【CEDEC 2009特別企画】東大名誉教授 原島博氏特別インタビュー
「主役が交代している」とは何を意味するのか!? 情報技術のスペシャリストにゲーム産業の未来を聞く
東京ゲームショウと並んでゲーム業界における秋期恒例のイベントのひとつ「CESA DEVELOPERS CONFERENCE」、通称「CEDEC」が今年も9月1日から3日間の日程で開催される。
今年のCEDECは日経BPとの共催イベントとして過去最大規模で開催されるが、大きな特徴は3つある。1つ目は従来のように大学の一部を借りる形ではなく、パシフィコ横浜という正規のカンファレンス会場で実施されること。2つ目はCEDECの対象を現役の開発者だけでなく、これからゲーム業界への就職を希望する学生たちまで広げるべきという理念の元、「『ゲームのお仕事』業界研究フェア」という形で“学生向けCEDEC”が併催されること。そして3つ目がアカデミックの分野からの積極的な参加だ。
今年は、例年以上に様々な大学や各教育機関から、多様な知識、経験を持った講師によるセッションの開講が予定されているが、中でも圧倒的な存在感を放つのが初日の基調講演を務める原島博氏である。CEDECの基調講演は2006年から実施されてきたが、GDCのキーノートスピーチと同様に、ゲームメーカーのトップがビジョンを語るというのが慣習になっていた。この慣習がついに崩れることになる。
原島氏は、東京大学の工学部教授として情報工学を専門に、情報通信、デジタルコンテンツ、アニメーション、ヒューマンコミュニケーション、バーチャルリアリティ等々、ゲームに直接的間接的に関わる様々な分野で活動し、今年3月に定年退官されたばかりである。原島氏はこれまでゲーム業界に対してダイレクトな関わりはほとんどなかったため、果たしてどのような話が展開されるのか気になっているゲーム関係者も多いだろう。そこで今回はCEDEC開幕に先立ち、原島氏へのインタビューを行なった。
インタビューは、基本的に原島氏の研究分野をベースに、ゲーム産業との関わりを聞いていったが、ときおりまったく関係ない話に踏み込むこともあったものの、最終的にはゲームとの関わりに立ち返るという、原島氏が45年の研究生活で広げた網の目の大きさに感服させられたインタビューだった。CEDECへの参加を予定している人はもちろんだが、そうでない人も、現役世代、学生を問わず、ぜひご一読いただきたい。
■ ゲームとの出会いは「スーパーマリオブラザーズ」から
東京大学名誉教授 原島博氏 |
ゲーム界の古典中の古典「スーパーマリオブラザーズ」(任天堂)。原島氏が最初に熱中したゲームであり、親の尊敬を勝ち得たコンテンツとして非常に思い出深いものがあるようだ |
GAME Watch編集部 中村聖司: 今回はCEDECの実行委員長を務めるCESA副会長の松原さん(健二氏 コーエーテクモホールディングス代表取締役社長)の紹介でこのようなインタビューの機会を設けさせていただくことになりました。原島先生と松原さんはかなり親しいご関係のようですが、師弟関係という理解で良いのですか。
東京大学名誉教授 原島博氏: あまりそういう意識はないのですが、松原さんは学生時代に東大で僕の授業を受けたことがあるそうなんです。最近になってたまたま東大でコンテンツ関係の教育プログラムを始めたときに彼に特任教授をお願いしました。それとは別に科学技術振興機構(JST)での大きな研究プロジェクトのアドバイザーにもなっていただいています。
編: 今回はいわばそのお返しとしてCEDECの基調講演をお受けになったということですか。
原島氏: 彼から請われればNOとは言えませんよね(笑)。今までCEDECは外部の講演があまりなかったようです。今回はアカデミックからは初めてですので何を話したら良いか。勉強をしながら考えています。
編: 弊誌は純粋なゲームメディアですので、ゲームに関連したお話しを中心に伺っていきたいのですが、まずは原島先生とゲームとの関わり、個人的な関心について教えてください。
原島氏: 1980年代前半からです。僕が直接やったのは1985年の「スーパーマリオブラザーズ」です。当時、子どもがまだ小学校低学年で、ファミコンを買ってあげて、子どもには「1日30分だよ」と言っておいて、子どもが寝てから僕が3時間やっていました(笑)。その結果、子どもよりも先にピーチ姫に到達しました。ご存知のとおり、当時はセーブができないので、いろいろと迂回ルートはあるけれども、最初から最後までやらなければならない。子どもよりも先にクッパを倒し、子どもの前で最初から最後まで見せてやったのです。すると子どもは目を丸くして「お父さんすごい」と(笑)。今度の日曜日友達全員連れてくるので友達の前で見せてほしいと。5、6人やってきて最初から最後までやってみせたのです。それがゲームへの最初のアプローチでした。親の尊敬をゲームで勝ち得ました(笑)。
しかし次に出た「スーパーマリオ2」がやたらに難しかった。当時、怒り狂って「こんなに難しいのをなんで出したのだ」と思ったことをよく覚えています(笑)。その後、僕自身が忙しくなってあまりゲームプレイできなくなってしまいました。子どもの方は「ドラクエ」でセーブができるようになって、お父さんの名前も入れておいてあげたから、いつでもやっていいという関係になりました(笑)。その後は子どもがやっているのを眺めていましたが、子どもが大きくなるにしたがってそれも少なくなりました。
ゲームに間接的に関連した仕事としては「ポケモン」がありましたね。テレビで放送された「ポケモン」のアニメを見て子どもが倒れるという事件がありました。そのとき当時の郵政省(現総務省)の偉い方からから電話がかかってきて「こういう事件が起きたのでなんとかしなければならない、やってくれるか」と言われました。そこで「やる」と答えたら夕方のテレビで、郵政大臣が記者会見をやっていて、郵政省は対応する委員会を設けると。その委員長は東大の原島だと言っているわけです(笑)。後でどうして僕を委員長にしたのかと聞いたら、郵政省なのでお医者さんを委員長にするわけにはいかない。広い意味での情報通信関連の大学の先生で自分でゲームをやっていそうなのは誰だと探したら僕だったというわけです。
その後、文化庁のメディア芸術祭の審査委員長をやり、「ファイナルファンタジー」の映画に対して賞を出しました。ご承知の通り商業的に失敗していますが、「ファイナルファンタジー」のようにすべてコンピューターグラフィックスで映画を作ることは技術者から見れば夢だった。それを果敢にやった。賞を出して良いと思いました。当時ゲーム関係者はどんどんリアルな方を目指していました。それが「ファイナルファンタジー」の映画を境にゲームの方向が変わったように思えます。リアルなだけではいけない、ゲームそのもののおもしろさを追求しなければいけない。それを気付かせたという意味でも、重要な試みだったと思います。2004年に東京大学でコンテンツの教育プログラムを立ち上げたときにゲームやアニメ、映画が対象になって業界の第一線の方に特任教員になって貰いました。
編: 「マリオ」から現在までという点では、まさにゲーム産業の立ち上がりのときから、プレーヤーとして傍観者として関わってこられたのですね。
原島氏: 僕自身の専門が情報技術です。その立場からゲームはどういった位置を示しているか、ゲームがどのように進化しているかは関心がありますよね。
編: それでは20年間での急速なゲームの進化をみてどのように感じますか。
原島氏: 背景にITの大きな進歩がありました。最初にゲームが出たときは、IT技術者はゲームは子ども向けのアプリケーションだと思っていました。だんだんそうではないことに気づき、ゲームはむしろ最先端の技術のリーダーシップをとっていくことに気づきました。ゲームの進歩と技術の進歩を重ね合わせて見るようになりました。最近では、ハードの能力にソフトの能力が追いつけず、ハードのほうが先行してそれに惑わされているような印象を持っています。もう一度本来のゲームを見直す良い時期になっているのではないかというのがここ5年くらいです。
■ 「コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム」によってわかったゲーム業界、アニメ業界の強みと弱み
産学連携教育プログラムについて語る原島氏。プログラム代表としてゲーム業界が抱えるゆがみに気付いたという |
「コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム」の公式サイト。CEDEC実行委員長の松原氏も非常勤教員を務めている |
編: “ここ5年”という年月は、原島先生が立ち上げられた「コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム」を実施してきた期間とも一致しますが、そのゲーム産業のゆがみ、きしみみたいなところは、そうしたプロジェクトの中で痛感された部分でもあるのでしょうか?
原島氏: そもそもプログラムを立ち上げた意味は大学における教育研究を見直す良いきっかけになるだろうということでした。それまではゲームやアニメは低く見られていました。「そんなことを東京大学がやるべきではない」とか、「専門学校に任せておけばよい」という意見が大勢を占める中、「そうではないのだ、ゲームやアニメに代表されるコンテンツが10年後20年後にどのように化けていくかを見通すことは、大学として非常に重要ではないか、僕は工学部でしたが、広い意味で工学が文化と関わる良いきっかけになるのではないか」と考えました。
その一方で、ゲームやアニメの教育現場を見ていると、日本で行なわれているのは本当にクリエイター養成だけです。ツールを使いこなせるかどうかといったものばかりで、本当にゲームやアニメや映画などのコンテンツにおいて、知財やグローバル化という観点から何が本質になっていくのかを見ている人が非常に少ない。そういった観点を持つ人を育てなければいけないというのが本プログラムの趣旨でした。5年間続いた教育プログラムでは、業界からの先生方は本当に親身になって協力していただきました。それぞれの先生方も素晴らしい方ばかりで、学生も感激していました。
編: 産学連携教育プログラムは立ち上げから約5年が経過しましたが、ご自身の評価はいかがですか。
原島氏: いろいろな見方ができると思います。この分野が重要であるということを専門学校だけではなく高等教育機関において自覚していくきっかけを与えたという意味で相当の貢献があったと思います。「東京大学がやる」というメッセージは新聞でも大きく報道され、大きな波及効果がありました。東大内部でも次第にその重要性が認識され、新たに全学横断的な教育プログラムも立ち上がりました。
一方で、これから本格的に教育研究を進めていく上で難しいなと感じたのは業界との関係です。アニメやゲームを含めたコンテンツ業界全体のことですが、正直言ってこの業界は現在しか見ていない。と同時に、同じコンテンツでもアニメとゲームは、かなり文化が違う業界だなと思いました。アニメの人からすると「ゲームは単なる金儲けではないか、アニメは芸術である」といった批判です。片やゲームから見れば「アニメはまだまだ手工業であって、ゲームはだんだんと手工業から組織としての産業に脱皮しつつあるのだ」とかね(笑)。同じコンテンツであるのに互いの接点は意外に無く、業界がわかれてしまっているように見えました。
それでは大学での教育研究はどうあるべきか。ゲームだけ、アニメだけという業界対応ではなく、もっとメタなレベル、長期的な視野のもとでやらなければいけないと思いました。育った学生が現場で活躍する頃には、色々なことが変わっているはずですよね。ゲームもすでにネットワーク有りきになっているけれども、これからはもっともっとその方向性は強まっていくでしょう。教育研究は先を見据えながらやっていかなければいけないということで、東京大学では技術というものを重視しています。プロデューサーを育てるときも、技術を知っているのとそうでないのでは大きな違いがあって、今の技術だけでやったのでは早晩遅れてしまうだろう。10年後のITを読んでいる人はほとんどいませんが、そのような視点も持っている人でなければならないだろうというわけです。それがある意味では総合大学としての東京大学が育てる人であろうと、少しずつ方向性が見えてきました。
編: アニメ業界とゲーム業界が文化が違うという見方を示されましたが、文化の壁を打ち破るにはどうすべきだと思いますか。たとえば今のゲームはリアル指向です。しかし、この場合のリアルとは実写並みにリアルというニュアンスですから、アニメ業界がすっ飛ばされて、ダイレクトにハリウッドが協業先に選ばれてしまっている側面があります。接点があるようでなかなかないのが現状ではないかと思います。
原島氏: 良い意味でコンテンツ業界が発展途上だということでしょうね。まだまだ自分のところでやることがある。それぞれを無理に融合させる必要はまだ無いと思います。ところがだんだん両者は区別がなくなってくるかもしれない。映画もかなりアニメ的なCGが当たり前になってきている。2Dから3Dという流れでハリウッドも走っています。家で見るテレビが大画面になると映画館はどうやって差別化するのかという話になる。そこで3D(立体視)というのが出てくる。それが家庭レベルでもそのうち当たり前になると、次はインタラクションかもしれない。どんどん新しいものを探っていかなければならない。
ゲームプラットフォームも大きく変わってくるでしょう。長い目で見ればパッケージ型のゲームはなくなり、ネット流通になっていくのは間違いないでしょう。ネット流通になったときに、コンテンツの中身をはっきりと分けることは難しくなってくると思います。非常に物語的なインタラクションがないものから徹底的なインタラクションまで連続的にあって良いわけです。最終的にはそれが融合してくると思います。
■ ゲーム業界におけるハードとソフトのあるべき関係性とは
厳しい意見を連発する原島氏。ゲーム業界のインタビューではここまで突っ込んだ意見はなかなか出てこない。学府強しといった印象である |
E3 2009のMicrosoftプレスブリーフィングで公開されたXbox 360の新たな体感型インターフェイス「Project Natal」 |
編: 日本のゲーム業界が今しか考えていないというのは大変厳しい意見ですが、頷かざるを得ない側面もあると思います。原島先生はその理由は何だと考えていますか?
原島氏: 1つにハードメーカーとソフトメーカーの関係です。日本のソフトメーカーはハード有りきでゲームを作らざるを得ない。次はどういったゲーム機が出るのかという情報を早くキャッチして、それに合わせて作らなければいけない。その先にどういうハードが出るかというのは考えてもしょうがないのです。今あるハードや、次に控えているハードに対する情報がまず大事なのです。
編: つまり、ゲーム業界が長期的な成長戦略を描くためには、ハードの仕様に悩まされずにソフトが作れる環境を整えるべきだと?
原島氏: そう思います。ここ20年ハード自体が発展途上で毎年毎年進化してきた。それに依存してハードがここまで進歩したので、なんとしてもそれを活かさなければいけないという形で、ソフトが作られてきました。これからもハード自体はまだ進化するでしょう。でも、ゲームにとってハード自体は本質ではない、本当のゲームの面白さはいったいなんだろうということになったときに、ゲーム業界が大人になると思います。
編: ご存じだと思いますが、今年のE3では、体感系のデバイスが色々出てきました。バーチャルリアリティ学会の会長も務められている原島先生は、こうした状況をどのようにご覧になりましたか。
原島氏: 体感系のデバイスがゲームにくっついてきた、単に画面の中のキャラクターを指先だけで動かすのではなく、自らの体を動かす形になってきたというのは素晴らしいことだと思います。それがようやく可能になってきたということで、大きな流れとしては、体感系や身体系と呼ばれているものについてはゲームの1つの本質だと思っています。
編: 体感型のゲームは今後もゲーム産業を支える1部門であり続けると?
原島氏: 僕自身は、「ITはバーチャルからリアルへ」という言い方をしています。もともとITには、バーチャル、つまりサイバースペースの中の仮想世界に入り込んでしまうというイメージがありました。それが今では、むしろITのキーワードはモバイルであったりユビキタスであったりします。これらは、バーチャルではなくリアルワールドのキーワードなのです。モバイルとは人間は身体を持っている、足を持って動き回るということを前提とした概念です。動き回る人間をいかに情報化するかがモバイルで、一方でユビキタスは人間が動き回るということを大前提として、その環境をあまねく情報化することです。リアルワールドにおける人間の情報化と環境の情報化、それがいまのITの方向です。
ゲームも同じ方向へ向かうでしょう。リアルワールドをゲームが対象としたときに、当然ゲームとリアルワールドにおける人間の身体をどう結んでそこに新しいゲームを作っていくかが話題になってきます。たとえばゲーム機はモバイルという意味では、いま以上に携帯電話と融合していくかも知れない。携帯にはネットワーク機能だけでなく、カメラやGPSが付いています。そうなれば、リアルワールドで動き回っている人たちが連携してゲームをすることもできます。東京中を動き回って鬼ごっこをやろうとかね(笑)。
いま学校は夏休みですが、山手線で「ポケモン」のスタンプラリーをやっています。子どもだけでなく親が一緒になって、体を動かしながらやっている。あれをネットの中で単なるオンラインゲームのようにやっても面白くないわけです。これからはリアルワールドと結びついたゲームが1つのジャンルとして確立していくと思います。もちろんすべてがそうなるとは思いません。すべてがそうなるというのは発展途上期であって、多様なものが出てくるというのがゲームの成熟期です。
多様なゲームという意味では、より手軽なゲームがもっとでてきてほしいですね。昔は1日3時間ゲームをやったと申しましたが、今はもうとてもできないです。溜まっている原稿をどうするんだということになるわけです(笑)。どちらかというと気晴らしになるゲームが欲しい。15分くらいで終わってくれるゲームがほしいなと思います。15時間やらないと達成感がないゲームよりも15分でそれなりの達成感があるゲームをやりたい。今やっているのは単純な「二角取り」です。パソコンでやっていて、あれなら15分で終わります。
編: ゲーム産業の重要な主題は、「いかに他の商品と差別化するか」ですが、今年の1つのトレンドとしてゲームやアニメの立体視が挙げられます。3Dメガネを掛けて、立体映像でゲームやアニメを楽しむというもので、技術的にはずいぶん昔からあったと思いますが、また最近増えてきましたよね。専門家としてどのようにごらんになっていますか。
原島氏: いま僕は「超臨場感コミュニケーション産官間フォーラム」という団体の会長もしていています。2Dを3Dにしたいということは昔からあって、一方でなかなか立ち上がらなかった分野です。それが技術面では着実に進歩していて、うまく用途を絞ればそれなりの実用性をもってきました。たとえば映画館は3Dに力を入れています。携帯でも裸眼でそれなりのものが実現しています。それなりの品質でそれなりの面白さがあれば良い。そういう観点で言えばおもしろい分野になってきました。
編: 私は先日、台湾政府経済部に招かれて台湾に取材にいきました。経済部工業局の入り口には、液晶モニタの映像を、裸眼で立体に見せるというデモンストレーションが行なわれていて、台湾でもかと思ったんですね。立体視の分野は、今後、エンターテインメントで有望な分野だと考えていいのでしょうか?
原島氏: そうですね……。でも過度な期待は持たないでいただきたい。技術的には、まだまだこれからの分野です。僕は本当の意味での立体ディスプレイは鏡だと言っています。鏡は立体的でなおかつインタラクティブですよね。さらにとんでもない無限大の解像度です(笑)。もちろん眼鏡をかける必要はなく、裸眼でいい。同じものが電子的にできたらおもしろい。さらに、立体といっても画面の前に飛び出す立体はあっても、上に飛び出す立体はきわめて限られています。僕が関係している研究プロジェクトでも基礎研究が行なわれていますが、初期のテレビにあったように“イ”の文字を描くのがやっとのレベルです、でもこのような真の意味での3Dが実現したら、将来のゲームはますます進化していくでしょうね。
一方で、2Dのゲームも生き残る。大切なことは、今後ゲームはいろいろな意味で多様化していくということです。発展途上期は、みな本流を狙うから、みな同じようなゲームを作る。今後ハードに頭を悩ませないで済むような状態が当たり前になってくると、本当におもしろいゲームをどこが作れるのかという勝負になってきます。
■ 顔学とゲームにおけるおもしろさについて、「ハローキティーの着ぐるみはなぜ可愛くないか」
原島先生が考えるおもしろいゲーム像とは単純ではないが、言葉にすれば「自律性を備え、人が主体的に創造できる柔軟性のあるコンテンツ」ということになるだろうか |
編: 原島先生がおっしゃるおもしろいゲームとは何でしょう。
原島氏: 普通の言い方では“ワクワクドキドキ”です。ハードとしてみたときにトランプはすごく良いハードだと思います。その上にいろいろなソフトが載る。無数のソフトがゲームの本質を突いているところがある。ゲームの要素もありますし、場合によってはバクチ的な要素もあります。良い意味では家族団らんという要素を持っている。場合によっては推理を要求する要素もある。
個人的には利用者が自らゲームを進化させていくような可能性がある仕組みに関心があります。1つのハードに対して、遊びが決まってしまうのではなく、ユーザーが自分で作りたくなるゲームです。遊ぶだけではなく創造する喜びも支えるようなゲームですね。だんだんと世の中もその方向になっていくかもしれない。ハリウッドは、とんでもないお金をかけてとんでもない人数の人が見る映画を作る。一方で映像としてはきわめて貧弱かもしれないけれど、Youtubeやニコニコ動画の世界もある。自分が作ったものがとんでもない人数の人に見られることもある。
編: 原島先生がおっしゃるおもしろいものとは、まさに世界中で実現されつつありますよね。
原島氏: Youtubeもニコニコ動画も初歩的なものですが、次の何か面白そうなものを示唆していると思います。
編: 原島先生が考えるおもしろいゲームについて、何か将来像はありますか。
原島氏: 多様なものという意味では、作者の署名入りゲームがもっと出てきても良いなと思います。小説は村上春樹が書いたということで買われる方もいらっしゃるでしょう。ゲームも堀井さんや宮本さんの作品は多数居ますが、「アニメの宮崎駿の」というよりは弱い。「MOTHER」は糸井重里さんでしたよね。遊んだことがありますが、一風違うなと思いました。違った分野の方がプロデュースしたゲームがもっとでるとおもしろい。SMAPのだれだれのゲームとかね(笑)。
編: それはたとえば、CEDEC2日目の基調講演を務める「ガンダム」の富野由悠季さんがゲームを作られたらおもしろいのではないかということですか。
原島氏: そうです。それを可能にする仕組みはなんだろうか。大作一辺倒では無理でしょうね。今は新作を作るということが非常に難しい。もっと新作を出しても大丈夫で、それなりにビジネス的にも成り立つような仕組みが必要です。
編: 先生がゲームを作るというのはいかがですか。
原島氏: 能力があるかどうかは別ですが、そういった可能性があっても良いと思いますね。90年代前半にゲームセンターで「ラブラブシュミレータ」というタイトルがありました。カップルでいって写真を撮ると、2人の子どもの写真が出てくるというものです。
編: 先生が研究されている“顔学”を応用したコンテンツですね。
原島氏: はい。その元になる技術は僕のところの研究でした。顔がゲームになるのだということで、その後プリクラの登場に繋がっていった。
編: なるほど、プリクラは「記念写真のシール化」という認識でいました。そのルーツは先生の顔学でしたか。
原島氏: 技術的には写真のシール化です。特にプリクラ自体は顔の処理は含まれていません。でも、プリクラの装置はゲームセンターにおいてありました。あれも立派なゲーム、つまり遊びだったのです。駅の証明写真とは違うのです。
編: 先生の顔学についてはあらかじめいくつか資料を読ませていただきましたが、大変ユニークな学問ですよね。仕事によって顔が決まるとか、生き方で顔が変わってくるですとか、確かにそうだと頷かされるところが多く、一種魔術的な学問だなと思いました(笑)。
原島氏: 魔術じゃないですが(笑)、やはり人間の顔というのはそれだけ奥が深いということです。人間の顔は客観的に存在するものではなくて、見る人と見られる人の関係の中にあると僕は考えています。ファンとスターの関係性がそうですが、日本で売れているスターを、外国から帰ってきたばかりの人が見て、ファンと同じように魅力を感じるかというとそうでもない。客観的な魅力ではなく、ファンとの関係性で魅力が決まるのです。例えば指名手配の写真がなぜ悪い人に見えるのかといえば、この人は悪い人だと思って見るからそう見えるのです。どういう気持ちで見るかによって顔は変わるのです。一種の心理学的な部分もかなりあります。そうした中でわれわれは生きているのです。僕がコンテンツに対して関心を持つようになった元は僕が顔をやっていたということで、1980年代後半にはモナリザを笑わせたり泣かせたりといったことをやっていました。
編: 顔学に関して「ラブラブシュミレータ」以外のデジタルエンターテインメントへの応用はあるのでしょうか。
原島氏: 直接うちの技術かは別にして、最近のデジカメの顔画像処理があります。スマイルシャッターなどです。デジカメは画素数で勝負していましたが今はそれができなくなりました。それにどういう機能を付加するかにいきました。その1つとして顔画像処理が注目されました。
編: といった点では、経済界への影響も決して小さくない学問ですよね。
原島氏: 当たり前といえば当たり前ですが、顔というものは人間の本質で、そのような本質は色々なものにかかわりがでてくるということです。さらにはキャラクター作りにも結びつきます。キャラクターはゲームにおける本質の1つです。顔に関心がなければ良いキャラクターは作れません。例えばハローキティはキャラクタービジネスという点ではとんでもない規模です。
編: なるほど、それでは顔学として、万人に支持される魅力的なキャラクター像の平均値は出しうるのでしょうか?
原島氏: 平均顔には色々な意味があって、1つは個性を知るための基準です。平均との違いが個性であるという視点です。僕の関心はむしろそちらです。平均顔に何をプラスアルファすると魅力が出てくるのかということに関心があります。
編: なるほど、それでは顔学では、ピカチュウがなぜ魅力的なのかということについてロジカルな説明は難しいと言うことですか。
原島氏: キャラクターの魅力がどこにあるかについては、難しいですが、ある程度の法則はあります。ハローキティは可愛いけれど、テーマパークでの着ぐるみはまったくかわいくない(笑)。それはなぜなのか。
僕はアニメ用キャラクターとグッズ用キャラクターの違いだと思うのです。たとえばミッキーマウスは明らかにアニメ用のキャラクターです。アニメ用ということはつまり動くキャラクターということです。グッズ用キャラクターは動きません。アニメ用のキャラクターは動くから表情豊かでなければいけない。グッズ用キャラクターのハローキティはもともと財布ですよ。むしろ動かない対象に対して感情移入ができたほうがいいわけです。
ある女子高生は「ハローキティは毎朝表情が変わるの」と言いました。「今日は悲しそうねどうしたの」と言いたくなるそうです。キティはある意味で無表情です。口が無い。でも僕は無表情は無限表情だと思っています。感情移入ができる。見ている人の気持ちによって違う表情が見える。それに対してアニメのキャラクターははっきりした表情を持っています。ミッキーマウスに対して自分の感情移入は難しい。アニメ用なのかグッズ用なのか、その違いを知らないとキャラクターは失敗します。
編: 源氏物語の引目鉤鼻の美女は、動かないから美しく見えるのであって、あれが動いて喋りだしたら美人ではないだろうということと同じですね。
原島氏: ハローキティのアニメを作らせてあれを笑わせたらまったくかわいくない(笑)。動いてはいけないのです。僕は「ハローキティの顔の謎を探る」というテーマで1時間くらい講演できます(笑)。
編: 顔学に関連した話題としては、オンラインのコミュニケーションの分野における、顔文字、絵文字、アスキーアートの活用が挙げられます。これらはゲームでの活用も積極的な分野ですが、このあたりはどのように評価されていますか。
原島氏: 人が人とコミュニケーションをとるときに、顔は人類生まれてこのかた当たり前でした。顔を見せながらコミュニケーションをして、それによって安心できていました。ところが、電子ネット社会において必ずしもそうではなくなってきた。電話は顔が見えずに声だけになり、メールになると文字だけになってしまう。そうなったときにコミュニケーションが変わってきました。文字のコミュニケーションでは自分の気持ちが伝わらず、揚げ足取りだけになってしまう。場合によっては誤解ばかりになってしまう。それを僕は“匿顔”のコミュニケーションと呼んでいます。人間の本来のコミュニケーションとは異なるのですね。良い意味でも悪い意味でもそうです。
人間のコミュニケーションは言葉だけではないのです。複数のチャネルを使っているのです。表情も使っています。あなたを許してあげるといって顔は怒るみたいなことです。そういったことを使い分けています。かなり微妙なことをやっている。特に日本人はそういう顔をある意味では大切にしてきた文化だと思います。そのような文化の中で顔文字というものがでてきた。言葉だけでは表現できないものがあるということをみんながわかってきた。
編: コミュニケーションの技法から考えると顔文字やアスキーアートが発達するのは必然であったと?
原島氏: そう思います。もともと人間は言葉だけでなく体全体でコミュニケーションをとっていたわけです。
編: また、最近はバーチャルワールドにおけるアバター、つまり自分の分身というものの存在が一般的になってきました。このアバターがクローズアップされている分野が、アイテム課金制のオンラインゲームです。タダで遊べる代わりに、プレイを便利に楽しくする衣服や機能にお金が発生するという仕組みで、のめり込んでいくうちにいつのまにかお金を払っているという巧緻なビジネスモデルです。対人関係の心の変化をうまく活かしたビジネスとも言えそうですが、こうしたオンラインゲームビジネスについてどのような感想をお持ちですか。
原島氏: それは、今のビジネスの世界では普通に行なわれていることです。たとえばデパートでは入場料は取りませんよね。むしろいかにそこに人を集めるかが重要で、そのために無料の展覧会を行なったりしている。そこに誘惑をしかけて人が集まればお金を落としてくれる。これはビジネスのある意味では基本なのです。まず人を集めるということが大前提です。
この話は僕の専門の通信の課金をどうするかという議論が昔行なわれたときにもありました。1980年代後半から90年代前半の頃、通信がアナログからデジタルに変わるときに、「ビット課金」という話がありました。今で言うパケット課金ということです。デジタルなのでビットが単位である。1ビットいくらとするのがビット課金です。でも、そんなことをやっていたら僕の専門の映像分野はとんでもないことになってしまう。音声に対して1,000倍の値段になって大変なことになる(笑)。それでビットではなくて、ビットの対数に比例させたらどうかといった議論もありました。そのとき、僕は料金無料化論を提唱しました。
編: それでは誰がインフラのコストを負担するのですか?
原島氏: 要するに先ほどのデパートのメタファーです。デパートを3分歩いたらいくらなんていう課金をしたら誰もデパートには来ませんよ。何も買えないでしょう。無料にして人を集めれば市が立つ。市が立てばそこに1つのビジネスが生まれて経済活動が起こる。そこのビジネスの粗利からお金を取れというのが料金無料化論です。
編: 現実には無料ではありませんでしたが、ヤフーBBさんが価格を一気に引き下げて、それが引き金となって日本のブロードバンド人口を爆発的に増加させましたよね。
原島氏: 料金無料化論を提唱していた際も、定額制は意識としてありました。3分間歩いたらお金をいくら取るというのはだめだけれども、1年に数千円の定額だったら許されるわけです。「セカンドライフ」に代表されるメタバースに、そのような経済活動の場の提供を狙ったのだと思いますが、ハード的にもちょっと時期が早すぎました。正直重いし、ノートパソコンでやっていたら疲れてしまいました。でも、将来のひとつの方向を暗示していたとは思いますね。
■ ゲーム業界が克服すべき課題について。「ゲーム業界は矛盾を抱えている」
ゲーム業界が抱える矛盾を喝破した原島氏。必要なのは社会的な認知度を向上させることではないかという |
編: 未来のゲーム業界の姿について質問させてください。原島先生は、日本のゲーム業界はいまだ過渡期であり、画一的になってしまっているという見解ですが、その原因は何でしょうか。資金力や技術力や人材など、色々原因は考えられますが。
原島氏: つまらない答えになりますが、いまおっしゃったものはすべてあると思います。ある程度成熟するには時間がかかります。すぐに何かをやって成功するかというわけではありません。
編: 時間的な差という意味では、北米でATARIが起こり、日本で任天堂が起こったのは、それほど差はありません。しかし、今現在、日米で総合力で差がついているのは確かです。今後どうすれば良いでしょうか。
原島氏: まず総合力に関して言えば、日本のゲーム業界が閉鎖的であることがひとつの原因だと思います。総合力は自分自身が大きくなっていくばかりでなく、今までゲームに関係なかったところも内部に取り込んで拡げていくということです。他の分野で優れているものをどんどん入れていかなければいけない。今までゲーム業界は非常に自負心があって、CGも全部自分でやってしまうなど、それだけの成功体験に依存しすぎてしまった。これからはもっとオープンになっていかないと難しいと思います。アメリカの場合は、気軽に他の分野の最先端を自分のところに取り込みます。会社全体を人もろともひっこぬくという買収文化があります。日本はむしろ自分でやろうとしますよね。
編: 日本のメーカーはお行儀が良すぎるということでしょうか。
原島氏: 行儀というよりも文化の違いかもしれませんね。一方でアメリカ的なやり方をすればよいのかという話にもなります。それをやっているうちはアメリカに追いついたときには、アメリカはもう別なことをやっている。その繰り返しになる。むしろ外から見て日本をおもしろいと思わせる。アメリカに向けてアメリカの負けているところをどうするかではなく、アメリカから見てもおもしろいと思わせることが大事です。たとえば、先ほど申し上げた署名付きゲームのような話になりますが、これからは数10億円をかけるといったことではなく、一桁数字は少ない開発費でもベストセラーは出てくると思います。向こうを見るのではなく自分たちがおもしろいと思うものを徹底的に追求することが大切だと思います。
グローバル化ということで、アメリカから学ぶ点はもちろんたくさんあるのですが、一方でアメリカを追うのではなくて、1人1人が原点に立ち返って自分にとってゲームの面白さは何かということを考えて、そして1人1人が考えていることを活かす仕組みを作ることが重要です。そういった仕組みをどのように日本で育てていくかです。これは対策主義だと難しいですが。
もともとゲームには数十時間かけないと達成感のないものもあれば、15分、1時間で達成感が得られるものもあります。対策主義だけでは、それがおもしろければおもしろいほど子どもたちはそれにハマって社会的な問題にもなる。これからさらに飛躍するためにゲームが乗り越えられなければならないのは社会的な認知度です。ゲームの認知度はまだまだ低いです。
編: 私自身は認知度よりむしろ、ゲームはインタラクティブであるがゆえにたたかれ易いという部分を懸念しています。
原島氏: ゲームが社会から一番叩かれるのはインタラクティブかどうかではなく、ゲームが持つ、一種の麻薬のような中毒性です。これを議論するためにはそもそも遊びとは何かという話になってきます。遊びには色々な定義がありますが、子どもにとっての遊びを積極的に定義すると、大人になるためのシミュレーションです。それを楽しくシミュレーションをする仕組みが子どもの遊びです。そういう意味での遊びを禁止してしまったら、大人になりきれていない大人ばかりになってしまう。だから遊びは大事です。一方で、大人はどちらかというと遊びは気晴らしです。世の中ストレス社会だから、それに対する気晴らしを用意するのは積極的な意味があります。
ということで、遊びは子どもにとっては大人になるためのシミュレーション、大人にとってはストレス解消のための気晴らしだったのですが、いまは子どもの社会がストレス社会になってしまった。すると今度は子どもは気晴らし、さらにはストレス社会からの逃避として遊びを求めるようになってきた。その逃避の場が魅力的であればあるほど麻薬と同じような形で逃れられなくなってしまう。当然ながらマイナス要因が出てきます。社会的にも攻撃される。これは難しい話ですが、今のゲームは子どもの逃避行動を利用して成り立っている。数十時間やるだけのものでないと人気がない。数十時間そこに籠もれるだけの面白さ、長さがなければだめなのです。
編: つまり、ゲームの長さは、長期的に見ればゲーム業界が克服すべき課題のひとつだろうということですか?
原島氏: 長くなければ人気がでない、しかしそれが社会的に攻撃されるという意味で矛盾を抱えています。一方で、小説は社会的な認知がある。小説を読むにしても時間はかかると思うのですが、なぜ小説を時間をかけて読むことを社会が許容しているかというと、それによって何らかの成長があると信じているからです。
編: しかし、実際問題として今の子どもたちが大人になって、「ドラクエ IX」で社会を学んだという子は何十万という単位で存在すると思いますし、我々の世代でも「信長の野望」で日本史を学んだというのはよく言われる話です。ゲームでなくとも、司馬さんの「坂の上の雲」を何十時間も掛けて全巻読破してもそれを問題にする人は誰もいませんが、なぜか「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」は叩かれる。程度の差はあれ、それらのゲームにも学ぶことは沢山ありました。
原島氏: 僕自身は、ゲームに教育的な価値があると信じています。重要なことはそれをどうやって社会的に認知させていくかです。社会的な認知にまでもっていくためには、それこそ司馬遼太郎やドストエフスキーのような古典となりうるような署名つきの名作を作っていくことが必要かもしれませんね。漫画の分野では「鉄腕アトム」のように絶大な功績を残したものもありますから。
■ 「主役は交代している!」 基調講演で伝えたいメッセージとは!?
原島氏は「人間そのものが重要なコンテンツ」とインタビューをまとめてくれた。基調講演ではどのような話が出てくるのか楽しみだ |
編: さて、CEDECの基調講演ではどういったことをお話になるのでしょうか。
原島氏: 僕はそれほどゲーム業界に強いわけではなく、ゲームの専門家ではありません。むしろ少し違った立場で話したほうがいいと考えています。僕の専門は情報技術です。ゲームは情報技術に支えられて発展してきました。情報技術はここ数十年で大きく進化しています。それによってエンターテイメントも変化しています。そのような流れの中でゲームを眺めてみたいと思っています。
基調講演でどこまで話すかどうかはわからないけれども、情報技術の関連の専門家相手に講演を頼まれたときは、情報技術を10年100年1,000年単位で見ようという話をよくします。1,000年単位というとびっくりすると思いますが、これは1,000年後にどうなるという話ではないのです。1,000年後の歴史家が今という時代を歴史書に記すとしたら、今起きている情報技術の進歩をどのように記すかということです。今の歴史書には500年前のルネッサンスについては書かれていますよね。そういう目で我々が体験していることを記述して見ようではないかということです。
未来から今を見たとき必ず書かれることは、1つはコンピュータ、ITです。月に最初に人が立ったこと、地球環境問題も書かれるでしょう。歴史書にはそうしたことをワンパラグラフでひとつのシナリオの中で書かなければならない。そしてそれを100年単位、10年単位の歴史と関連づけていく、そういう講演です。ITは、1年単位で見ると大きな変動があります。なかなか法則は見えない。しかし、少なくとも10年単位で見ると、明らかに存在する法則に従って進化しています。主役も交代しています。
編: CEDEC始まって以来の壮大な基調講演になりそうですね(笑)。
原島氏: 「来年どうなるか」というような話をするとヤバいから、皆さんをどう煙に巻くかという勝負です(笑)。
編: それでは最後に、ゲーム業界で働いている方と、ゲーム業界に就職を希望する学生さんにそれぞれメッセージをお願いします。
原島氏: ゲーム業界は、いまのグローバル化の時代にどう生き残れるかで必死だと思いますし、それはもちろん非常に重要なのですが、ひたすらアメリカのやり方だけを追って欲しくないと思っています。外国にない日本ならではの、外国から見ても魅力的なゲーム作りをして欲しいと願っています。そのためには1人1人が自分にとっておもしろいゲームとは何かというのを真剣に考えて欲しい。宮本さんや堀井さんだけに任せないで欲しいと言うことです。
これからゲーム業界に入ろうという人たちは、今だけを見ないでほしい。君たちがゲーム業界の中心に至るときには環境がまるっきり変わっている。20年前にゲーム業界に入った人が、そのときのゲームにいつまでもこだわっていたら、今は絶対に成功していないでしょうから。
編: それでは今後必要になるスキルとはなんでしょうか?
原島氏: SCEの久多良木さんに10年くらい前にバーチャルリアリティ関連の学会で学生向けに講演して頂いたときに、学生から「自分たちは何を勉強したら良いですか」という質問が出ました。それに対する久多良木さんの答えが「まずは英語、次は線形代数」とおっしゃっていました。これからはゲームは3次元になる、3次元の表現法に対してコンプレックスを持っていては困るとのことでした。それを質問した学生は戸惑っていましたが(笑)
編: 先生自身はどのようにお考えですか?
原島氏: 基本的に久多良木さんの考え方に近いです。それに加えるとすると、ゲームの歴史、情報技術の歴史も学んで、自らを相対的に位置づけられる目を養って欲しいと思います。我々は歴史の中に存在しており、その背後に何があったのか、そういう視点で物事を見ることが大切です。いわば時代を見る目です。
情報技術の歴史を辿ると主役はどんどん変わっています。日本はIBMを追いかけすぎてアメリカに敗れました。IBMは大型コンピュータで世界を制覇しましたが、PCの時代になってMS-DOSを開発したマイクロソフトが勝者になりました。そしていまはGoogleです。Googleは何を狙っているか。それはコンテンツです。Googleは、情報の検索しかり、マップしかり、ストリートビューしかり、あらゆるものをコンテンツ化しようとしています。さらに、いまそれも変わろうとしています。ネットでは情報だけでなく、人間そのものが重要なコンテンツになってきました。ブログしかり、SNSしかり。そのような時代には、一体誰が主役になるのか。この講演を聴いている君にもその可能性があるということをメッセージとして伝えたいと考えています。
編: 基調講演、期待しております。本日はありがとうございました。
http://cedec.cesa.or.jp/2009/
(2009年 8月 26日)