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【夏休み特別企画】君は抜群の発信力を誇るゲーセン「ファンタジスタ」を知っているか?

「艦これアーケード」は「初めて当たりを引いたなという気持ち」

12時~24時営業(年中無休)

岡山県倉敷市新倉敷駅前

ゲームセンター ファンタジスタ
ファンタジスタ店長 大島幸次郎氏

 岡山県倉敷市玉島は、倉敷市街地から車で20分ほどの場所にある、周辺を田んぼとブドウ畑に囲まれたのどかな田舎町だ。山陽本線新倉敷駅と、山陽自動車道のインターチェンジがあるせいで交通量は多く幹線道路は混雑しているが、賑わいを見せる商業施設などはなく、人の姿はまばらにしか見かけない。ゲームセンター「ファンタジスタ」は、そんな玉島の一画、幹線道路から少し外れた細い道沿いに建っている。

 以前はレンタルビデオショップだったという店舗はゲームセンターオープンから14年を経てすっかり色あせ、3年前に塗りなおしたという看板以外は、地方の幹線沿いでは珍しくもない“終わった店”の佇まい。だが、実は大島幸次郎氏が店長を務めるこのゲームセンターこそ、対戦格闘ゲーマーを中心に全国的に名前を知られ、遠く東京や九州からも遠征プレーヤーが訪れている名店なのだ。

 店内には、少し薄暗い室内に、ずらりと並んだ格闘ゲーム筐体が奏でるデモ音声の合唱が響く。ここには「機動戦士ガンダム EXTREME VS. MAXI BOOST ON」のような最新機種から、伝統ある「バーチャファイター」、「KOF」シリーズや根強い人気の「スパII X」、「ストIII 3rd」、「ヴァンパイアセイヴァー」、「各種ネオジオ対戦格闘」まで、大島店長が厳選したラインナップが並んでいる。

 中央に広めの通路が作ってあるのは、格闘ゲームの大会を開催する事を前提に開店したからだという。ファンタジスタでは、毎週のように開催される格闘ゲーム大会をTwitchの公式チャンネルから配信している。店の店頭には、イメージキャラクター“ジスたん”のポップが飾られている。

 ジスたんは公式ツイッターで、漫画家の大川ぶくぶ氏による4コマ漫画も連載されており、店内にはおみやげ用のイラスト缶バッヂガチャも置かれている。すべて、大島氏が個人でプロデュースしているものだ。

 ゲームセンターはもう何年も斜陽産業と言われてきた。近年では「EVO」などの対戦格闘ゲーム大会が注目を集めているにも関わらず、その舞台となるべきゲームセンター自体は衰退の一途をたどっている。過去に全国のゲームセンターで行なわれていた闘劇も終了してしまった。そんな状況の中で、大島氏は、個人経営でファンタジスタを始めた。店員自分1人の年中無休営業、資金力の弱い弱小ゲーセンにとっては逆風の時代にも関わらず、なぜファンタジスタはファンに愛されているのか。

 大島氏はブログとツイッターで店の情報発信を行なっている。このブログは、アーケード業界のちょっと言いにくい裏事情にまで切り込むぶっちゃけぶりが人気だ。実は今回の取材も、大島氏のブログを大変気に入ったGAME Watch編集部からのオーダーで、地方在住の筆者に白羽の矢が立ったというわけだ。

 そこで今回、大島氏にインタビューを申し込み、なぜ地方の片田舎にある一ゲームセンターが、全国の格闘ゲーマーを呼び寄せられるのか、大島氏のゲームセンター経営に対する考え方から、あまり知る機会がないであろう地方のゲームセンター事情までいろいろと興味深い話を聞くことができた。

見た目はアレだが、実は知る人ぞ知る格ゲーの聖地「ファンタジスタ」

レトロゲームから最新機種まで、多数の対戦格闘ゲームが設置されている
店の入り口。外光が入らないように目隠しをしてあるので、ちょっと怪しい雰囲気
数年前に塗りなおしたという看板
エントランスには、イメージキャラクター「ジスたん」のポップが
保護してそのまま飼い猫になったというネコ。アダ名は「社長」

――最初に簡単な自己紹介をお願いします。

大島氏: 岡山県でファンタジスタというゲームセンターを経営しています。店がオープンしたのは2002年で、僕が26歳の時です。当時からゲームセンター業界はすでに下り坂だったとは思いますが、全国的に見ると今よりは盛り上がっていた時期だったと思います。

――その時代に、なぜゲームセンターを始めようと思ったのですか?

大島氏: もともと、若い頃からゲームセンターをやりたいという気持ちがずっとありました。僕自身格闘ゲームが大好きで、学生時代にはゲームセンターに通い詰めていました。当時は格闘ゲームがブームになった頃ですごく盛り上がっていたのですが、この街にはゲームセンターがなかったんです。だから自分で作ってやろうという気持ちを、長い間ぼんやりと持っていました。

 オープン前には、ほかのゲームセンターやゲームコーナーで働いてた時期もありますが、全ては自分の店を持つための準備の一環でした。大学卒業して就職のタイミングで体を壊して入院することになり、20代前半は一般的に言うと落ちこぼれの生活をしていました。大学在学中は脱サラでの開業を考えてたんですが、自分の考えていたレールから外れてしまって無為に過ごしていたところ、国民生活金融公庫の存在を知りまして、計画書を書いて審査に出してみたところ、一発で通ったので、じゃあやってみようかなと。

――このお店は自分で建てられたんですか?

大島氏: 借家です。もともとはレンタルビデオショップだった場所で、僕は学生時代にここでアルバイトをしてたんです。ですからここの店舗を借りるときに、ビデオレンタルの会社の人と話をしたんですが、その人は顔見知りで「おお、君か」という感じでもうトントン拍子に。すごく巡り合わせがあった感じですね。

――知らない人から入りにくいと言われないんですか?

大島氏: 言われます(笑)。外から見た時、ちょっと怪しいお店に見えるとか。ビデオレンタルだった頃の名残で全面ガラス張りなんですが、ゲーセンに外からの光は大敵なので、ホームセンターで発泡スチロールを買ってきて模造紙を貼り付けて、それで窓を塞いでます。完全に手作りですね。それが今でも残ってるのも面白いと思います。最近外の看板を綺麗にしたので多少は良くなったんでよ。3、4年前の看板はかなりひどい状態でした。もう下地が見えてきてて、ビデオレンタルの名前が見えていたので、何のお店だと。

 看板塗るのって足場を組んでの作業なので100万円くらいかかるんです。その100万円があったら新しいゲームを買うほうに回しちゃうので、どうしても後回しにしちゃうんですよね。結局見かねた大家さんが看板の塗りなおし費用を一部負担してくれて……。うちは大家さんがすごく優しい人で、ものすごく協力的なので助かっているのもありますね。

――ゲームセンターは風俗営業法の規制のもとに営業するわけですが、そういう面で開店の苦労はありましたか?

大島氏: 風俗営業なので警察、公安からの許可が必要で、許可が下りるまでにどれくらいの日数がかかるかわからなかったのですが、その間も家賃を払い続けないといけないのが事前にわかってたので、警察に何度も通い詰めて、早めに許可が下りるように話をさせてもらいました。テナントを借りたのが3月20日で、許可が下りたのは4月1日だったんですが、これはおそらく普通に考えたらありえないくらいの速さなんです。通常は1カ月くらいかかるといわれているのが、10日で許可が出たので。いろんなことに恵まれて開店できたという感じです。それと、許可を得るための書類を作るのに普通は行政書士に依頼するんですが、数件回ったんですが「ゲーセンの許可は難しい」と断られてしまいまして。開店する前のハードルが結構大変でした。結局書類は全部自分で作りました。以前働いてたゲーセンの法務の方に相談したりもしました。

――オープンした時にはまだ20代だったんですよね。その年齢で大金を借りて自営業を始めるのは、かなり覚悟が必要だったのでは?

大島氏: 若者にありがちな根拠のない自信に満ち溢れていた時期ですね(笑)。それにある程度年を取ってしまうと失敗できないじゃないですか。20代なら、仮に開店して1、2年で失敗してもまたやり直せるので、早いほうがいいと思っていたんです。実は当初の人生設計では、ある程度サラリーマンとして働いて、貯金ができたらその貯金を使って開店しようと思っていたのですが、それをすると結果的に40歳とか、そのくらいの年齢になってしまう。今ちょうど40歳なんですが、じゃあ今からイチから始めようと思ったら正直無理かなと。若いころから挑戦できたのは、本当によかったです。

――20代で初めてよかったというわけですね。

大島氏: そうですね。26歳で始めたと言うと、割と驚かれます。うちのお客さんにはちょうどそれくらいの年代の人も多いですし、自分で振り返ってみても、26歳で自分の店を持つというのはかなりのチャレンジだったなと思います。

――オープン当初からすぐに軌道に乗ったんですか?

大島氏: いやー、厳しかったです。この街、倉敷市玉島という地域は割と岡山県の中でも人口が多い地域なので、この人口規模があればゲームセンター1店舗くらいやっていけるだろうと思っていたのです。現実はそうでもなかったんですけどね(笑)。当初の想像よりも売り上げも悪くて、初日の売り上げを見たときにはかなりショックを受けましたね。

――想定に届かなかったのですか。

大島氏: 期待している数値の半分以下でした。この売上が毎日続くようだと1カ月持たないんじゃないかというレベルの売り上げでしたので、その時期は毎日不安でした。

――当時もお1人でやられていたんですか?

大島氏: 人を雇う余裕がなくて。人件費は1番カットしようと思っていたので、友達や家族に手伝ってもらいながらという感じです。

入り口近くに4台設置されている「Virtua Fighter5 Final Showdown(バーチャファイター5 ファイナルショーダウン)」

――そのまま潰れずに盛り返したきっかけは何ですか?

大島氏: 「バーチャファイター4」です。当初は1台だけ入れていたのですが、開店して最初の土曜日、日曜日をみていたら「バーチャファイター4」にだけは常に人がいるんです。これを見て、すぐに台数を増やしました。当時70万円くらいだったと思いますが、運転資金で残していたお金をそこに投入して、対戦台を2台、3台と増やしていくと県内各地からお客様が集まるようになっていって、それで軌道に乗りましたね。

――大会も「バーチャファイター4」からですか?

大島氏: そうですね。もともと人気のある格闘ゲームタイトルの大会は開催するつもりだったんですが、最初は「バーチャファイター4」の大会中心でやらせてもらって、調べてみるとVFRという全国的に「バーチャファイター4」の大会を連携している店舗のグループがありまして、そこにも申し込みをして混ぜてもらって、ほかの地方から遠征も来てもらえるようになりまして。

――全国大会の予選会場みたいなものですか?

大島氏: ポイントランキング戦というのがありまして、大会の結果でポイントが入って、ポイントの上位者が全国大会に出られるというものです。それをうちでやらせてもらっていたので、大阪とか広島とかから遠征がたくさん来てもらえるようになったので、流れがよくなりました。

――「バーチャファイター4」の頃から、だんだんとゲームセンターで流行るタイトルが様変わりしていきましたよね。

大島氏: ちょうど初めてカード対応のゲームが出てきた時期で、ゲームセンターのあり方が変わろうとしている感じはありました。ネットワークに繋がってて、自分のデータを保存できるようになって。

――どういう変化が起こっていたのですか?

大島氏: いい面と悪い面がありました。いい面としては、やはり勝敗データが残ることです。自分の強さを数字で表示できるようになってプレーヤーのモチベを刺激してくれるようになりました。また画面上に名前が表示されるようになったので、コミュニケーションのきっかけになってくれました。悪い面としては、初心者狩りという行為が増えたことや、相手を選ぶようになったことでしょうか。自分の成績を上げるために、弱い人のところに意図的に入っていくような、そういう人たちが全国各地で問題になったように思います。すべて対戦記録が残ってしまうので、1回1回の対戦が遊び感覚でできなくなったり、カードを使わないのは舐めプだと言われたり、そういう意味でワンプレイの気楽さが少なくなってしまった部分もありましたが、トータルではメリットのほうが大きかったと思います。

これを撤去するとあの常連さんが悲しむ……

【90年代のレトロゲームたち】
「D&D」の世界観に忠実な横スクロールアクションゲーム「Dungeon&Dragons Shadow over Mystara(ダンジョンズ&ドラゴンズ シャドーオーバーミスタラ)」
当時はどこのゲーセンにもあったセガの「ぷよぷよ通」
シリーズ5作目の「THE KING OF FIGHTERS '98」(SNK)
豪鬼が初登場した「スーパーストリートファイターII X -Grand Master Challenge-」(カプコン)
カプコンが1997年に発売した「ヴァンパイア セイヴァー The Lord of Vampire」

――始めたころと最近では、客層に変化はありますか?

大島氏: それほど変わってはいないですが、一緒に年齢を重ねてきたので平均年齢は上がってますね。それとほかのお店がなくなったことで、ゲームセンター難民みたいな人がたくさん出てきて、そういう人がうちに集まってくるようになったというのはあります。格闘ゲームなんかでも、今はもうレトロゲームは置いていないお店が多いですが、うちはそういう機械をできるだけ残すようにしています。お客様も岡山県でもここに行けばそういうゲームがあるというのを知ってくれて、来てくれていたりとか。そういうゲームに関しては、売り上げが多少悪くても残してあげたいと思っています。そのあたりはお客様も理解してくれていて、できるだけ遊ぶようにしてくれてるなーと感じます。お店とお客様がお互いに守りあっているというか。

――みんなで守ろうとしているわけですね。

大島氏: お客様はお客様で自分の好きなゲームが残って欲しいからお金を入れてくれるわけで、こちらはそれに応えて、そのゲームを残すように頑張りたいと思ってます。その分ラインナップが固定化していて、うちはあまりゲームの入れ替えはやっていないという側面もあります。基本的に常連さんが中心の客層なので、常連さんが好きなゲームを残しているという状態です。普通のゲームセンターさんだと売り上げが悪かったら、どんどん入れ替えをすると思うのですが、入れ替えをするときにこのゲームを入れ替えたらあのお客さんが悲しむなと思っちゃう。そうすると入れ替えできないですよね。

――今はこういう対戦台の筐体ばかりを置いているようなゲーセンはほとんどなくなりましたね。

大島氏: ないですよね。ただ置いておくだけで盛り上がる時代ではないので、やっぱり厳しいと思うんです。今はプレイ課金が高いですし。昔「バーチャファイター4」のころにはワンプレイ5円だったんです。今はワンプレイ30円とか35円になってくるので、50円の運営がほとんどできないんです。ただ、そのおかげでメーカーとゲームセンターが共存できる状態になっているともいえるんです。ゲームセンターが儲からないとメーカーも儲からない、という図式がやっとできてきたなと。うちも最初はほとんど50円でやっていたので、100円に切り替えるのは苦労しました。課金代がかかってくるというメーカーさんの事情をお客様も理解してくれて、だんだんと納得してくれるようになりました。

――そういうところを、隠さず話しているんですか。

大島氏: お客様にはほとんど隠さずにうちの状況は教えています。自分の通っているお店がつぶれるのって嫌じゃないですか。それを黙ってつぶすのはよくないと思うので。

――状況を伝えることで協力的になってくれますか?

大島氏: そうですね、つぶさないためには何をすればいいかということが、お客様にも理解できるほうがいいと思うんです。うちは企業ではないので、僕が生活できればなんとかなります。そういう意味ではハードルが低いというか、続けることに関していえば大丈夫なのではないかと思っています。

――購入するゲームはどういう基準で選ばれているのですか?

大島氏: お店のブランドイメージを作るために、新作格闘ゲームは全部入れるようにしてました。でも結局タイトルが増えてもお客様が増えるわけではないんですよね。逆にプレーヤーが割れて、1台当たりの売り上げは落ちていくんです。中には古いタイトルをやり続けたい人もいるのに、新作が出たせいでそのタイトルから人がいなくなってしまったりと、新作が出ることが却ってマイナスに働く場合もあったりするので難しいですね。大ヒットした「機動戦士ガンダム連邦vsジオン」というゲームがあったんですが、その次回作が結構な値段しまして。シリーズものなので買わざるを得ないと思い買ったんですがほとんど利益が出ず大赤字に終わったことがありました。それ以来、機械を買うことに臆病になったこともありますが、だからこそ閉店せずにいられたのかも知れません。

――「ガンダム」といえば、「機動戦士ガンダム 戦場の絆」みたいな大きな筐体のゲームは入れなかったんですか?

大島氏: そのあたりは、うちの資金力では手が届かないところなので最初から考えてませんでした。大手のゲームセンターさんって、何百万円とか何千万円かけて、何百万円、何千万円回収するという商売だと思うんです。うちは10万、20万円を投資して、5万、10万回収するという規模の小さいやり方だったので、何百万円もするようなものは、最初からあきらめていました。

 ただ、「麻雀格闘倶楽部(マージャンファイトクラブ)」が出た時に、ほかのゲームセンターさんで、ものすごくお客さんがついているのを見て、これは買ったほうがいいなと思ったんです。そのとき400万円くらいしました。それまで買ってきたゲームって、新作でも30万とか50万とか、そういうレベルだったので、そこは初めて勝負をかけた投資をしました。

――アーケードの筐体は、1台が高いから悩みどころですね。ブログにも、入れましたというニュースと撤去しましたというニュースを書かれていますね。

大島氏: 撤去に関しては最近ですね。最初は機械のラインナップもここまでそろってなくて、音ゲーにしても「beatmania IIDX(ビートマニア2DX)」が入ってなかったり、バージョンが古かったりとラインナップがほかのゲームセンターに比べたら物足りない状態だったので、そもそも撤去するほどの機械がなかったんですが、だんだんゲームセンターとして完成してきたなという実感はあります。ロールプレイングゲームでいうと、だんだん装備が整ってきたという感じです。最初は対戦格闘ゲームという武器しか持っていなかったけれど、鎧を着て、盾も買ってみたいな感じで。装備がそろったなという。今年、去年くらいでゲームセンターとしてある程度のラインナップがそろったんじゃないのかなと。その結果、新しい装備を手に入れる時に古い装備を売らざるを得なくなってきたという感じです。

――だから撤去の理由をちゃんと書くのですね。

大島氏: そうですね。撤去に関しては売り上げもそうなんですが、撤去するタイミングで売却できるかどうかというのが大きくて、しばらく前にツイッターで話題になった「maimai」を撤去した時なんかは下取りが高かったので、これなら売ったほうが利益が大きいという判断でした。「maimai」はアップデートが有料なので、それを計算に入れるとどうしても設置し続けるのが難しかったんです。逆に、この金額で売るくらいなら置いておくほうがマシだ、と言う場合もあります。

――それを包み隠さずすべて書くのがすごいですね。

大島氏: 結構そういう部分はお客さんが知りたいところだと思うんです。ほかのお店さんは、メーカーさんの目があるので書けないと思いますが、うちは僕の体1つなので、そういう部分で目立つことで宣伝にもなりますしね。

――小さいゲームセンターだと書くことで有利になるんですね。

大島氏: そうですね。ツイッターを始めたのもこの2、3年くらいで、それまではあまり発信していなかったんですが、ツイッターの使い方がわかってきたので、どんどん発信していこうかなと思いまして。お店が小さいこと自体宣伝にもなってるかも知れませんね(笑)。

【店内のレトロゲーム】
彩京の縦スクロールシューティング「ストライカーズ1945II」
AQインタラクティブの麻雀ゲーム「ひぐらしの哭く頃に 雀」
ケイブが開発し、アトラスが販売した縦スクロールシューティング「エスプレイド」
セタの縦スクロールシューティング「ウルトラ警備隊 空想特撮ゲーム」

――ファンタジスタと他の店の差はどこにあると思いますか?

大島氏: 経営がコンパクトと言うこともあると思うんですが、うちのお客さんがゲームセンターという場所を守りたいと強く思ってくれていて、僕もゲームセンターを守りたいと思ってるので、お店とお客さんの目指す場所が同じと言うところでしょうか。お店が小さい分お客さんが入れたお金がそのまま新作の購入費用に回るので、お客様への還元率が高いのも特徴かも知れません。他のお店はゲームセンターそのものをあきらめて来ている気がします。ゲームセンターという業種だからできることをやる気があるかどうか。ただ単純に儲けようと思ったら、ほかの業種の方がいいと思います。

――それだけ厳しいということですか。

大島氏: そうですね。何人かのお客様から、ゲームセンターをやりたいんですと相談されたことがあるんですが、絶対にやめたほうがいいですとしか言ってないです。お金を捨ててもいいならやってもいいと思いますけど、商売で儲けたいならもっと他のことをしたほうがいいです。今はゲーセンをやりなさいとは言えないですね。そういう状況に置かれているのは、大手さんがどんどん閉めていることからもわかると思います。僕自身が大手にいるわけではないので、大手さんがどうして閉めているのかは想像するしかないのですが、投資や努力に対して割に合わなくなってきているんだろうなとは思います。

――実感として、ゲームセンター経営のどういう部分が厳しいと思いますか?

大島氏: ゲームセンターのシステムとして、新作ゲームの受注システムに問題があるかなとは思います。新しいゲームを買うときに、そのゲームが面白いかどうかわからない状態で注文をしなければいけない。自分としては、このゲームは微妙と思っていても、ほかのお店が入れるとなると、そのゲームを入れないことによってお客様が離れていってしまう可能性がある。ラインナップとしてこれはあるべきゲームと思ったら、売り上げが悪いとしてもとりあえず注文しなくてはいけない。逆にヒットするとわかってるゲームがあっても、それを売ってもらえる保証はない。新作が出るたびに博打を打たなくてはいけない。それに耐えきれなくてやめていくお店が結構あるのではないかと思うんです。

――ゲームを事前に遊ぶチャンスは、業者さんにはあるんですか?

大島氏: 一応我々にもあるんですが、その時点ではまだゲームが完成していなかったりするので、その時点で判断をするのはなかなか難しいです。なのでメーカーさんの力の入れ具合を察して導入を決断することもあります。メーカーさんのプライドにかけて失敗するわけにいかないビッグタイトルなどもありますしね。どんどん毎年新作が出てくるので、その分今度は他のお店でも旧作の置き場所がなくなって撤去されていくので、逆にその撤去されていくゲームを残しておくと、そのゲームが好きなお客様は来てくれるので、うちはそういう部分で大手さんと差別化したりバランスをとりながらやっているところはありますね。

――かなり厳選されている状態ですか?

大島氏: なるべく厳選しています。近年だと「パズドラ」、「ポッ拳」はネームバリュー的にメーカーが失敗できないタイトルと判断して購入したんですが、数字が伴わなかったためにすぐに撤去する形になってしまいました。それ以降も「Wonderland Wars(ワンダーランド ウォーズ)」、「スクール オブ ラグナロク Re:Boot」、「ディシディア ファイナルファンタジー」などの新作がありましたが、うちは「艦これアーケード」に絞っていたので導入できませんでした。ただ「艦これアーケード」が大ヒットしたことで、昔だったら絶対に注文できなかった機械でも注文できるような立場になって自分でも戸惑ってます。業者さんから、初心を忘れずに慎重に注文してくださいと直接言われました(笑)。

 ゲームセンターという商売はお金を遊ばせておいてもダメなので、売り上げはほぼ次の新作を買うために投資しています。「艦これアーケード」の売り上げも、当然次の機械に投資しますので、そういう意味では、ものすごく経済を回している感じがします。もちろん現金を残さないのがつらいというところもあります。自分の生活レベルは上がらないですから(笑)。新しいゲームを入れ続けなければならないので、本当に自転車操業みたいになってて、どこかでこのサイクルから脱落した時にどうなるかなというのは怖いですね。ラインナップが整ってきたことで、撤去する機械のことも考えないといけなくなってきたのでそういう意味での厳選もしなくてはいけなくなってきました。

――格闘ゲームとそれ以外のゲームで、お客さんの傾向に違いはありますか?

大島氏: 格闘ゲームをやられている人は結構年齢層が高いです。「ストII」ブームのころに学生だった人や「バーチャファイター」が出たころに学生だった人とかが、もう30代、40代になっているんです。音楽ゲームは幅広い層が遊んでくれてます。カードゲームは若い子が結構やってるので、ゲームセンター自体に若い人たちを呼ぶにはカードゲームが必須かなと思いますね。

――売り上げ的な貢献ではどちらが大きいんですか?

大島氏: うちでいうと半々くらいです。

――結構格闘ゲームも遊ばれているんですね。

大島氏: 音楽ゲームってワンプレイ100円で10分くらい遊べるんですが、対戦格闘ゲームは早ければ2、3分で終わりますから回転が速いんです。対戦が盛り上がっているときの格闘ゲームは売り上げ貢献が高いですね。その代わり人がいないとまったく売り上げにならないので週末やイベントがある日に数日分を稼ぐ、という感じです。一人で遊べる音楽ゲームやカードゲームは安定した売り上げを出してくれます。