「電遊道」~Way of the Gamer~ ジョン・カミナリの楽しいゲームライフ
ジョン・カミナリの楽しいゲームライフ【第32幕】
BORN TO BE GAMER~日本のゲームをこよなく愛するイタリア人ゲーマーを紹介!~
東京から10,000キロ離れたイタリアには、思ってもみなかった和ゲー好きなイタリア人が存在していた!毎回、彼らの自宅に訪問し、宝物を見せてもらいます!そして、インタビューでゲーマーとしての人物像を掘り下げます。ゲームの持つ本来の魅力を再発見しましょう!
今回のゲーマーは、10年以上前、ローマのゲーム雑誌出版社で一緒に働いていた同僚のフランチェスコ・セリーノ氏だ。彼は現在もイタリアでジャーナリストとして活躍している。彼は僕と同じくセガの大ファンで、当時一緒にドリームキャスト専用雑誌「Dreamcast Arena」担当していた。
日本のセガから直接送付された新作のイラストやスクリーンショットで、数々のプレビュー、特集記事を編集していった。特に「Space Channel 5」や「Jet Set Radio」の記事が掲載された時の感動はとても忘れられない。今でもセガのゲームを遊んでいて、沢山の新作や続編の開発が決定されることを望んでいる。
最近、久しぶり再会して彼の自宅に訪問した。宝物を見せてもらって、そしてセガ愛情たっぷりのインタビューを敢行することになった。1人のイタリア人ファンがセガに1番何を期待しているのか? 是非、読んで欲しい!
ゲーム愛を計るためのインタビュー開始!
テレビゲームとのファーストコンタクトはいつでしたか?
僕のテレビゲームとのファーストコンタクトはAtari 2600でした。しかし、僕の友達の家ではファミコンで遊ぶこともできました。1980年代にゲームセンターに入り浸っていました(笑)。タイトーの「New Zealand Story」、任天堂の社長、岩田聡自らが開発した「バルーンファイト」に膨大な数の硬貨を投入しましたね。当時、ゲームがどこから来るのかということにあまり興味がありませんでした。ゲームは僕の世界でした。国境なんてものはありませんでした。
――あなたのゲーマー人生の中で最も独特なエピソードを語ってくれますか?
何年だったのかな? よく覚えていませんが、ずっと心に焼き付いているのは過去にアメリカのゲーム見本市、E3に行った時のエピソードです。セガのブースに入ろうとしましたが、入る為の許可はありませんでした。何回もアクセスしようとしましたが、毎回追い返されました(笑)。ある時、偉大な鈴木裕さんに会いました。地面に鼻が触れるまでお辞儀したら、彼は僕をセガブースの入り口まで連れて行って、僕のことを友達だと紹介して下さいました。そうすると、入ることができました。今でも夢のような出来事で、信じられません!(笑)。
――ずっと離れられないような思い出のゲームはありますか?
それは「シェンムーI&II」です。鈴木裕氏が手がけたこのゲームはゲーム産業において、頂点を象徴したと思います。ユーザーの驚きや感動を起こす為に作られたゲームだと思います。「シェンムー」のキャラクター達は今でも僕の中で生き続けています。「シェンムー」のあの独特な雰囲気は青年期から大人になった現在まで、僕を温かく包んでくれました。未完成である特徴はさらに伝説的な作品にしていると思いますね。
――日本のゲームは欧米のゲームに対して、どういう付加価値を持っていると思いますか?
何故、日本のゲームが好きなんでしょう……。まず、予見できないところが好きです。いつもサプライズがあって、先が読めないような展開がプレーヤーを夢中にさせると思いますね。グラフィックスのダイナミックさも大きな付加価値です。日本のゲームを尊敬しているもう1つの理由は、日本の開発チームが難易度を上げることをあまり気にしないことですね。とにかく日本で作られているゲームは他の国では作ることが不可能です。西洋で起きる流行は、日本で生まれるものが多いです。例えば、Bemaniの音楽ゲームがなければ、「Guitar Hero」というシリーズが存在しなかったと言えるでしょう。
――現在のゲームは過去のゲームに比べて何を失ったと思いますか?
インターネットと株式相場が最も大きな変更点です。昔、大手、中堅ゲームメーカーだけでなく、小規模の開発会社の為のゲーム市場があったと思います。そのおかげで、2人の兄弟も傑作を作ることができる時代でした。しかし、今は……実は今も同じです。Steamというプラットフォームで起きていることは大好きですし、ソニーがPS4でインディーズに開放的な態勢を見せているところも好印象です。僕達ゲーマーはゲーム産業の積極的な一部でいたいです。消極的な消費者は映画産業でいくらでもいるからね。
――セガの話題に入りましょう。セガというブランドを知ったきっかけは?
もちろん、それはゲームセンターでした。セガのアーケードゲームは僕のお気に入りでした。最も進化していたし、とても豪華でした。「ハングオン」は乗る為のバイクがあったし、360度回転していた「アフターバーナー」の筐体は中に入った瞬間、夢を現実に変えていました。僕の家で初めて遊んだセガゲーム機は「Sonic The Hedgehog」を同梱したメガドライブでした。学校から家に帰った時、メガドライブがベッドの上に発見したことを鮮明に覚えています。とても忘れられないような素敵な日々でした。
――セガゲームのどんな特徴が夢中にさせたのですか?
第1に、有名な“blue sky”ですね。セガゲームで使われていたカラーパレットはユニークでした。「アウトラン」、や「アフターバーナー」のような素敵な空は存在しないと思います。そして、当時のあの名作の音楽もずっと忘れられません。今でも、口ずさんだり聴いたりしています。当時のセガはPEPSIやMichael Jacksonのようにアイコンでした。そして、ドリームキャストで全力を出し切ったと思います。アイディアとクオリティで実り多い時代があったことを誇ることができるゲームメーカーというのは至って少ないと確信しています。
――セガの特定のゲーム、あるいはゲームシリーズが好きですか?
「シェンムー」について話したっけ?(笑)。1日中あのゲームのことをずっと話せますよ。その次に、「パンツァードラグーン」、「PHANTASY STAR」、そして、「龍が如く」が順番にきます。もちろん、お気に入りリストは続編のなかったゲームもあって、そのどれも素晴らしいと思います。新しいゲームシリーズの中で、「龍が如く」はセガの栄光に満ちた過去を最も連想させるシリーズです。
――セガがゲーム機製作から撤退したと発表した時、何を感じましたか?
ジャーナリストをやっているから、正式に発表される以前から何となくわかっていました。セガは否認していたのですが、僕はわかっていました。事実がどうであれ、セガのゲーム機がもう伝説になっていました。セガゲームの未来を心配していたわけではなかったけれど、セガの開発チームが解散されることをとても恐れていました。そしてそれが、現実になりました。Team Andromedaよ、今、どこにいるのですか?
――現在のセガの何が好きですか?そして、何が納得しないのですか?
名越稔洋氏のようなキーパーソンがまだ在籍していることが好きです。そして、「Total War」などの西洋ゲームシリーズのセガの管理の仕方が好きです。指摘は……そうですね、昔のようにもっと“日本”を感じたいです。ユニークなゲーム性を作ることにもっと勇気を持って欲しいです。
――セガがどんな新作・続編・リメイクを作って欲しいですか?
私がセガのCEOでしたら、すぐにでも「Shenmue Collection Remastered」の製作許可を与えるでしょう。リマスター版なのですが、ベースとなるものはXbox版ではなく、ドリームキャスト版です。Xbox LiveとPlayStation Networkでデジタル版を発売して、そして、パッケージ版を求めるユーザーはインターネットでLimited Editionを注文するというシステムになったらいいと思います。具体的すぎますか?(笑)。さらに、「パンツァードラグーンRPG」のリブートにも投資するだろうと思いますね。グラフィックススタイルは同じでお願いします!(笑)。
――セガが欧米の市場でもっと活躍する為には何が必要だと思いますか?
セガが欧米市場で活躍する為には日本で活躍するのが大前提です。日本のゲームメーカーが海外チームに開発を任せる時はほとんどの場合、失敗に終わると思います。僕達欧米ゲーマーが欲しいのは、日本人が日本人の為に作ったゲームです。それは、最も良くできた日本のゲームだと思います。
――セガゲームのどんな未来を想像していますか?
よくわからないのですが、明るい未来があることを強く願っています。僕の最大の夢はセガがValveと共同で新しいゲーム機を作るということです。セガさん、可能性はありますか?(笑)
――最後に、セガのゲームクリエーターへのメッセージをお願いします!
僕のメッセージはセガ全体に送りたいと思います。セガさん、愛していますよ!本当にありがとうございます!これからも欧米で活躍することを願っています!
フランチェスコさん、今日は本当にありがとうございました! これからも大好きなセガゲームで遊び続けてね!!