G-Star 2010レポート

【G-Star 2010】ゲーム開発者向けカンファレンス「ICON 2010」が今年も開催
セガの鈴木裕氏が“自身のこれまでと日本ゲーム業界の現状”を語る



11月18日~21日開催

会場:釜山国際展示場(BEXCO)

入場料:大人4,000ウォン(前売り2,000ウォン)
学生2,000ウォン(前売り1,000ウォン)


セガ スペシャルアドバイザーの鈴木裕氏

 毎年「G-Star 2010」に合わせて開催されている、ゲーム開発者を志望する学生向けのカンファレンス「International Content Creator's Conference 2010(ICON 2010)」が今年も18日、19日の両日に「G-star 2010」に隣接したBEXCOコンベンションホールで開催された。

 毎年、日本や欧米からもクリエイターが参加するが、今年もタイトーやセガ、SCE、サクセスなどのスタッフが登壇してコンシューマやソーシャルなど様々なテーマで講演を行なった。19日の基調講演はセガの鈴木裕氏で「Future of 3D Experiential Arcade game with the case of Virtual Fighter」と題して鈴木氏がこれまで手掛けてきたヒットゲームの裏側を語った。

 鈴木裕氏は世界初の体感ゲーム「ハングオン」で体感ゲームブームを作り、さらに「バーチャファイター」の3D格闘で2D格闘ゲームが主流だった業界に新風を巻き込んだ。11月15日には、携帯アプリの「シェンムー街」を発表したばかりだ。

 講演はセガの内山氏の質問に、鈴木氏が応えるという形で進められた。内容的には鈴木氏が今まで開発に携わってきたアーケードの体感ゲームを振り返り、さらに日本のゲームの現状を鈴木氏なりに分析した内容で、日本人にとってもかなり興味深い内容だった。そこで今回は講演でのやり取りを臨場感を感じられるQ&A形式にまとめてみた。

 なお、聴講していたのは、大学でゲームを研究しているという学生や若いゲーム開発者もいた。講演終了後には、その中の大勢が鈴木氏にサインを求めていた。オンラインゲームでは日本が一歩出遅れ、低迷している感がある日本のゲーム業界だが、日本のゲームやゲームクリエイターへの期待はまだまだ高いと思えた。「G-Star」の出展作を見ても、韓国の開発が着々と実力とノウハウを蓄積しているのを感じることができる。このメッセージは韓国のクリエイターに向けたものではあるが、日本のクリエイターにとっても得るものがあると思う。日本のクリエイターのイノベーションを期待したい。



■ 世界初がたくさん詰まった「ハングオン」はわずか8人程度で開発した

世界初のアーケード体感ゲーム「ハングオン」

――体感ゲームを作ろうと思ったきっかけは?

鈴木裕氏: 私が学生の時には、ゲームといえば「インベーダーゲーム」のようなテーブルタイプのゲームでした。みんながたばこを吸いながら、集まってゲームをしているという悪いイメージが、日本のアーケードの遊び方でした。だから新しいジャンルの人たちをゲームセンターに呼びたかったのです。

――体感ゲームとしてバイクゲームを選んだのはなぜですか?

鈴木氏: 体感ゲームにまたがって体を振って遊ぶ人は、例えばスポーツが好きな16歳くらいのバイクに憧れているような、簡単に言うとそういう明るいタイプの人間をゲームセンターに呼び込みたかったのです。

――体感ゲームを始めて作るにあたって、苦労した点はどういったところですか?

鈴木氏: こういったものは初めてだったので、この筐体にまたがってくれる人はいないと言われました。ゲーム機としてはテーブルタイプよりもずっとコストがかかりますから、これくらいお金をかけて作って本当に採算があうのかと。新しいものなので誰もわからないので、相当反対がありました。

――プロジェクトが進むところのハードルがすごく高かったわけですね。実際に開発の際に苦労したことはありますか?

鈴木氏: 実際にまたがって何回も乗っていると、ワイヤーが切れたりブレーキが切れたりスプリングが飛んだりと色々ありました。それなら本物のバイクの部品が一番丈夫だろうと使ってみたのですが、それでも切れる、壊れる。人気があると1日12時間くらい稼働しっぱなしになるので、本物のバイクよりもずっと疲労がたまってしまうのです。だから最初からスペアパーツを付けて売った記憶があります。

――「ハングオン」には世界初がいっぱい詰まっていると思いますが、どういったところがありますか?

鈴木氏: モニターを積んで自分で動かすものも初めてですが、昔のゲームは今のように音楽が入らなくてビープ音しか鳴らない時代だったのですが、「ハングオン」は初めて音楽が1曲まるまる入ったゲームになります。

――ゲームのBGMはここから始まったのですね

鈴木氏: 後は、真ん中にある黒い丸はスーパーウーハーが入っています。バイクの重低音を出したりします。ただ私が一番やりたかったのは本物の音を出すことで、本物のエンジンを積んでくれとセガに頼んだことがあります。50ccでいいから本物のエンジンを積めば本物の音が出るだろうと思っていたのですが、排気ガスをどう処理すればいいのか分からないということで、とうとうダメになりました。

奥行きのあるシューティングとしては初めて成功を収めた「スペースハリアー」

――次は「スペースハリアー」です。当時は3Dタイプのシューティングはあまり作られていないイメージがありましたが。

鈴木氏: 当時、僕は「3Dのシューティングは絶対にヒットしないから止めろ」と言われていました。一応調査してみたのですが、僕が「スペースハリアー」をつくる以前に3Dゲームで成功している作品は過去にありませんでした。全部失敗しているのです。

――ヒットさせるための具体的なアプローチはどういったことをされたのですか?

鈴木氏: 簡単に言うと、3Dですから遠くのものは小さいわけです。小さいものを撃っても当たらない、当たらないシューティングはヒットしない。こういうことを言われたのですが、僕としては「当てればいいんでしょ」と思っていました。相手を自動的に追尾するホーミングミサイルのアルゴリズムを組んで、どんどん当たるようになったので、それで問題が解決してあの形になりました。

――「スペースハリアー」と「ハングオン」はどちらも85年で開発期間がかぶっていたと思います。どのくらいの人数で開発していたのですか?

鈴木氏: 「ハングオン」を作っていた時にには10人いないくらいかな? 私が1983年に入社していますから、まだ実績もなくて大きなプロジェクトは組めませんから。だいたい8人くらいで作ったでしょうか。同じ年に「スペースハリアー」が出ていますが、この時にはチャレンジ目標として、最速でゲームを作る記録に挑戦しようという気持ちで作りましたから、開発がスタートしてから6カ月で完成しています。PCでシミュレートしているのですが、実際のゲーム部分は2カ月で作っています。その後はセガのコインの基準とか、筐体のコントロールや、あの当時のセガの製作基準に合わせたり、後はチェックなどを含めてトータルで6カ月かかりました。



■ 出さないほうがいいと言われるものばかりを出してきた理由

自分が勝てるレースゲームを目指して作ったという「アウトラン」
ヴァーチャルという言葉がまだ耳慣れない時代の先駆け的な作品「バーチャレーシング」

――先ほどはバイクゲームですが、今度はドライブゲームの「アウトラン」です。どうしてドライブゲームを作ろうと思ったのですか?

鈴木氏: 私は学生の頃にはあまりゲームはしない人間だったのです。ゲームが嫌いではなかったのですが、友達同士で遊びに行って対戦すると私が負けちゃうのですよ。その当時のレースゲームは、車同士がちょっと触っただけで自分の車が爆発してしまうのです。私は学生のころから実際に車に乗っていましたが、自分の車でこすっても爆発したことはありませんから。だから私が友達に負ける理由は自分自身ではなくて、ゲームの方が悪いんだろうと思っていました。自分のドライビングテクニックが活かせるゲームを作れば、友達に勝てるのではないかということで、リアル思考のゲームを作りました。

――裕さんの要求が満たされる形だったわけですね。同じドライブゲームの「バーチャレーシング」ですが、このゲームから基盤がModel-1になりました。3D描画機能も苦労した点だと思いますが。

鈴木氏: Model-1はセガが初めて作った3Dのボードで、これ以前はスプライトと言って2Dのボードだったのです。セガが3Dのボードを作るというので、ボードの開発から参加しました。最初のテストでは300ポリゴンしか表示できないところからスタートして、それではどうしてもゲームができないと、ハードチップのようなところから時間をかけて設計して、やっとなんとかゲームになるようなボードになりました。

 それで何を作ろうかと考えた時に、「ハングオン」や「アウトラン」でドライブゲーム自体は作り慣れていたので、ボードが新しいなら一番作り慣れたドライブゲームから始めようということになりました。この時に世界初だったのは16:9のモニターを始めて採用したことです。この当時16:9のモニターは凄く高価で、モニターだけで40万円もしました。それでもなんとか完成することができてよかったです。

――ポリゴンを表示できるようになったことで、ゲーム的や表現的に変わったと思うことは何ですか?

鈴木氏: 手書きだと細かいところまできれいに描けるのですが、ポリゴンは三角形の組み合わせで、その三角形も一色の色しかだせなかったので、表現としては非常にしょぼいものになります。でも3Dでちゃんと計算しているので、位置関係やパースペクティブ、遠近法的な部分が正確に表現されるので、静止画ではかなり今一歩なのですが、一旦動きだすとすごくリアリティを持って見えたので、ユーザーの皆さんからはとても新しいタイプのゲームに見えたのだと思います。

3D対戦格闘ゲームというジャンルを生んだ「バーチャファイター」

――次作の「バーチャファイター」は当時2D格闘ゲームが全盛のなか登場しましたね

鈴木氏: 当時カプコンさんの「ストリートファイター2(スト2)」が格闘ゲームの中では巨人でした。「バーチャファイター」を作り始めた時に調べたのですが、PCを含めてあの当時なんと600本も格闘ゲームが出ていたのです。「スト2」の後に600本も出ているのに「スト2」を超えるゲームはなかった。しかも当時はカプコンさんも3Dの研究をされていたと思うのです。だから「いくら裕さんでも、このゲームだけはやめておいた方がいい」と言われました。

――先ほどから、やめておいた方がいいというものを積極的に作っているのですね

鈴木氏: 普通の人はなにかと比べていいとか悪いという判断をしているのですが、新しい企画は比べるものがないのです。だから理解してもらえないというわけです。このゲームは大ヒットはお約束できないですが、使った開発費くらいの成績は出せるので、なんとかやらせて欲しいと頼み込みました。「バーチャファイター」は確か15人くらいのチームだったと思います。

――15人で作ったのですか?

鈴木氏: あの当時、「スト2」の開発について聞いた話では、デザイナーが50人くらいいて非常に美しい絵を描いていました。だから「バーチャファイター」を出した時にはみんな目が点になっていましたね。段ボール箱みたいな人間が動いていると。なんとか製品として成功することができてよかったです。

――「バーチャファイター」で目指したところはどこだったのですか?

鈴木氏: もともと学生の時から3Dの勉強をしていて、3Dで生き物を表現するのが夢だったのです。あの当時は3Dで柔らかいものを表現するのが難しかったので、将来の目標は3Dで柔らかいものを表現する、理想を言えばウミウシを作りたかったのです。でも最初からではハードルが高いので、まずはF1から作ったのです。あれはタイヤだけ動かせばいいので。「バーチャファイター」になると関節がいくつもあるのでもっと計算が多くなります。サッカーゲームだと11人分の計算はとてもできないけれど、格闘ゲームなら2人を動かせばいいので。それで2人のキャラクターをきれいに動かすということをやってみました。

サーキットでデータを取った本格ドライブシミュレーター「F355チャレンジ」

――「F355チャレンジ」についてはどうですか? 開発的にもエピソード的にも面白い話があると聞きましたが

鈴木氏: 僕はよくシミュレーターの鈴木と言われることがあるのですが、ゲームを中心に作ってきたので、あまり自分ではシミュレーションを作っている気はなかったのですけれど、このゲームだけは作っている当時からゲームではないと言ってましたね。「F355チャレンジ」は純粋なレーシングドライビングシミュレーターとして作りました。フェラーリからも正式にライセンス受けています。富士スピードウェイを1日借り切って、プロのレーシングドライバーを呼んで、フェラーリも10台以上集めてセンサーを付けて、コーナリングの時の横Gとか、ブレーキングとか、そんなデータを全部取りました。車のSEも3Dでサウンドを録って、エンジン音も本物からサンプリングして、徹底的にできる限りのシミュレーションをつくりました。

――色々な実験をされたのでしたよね。

鈴木氏: あの当時、F1に入っていたセンサーの、そのままは高くて使えなかったのですが、2、3段階グレードの低いセンサーを車に取り付けました。そうして何台も何代も走って、もちろん僕も走って、プロのレーサーも走って、いろんなデータを取りました。このゲームをプレイして実際の車のタイムが上がったというドライバーがプロも含めてたくさんでてきたことがすごく嬉しかったですね。



■ キーワードは「ネットワーク」、「ウェアラブル」、「ライブ」

セガのボードの歴史

――1980年から2000年には、アーケードの進化の歴史はイコールボードの進化の歴史とも言えますね。そして、今世界中のOSはほぼ同じですし、皆さんが同じ環境で作っている状況はどうなのでしょうか?

鈴木氏: 昔はアーケードのボードの能力がどこよりも高かったので、そこで色々なイノベーティブなチャレンジができました。その後PS3に代表されるような高性能なゲーム機が出てきまして、業務用のマシンよりも能力が高くなってきました。そして最近ではPCの能力がすごく高くなり、みんなPCライクになってきました。

 PCをベースにしたゲームは開発者にとっては一番なじみが深いので、余計なことに頭をわずらわされることなく、クリエイターがクリエイティブに考えられる環境になってきていると思いますね。これからはボードの能力勝負ではなくて、ゲームの企画とかオリジナリティとか面白さという同じ土俵で戦うようになってくると思います。

――裕さんから見て、今の開発者に持っていて欲しいと思うのはオリジナリティですか?

鈴木: 最近リーマンショックと言われる大不況が襲ってきまして、ゲーム業界もダメージを受けたわけです。それあって会社側がどうしても安全にダメージを回復させうようとして、いいゲーム、文化的にいいゲームを作るというよりはお金を儲ける方に力が入っているように思います。会社がつぶれてしまっては非常に厳しいことになるので、それが優先だとはわかるんですが、どうしてもゲームの質とかそういうことよりも、どれだけ売れたがいいそこを中心になってきていますから。これだけ多くの子供たちや皆さんが携わるのですから、ゲームは間違いなく文化といっていいと思うのです。できれば新しいゲームをどんどん作って、子供たちにもいい影響を与えるものでそれで、クリエイターの方もシリーズものだけではなくて、新しいことにチャレンジして価値あるものを作って欲しいですね。

――確かに、日本は続編ならもう少し売れるだろうといった話が多くなっている時代かなと思います。これを突破することが大事ですね。1990年代には、日本のゲームの市場は非常に活況を呈していたと思うんです。でも2000年に入りますと、E3などかはリーマンの経済危機があろうが無かろうが盛り上がっているイメージがあると思うんですよ。彼らがだんだん良くなって、私たちが今一つなのはどういうところがポイントなんでしょうか?

鈴木氏: 私はゲームの全盛期を体験しています。あの頃は日本のマーケットシェアが8割くらいで日本が世界を圧巻しました。今の日本の世界の中でのマーケットは2割をひょっとすると切っているかもしれない程度です。マーケットが全体的に小さくなっている訳ではなく、世界規模ではゲームのマーケットは依然増えてきています。僕なりになぜ日本がこうなったのかを考えると、世界を席巻していた時のやり方は、個人の能力に頼る部分が多かったのですが、そのころアメリカはシステム化を進めていって、人間がやらなくていいものをどんどん機械にやらせていきました。

 簡単に言うと、アメリカがやってきたのは、スーパーのレジでお金を入れるとおつりが自動的に出てくるようなシステムです。これでどんなアルバイトの人でも雇うことができるわけです。システムをどんどん整備したことで、アメリカや世界の企業はゲームを作る時に一番大事な部分、クリエイティブなところに使う時間ができてきた。かたや日本の方は人間の力にずっと頼ってきたので、機械でできる部分をまだ人間がやっている。その結果アメリカに面白いゲームが出てきて、徐々にマーケットがそちらの方に移ったのではないかと。やっぱり新しいことをやらないとリードしていけないと思いますね。

――スケジュールが決まっている枠のなかで、どれだけクリエイティビティに時間を取れるかですね。

鈴木氏:どこも同じくらい厳しい中でやっていますから。

――がらりと変えて、インターネットの普及が大きくなって、ゲームの世界は変わりましたか? あるいはこれから変わるんでしょうか?

鈴木氏: ゲームも数あるエンターテイメントの中の1つです。時代の進化とインターネットの進化の中で遊びの幅はうんと広がっています。私たちが学生の時には遊びは限られたものの中から選んで、そこにどんどん時間を使っていました。今は選択肢がたくさんあるので、業務用のゲームセンターに行くという選択肢がだんだん小さくなってきています。ただ、あの当時体感ゲームを投入したことによってマーケットが生き返ったり、2Dが3Dになったことでマーケットがドカンと広がっていったことがありましたから、これからも色々なことが融合していくのではないかと思います。

 将来私がこれで行けるのではないかと思っているキーワードが3つほどありまして、1つは今どうしてもはずせない「ネットワーク」というキーワード。もう1つは「ウェアラブル」。肌身離さず持っておくことです。もう1つは「ライブ」ですね。この3つのキーワードが将来性があるのではないかと考えています。

11月15日に発表された携帯アプリ「シェンムー街」

――ちょうど今裕さんの新しい最新作「シェンムー街」が発表されましたね。いま裕さんがおっしゃった3つのキーワードがこの作品にもこめられている?

鈴木氏: そうですね。携帯電話のコンテンツですから常に持って歩けて、ネットワークを通じて先の人間がライブです。こういったものを今後進めていきたいです。

――アーケードからモバイルに行ったのはなぜですか?

鈴木氏: これから僕が興味が持てるマーケットがさっきいった3つの中にあると思ったので、今から研究していおきたいと思ったのです。ふとしたきっかけで何かが融合していくことで色々なものが起きていくので。私が今後携帯を中心にやっていくというわけではありません。プラットフォームに制限はされたくないですから。

――このマーケットの良さを勉強してどんどん新しいことをやっていこうと。

鈴木氏: こういう新しいものと、今まで業務用で培ってきたノウハウを融合すると、まったく新しい業務用の遊びができると思っています。

――最後に、韓国の若いクリエイターに一言お願いします。

鈴木氏: 韓国のゲームでいつも感心するのはMMOのようなオンラインゲームが非常に進んでいることです。今回「G-Star 2010」を拝見して、韓国のゲームのクオリティは凄く高いしクリエイターも育ってきていると思います。オリジナリティも出てきています。是非オリジナルのゲームにどんどんチャレンジしてほしいと思います。新しいゲームを作る時に違う国の人とゲームを作ったりすると、新しい文化やゲームが生まれる可能性があると思いますので、セガも含めて一緒に開発をする機会があったら、是非一緒にお仕事してみたいと思います。これからオリジナリティのあるものを作っていって、新しい韓国の文化を作って欲しいと思います。


(2010年 11月 21日)

[Reported by 石井聡]