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【GDC 2014】横尾太郎氏が実践する“逆算”&“絵で見る”シナリオ作成術
キーワードは「感情のピーク」。横尾氏が目指す「壁の向こう側」のゲームとは?
(2014/3/23 17:56)
「ドラッグオンドラグーン」や「ニーア レプリカント/ゲシュタルト」のディレクターとして知られるゲームデザイナーの横尾太郎氏が、GDC 2014で講演を行なった。
横尾氏の講演タイトルは「Making Weird Game for Weird People(変な人のための変なゲームの作り方)」。内容は横尾氏自身のストーリー作成法についてと説明されたが、講演はいきなり「物語やゲームプレイは大事ではない」という結論から入る異色のスタート。
この意図として「最後の結論を見てがっかりするよりは、他に見たい講演に行ったほうがよっぽどためになる」と横尾氏から説明があったが、横尾氏はどこか達観したような雰囲気を持っており、説明を淡々と進めるので、それが本気で言っているのか、あるいは冗談で言っているのか定かではない。しかし結論を先に言うことで講演の意図が明確になり、聴講者の聞く態勢が整うメリットもある。
いったいどこまで本気なのか、どこまでが横尾氏の計算なのかわからないというタイトル通りの不思議な雰囲気に包まれて、講演は進められていった。
骨組みは逆算で考える。感情は経験の積み重ねから生まれるもの
横尾氏はいまでこそクリエイティブディレクターとしてシナリオなどを担当しているが、最初は3Dのグラフィックスデザイナーとして働いており、初めてディレクターに抜擢された時にシナリオを書いたことがなかった。そこで横尾氏は、シナリオを書く方法として「逆算法」と「フォトシンキング」の2つの方法を編み出した。
「逆算法」とは、物語の結論から原因を作っていく方法で、特に大事なのは「感情のピーク」をどこかに配置することだという。「感情のピーク」は、言い換えれば物語がプレーヤーに生み出す強い感情のことで、悲しみや苦しみなど、その物語で伝えたいことを示す。
ただし、そこに「彼女は死んだ」とただ書いてもなんら悲しくはない。感情が形作られるにはそれなりに理由があって、例えば自分のペットが死んだという場合、子供のころから飼っていた、一緒で遊んでくれた、ずっと献身的だったといったような過去の経験が積み重なることで悲しみが生まれてくる。
「ゲームのキャラクターのペットが死んだ」と言われても悲しみようがないが、ゲームキャラクターにも経験を与えることで、プレーヤーが悲しむ理由を付ければいいのだという。「ニーア ゲシュタルト/レプリカント」では、「少女が死ぬ」という感情のピークが存在するが、その理由としてまだ子供であること、掟によって言葉が話せないこと、とても優しい性格であること、結婚式の日だったことなどの設定を重ねていく。
ここまで理由を重ねていくと、横尾氏にとっても少女が死ぬのは悲しいし、昨日今日知り合った少女ではなくなる。ゲームの中でも昔からよく知っている、長い付き合いにするために、上のような設定を序盤の段階から徐々に重ねていく。
そうすることで、1つの悲しむためのストーリーができあがる。感情は経験の積み重ねであり、理由をコインのように積んでいくことで最後に感情が爆発する。積み重ねる経験は多い方がその爆発の度合いも激しくなり、1つの理由に共感できなくても、他の理由で共感することがあるので、理由はたくさん用意する方がいいという。ただしここでは、自分が本当に悲しいと思うものにすることが注意点だそうだ。
横尾氏は、「現実には、まず結論を知って、後から理由を知ることが多いが、シナリオは感情が動かされていくプロセスからストーリーをデザインするべき」だとした。
ゲーム風景を「見に行く」手法の「フォトシンキング」
しかし、実際の製品ではこれらの感情のピークが様々に用意されている。同時に事件が起こっていくので、混乱する人も多くなるのではないか?
そこで横尾氏が提案するのが、「フォトシンキング」だ。「フォトシンキング」という言葉は横尾氏の造語で、場面の状況を想像して「見に行く」行為のことを指す。上の少女の例で言えば、風景をイメージすることで、少女が華奢であること、血まみれで、王子の腕の中であることなど、書かなかったものが見えてくる。その時の気持ちと情景を脳に焼き付けておくことで、他のエピソードが関係するときに何が起きているかを見ることができる。
「フォトシンキング」によってゲームの中の登場人物たちに再び会うことができるので、間違えずにシナリオを完成できるのだという。「見ることは強いこと。6年前のGDCで食べたサンドイッチと1個のりんごなど、どうでもいいことを覚えていられる」とした。
ただし、設定を考えすぎてストーリーに入れ込めないという場合は「見過ぎ」なのだという。感情のピークが「悲しみ」であるなら、その理由以外はなるべく見ないようにすること。大事なことを決めた上で、それを見失わないことが重要だと語った。
これまでストーリー作りについて語られてきたが、ではなぜ「物語やゲームプレイは大事ではない」のが結論なのか? これは、横尾氏の最終的なゴールが「プレーヤーに何かしらの感情を引き起こすこと」だからだとした。ゲームそのものはただの媒体であって、「プレーヤーの心に何が起こるか、それだけが大事」なのだという。
「壁の向こう側」こそワクワクするもの。ゲームの可能性はまだまだこれから
そして話は横尾氏が見るゲーム市場の現状に移った。横尾氏いわく、現在のゲームは「ワクワクしない」という。AAAの大作はもちろん楽しい、インディーズは低予算だけどかわいくてオシャレで楽しい。良くできたゲームが増えた一方で、そういった想像ができるということは、意外性がないことでもある。「文化が成熟することの一定の傾向かもしれないが、それでもゲームの可能性はまだあると信じている」と述べた。
横尾氏は、「壁の向こう側」にあるゲームに興味があるという。「ニーア」では、オプション画面でアイテムが削除されていくという演出がある。横尾氏は「オプション画面で感動できないか」ということを考え、物語がセーブデータを奪っていく演出でプレーヤーが「これまじか」と思う姿をフォトシンキングして、そこから全体の物語を作っていったという。
近年のゲーム制作は、制作そのものは賢くなってきているが、同時にルールもできてきて、一定時間遊べることだったり、一定の面白さがなくてはならなかったり、ゲーム制作時の暗黙の了解=「見えない壁」ができあがっている。
ちなみに、「ニーア」のオプション画面の演出は、「ゲームでやってはいけないことに片足を突っ込んでいる」と言われたそうだ。しかし誰もやっていない未開の土地にこそ、できることがあるのではないか。
「例えば、世界で最も美しい10分を描いたフルプライスのゲームがあってもいい。誰もクリアできないゲームや、実際にハンバーガーを食べないと点数がもらえないようなゲームがあってもいい。本当は作れるはずの感情のピークがたくさん埋まっているはず。
感動したり、いいことばかりでなくていい。購入をためらうような、怒りのあまり投げ出すような、メタスコアで点数が付けられないような体験を僕は求めている。そういう体験こそが、ゲームを好きになった理由そのものだから」と横尾氏は語った。
横尾氏は来場者に対して、「僕はゲームで世界を変えることができなかった。43歳で、もう若くない。20年やっているのに、壁の向こう側に行って何かを見た確信が持てない。20年かけて失敗したが、それでも可能性を信じている。この場にいる若いみなさんは生まれた時からPCの前にいるのが当たり前で、もっと新しいものをデザインできるはず。ビデオゲームの可能性を求めて、壁の向こう側に突っ込んで、世界を変えるような激しいゲームで楽しませてほしい」とメッセージを送った。
なお今回はシナリオとしての感情の動かし方の講演だったが、会場からプレーヤー主導の行動や体験から生じる感情、つまりナラティブ的な感情の作り方に関する質問があり、この回答が面白かったので紹介する。
横尾氏にとって、プレーヤーが物語を与えられて感情を動かされることと、自発的な行動によって感情が動いていくというのは、同じことだとした。「どちらもプレーヤーが得てきた経験や知識から感情が形作られている。悲しいという理由を提案したのは一般的な例であって、“心が動く”ことに違いはない」として、どちらのシナリオ作りが優れているわけではない考えを示した。
淡々としているようでいて、実は激しく、変なものを求めている。そんな横尾氏はディレクターとして「ドラッグオンドラグーン3」を昨年12月に完成、発売させたばかり。まだまだゲームクリエイター人生は長いと思うので、「失敗した」と言わず激しく、変なものを自ら追求してほしいと思う。