはそんな歴史シムとしての本懐に立ち返ってもらい、さらにその面白さを深化させていって欲しい。なにしろ筆者を含む「Civ」ファンの多くは、このシリーズを一生遊び続けるだろうから。