文化庁メディア芸術祭、功労賞を受賞した宮本茂氏がシンポジウムに参加
過去から今に至る宮本氏の仕事を自ら振り返る
「僕はそばにいる人のコミュニケーションを大切にしていく」
2月2日に開催された贈賞式に出席した宮本茂氏。「これからも現役、来年も狙いにいきますのでよろしくお願いします」とコメント |
文化庁、国立新美術館、CG-ARTS協会からなる文化庁メディア芸術祭実行委員会は、2月2日に「第13回文化庁メディア芸術祭」の受賞者、受賞作品を発表した。この賞はエンターテイメント、アニメーション、マンガなどの各メディアから優れた作品を選出して表彰するもので、多数の受賞作が発表された。
また、今年の功労賞として任天堂株式会社の宮本茂氏が受賞。受賞理由としては、「世界中で活躍するゲームクリエイターで、宮本氏の作品に影響されていない人はいないだろう。宮本氏がいなかったら、ビデオゲームの歴史はまったく違ったものになっていたはずだ。これまでの活動を讃えると同時に、すばらしいゲームで楽しませてくれたことに感謝したい。さらに、今後も活躍を続けられることを強く望みながら、この賞を贈りたいと思う」と記されている。
2月5日には宮本氏の功労賞受賞を記念してシンポジウムが国立新美術館の3階講堂において開催された。出席者はもちろん宮本茂氏で、聞き手として自身も多数の傑作を作り上げてきたゲームデザイナーであり文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門主査を務めている河津秋敏氏も登壇し、シンポジウムの進行役を務めた。
シンポジウムは基本的には「宮本茂 作品集」と題した同氏のこれまで手がけた代表作の映像集を見ながら自らコメントする形式で進められた。このため、「DIGITAL CONTENT EXPO 2009」で行なわれた記念公演「宮本茂の仕事史」に通じるものもあった。宮本氏は任天堂に入社しゲームを手がけるまでの経緯から語り始めた。
宮本氏は「昔はハードウェアを知っている人がゲームを作っていた。しかし技術者が作ったゲームが売れずに3千枚の基板があまり、それを使って売れるゲームを作らなければならなかった」と語り、これをチャンスとし、のびのびとやらせてもらったと言う。この「ドンキーコング」が6万台という大ヒットとなったが、なんと7万台を生産してしまい、またこの基板を使って新作を作らなければならなくなった。当時の宮本氏は「もうネタがない」と周囲に語っていたというが、友人から「スケッチが余ってるし、それで作ればいいじゃないか」と諭され続編を作ることを決意。さらにゲームを作り続けることとなった。
この後ファミコンがヒットし海外に進出することとなる。「スーパーマリオブラザーズ」を作っていた頃は、「クッパは新入社員に描いてもらったけど、マリオは自分で描いていた」というくらいの開発規模だったが、スーパーファミコンの登場で開発規模、ラインが増大しプロデューサーとして複数のラインを手がけることとなる。宮本氏は当時を振り返り「名刺にプロデューサーと書いたら『人事的に困る』と怒られた」と語り会場の笑いを誘った。
当時は「クリエイターの寿命は30歳から40歳」とまことしやかに語られていた時代で、宮本氏はそこから一念発起しニンテンドウ64用「スーパーマリオ64」を作り上げる。昼はプロデューサーとしての通常業務をこなし明け方まで仕様書を作成しプログラマーに提出といった2重の業務が続く。それ故にゲームを完成させたことはクリエイターとして自信になったという。この後、海外での任天堂の評価を劇的にあげたという「ゼルダの伝説 時のオカリナ」などを手がけていく。3Dゲームの開発は刺激になったと言い「自分のやってないことをやると発見があって面白い」と語った。
宮本氏はここまでを第2世代と区切り、「面白いのは自分たちだけではないかと思った。ゲームを遊ぶ人を前提にゲームを作っていた」と言い、ここで考え方を変えることにした。宮本氏は「ゲームには、良くできたゲームと面白いゲームがある。良くできたゲームは作れるようになった」と語り、評価が高くてもソフトが売れないのはなぜかといったことも考え始めたという。
例えば宮本氏は「ファミコンは電源とリセットボタンしかなかったのが素晴らしい。初めてMacを触った時電源を切ることができなかった。しかし(任天堂のハードも)だんだんそうなっていった」という。ハードもソフトも複雑化したことから、ここからインタラクティブの楽しさなどをより突き詰めて考え直し、ハードウェアも含め原点回帰を図り、誰もが楽しめる物作りを目指していったという。
そして現状、すでに2,500万台を越えたという「Wii Fit」だが、体重計を作っているメーカーや経済産業省などに出向き「『任天堂がはかりを作って良いんですか?』と聞いて廻った」といった苦労話が語られた。我々にしてみれば宮本氏が言えば社内で何でも通る気もするが、周りの風当たりは強く反対意見も多く出るという。そのとき宮本氏は「ゲーム作りは、作る人が楽しいと思うことを見つけてきてそれを広める。自分が面白い事じゃないと(作れない)」と語り、続けて「素直に作ることは難しい。似たようなものが周りにある時、それを越えたモノを作らなければならないし、それは大変な労力がいる。それなら難しいと言われても素直に作ることの方が良い」と考え、周りを説得しながら推し進めていくようだ。
宮本氏は「遊んでいる姿が楽しいというのが大切」と語る。「負けている人がいちばん笑っている」状況を作るために、初めての人がプレイできて熟練者も楽しめるゲームを徹底的に討議し「New スーパーマリオブラザーズ Wii」が完成した。ここでも「なにもしないでゴールまで行けるのはどうか?」といった意見もあったと言い、それに対して宮本氏は「それが楽しいと思う人もいる」と答えている。ゲームプレーヤーとしての発想を超えたところをどう商品化するかが、今の1つのキーのようだ。また、宮本氏は「30年前、『マリオブラザース』で2人で遊ぶゲームを作り、すごく楽しかった。アーケードだからいかに長く遊ぶかが重要で、協力すれば長く遊べるのに、ついつい足を引っ張り合ったりする人の性(笑)。そのついやってしまう面白さが忘れられない」と言い、ここでも原点回帰へといった発想があったようだ。
シンポジウムは、宮本茂氏のこれまで手がけたゲームの映像を上映しながら宮本氏がコメントしていく形式で行なわれた。そういった意味では「DIGITAL CONTENT EXPO 2009」で行なわれた宮本氏の仕事を振り返る「記念公演『宮本茂の仕事史』」に通じるものもあった |
現在の宮本氏の仕事の話まで話題が至ったところで、河津氏は「オンラインはどうですか?」と話を振った。宮本氏は「気が変わるかもしれない」と前置きしながら、「大勢で遊んだ方が楽しいに決まっている。でも、モノを作れる量は決まっていて、オンラインのゲームを上手く作る人は他にたくさんいる。僕はそばにいる人のコミュニケーションを大切にしていく」とコメント。さらには「対戦ゲームは何でも面白いのは当然。対戦を前提にゲームを作るのは逃げのような気がする」と言い、ゲームを作る課程で煮詰めていき面白ければ、最終的に対戦要素を付け加えることでさらに面白くなるとの考えを示した。
今後の取り組みについてはなかなか話がしづらいらしく、ニンテンドーDSを使い美術館などをより楽しくする仕掛けを作る取り組みが紹介された。宮本氏は「インタラクティブの技術に関して、日本のゲーム業界は素晴らしいものを持っている。ゲームだけではもったいない」と語る一方で、「メディアアートはゲームより面白い。もっとやって欲しい。映像、漫画、ゲームなどはもっと繋がって得意なところを出し合ってやればいい。インタラクティブで面白いことをもっとゲーム機でやって欲しい」とエールを送った。
宮本氏の講演はいつも結論だけ聞くと、誰もが考えつく結末のように聞こえるかもしれない(こういったレポートではどうしても結論しか書けないことが多い)。しかしその裏にある「例えば……」といった話の中に、そこにたどり着くべく重要な要素が隠れていて、そこに宮本氏の面白さが詰まっている。“例えば”、Miiの話題。家族にゲームをプレイしてもらうという結論に向かう課程で宮本氏は「Miiは重要だった。でも周りからは、似顔絵なんて描いても似ないからつまらないと言われる。しかし似るかどうかは重要ではない。お爺さんが孫に似顔絵を描いてもらったらそれだけでうれしい。作ってコミュニケーションを取るのが大切」と語る。この発想が生まれるかどうかが、宮本氏がヒット作を手がけ続けているヒントの1つではないだろうか。
そういった意味では今回は一般の聴衆も受け入れてのシンポジウムで、皆にとってもためになる機会だったのではないだろうか。今後こういった機会があればぜひとも生で聞いていただきたい。
宮本茂氏。「メディアアートは面白い。インタラクティブで面白いものをゲーム機でやって欲しい」とアピール | シンポジウムを取り仕切り、宮本氏に様々な質問をした河津秋敏氏。河津氏にとっても良い刺激になったようだ | 国立新美術館の3階にある講堂で行なわれた今回のシンポジウム。最終的にはほぼ満席となった |
□「文化庁メディア芸術祭」のホームページ
http://plaza.bunka.go.jp/
□文化庁メディア芸術祭「功労賞」受賞者のページ
http://plaza.bunka.go.jp/festival/2009/merit/miyamoto/
(2010年 2月 5日)