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【特別企画】東大・稲見昌彦教授が語るVR、AI、……そして人類の未来

「人間拡張工学」の専門家による現代科学のアプローチとこれから

11月末収録

 きっかけは今年の2月に行なわれた「攻殻機動隊 REALIZE PROJECT the AWARD the AWARD」だった。このイベントは、「攻殻機動隊」の世界で使われている未来のテクノロジーを産・官・学で実現しようというプロジェクトで、特にこのイベントで研究者達が、「攻殻機動隊」が提示する未来世界が、自分たちの研究のテーマとしてどのように実現されつつあるかを語る「攻殻ユニバーシティ」は特にワクワクさせられた。

東京大学先端科学技術研究センター教授の稲見昌彦氏

 この中で筆者の興味を特に惹いたのが東京大学先端科学技術研究センター教授の稲見昌彦氏である。稲見氏は「攻殻機動隊」をヒントに背景に溶け込むことができる「光学迷彩」を実現、人間の能力を“拡張”する「人間拡張工学」を専門とし、様々な研究を行なっている。昨今では現代のテクノロジーを応用しより多くの人が、より大きなスケールで人間の能力を発揮できる新しいスポーツ「超人スポーツ」にも取り組んでいる。

 筆者は稲見氏の著書「スーパーヒューマン誕生」を読んで、その幅広いアプローチと、現在の技術を発展させた上での“人類の未来”に非常に魅了された。「スーパーヒューマン誕生」では、「サイボーグ」、「VR」、「人型ロボット」などの多彩なテーマに対し、現代のテクノロジーがどのようにアプローチしているかを説明している。

 本には「攻殻機動隊」に限らず、「ドラえもん」、「ワンピース」などのコミックスやアニメ、Wii、Kinect、そしてPlayStation VRといったゲーム機や様々なゲームソフトも出てきて、読みやすく、イメージしやすいテクノロジー解説の「入門書」としてぴったりの本になっている。本を読むことで稲見氏はかなりのゲーマーであることも感じ取れる。稲見氏の取り組みや今後考えていることを聞き、ゲームや、エンターテイメントの“未来”を聞いてみたいと強く思った。

 稲見氏はゲームの理解も深い。今回はVRから「HoloLens」の話まで飛び出した。コンピューターの発展、情報化社会の発展を私たちゲーマーは1番感じているかもしれない。グラフィックスなどの演出面の発展だけでなく、オンラインでのコミュニケーション、スマホでの新しいゲーム体験、WiiやKinectの身体を使ったゲームプレイ、そしてPS VRでのさらなる没入感……テクノロジーの最先端にいる研究者である稲見氏はこういった現状をどう捉え、どのような未来を見ているのか? 今回は様々な方向からの質問をぶつけてみた。

【攻殻ユニバーシティ】
攻殻ユニバーシティでの稲見氏の発表。稲見氏は「攻殻機動隊」をヒントに背景に溶け込むことができる「光学迷彩」を実現した
現在は「人間拡張工学」を応用した「超人スポーツ」に取り組んでいる

「やりたいことをやりたい!」、人間の欲求を満たすために生まれた「人間拡張」

――今回、「スーパーヒューマン誕生」を読まさせていただいて、義手や義肢、さらにはパワードスーツなど「人体の拡張」のみならず、VRでの精神の拡張、さらには体そのものを機会に置き換えるという人間の未来まで、非常に幅広く、様々なテーマを扱っているところに驚かされました。まず基本的な部分で、稲見さんはどういった考えをもたれてこういった研究に取り組まれているんでしょうか。

稲見氏の著書、NHK出版新書の「スーパーヒューマン誕生」。稲見氏の取り組みや現代科学の「人間拡張工学」への様々な方向からのアプローチが説明されている。ゲームなどのエンターテイメント作品からの説明も多く、とてもわかりやすい

稲見氏: その本は、「改めて全体を紹介したい」という意図を持って書いています。まず様々な分野そのものをもう1回定義し直していきたい。VR、ロボット、ウェアラブルコンピューター……アカデミック、エンターテイメントでも、現在は本当に様々なものにわかれてしまっている。そういった現状を人間の能力を拡張するという「人間拡張」という考えを原点とし、捉え直すことで現代のテクノロジーに新しい視点を加えられるのではないかと考えています。

 人間の能力を拡張するというアイディアは、1945年頃から生まれてきました。その考えを発展させていきながら、現在の技術で人間拡張をどう実現していくか、と言うことを考えています。VRもPS VRからスマホ向けの物まで様々なものが出てきましたし、「機が熟してきたかな」と思い、本を書いたのです。

――私は最近1970年代の児童誌の「21世紀はこうなる!」というような本を趣味で集めているんです。リニアモーターカーや空飛ぶ自動車、宇宙ステーションや、ジュースが出る蛇口など非常に雑多だけれども、そこにちゃんとそれらを研究している人たちがいて、これからの科学を紹介している。「スーパーヒューマン誕生」はずっと専門的で、高度なものを扱う大人向けの書籍ですが、強く興味を惹き、幅広い分野をカバーする、現代科学工学の入門書としてよく書けているなあと思いました。

稲見氏: そうですか、ありがとうございます(笑)。ただ、1970年代に思い描かれていた未来というのは“情報”という観点が大きく抜けています。昔の人は携帯電話までは想像できましたが、スマートフォンまでは難しかった。私も子供時代、「1970年代に思い描かれていた未来」に親しみがありますが、確かにチューブの中に列車は走っていませんし、皆がぴっちりしたスーツを着ているようなドラスティックな変化はなかったのですが、情報技術だけは、当時の人たちが予測できなかったほどに進歩したと思っています。

 私たちの親の世代は大きく街が変わっていくのを見てきた世代だと思うんです。そして私たちは“情報”が変わったことを目撃してきた世代です。コンピューターが個人の、手の中に収まるほどに小さくなり、ネットワークに繋がることで膨大なデーターベースにアクセスできるようになった。しかもPCやスマホは買い直すほどに劇的に性能が上がっていく。ハードディスクで「テラ」という単位を、まさか自分が使えるようになるなんて、想像だにしていませんでしたよ。

 振り返ると70年代から現在までは「情報革命」という時代になると思います。後世の人から見ると、私たちの時代は情報において革命的な進歩があった時代と定義されることになる。もちろんコンピューターが生まれた時から情報革命は始まっているといえますが、「パソコン」が一般ユーザーに普及し始めた頃から、世の中が大きく変わってきたと思います。

 その中でコンピューターゲームというのは、やはり情報革命で大きな役割を果たしたと思います。コンピューターゲームが生まれて多くのユーザーを獲得したというのは、コンピューターの普及の後押しになったと思いますね。

――コンピューターの話から、1度「人間拡張」にお話を戻したいと思います。稲見教授はコンピューター、ゲーム、人間工学なども含めて、俯瞰した視点で人間そのものの“拡張”を提示していらっしゃいますね。

稲見氏: あえてまず「人間拡張」というものについて、すごく基本的なところから話していきましょう。「人間拡張」は人類の根本的な要求であり、それを解決するためにエンジニアリングは発達してきました。1つは「嫌なことをやってもらう」こちらは“自動化”と呼ばれています。もう1つが「やりたいことをどういう状況でもできる」ということです。私はこちらを“自在化”と名付けています。そして、特にこの“自在化”を人間拡張の方向に見ています。

 「嫌なことをやってもらう」、「やりたいことをどういう状況でもできる」この2つの人間の欲求が、テクノロジーの、“道具”の発展をもたらしてきました。自動化であり、自在化への願望が技術を発展させてきました。身体的に劣る人間が、道具を使うことによって自分より遙かに強い猛獣や、大型動物を狩ることができるようになった。最初の頃はこれらの道具は限られた人のものだったけれども、自在化が進むことで誰でも使えるものになった。

 これは人類の歴史ではあるけれども、今の人間の道具にだって言えます。スマホは誰でも使えるデバイスですが、その機能はほんの少し前は専門のエンジニアしかできないことだった。スマホは自動化、そして自在化を象徴するアイテムとも言えます。このように人類は様々なことをやってくれる機械を生み出し、そして一般化してきたのです。

 こういったテクノロジーの進化の中で、私が注視していきたいのが“身体観”です。産業革命が成し遂げられたとき、人間の体の使い方は劇的に変わる。狩猟中心の生活から農業中心になったとき、使う能力、必要とされる身体能力は変化しました。農業革命で人1人が必死に鍬をふるって畑を耕していたのが、牛馬に鋤を引かせてより大きく効率的に畑を耕せるようになった。

 さらに農業生産が上がることで、人々の多くが第1次産業に従事していた時代から変わってきた。その人々は工場に向かうことになっていきましたが、これらも自動化されていきます。人間の代わりに大型機械が作業を行なってくれるようになった。今では軽労働がメインとなり、「健康のために運動をする」というようなことで体を使うような時代になっています。娯楽としてのスポーツも生まれました。

 繰り返しますが、私は現在を「情報革命」の時代だと捉えてます。この情報革命後、人間の身体の使い方はさらに変わっていくと考えています。自分の存在を他者と重ね合わせたり、他者と交換したり、自分という存在が複数あるような、そういう時代も来るのではないでしょうか。想像しやすいものだと「AI」ですね。AIと協調した自分の身体、AIと不可分な自分といったところまでいくと、今とは“身体の使い方”というのは大きく変わってくると思います。

――スポーツ、というものでは昨今「eスポーツ」が大きくなってきました。頂点では反射神経や判断力の限界を競い合うまさに「スポーツ競技」といえるものになりました。コンピューター空間では物理法則を超えたキャラクター達を操り競う、という意味ではこれらも稲見教授達が研究している「超人スポーツ」といえるのではないでしょうか。

「超人スポーツ」の公式ページ。稲見氏は共同代表の1人
ページで紹介されている競技の1つ、「バブルジャンパー」。ばねでできた西洋竹馬でジャンプ力を強化、弾力性のある透明な球体を上半身に被り激しくぶつかり合う

稲見氏: ゲームのキャラクター達のアクションを自分の肉体で体験できるというのも「超人スポーツ」の方向性の1つです。そういう意味ではコンピューターを使ったスポーツである「eスポーツ」は、今のようにマウスやキーボード、ディスプレイだけじゃなく、もっと肉体を使うものになる可能性はあります。

 「ポケモン GO」は、本当に多くの人を歩かせるようになりました。上野の不忍池ではレアなポケモンが出ると走る人まで出た。一方、現在「スポーツ」と呼ばれるものはユニフォームが必要だったり、運動場のような広い場所でなければできないものも多い。スポーツもスマホゲームのように空いた時間や、隙間の時間に気軽に楽しめるものにならないかな、と考えています。

 私の考える「eスポーツ」というのは、現在の「eスポーツ」という言葉が指す競技で限られた人が競う「ゲーム競技」ではなく、スマホゲームのように気軽に手軽にスポーツを楽しむアイディアです。階段の踊り場などちょっとした空間で、スマホなどの機器でARを活用することでスポーツの空間になる。これからの「eスポーツ」というのはそういう方向もあるのではないでしょうか。

 「ポケモン GO」や「Ingress」は“拡張現実感”とまではいかないかもしれないけれども、現実に重ね合わせてゲーム空間を設定し、現実に別角度の意味を持たせた。そしてこういったゲームが出てきたおかげで「この石像はポータルになるんじゃないか?」と新しい視点で目の前の風景を見るようになった。「ポケモン GO」なんて不忍池で来る人を目当てに土日しかやってなかった屋台が平日に出るようになりましたからね。バーチャルが現実を変えていったわけです。

 「日常がスマホゲームとなる」、「日常にeスポーツを加える」、ゲームをプレイしながら体を楽しく動かせる、そういう方向性もこれから生み出していきたいと思っています。これまでは「現実」と「バーチャル」は全く違うものだった。しかし実はこの2つの間には“設計自由度”があって、ゲームデザインによって身体の割合と、ゲームの割合を調整していくのは昨今のトレンドなんじゃないでしょうか。

 ゲームデザインを様々な分野に応用し、様々な要素をより理解しやすくしようとする「ゲーミフィケーション」という言葉が一時期流行りましたが、私たちは「スポーティフィケーション」という言葉を作り出しました。ゲームをスポーツ化する、日常をスポーツ化する、体を動かす楽しさをあらゆるものに盛り込んでいく……私はスポーツは“身体を使った娯楽、体を使う楽しさを感じられるもの”として、「スポーティフィケーション」という考え方を持っています。

 そして競技としての「eスポーツ」もこの方向に行くのではないか、と考えています。現在の「eスポーツ」は指先と脳と目を使う、そういう意味では将棋もスポーツといえる。私はできればそこに身体も連続させる“スポーツ”が出てきても良いと思うんです。技術はそれを可能にできる、こういう考えは面白いと思っています。

――稲見教授は「超人スポーツ」で、バネの付いた西洋竹馬と大きな風船の中に入って体当たりをする「バブルジャンパー」や、電動スクーターに乗ってボールを運ぶ「ホバークロス」など人間の能力を拡張した、まるでゲームのキャラクターになったかのような体験ができるテクノロジーとスポーツの融合のようなスポーツを提唱なさってますね。

稲見氏: これらテクノロジーを使って競技を行なうことで、考え方が大きく変わるかもしれない。竹馬でジャンプ力が増したら、体に関する認識が変わる。やってみようと思うことが増えるかもしれないですよね。

これからはこうなる! 研究者が模索する「VR」の明日

――超人スポーツのページを見ていると、「これはすごい技術が使われているんじゃないか」と思わされます。バブルサッカーのバブルに使われる素材はかなり耐久性が必要とされるし、他にも様々な技術が集結してるんだろうなと思わされます。

稲見氏: ロボット工学などもそうですが、技術は様々な専門家が集まって実現します。2足歩行ロボットでも素材工学から人間工学、ソフトウェアのプログラムから、サーボ/モーターの専門家と、様々なエキスパートが必要となる。

 「VR」もバーチャルリアリティ研究者というのは1990年前にはいなくて、それまでは他の分野を研究していた人たちなのです。心理学、人間工学、ロボット工学、ディスプレイ工学……様々な人が今はVRを研究するために集まっている。

 VRに関しては1990 年のサンタ. バーバラ会議でスタートしました。この会議以降にVR研究者が生まれました。特に「工学」においては、“分野”というものは、生まれては消えていくものなんです。分野を定義し、核となる研究者が手を挙げると、研究者達はそこに集まっていく。例えば「AI研究者」と名乗り始めた人たちは実は“第2世代”の人たちで、その分野を開拓した人たちは様々な専門家だったわけです。集まっては消え、また違うところに集まっていく、というのが工学系の研究者の姿といえます。

 ゲームもそうだと思います。ゲームクリエイターの皆さんが生まれる前は、色々な専門家の人たちがゲームという分野を作り、そこに集まった人材がゲームの専門家になっていった。ゲーム会社を作った人達、リーダーになった方、第一世代の人達は前職はまちまちだったと思います。

 研究者達の情熱は「世界にないものをつくろう」ということですし、それを1番最初に楽しめるならば幸せじゃないか、というところにあります。

稲見氏の研究室。左にあるルームランナーはルームランナーとVRを組み合わせることで安全にそして飽きずにトレーニングできる機器だという

――この研究室にもユニークなものがたくさんありますね。

稲見氏: 例えばこのルームランナーとモニターが組み合わさった機械はうちの檜山講師が研究しているものです。これは「高齢者用のIT機器」です。ルームランナーとVRを組み合わせることで安全にそして飽きずにトレーニングができます。将来的にはこの機構を応用して、自分の分身ロボットを代わりに歩かせることで、御用聞きに行くことも可能になるかもしれません。

――僕たちゲーム世代は“記号化された世界”を見慣れている部分がありますが、私達より上の世代にとっては実写に近い今のグラフィックスの方が、親近感がわくかもしれませんね。「老人がプレイできるゲーム」というものが出てくるのではないか、と思っています。

稲見氏: 「なぜVR(バーチャルリアリティ)が良いか」にはいくつかの理由があります。VR空間での移動や作業は、現実空間と同じ感覚でできるのです。私達は現実世界で変化していく肉体に合わせて“肉体の使い方”を勉強してきた。私達が1番“使い慣れたツール”というのは、肉体なわけです。ヒューマンインターフェイスという視点から見ると、肉体をそのまま使うVRというのはメリットが大きい。

 お年寄りがVRを使えば新しい使い方を覚えないですむ。机の上にあるものには手を伸ばせば良いし、机の下をのぞき込むには身をかがめれば良い。身体機能をそのまま使ってVR空間にアクセスできるわけです。

 ……老人に限らず、「VRの方が現実以上だ」という事例もあります。解像度の問題がまだありますが、肉眼で見るよりもコンピューターのモニターをVRで見た方が良いという声すらある。この前VRのコンソーシアム(共同事業体)の会議があったんですが、会場にいるよりもVRでこれを見ている方がふさわしい。自分の隣に初音ミクのVRモデル「Miculus(ミクラス)」を表示して会議に参加している方が“勝っている気がする”という声も上がりました。「確かに現実(リアル)が負けたかもしれない」と思いましたね(笑)。

――そういう意味ではゲームの世界に没入でき、ゲームによっては自分の身体能力を遙かに超えた実感をもたらす機器として「VRゴーグル」はかなり魅力的なアイテムと言えるのではないでしょうか。

稲見氏: 現在のVRは「歩き回る」というところに難があります。視点は移動できるのに、体が動けない、だからこそ「VR酔い」が生まれるんじゃないかと思います。ここはまず解決すべきところですね。現在はウェアラブル技術も発展し、背負えるPCなども出てきた。体が動かなくても移動をスムーズに感じさせるそういう技術も進歩しています。ひょっとしたらこれが進むと、ずっとVRの世界に没入し続ける人が出てくるかもしれませんね。

――VRでは、PS VRを使うとちゃんとモニターを2つ並べた「ダライアス」ができる、というのがありました。大画面モニターを2つ並べるというのは現実では難しいですが、VRならば手軽にできますね。

稲見氏: 既存のものをVRで再現する、というのも方向性の1つです。VR空間は様々なものを“置くこと”が可能になる。新聞、テレビ、コンピューターとメディアは新しくなりましたが、VRはこれらを全部再現できる。チャンネル式テレビのチャンネルを回す感触も再現できるわけですし、新聞の感触も再現できるようになるでしょう。。

 また、「VRのHMD(ヘッドマウントディスプレイ)の方が老眼にやさしい」という声もあります。HMDは老眼に適した距離に映像を固定表示することが可能なので、焦点を合わせやすい。老眼に優しい距離で映像を映し出せる。レンズで映像を補正する眼鏡の代わりに、カメラで見た周りの映像をHMDで見る、そういう時代が来るかもしれません。こちらの方が見やすい時代が来るかもしれません。……「攻殻機動隊」ですと、知らない間にこの映像がハックされて、HMDを外すと全然知らない場所にいる、ということも起こりうるわけですが(笑)。

ネクソンが11月末に正式サービスを開始した「攻殻機動隊 S.A.C.オンライン」。スキルリンクによるシステムがオンラインFPSに新鮮な“連携”をもたらしている

――「攻殻機動隊」が話に出たことで、ちょっと面白かったのは、ネクソンが最近スタートさせた「攻殻機動隊 S.A.C.オンライン」というネットゲームを出したのですが面白いのが作中の「STAND ALONE COMPLEX」というテーマをゲームで表現できるか、という挑戦をしていることです。1人のキャラクターを育て上げその場でチームとして機能する、そういうことを考えて開発をしているという意気込みが面白かったです。

稲見氏: スキルそしてそのスキルの共有というのは、“人間拡張”でも取り組んでいるテーマです。「攻殻機動隊 S.A.C.オンライン」のスキルリンク、1人が光学迷彩を使うと他の人も透明化するように、職人のみが持っている独特のスキルを解析し、素人が使えるようにする、まさに“スキルの共用化”を講師の檜山敦氏がやっています。

 彼がやっているのは伝統工芸で、紙漉などのスキルを解析しています。作業の手順だけでなく、紙漉をしているときに手や腰はどう動いているのか、体にセンサーを取り付けて、職人の動きを分析しています。これらのデータから職人の“技”をモデル化し、初めての人でも職人の動きを細かくまねることで職人の技を再現できないか、という研究を行なっています。もちろんこれにVRが結びつけることも可能です。“手取り足取り”をより細かいレベルでできるんです。

 本郷キャンパスでは頭に微弱な電流を流すことで、ゲームの操作がうまくなったり、フライトシミュレーターの点数が上がったりするという「経頭蓋電流刺激(けいずがいでんりゅうしげき)」という研究も行なわれています。この電流の動きで神経を活性化させることで学習効果を高め、職人の技を再現できるか、といったアプローチも行なわれています。

 「攻殻機動隊」の世界では機械化された“義体”に神経直結のジャックを差し込んで電脳空間にダイブするわけですが、現実ならばVRグローブや、VRスーツといったものを使って疑似体験ができると思います。自分の身体をきちんと持ったまま、VR空間に投射することも可能だと考えています。

 今後出てくる“VRネイティブ”の若者にとって、今のゲーマー達が一生懸命習得している格闘ゲームのコマンドや、マウス操作でのポインティングは“昔話”になるかもしれません。「昇竜拳が出なくて大変だったんだよ」なんていう声は老人の意見になって、もっと身体に即したゲーム体験ができるようになるかもしれませんね。ひょっとしたら、特殊なコマンドは“特殊なポーズ”になって、やっぱり練習しなくては出せない技になるかもしれません(笑)。

――KinectやWiiで身体を使ってゲームをする時代が来るかな、と思ったのですが、やはりまだ認識の精度が甘くてゲームの完成度や、体験というところでもう少しでしたね。“精度”という意味ではPS VRのヘッドトラッキングには期待しています。カメラを設置するだけで、かなりきちんと視界を追ってくれる。研究されているな、と感じました。

PS VRは、前にカメラを設置し、セッティングするだけで、頭を動かしたとおりの映像を映し出す。ヘッドトラッキングの性能がかなり高く感じた
「Microsoft HoloLens」。法人向けに2016年内中にプレオーダーが開始される

稲見氏: PS VRは結構頑張っていると思いますよ。私がすごいなと最近思ったのは、「Microsoft HoloLens(マイクロソフト ホロレンズ)」です。ホロレンズは研究者も驚かされたアイテムでした。カメラで撮影した物にCGを重ね合わせるというARは結構あるのですが、ホロレンズはハーフミラーで重ね合わせる「オプティカルシースルー」という技術を使い、ゴーグルを通して見える現実の景色と、ゴーグル表面に浮かぶCGを重ね合わせるのです。

 このオプティカルシースルーの場合は、これまではどうしても“ズレ”が生じてしまっていた。ところがホロレンズのトラッキングは驚異的でした。頭を振っただけちゃんとCG映像が視界に合わせて動くだけでなく、頭を止めるとちゃんと“止まる”んです。その現実感はかなり感心させられました。すごい技術だと思います。これまで世界中のHMDを見てきたと言える私でも驚かされた。この“止まる”感じは、本当にかなりのものだと思いました。

 これからの話として、私の知り合いにPS VRの「THE PLAYROOM VR」の開発に関わっている吉田匠という後輩がいるのですが、彼は「実世界からダイレクトにVR空間に物を持って行ったり、VR空間のものを現実に持ち出せないか」ということを考えているそうです。現実の物を3DスキャンするとすぐVR世界で再現できる。VR世界でいいな、と思ったものを現実の世界で所有できるシステムです。それを今後5年かけて作っていきたい、といっていましたね。

 例えばショッピングというところならば、Amzonでも可能かもしれません。注文してすぐ届くようなAmzon Dashボタンが話題になっていますが、例えばVR空間で手に取ったときにはもう輸送が始まっていて、自分のところに置くという選択をした瞬間玄関のベルが鳴るとか(笑)。そういうことも可能かもしれませんね。他にも3Dプリンターで製品そのものを作る、ということも可能だと思います。

AIは“人格”を持つことが可能だろうか? 人類の明日は!?

――稲見さんの話を伺っていると、本当に色々なところから情報を得ていて、その情報収集の力のすごさに驚かされます。やはりコンピューターとインターネット、SNSなどのツールは研究者を変えたのでしょうか。

稲見氏: 変えましたね。私が情報を得ているツールは、Twitterです(笑)。もちろん私には世界中に“リアル”の友達、会ったことがある友人がいるというのも大きいのです。会って言葉を交わすことでお互いの専門分野がなんなのか、どんなことを考えているかを話せている上で、TwitterやFacebookで離れていても彼らが何をしているのかが、“横目で見える”ようになります。どんな研究を進めているのか、どんな取り組みをして、どういう考えで行動をしているのかがわかる。こういった繋がりが従来と比べ、大きく研究者を変えた点だと思います。

稲見氏の話は「人間拡張工学」を核としながら、ゲームやVR、情報収集方法、AI、さらには人類の未来まで広がっていく。その知識と、わかりやすい言葉の選び方と、話の面白さは、どんどん引きこまれてしまう

 もちろん実世界と同じように、SNSでもデマや噂が飛び交うことがありますが、そこからいかに取捨選択していくか、“編集”のスキルが問われる部分もあります。もちろん昔だって「噂話ばかりする近所のおばちゃん」などはいて、経験で「ああこの人は避けよう」みたいな対処法を学んでいった。SNSでの繋がりも似たようなところがあります。「人から聞いた話を他の人に話す」というのはコミュニケーションの基本で、様々なニュース記事を自分のSNSに貼り付けるのも“噂好きの人”といえるかもしれませんね。

 1950年代、1970年代など、過去の研究者が求められていたのは「情報を得る能力」といえます。しかし現代においては、多くの人が容易に情報を得られるようになり、そして「情報を取捨選択できる能力」こそが求められている。インターネットで得られる膨大な情報からいかに必要な情報を選び出せるか、キュレーション、編集の能力が求められています。

 そして、それ以上の大きな動きが見えてきています。「AI」の存在です。研究者はこれまで英語の論文が読めて、どこまでそれを引用できるか、そして得た知識に自らのアイディアを加えて発信できるかが重要視されてきました。しかしもうすぐ、AIがログを読む時代が来る。実際検索エンジンに出やすいページは多く読まれるようになり、そうでない記事は読まれなくなっています。

 ひょっとしたら現在のあいまいな“文章”よりも、プログラムのような「AIが読みやすい文」や、テスト問題を埋めていくような文章で情報を発信した方がより早く、広く広まるということになるかもしれません。「AIにいかに拾ってもらえるか」ということが重要な要素になるかもしれません。「こうやって論文を書いた方がGoogleの検索順位が上がるぞ」ということを研究者も気にする様になるかもしれません。

――話がAIの方向に行ったので、この機会に聞きたいのですが、より効率の良い検索、効率が良い作業や、的確な姿勢制御、運転など、様々な“自動化”に活用できる、というのは理想ができるのですが、SFのような「人格」や「自我」をもったり、意志を持って人類の反逆するような存在になったりするものなんでしょうか。

稲見氏: 私自身は「AIは第2の自然ではないか」というとらえ方をしています。コンピューターが作り上げた新しい"自然"……。同じように人間の思考が作り上げた自然と呼べるものに数学があります。数学は人間が作り出したものですが、“数理世界”があり、その中できちんと法則があり、新しい問題体系なども生まれる。そしてそれを探索しようという数学者が生まれている。

 AIも人が生み出したものですが、新しい“系(体系)”で、実は本体がどうなっているか、その思考回路の隅々までは見えないものになりつつある。これからの我々は、自然を理解するために研究する自然科学のように、AIがどうしてその結論にたどり着いたかを調べ解析するAI科学というものも生まれてくると考えています。

 そういう意味で、“自然界の反逆”という言い方はあまりしないですよね。しかし天災のように、自然は人間に大きな被害をもたらす恐ろしい一面も持ちます。人間とAIもそういう関係になるのではないでしょうか。AIへの理解や研究は難しく、予測もしなかった動きをすることもあるかもしれません。

 そして人間が自然を利用して生活し、自然を楽しみ、使いこなすように、私たちはAIを利用し、楽しみ、使いこなそうとする。新たな系が生まれたということだと思います。自然科学のエンジニアリングのように、今後さらにどう使いこなすかの議論もなされていきます。人間がどうバランスを取って姿勢を維持しているかをAIで解析すれば、優秀な義足の開発に貢献しうる。

 ひょっとしたらAIが人間の身体の働きを発見することもあるかもしれません。自然に対しても、AIが人間と全く異なる方法や思考様式で物事を解析するかもしれない。その方法により全く新しい自然の法則が発見されるかもしれない。

 先ほどの私自身が様々な分野のものを知り、専門分野の研究を紹介できるというところでも、私が専門とするヒューマンインターフェイス分野だけでも、世界中すべての論文を読むことはできないし、把握できない研究がある。有名な学会の有名な発表は知っていたり、知り合いの研究者から紹介してもらっていても、1人の人間が把握できる量は限界があります。だからこそフィルタリングが必要になる。そのフィルタリングをAIに任せることも可能です。

――そういったAIの発展、私たちの生活を今以上にサポートしてくれる存在になると言うこともわかりますし、予測不能な動きをして、解析によってそれを理解していく、という動きはわかるのですが、SF物語のような、「独立した人格」みたいなものに繋がるように思えないんです。

稲見氏: 0から人格のある/なしを考えてしまうからわからなくなるだけで、「私と同じ考えを持った存在ができるか」というチューリングテスト的な考えがいいかもしれません。実際10年もすれば、「私が言いそうなことを自動でつぶやき続けるBotプログラム」というのは作られると思います。

――神林長平のSF小説には「人工副脳」を扱ったものがあって、自分のことを副脳に語りかけ“育て上げる”ことで、自分の分身のような存在にする。あげく、自分がどう思考するか、「俺はこういうときどう思って決断するだろう?」と、自分の決断を副脳に相談したりします。AIをそのように育てることで、人格を持っているように見せる、ということは確かに可能かもしれませんね。

稲見氏: 自分の思考を客観視する、というようなことは今後のAIの重要な機能だと思います。人間は自分のバックアップを作れるかもしれない。そして、その副脳が他の人と会話したとき、副脳が人格を獲得したのか、使用者がコミュニケーションを重ねて作り上げたプログラムでしゃべっているのか、外からはわからない。それは私と話しているあなたが、本当に人格を持っているのか、誰かのプログラムで話しているのかが、私から確認できないのと同様です。

 そのように育て上げた「もう1人の私」は、使用者である私が死んだ後も残り続けることが可能だと思います。副脳は私自身が寿命で死んだ後も残り続け、家族や友人に“私”として変わらぬつきあいをしていく。VRで肉体も再現できれば、私自身が“死後の世界”に存在し続け、生きている人といつでも会うことが可能かもしれません。

 その“私”は、まぎれもないAIですが、人格も持っているように見えるし、他の知人からは生前の私と同じように扱われる。AIが人格を獲得するというのは、こういう方向性もあるかもしれません。副脳は「私のように反応する機械」であるかもしれませんが、外から見て、私と副脳は、同一の存在になるかもしれません。そこに意思を感じるか、プログラムだと決めつけるかもその時議論されるでしょうね。

 アメリカでは出会い系サイトでBotか人かわからないほどにうまい反応を返すAIがもう出ています。また、FPSなどでもNPCをAIが動かしているけど、そこに人間が混じると急にAIっぽさが抜けて生身の人間ぽくなる。人間とAIが協力することで、まるで全員が人間のように見せることもできると思います。

 さらにAIに混じって行動することで、行動している“人間”が、AIの思考に染まるということも起きると思います。

――稲見さんと話していると本当にワクワクするし、お話は本当に面白いです。稲見さんはご自身の研究や、お話を今後もっと多くのユーザーに広めよう、といった活動はどういった取り組みをなさっていますか。

稲見氏: 「現実世界のフィクション化」と、「フィクションの現実化」という2つのアプローチを行なっていきます。「現実世界のフィクション化」は「超人スポーツ」ですね。様々な機会に実施していきたいと思います。これにより人間の身体機能や、肉体の影響による思考の変化などを考えていきたいです。

 「フィクションの現実化」は「攻殻ハッカソン」がまさにそれですね。これからも様々な作品に対して、現実の技術がどういったアプローチができるかなど、語っていきたいと思います。フィクションを通じて現実技術を紹介することで、よりリアリティのあるフィクション、逆に技術にフィクションの影響を強めることも可能だと思っています。今後も色々やっていきますので、よろしくお願いします。

――読者へのメッセージをお願いします。

稲見氏: ゲームはプレイするのも楽しいですし、これをきっかけに世の中の考え方が変わることもある。ただ、できれば「自分だったらこういうことができるのに」といった、作り手側の気持ちに踏み込んで欲しいと思います。そうすることでゲームの理解、考え方がもっと深くなると思います。

 現在はゲームが発展しすぎてしまって、作り手と、プレーヤーが離れすぎているように感じます。「プレイする楽しみ」を、新しい若い世代の人たちに繋げられるようなアイデアを出して欲しいなと思います。

――ありがとうございました。