CESA Developers Conference 2010(CEDEC 2010)レポート

「テイルコンチェルト」から「Solatorobo」へ

サイバーコネクトツーの構想10年、制作3年の新作誕生秘話


8月31日~9月2日 開催

会場:パシフィコ横浜



サイバーコネクトツー代表取締役社長の松山洋氏

 CEDECで毎年、自社のユニークな取り組みを発表して人気を集めている、株式会社サイバーコネクトツー代表取締役社長の松山洋氏による講演。今年は「小さくまとまるな! ~構想10年、制作3年 サイバーコネクトツー流NDSビッグタイトルのつくりかた~」と題した講演が開かれた。

 今回の題材となる作品は、同社が開発し、10月28日に株式会社バンダイナムコゲームスから発売予定のニンテンドーDS用アクションRPG「Solatorobo それからCODAへ」である。本作は講演タイトルにもあるとおり、構想10年、制作3年という長い期間をかけて開発されたという。なぜそれだけの時間を要したのか、またその間に何があったのか。松山氏はそれらの話を、プロデュース論や企画を通すテクニックとしてまとめた。

 この講演には松山氏のほか、「Solatorobo それからCODAへ」でディレクター兼デザイナーを務める磯部孝幸氏と、ゲームデザイナーを務める夏村久司氏も登壇し、各担当分野についての詳細な取り組みを語った。




■ 「Solatorobo それからCODAへ」の2.5Dビジュアル表現

サイバーコネクトツー デザインチームマネージャーの磯部孝幸氏
10月28日発売予定の新作「Solatorobo それからCODAへ」

 まずは「Solatorobo それからCODAへ」というゲームがどういったものかを把握してもらうため、磯部氏によるゲーム説明を先に紹介する。本作は「2Dの暖かさと3Dの迫力を併せ持った2.5Dの映像」を実現する、2つの表現手法を用いているのが特徴だ。

 1つは「モーションイラストデモ」。元となる2Dのキャラクターイラスト原画からパーツをテクスチャとしてばらして、ポリゴンに貼り付けることで、2Dのような風合いのイラストを自然に動かすという手法をとっている。ただしカメラ位置を制限した上での見せ方で、ポリゴン数は少なく、裏側は何もない、いわゆるハリボテのような作りになっている。

 もう1つの「パースマップ」は背景に使われるもので、2Dイラストをテクスチャにしてポリゴンに貼り付けるという手法は「モーションイラストデモ」と同じ。ただしこちらはプレーヤーキャラクターの手前と奥にポリゴンが配置され、奥行きを持って作られている。2Dの風合いで描かれた街中をキャラクターが走り抜ける様子を、DS上で自然に見せている。ビジュアル表現には特にこだわりを持つ、サイバーコネクトツーらしい演出といえる。

 こういった柔らかな印象のグラフィックスに加え、犬や猫を擬人化したキャラクターが登場することから、ほんわかした雰囲気の作品に見えるが、「割とハードで重厚な世界観があり、気持ちいいアクションが楽しめる作品になっている」という。


【モーションイラストデモ】
デモシーンで2Dイラストのようなキャラクターが動きを見せる仕掛け。決まった角度のカメラから見る前提なので、裏面などは作られていない

【パースマップ】
同じく2Dイラストから起こした背景だが、こちらは実際に奥行きを持たせた配置で作られている



■ 「テイルコンチェルト」の失敗イメージに阻まれた「テイルコンチェルト2」

松山氏が冒頭に挙げた疑問点。これらをキーポイントに話が進められた

 さて松山氏は講演冒頭、「最近、企画を出しても通らない、何を作ったらいいのかわからない、という弱気な発言をよく耳にする。かといって、軽い気持ちでタイトルを作って失敗はできない」と前置きし、「Solatorobo それからCODAへ」における同社の取り組みを紹介した。

 まず前提として松山氏は、聴講者が抱いているであろう「Solatorobo それからCODAへ」に対する4つの疑問を示した。第1に「サイバーコネクトツーはバンダイナムコゲームスと仲がいいからできたのでは?」というもの。そして第2に「『ナルティメット』シリーズや『.hack//』シリーズで儲かっているからできたのでは」というものだ。この2点を松山氏は「NO」と答えた。

 第3に「時間をかけすぎたから大作にならざるを得なかったのでは」という疑問を挙げ、「断じてNO」と強く否定。そして第4に「サイバーコネクトツーだからできたのでは」という疑問には、「YESでありNO」とした。松山氏はこの4点の疑問に対しての答えを、15年前の会社設立当時の話から始めた。

 1996年、サイバーコネクト2の前身である有限会社サイバーコネクトが設立された。そして2年後の1998年、同社1作目のプレイステーション用「テイルコンチェルト」が発売された。1996年はニンテンドー64用「スーパーマリオ64」やセガサターン用「NiGHTS」といった箱庭3Dアクションが人気で、同ジャンルでPSタイトルの「テイルコンチェルト」を当時のバンダイに提案したところ、喜んで受け入れられた。期待も大きく、初回15万本、最終的には30万本を売りたいという見通しを立てて発売されたが、結果は約97,000本。これでも損益分岐は超えているものの、期待からは大きく外れたことで「売れなかったというイメージ」が残ってしまった。

 2年後の2000年、サイバーコネクトはプレイステーション 2用「.hack//」の開発を始めていたが、複数ラインを走らせるべく、「テイルコンチェルト2」の提案をバンダイに持ち込んでいた。最初の提案は1999年だったが、「テイルコンチェルト」の「思いのほか売れなかった」という印象だけが残っていたため、一蹴された。さらに2000年に再度提案したが、今度は企画書に目を通すこともなく、目の前でゴミ箱に捨てられた。

 しかし松山氏らは諦めなかった。「テイルコンチェルト」の続編を望む声は、日本だけでなく海外からも多数寄せられていた。また同社ではプロジェクト休暇には全員が企画書を書くという決まりがあるのだが、その企画書の社内コンペにおいて、2003年と2004年の2回、作りたいゲームランキングの1位に選ばれた。

 「自分達が作りたくて、ファンが待っているなら、作ろう」という想いはあった。しかし、「テイルコンチェルト」は売れなかった印象が払拭できない。また「テイルコンチェルト」を作りたいが、そのままではいけない。そこから「構想10年」が始まることになる。


まだ社名がサイバーコネクトだった頃に開発した第1作「テイルコンチェルト」損益分岐はクリアしたにも関わらず、売れなかったというイメージがついてしまった
「テイルコンチェルト2」を提案したが、イメージの悪さから取り合ってもらえずしかし社内外からの開発を望む声は大きかった



■ 失敗の分析から作戦を練り、実現にこぎつけた10年の構想

「テイルコンチェルト」が売れなかった理由を分析

 松山氏らはまず、「テイルコンチェルト」が売れなかった理由の分析から始めた。まず1点目は、対象年齢が低いことから、奥の浅いゲームと見られたこと。これに対しては、シナリオと世界観を深く掘り下げ、もう少し上の年代である中高生以上に向けて作ることにした。2点目は逆に、見た目に反して操作が難しいこと。これには複雑な操作を廃し、DSのボタンだけで実現できるシンプルな操作で、多彩なアクションを用意した。

 そして3点目は、バンダイからの指摘。「犬・猫の擬人化はマニアック。ロボを出すだけで女子がついてこない。ニッチ過ぎる」というものだ。これに対する答えは「ここは譲れない」。「犬も猫も、ロボも出す。好きだから」というのが松山氏の答えだ。

 そして構想の10年間で、作戦を練った。まず「テイルコンチェルト」を過去の作品として埋もれさせたり、なかったことにするようなことがないため、自社の公式サイトを2000年、2002年、2004年と定期的にリニューアルした。次に2004年、福岡県の防災キャラクター「まもるくん」の総合デザインを請け負った。これに「テイルコンチェルト」と繋がる世界観を持たせ、「リトルテイルブロンクス構想」としてまとめることで、「テイルコンチェルト」のブランドに頼ることなく、世界観を活かせる方向を見出した。

 そして構想の締めとなる2007年から2008年にかけて、完全オリジナル作品として再出発することになる。当時は「.hack//G.U.」や「NARUTO -ナルト- 疾風伝 ナルティメットアクセル」の開発をしていた時期だが、松山氏と磯部氏、そして世界設定を担当していた岡部寛正氏の3人が、それらと平行してミーティングを続け、1年かけて設定資料となる絵や文章にして溜め込んだ。

 また当時は、DSの世界累計販売台数が7,000万台を突破した頃で、「脳トレ」ブームが収束し、シリアスゲーム(学習系ソフト)やパーティーゲームが多数発売されていた。その反面、いわゆるゲームらしいゲームが少なかった。そこでサイバーコネクトツーは、「市場にない本格的ビッグタイトルを作ろう」という方針を掲げ、2008年からパブリッシャーへの売り込みを開始した。

 まず第1の作戦として、同時期にパブリッシャー3社に売りこみをかけ、各社間の競争意識を煽ろうとした。松山氏は「バンダイナムコゲームスと仲はいいが、他の会社とも話をしている。結果的にバンダイナムコゲームスの仕事が多かっただけ」という。

 第2に、企画書と別に、意気込みを語るための設定資料集を持参した。企画提案に行ってプレゼンし、最後に設定資料を机に広げて見せた。設定資料は製本されたもので、A4サイズの企画書よりもかなり大きなサイズで作られているのがポイント。松山氏は「プロデューサーはいくつものタイトルを抱えており、開発者が思っている以上に忙しい。企画書は渡した直後にファイルされ、そのまま埋もれる可能性もある」と分析。そこでサイズ的にファイルに入らない設定資料を渡す。置き場に困ったプロデューサーは、とりあえず机の上に置く。それを通りすがりの人が見て、「これは何?サイバーコネクトツーの新作?」、「いや、まだやるとは決まっていないけれど……」というコミュニケーションが生まれる。話題を作り、ファイルに埋もれる事をなくすのが狙いだ。

 またこの設定資料は、熱意を伝えるためにも役立っている。バンダイナムコゲームスのように、年間数十本のタイトルを発売する大手パブリッシャーでは、より大きく扱われる戦略タイトルに選ばれなければならない。「そこを決めるのは、プロデューサーがそのタイトルにどれだけかけているかというハート。プロデューサーが宣伝や営業に語らなければ始まらない」という。実際にプロデューサーから、社内でのプレゼンに使うために追加で送って欲しい、というリクエストもあったそうだ。またパブリッシャーに顔を出す度に、最新に更新した設定資料を渡していた。

 さらに第3の作戦として、2007年夏、パブリッシング契約を結ぶ前に、雑誌に求人広告を掲載した。DSでの開発が同社初だったこともあり人が欲しかったのは事実だが。オリジナルもやっていることをアピールする狙いもあった。

 これらの作戦の結果、バンダイナムコゲームス副社長の鵜之澤伸氏から直接連絡があり、契約が決まった。


構想段階から、「テイルコンチェルト」の公式サイトをリニューアルするなど、火を消さないための取り組みを続けていた松山氏ら3人が1年かけて膨大な資料を作成作りこんだ資料は、設定資料として製本し、プレゼン後に企画書とともに手渡した



■ 長期開発を前提に、時間を有効活用した3年の開発

少人数・長期間の開発を最初から計画
著名クリエイター陣は納品に時間がかかることも織り込む
サイバーコネクトツー ゲームデザイナーの夏村久司氏

 3年間の開発においても、自分達が作りたい作品を作り上げるための作戦を練っていた。まず第1に、3年という長期間の開発を行なうことは、最初から計画されていた。これはスタッフの数を開発の各時期に必要な人数だけ割り振ることで、コスト削減を狙っている。スタッフは最も多い時で16人、マスターアップ前の2010年7月以降は最大3人となっている。

 第2に、商品力を高めるため、著名なクリエイター陣を起用した。キャラクターデザインは「テイルコンチェルト」に続き結城信輝氏、メカニックイラストは谷口欣孝氏、オープニングアニメの制作はマッドハウスが担当している。これらの発注においては、結城氏がイラスト15点に2年かかったことを始め、谷口氏、マッドハウスも納品に1年かかっている。
「大御所は時間がかかる」ということを想定し、3年という開発期間を活かした。なおバンダイナムコゲームスには最初に「3年欲しい」と伝え、承諾を得ていたという。

 第3に、モニター会を独自に定期実施した。2008年に3回、子供を集めて実際にプレイしてもらい、コンセプトと要素を確認。モニター会を担当した夏村氏は、特に10歳以下の子供にも緊張せず遊んでもらうため、担当スタッフを女性に限定し、「男性は前を通ることも許さない」といったノウハウを披露した。続いて2009年にも3回のモニター会を実施。ここでは学生に2週間ほど最後までプレイしてもらい、バランスやシナリオのアラを修正した。そして2010年に2回、最終バランス調整を実施。これも短期集中の開発では時間的に難しいアプローチだ。

 このほか、3年の開発の間にDSiが発売されるという想定外の事態も起きたが、長期開発のおかげでそれにも対応でき、カメラを使った遊びも追加。また「ドラゴンクエストIX」でクエスト配信が好評だったことを見て、本作においてもクエスト配信要素を実装した。松山氏はこれらの開発について、「3年かけただけある内容で、当初の想定よりも作りこめた」と述べた。

 講演のまとめとして、松山氏は最初に挙げた疑問に対し、「バンダイナムコゲームスには、むしろNGを出され続けた」、「プロジェクト単体で利益を出す。細く長い開発で工数を抑えた」、「時間をかけたのは作戦通りで、それによって様々な要素を盛り込めた」と答えた。4点目の「サイバーコネクトツーだからできたのでは」という疑問には、「我々だからこそ、このやり方が思いつき、実践できたのは事実。ただそれらを隠すつもりもなく、全て紹介した。真似できるところはしていただいて構わない」と語った。

 松山氏は最後に「覚悟と作戦があれば、作りたいものが作れる。作りたいものがあるなら、覚悟と作戦が必要だ」と述べた。ちなみに松山氏は講演の中で、自らの「作りたいもの」についても触れており、「我々は空想科学世界が大好き。ゲームでは、実際にできないことをやらせてあげたい。子供達にゲームを遊んで欲しい。ゲームは少年少女の夢だと思っている」と語っている。


講演中に上映された「Solatorobo それからCODAへ」のプロモーションムービー。この中でも、本作が空想科学世界の物語であることが強調されている

(2010年 9月 1日)

[Reported by 石田賀津男]