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PCの進化がゲームを変える! 30周年「信長の野望」と10周年を迎えたゲーミングPCブランド「G-Tune」
コーエーテクモゲームス・襟川陽一社長とマウスコンピューター・小松永門社長特別対談
(2014/4/9 00:00)
今回の特別企画は、コーエーテクモゲームスのシブサワ・コウこと、襟川陽一代表取締役社長と、ゲーミングPCブランド「G-Tune」でおなじみのマウスコンピューターの小松永門代表取締役社長の対談だ。
両社の繋がりは深い。コーエーテクモゲームスは「信長の野望」シリーズを筆頭に、ご存じのように古くからPCゲームの開発を行ない、大ヒットタイトルを多数輩出している。そしてマウスコンピューターはコーエーテクモゲームスの推奨PCを数多く手がけ、2013年にはオリジナルデザイン天板を採用した「信長の野望 Online」10周年記念PCも発売している。
筆者にとっても両社はなじみが深い。コーエーブランドの大ファンであることは紙面でも何度か公言させていただいているし、実は最近筆者が購入したPCは「G-Tune」ブランドだ。
約10年前、ハイスペックなPCを求めるユーザーの選択肢は自作など限られたものだった。同社がハイスペックPCブランドの「Tune」を展開していくなかで、オンラインゲームが流行していき、その流行に合わせ「Tune」ブランドをゲーミングパソコンブランド「G-Tune」にリニューアル。「ゲームが快適にできる」ということを前提とし、ゲームをプレイするのに必要な高いスペックと安心感を追求し今日に至っている。
「信長の野望」はシリーズ30周年。「G-Tune」も10周年。これは、面白い話がたくさん聞けるに違いない。ゲーム業界で10年の節目を迎えた筆者に、この対談企画を任されたということは、GAME Watch編集部がくれたプレゼントに違いないのだ。というわけで、早速ご覧いただきたい!
パソコンファンからスタートした襟川氏、ゲームファンからハード業界に入った小松氏!
小松氏: 本当に今日お話しするのを楽しみにしていたんです。というのも、学生時代にNEC製のパソコンPC-9801を購入したのですが、その1番の理由が「信長の野望」シリーズと「三國志」シリーズをプレイしたかったからなんです。なので、私のパソコン人生が始まった大きな理由は御社のゲームだったんです。
襟川氏: ありがとうございます(笑)。当時、PC-8000シリーズとPC-9000シリーズは一世を風靡していましたね。
小松氏: そうでしたね。そしてシミュレーションゲームというジャンルが本当に新しいものでした。たくさんのゲームが出ていましたが、ゲームをプレイすると、やっぱりシミュレーションはコーエーという印象を強く持ちました。
襟川氏: 1980年代はシミュレーションゲームの新作をたくさん作りました。1981年に「川中島の合戦」というシミュレーションを初めて作り、1983年に「信長の野望」、1985年に「蒼き狼と白き牝鹿」、「三國志」を出し、歴史シミュレーションゲーム三部作が完成した時期でした。1980年代はNECさんと富士通さんが非常に高性能なパソコンを毎年発表していた時代でしたね。私はハードマニアの1人として、最初にシャープさんのMZ80Cを購入し、PC-8001と8ビットパソコンから買っていました。1980年代は毎年各社の新製品をワクワクして待っていた時代でした。
小松氏: あの頃のハードウェアはFM音源でしたね。
襟川氏: その前は1音源のビープ音で音を出していました。
小松氏: 「信長の野望」はビープ音源でしたよね。
襟川氏: そうです。あの頃はビープ音源で音階を作ったりしていました。本当に「キーキー」した音でしたけど(笑)。
小松氏: 音だけでなく、グラフィックスも使える色が8色くらいでしたね。
襟川氏: ドットも非常に大きなドットでした。今から考えると隔世の感がしますね。
小松氏: あの頃ですと、PCゲームはハードウェアのスペックをどこまで引き出せるのか、というものだったと思います。ソフトウェアを作られる方は1番苦労されていたと思います。
襟川氏: 1番苦労したと思うのは、とにかくメモリが少ないことでした。メモリとの戦いは強烈に覚えています。やりたいことはたくさんあるのですが、メモリ自体が少なかったので、難しかったですね。最初のPC-8001なんて16キロバイトでしたからね。増設メモリを買っても32キロバイトだったので、その中でいろいろなことをやらなければならなかった。ですので、当時のプログラマーは職人的な気質が求められていたのです。いかにして、小さいメモリの中にコンパクトに入れるかという競い合いみたいなものがありました。入れるもの、省くものを細かに設計し、ギュウギュウに詰め込みました。
GAME Watch: 今では本当に考えられませんね。
襟川氏: 最初はベーシックでプログラムを書いていたのですが、コードが大きくなってしまうんです。ですので、多くの要素を入れるために書き方を工夫して作っていましたね。非常に懐かしいですね(笑)。今みたいに2ギガみたいな世界と全然違いますから(笑)。
小松氏: あの頃ですと新しいゲームが出てくるためにはグラフィックスの進化もそうですが、ゲーム性も洗練されたものが求められたと思います。
襟川氏: 人間とAIの戦いという一面がシミュレーションゲームにはありますので、ゲームをリアルな世界に近づけようと思うとプレーヤーがやれることが増えてきます。それに対応するよう、AIでも人間にかなうような、時には人間を上回るような戦略、戦術を考えさせなければいけないんです。それを真面目に組み込んでしまうと、プレーヤーのターンの後のコンピューターのターンで、AIの思考時間にものすごく時間がかかってしまい、ゲームが成り立たなくなってしまうのです。
小松氏: 確かに、数分くらいかかっていましたね。
襟川氏: 最初の頃の作品はそうでしたね。CPUの性能がだんだんと良くなりましたから、5秒から10秒くらいでプレーヤーのターンが回ってくるようにできました。ですので、パソコンの進化で随分と助けられた面はありましたね。最新作の「信長の野望・創造」(以下「創造」)ではほとんど待たないです。逆に、AIの思考ルーチンが早く回りすぎるので、プレイスピードをプレーヤーが調整できる機能を持たせました。
小松氏: 早すぎると、戦闘中に指示を出せずに終わってしまいますからね。「創造」ももちろんプレイさせていただきました。
襟川氏: ありがとうございます。
小松氏: 「信長の野望・天翔記」まではすべてプレイしていました。少しプレイできない時期があり、ブランクが開いてしまったのですが、「創造」にはもうビックリさせられました。パッケージには初代「信長の野望」も入っていたのでプレイしたのですが、ああ、確かに昔はこれだったなと(笑)。
襟川氏: 30年のパソコンの歴史そのものという感じです(笑)。8ビットと今のマルチコアとの違いはものすごいものがありますよね。
小松氏: グラフィックスもそうですが、ゲーム性の進化も感じました。
襟川氏: アルゴリズムと思考性の部分には力を入れ作りました。勝つのが大変な作品になっているかもしれませんね(笑)。
一同:(笑)。
襟川氏: 「創造」は戦略ゲームの原点に戻ろうというテーマがありましたので、30年前に初代を遊んで頂いていた方でも、楽しんで頂けるように随分工夫をしました。細かな指示はもちろんできますが、委任システムを使えば、大局的な命令を自分がだし、その他は任せることもできます。自分が戦国大名になったという雰囲気が出るよう色々と工夫し、組み込んでいます。
小松氏: 移動に関しても、旧作では1ターンで完了していましたが、距離によって時間が変わるようになっていますし、リアルタイムでの部隊の動きもすごいなと驚きました。
襟川氏: 武将を配置し軍勢を率いるという面もリアルタイムで楽しめますので、本当にタイムスリップして大名になったような楽しみができるかと思います。
小松氏: 歴史イベントも豊富ですしね。歴史を思い出しながらプレイするとイベントが起こってくれるのも楽しみの1つです。
襟川氏: 歴史をあまりご存じではない方でも、イベントによって信長の台頭していった足跡を歩むことができると思います。
小松氏: 今作では、ゲーム全体の流れが史実に近い形で楽しめる作品になっていると感じました。
襟川氏: ひとつの城に100万人が集まるというのは今回無くなりましたから(笑)。
小松氏: ゲームなのでしょうがないと思っていたんですが、「なんで武田はこんなにすぐ弱くなっちゃうの?」って思う時期もありました(笑)。
襟川氏: 今作では石高や人口などリアルなシチュエーションを入れているのですが、武田家は容易に動けない形になっていたのですね。動けないからこそ、外交を結び地盤を固めて攻略していく。それを怠るとみんな滅びてしまいますから。あの当時は四方八方目を見張り、外交なのか侵攻なのかを選択する。本当に大変な時代だったんだなと思います。ちなみに、私は「創造」の日本を俯瞰して見られる部分が大好きなんです(笑)。
小松氏: シームレスでマクロな視点からミクロな部分まで見られるのが素晴らしいですね。
襟川氏: お客様からも好評をいただいています。ぜひとも踏襲して今後の「信長の野望」シリーズに生かしていきたいと思いますし、もっともっと工夫の余地があるので、良いものにしていきたいと思います。
しかし、パソコンの歴史の30年をゲーム制作者として振り返ると、本当にすごいですよね。GPUの登場なんて思いもよらないことでしたから。「あればいいな」といった発想さえもまだ無かったです。本当に今のパソコンの姿なんて、当時は想像できませんでした。たとえば、「信長の野望」の第2作「信長の野望・全国版」を出したのですが、その際に大名の名前表記がカナから漢字にできたんですね。それって飛躍的な進化だったのです。1年か2年先の進化くらいしか予想できませんでした。
小松氏: ストレージも当時ですとフロッピーディスク(FD)1枚で、2枚になると入れ替えが発生するからお客様が嫌がってしまう、というところでしたからね。今でみるとディスク容量なんて無制限に近いですからね。
襟川氏: ハードディスクが安くなり、コンパクトになり、容量が大きくなったというのは画期的ですね。今ですとCDやDVDからデータを読み込むのではなく、メモリにゲームのデータを置いてプレイするのが標準になっています。メモリにデータを置くことで、本当にゲームスピードが速くなりました。
小松氏: メモリも標準でギガですからね。マウスコンピューターの商品もゲーム向けですと8ギガが中心になっています。
襟川氏: ディスクではなく、本体内のメモリに置けるのが本当に良いですよね。そのおかげですごくゲーム性を高めることができました。
小松氏: 当時はフロッピーディスクへのアクセスが頻繁でしたものね(笑)。
襟川氏: たびたび、ガチャガチャ音が鳴って(笑)。ゲームのプレイアビリティが高まったのは、パソコンの高性能化の歴史とイコールだと、本当に思います。