GDC 2011レポート

Wii「ドンキーコング リターンズ」Retro Studiosの開発秘話

北米デベロッパーに輸出された任天堂の独特な開発手法とは


2月28日~3月4日(現地時間) 開催

会場:サンフランシスコ Moscone Center



講演者は任天堂の田邊賢輔氏と、Retro StudiosのMichael Kelbaugh氏ら6名

 「GDC 2011」の講演「Donkey Kong: Swinging Across Oceans」では、任天堂株式会社と米Retro Studiosのスタッフによる、Wii用アクション「Donkey Kong Country Returns(邦題: ドンキーコング リターンズ)」の開発秘話が語られた。

 「ドンキーコング リターンズ」の開発は、Retro Studiosが開発を担当している。講演には、Retro Studiosより、President & CEOのMichael Kelbaugh氏を始めとした主要開発スタッフ6名と、任天堂でプロデューサーを務め、Retro StudioのVice Presidentも兼任する田邊賢輔氏が登壇した。

 Retro Studiosは、これまで「メトロイドプライム」シリーズを開発してきた米国のスタジオ。任天堂とは1998年の会社設立当時から縁の深い会社だが、それでも今回の開発においては、任天堂流の開発スタイルに驚かされた部分が多かったという。講演では、そのギャップに驚きつつも納得し、作品のクオリティを上げていくRetro Studiosのスタッフ達の生の声を聞けた。




■ 不運のおかげで運よく始まったRetro Studiosのドンキーコングプロジェクト

Retro Studiosでは実験的プロジェクトの中断があったが、タイミングよく「ドンキーコング リターンズ」の開発を任されることになった

 本作のプロジェクトがスタートは2008年だが、さらにその4年前、Retro Studiosは任天堂に「ドンキーコングを作りたい」提案していた。しかし、その時の任天堂の返事は、「任天堂に作れないゲームを作ってほしい」というものだった。FPSの開発に熟練していたスタジオだったので、この時は続編の「メトロイドプライム3」を開発することになる。

 そして2008年4月。田邊氏は宮本茂氏に「ドンキーコングを作りたいが、どこかいいところはないか」と尋ねられた。そこで田邊氏は、以前にRetro Studiosから提案を受けていたことを思い出した。当時のRetro Studiosでは実験的なプロジェクトが進んでいたのだが、キーメンバーが何人か退職してしまい、プロジェクトが進められなくなっていた。まさにそのタイミングで、宮本氏から声をかけられたので、すぐにRetro Studiosで開発しようという話になった。田邊氏は「何かが少しでもずれていたらできなかった、縁のあるタイトルだと思う」と振り返った。

 しかしながら、その開発は簡単なものではなかった。Retro Studiosは暗く詳細な設定のゲーム開発に慣れきっていて、開発スタッフはカントリー風の「ドンキーコング」のイメージを全く掴めていなかった。特にアーティストは、各自で何か実験してはレビューするということを繰り返していたが、プロジェクト開始から6カ月経ってもまだレビューをしていて、それでも「メトロイドみたいじゃないか!」とやり直したりもしたという。

 また、FPSの視点ばかりを作っていたので、カメラをサイドビューに変えることだけでも大変なことだった。ツールもFPSで使っていたものを少しずつ作り変えて対応していた。

 そうして試行錯誤して開発する中で、Retro Studiosのスタッフは、宮本氏との集中的なミーティングでトレーニングを受けた。宮本氏が開発中のゲームをプレイすると、しっくりきていない様子だった。宮本氏は行って戻ってという動きを10分くらい繰り返しながら画面に近づいて見ていた。そして最後のいくつかのフレームで、「ドンキーコングが雲を蹴り散らすような感じにすればいいんじゃないか?」と言われた。それをチームに伝えて実装してみると、ゲームのトーンが変わって、より楽しくなった。「そのフィーチャーを使ってみて、楽しく感じられるというのがすばらしい経験だった」という。




■ 任天堂から教わった手法に、自らの手法を混ぜ合わせたRetro Studios

時差がありながらも、コミュニケーションは綿密に取り続けた任天堂とRetro Studios

 宮本氏からのインスピレーションを強く受けたRetro Studiosのスタッフ達だったが、全てにおいて宮本氏の言うとおりにしたというわけではなかった。本作では2人同時プレイの要素があるが、もともと宮本氏は「1人プレイに集中しろ」と言っていたという。

 マルチプレイは田邊氏の提案だった。「シングルプレイの『ドンキーコングジャングルビート』が先に出ていたので、それとの差別化。その前に出ていた『スーパーマリオブラザーズWii』が4人で遊べたので、これはやるしかないなという感じだった」という。

 この対応でRetro Studiosのスタッフは相当苦労したようで、「プレーヤーパッケージのアニメーションが3倍になった」、「1つのカメラでダイナミックに見せなければいけない。何度も小さな問題が出た」、「レベルデザインも複雑。1人プレイでできたことが、スクリプト的に2人プレイでもできなければいけなくなった」と、各担当者から次々と声が上がった。しかし苦労しながらも最後には実現させ、宮本氏を納得させて発売にこぎつけているのは、Retro Studiosの底力だろう。

 そういった開発において壁になったのは、やはり日本と米国という距離。何より時差には悩まされたという田邊氏だが、両社にスキルの高いバイリンガルの担当者を置き、ビデオ会議も頻繁にしていたことで、コミュニケーションは密に取れていたという。

 また開発においては、プロトタイプも重要な役割を果たした。文章の翻訳も重要だが、翻訳の中で失われる言葉もある。Retro Studiosと田邊氏のミーティングでは、会議中に出たアイデアが開発者にリアルタイムに届けられ、すぐ修正していた。ミーティング中にリクエストされたことが、ミーティング中に確認できたりもしたという。

 そうして開発が進み、2010年のE3でタイトルが公開された。「誰かが楽しんでくれるんだということを忘れがちだったが、遊んでくれている人たちの顔を見て救われた。E3の後はスタジオのムードがすごく変わり、みんな火がついたようになった」という。またKelbaugh氏が任天堂の岩田聡社長と話した時には、「これを家族と楽しみたい」と言われたという。




■ 任天堂の開発に驚きつつ、受け入れて成長する北米デベロッパー

任天堂の独特な開発スタイルを説明する田邊氏
スーパーファミコンから続くシリーズタイトルだけからこそ、任天堂からも厳しい視線が送られる

 講演の終盤、Kelbaugh氏が田邊氏に質問した。「Retro Studiosはウェスタンスタイル、任天堂はユニーク。2つの違う哲学をどうやって修練したのか?」。田邊氏は、「Retro Studiosで仕事を始めたのは10年くらい前。最初は任天堂の特殊な開発スタイルを伝えることから始めた」という。

 その任天堂の開発スタイルについては、「ゲーム制作では、普通はドキュメントを作ってそれに沿って進めると思うが、任天堂はドキュメントをほとんど作らない。最初にコアの遊びの部分のプロトタイプを作り、手触りや面白さが確認できるまでずっと作業を繰り返す。それで、これでいける、誰にでも遊んでもらえるという確信を持ってから作り始める。いけるとわかるまでは量産体制に入らない。でもRetro Studiosはそうではなかったので、最初は大変だったと思う」と語った。これは「PUNCH-OUT!!」などのNext Level Gamesや、「エキサイトトラック」のMonster Gamesなどでも同様で、任天堂のやり方に賛同してくれたのだという。

 もちろんそれは簡単なことではない。特に「Donkey Kong Country」というフランチャイズについては、「続編は作るのが簡単だと思っている人もいると思うが、簡単ではない。生まれてから20年経ったものを引き継ぐのは、Retro Studiosのスタッフも驚くほどのタスクだった。また開発システムも非常に洗練されていて、映像もプラットフォームの中で完璧にしなければいけない。これまで宮本さんが培ってきた理念や、職人的レベルに合わせなければいけなかった」という。

 他のスタッフからは、「『メトロイドプライム』の4~5倍のことをしなければいけなかった。最初のレベルから最後のレベルまで、一貫して楽しい環境にしなければならなかったからだ。70数個のレベルを考えたが、それぞれのレベルで顕著にならなければならないと頭に入れて作ってきた」という声も聞かれた。

 Retroにおける最大の課題は、エンジニアリング的なことやシステム上の課題はなく、最終的なクオリティについて理解して作りこまねばいけなかったことだという。開発の最終段階に近づいた頃、1/10程度の一部のプレーヤーが「こうなるべきじゃなかったのに」と感じそうな部分を見つけると、田邊氏がプレイ後「こうならなければいけない」と修正するよう告げた。これによって3日かけて基本的なコードから書き換えねばならなかったという。

 Kelbaugh氏は最後に、「絶対に完璧なものを作るという約束を持ってやった。我々にとってとてもパワフルなレッスンだった」と、開発を振り返った。任天堂の独特なスタイルは、海外のスタジオには驚かれ、習得するには大変な苦労が伴うが、それに納得して結果を出すスタジオもこうして存在する。こういった形の広がりも、任天堂のグローバリゼーションと言えるのかもしれない。


(2011年 3月 5日)

[Reported by 石田賀津男]