佐藤カフジのVR GAMING TODAY!

Ocufes&CEDECで明確化した国産VRコンテンツの強み

日本の強みは“見立て”の文化にあり!? この夏のVRイベントの模様をお届け!

【著者:佐藤カフジ】

 昨今、精力的に日本のVRクリエイションを盛り上げようと頑張る人たちは少なくないが、その中でも歯に衣を着せぬ発言で大勢の心を捉えているのが、「サマーレッスン」のチーフプロデューサーを務めるバンダイナムコエンターテインメントの原田勝弘氏だ。その原田氏がCEDEC 2015にて放った一言は、特に傾聴に値する。

「日本人というのは、“見立て”が得意なんだと思います」

 8月末の1週間、立て続けに開催されたVR関連イベントOculus Festival in Japan 2015夏(Ocufes)、VRまつり2015夏、そしてCEDEC 2015。そこで示されたコンテンツや議論から、日本のVRコンテンテンツが強みを発揮する方向性について考えてみよう。

「サマーレッスン」の根底に隠された業界的意義とは

原田氏がCEDEC 2015で語った“見立て”の真意

CEDEC 2015で「サマーレッスン」について詳しく語った原田氏と玉置氏
国産VRコンテンツの方向性について語られたラウンドテーブル
アニメでもリアルでもない、折衷案。これをリアルな存在として“見立て”られるのも能力のひとつだ
伝わりやすさを重視した「サマーレッスン」。生活感を表す記号として小物類にも魂が込められている

 CEDEC 2015で実施された“「サマーレッスン」が誘う非現実のリアル(3) 開発者ディスカッション編”と題されたラウンドテーブルでは、聞き手の遠藤雅伸氏が議論のトピックを「国産VRコンテンツの生存戦略」に移した際、原田氏は日本独自のコンテンツ文化の本質は“見立ての能力”にあると語った。

「見立てというのは、例えば歌舞伎で出てくる黒衣(くろご)が居ないものとして見るようなルール、もしくは能力。アイコン的なものを何かに見立てるとか、デフォルメするとか、日本人はそういうのが非常にうまいんじゃないかと」

 これは、日本的なコンテンツ製作者やオーディエンスの深層にどっしりと存在する、欧米のメインストリーム勢とは全く異なったコンテンツデザインの基本哲学を、これ以上ないほど的確に表した言葉だ。これを意識的に見つめることが、日本発のVRコンテンツが国際的に高い競争力を持つためのキーファクターになるかもしれない。

 考えてみれば、欧米発のVRコンテンツは、ゲーム、ノンゲームの両方で「具体的かつ写実的」なものがほとんど全部を占める。VRならではの、新しくて価値ある体験を創りだそうとする際、海外勢はまず現実世界をリファレンスとする傾向が強い。

 全世界のオーディエンスを対象にコンテンツを製作する場合、リアル志向のメリットは明らかだ。「現実」は全人類の共通体験だから、文化や人種を問わず誰もがそのコンテンツを理解できる。それを通じて得られるVR体験が面白いかどうかはさておいて、直球で伝わるというのは大切なことだ。

 それに対して日本のコンテンツの傾向はどうだろう。アニメ、漫画、ラノベ、ゲーム等々のサブカルチャーが割合近い関係にあって、そこでは魔法、疑似科学、ロボ、異世界、なんでもござれ、リアルとは程遠い世界観とキャラクターが主流だ。華奢で目のでかい少女が身の丈を超す大剣を軽々と操り、一振りで地形を変えるほどの打撃を繰り出しても誰も驚かない。

 実はこれは、世界的に見れば恐ろしくレベルの高いコンテンツ空間である。上記のような、冷静に考えると2重3重にありえない絵面を、素直に納得した上でキャラクターやストーリーの魅力に集中できるためには、ものすごい質と量の「お約束」を知っている必要がある、という意味でレベルが高い。それこそ、その世界はそういうものだと“見立て”る力だ。

 能、歌舞伎、アニメ、漫画、ゲーム、何にしても、日本人は一般的にこの“見立て”の能力が高いと考えられる、というのが原田氏の意見だ。

 実際、それは間違いないと思う。あらゆる国産コンテンツに見られる記号的表現の多さ。頭部をレントゲン撮影したらネコの骨格にしか見えないであろう、高度にスタイライズされたデザインのキャラクターたち。そういったもので鍛えられたオーディエンスの高い“見立て”の力が、また作り手側に影響するというフィードバックループを構成。結果として国内のコンテンツ空間は壮絶にガラパゴス化。だがそれがいい。クリエイターにしてみれば、オーディエンスの“見立て”の能力を踏み台にして、魂を込める部分を大胆に取捨選択できるので、次へ次へと新しい世界、新しいキャラクターを作り出していける。これはVR時代においても武器になりうる。

 ただし、そこには世代間格差みたいなものもある。原田氏が、「サマーレッスン」の開発当初、ディレクターに抜擢した若きゲームディレクター玉置絢氏と作風方針でぶつかったのはそこである。幅広く理解されやすい写実系を求める原田氏に対し、「アイドルマスター」的なアニメ風がいいという玉置氏(および他の若い開発メンバー)。上記のような荒唐無稽ベースのコンテンツを浴びるように摂取してきた玉置氏は、ナチュラルに「レベルが高すぎた」のである。

 しかしそれでは、原田氏がVRの魅力を伝えたいと願う幅広い層に対して、理解されにくいものになるという恐れがあった。喧々諤々の議論と実験の結果、結局は折衷案となったわけだが、その軋轢を乗り越えたことで「サマーレッスン」は、日本的な「レベルの高さ」を背景にもちつつも、海外勢にも理解されやすいという絶妙な塩梅を見出すこととなった。

体型比較。鉄拳(左)は四肢ががっちり大きく、アイマス(右)は顔が大きい。「サマーレッスン」はその中間をとり、実在上の違和感を減らした。結果として、アニメ寄りのデザインに不慣れ(かと思われる)海外勢からもストレートに高い評価を受けることができた

 原田氏はE3 2015で「サマーレッスン」を出展した際の海外クリエイターによる反応について、リアリティについてのツッコミも多かったが、全体的には驚くほど好評だったとしてこう語っている。「名だたる開発者の皆さんなどがどんどんやってきて、体験する前から“最高だ!”とか“グッジョブ!”って言ってくれるんですよ。それを『鉄拳』でも言って欲しいところですが(笑)、海外であってもゲームを開発している人間や、日本の文化に触れている人たちというのは、けっこう“見立て”のセンスを持っているのかなと」

 これに応えて進行役の遠藤氏は、「そういう“見立て”の考え方が浸透していくと、海外でも日本のコンテンツがもっと認められるようになるのかなと、思います」として議論をまとめた。

 ここに、日本のVRコンテンツが世界を相手に強力な競争力を発揮するためのヒントがある。「サマーレッスン」はそのトップバッターとして、国内のみならず海外のVRマーケットも大いに地ならししてくれるはずだ。

そしてOcufes&VRまつりを席巻した、キャラクター主導型コンテンツ

来場者1,300人と、一大イベントとなったOcufes 2015夏
企業出展も。こちらはゲーミングPCブランドG-TuneのVR相談ブース
VR界隈ではおなじみの顔となった「初音ミク」
Unityちゃんに歯磨きをしてあげるというVRコンテンツ……

 “見立て”の文化は、創作の世界を現実のくびきから自由にしてくれるだけでなく、魅力的なキャラクターたちを生み出す土壌ともなっている。高度に記号化された絵柄、自由な設定、そういったものが自然に受け入れられるからこそ、屈託なく「かわいい」、「かっこいい」の理想を追求した創作が生まれ得る。

 控えめに言っても、日本人の多くはそうして生まれたキャラクターたちのことが大好きだし、現実を超えた理想的な存在として、各自の心のなかに「実在」させている。それこそ、名前も知らないアパートの隣人よりも、好きな作品のキャラクターのほうが顔も人格もよく知っていて、大きな存在だ。だから、日本発のVRコンテンツの多くがキャラクター主導型のものになるとしても驚きはない。

 そういう意味で、8月24日に秋葉原で開催された「OcuFes 2015 夏」および「VRまつり 2015夏」は、国産VRコンテンツの個性がよくよく確認できたイベントとなった。

 OcuFesは2013年の初開催から3年目となる草の根VRクリエイターの催しで、実際の所まだ草の根しか存在しないVR界隈にあって日本を代表するVRイベントに成長してきている。今回のイベントでは総勢1,300名が来場したと言うことで、草の根VR開発者による出展に加えて初の企業出展も行なわれるなど大変な盛り上がりを見せていた。

 便宜上、ここではVRコンテンツの方向性を「ゲームプレイ主導型」、「体験主導型」、「キャラクター主導型」の3種に分けて考えてみるが、Ocufesで出展されていた多数のコンテンツの中で大いに存在感を示し、魅力的に映っていたのは、やはりキャラクター主導型のVRコンテンツだ。

 個人・サークル出展におてはボーカロイドキャラクター「初音ミク」を用いたVRコンサートはもはやお約束レベル、Unityちゃんとのバーチャルデートを楽しめるコンテンツや、ゲーミングPCブランドG-Tuneのイメージキャラクター「G-Tuneちゃん」を“抱っこ”できる体感VRコンテンツなど、もうまるっきりキャラの魅力で引っ張るVRコンテンツに長蛇の列という風景である。なにしろわかりやすいし、VRによる効果もてきめんだ。

メイン協賛企業となったAMDは、最新GPU+Crescent Bay+CrytekコンテンツによるE3 2015仕様のデモを披露

Cygames出展のVR粘土/ろくろアプリ。実験的に作ってみたものだという
個人事業として推進中の戦艦大和VR復元計画。写真ではわからないところまで緻密で、非常に高いクオリティ

KISSによる3DアダルトゲームのVR対応デモ
Illusionによる3DアダルトゲームのVR対応デモ

 そして決定打は企業出展。企業として商用コンテンツを出展していたのはいずれもアダルトゲームのブランドで、KISSによる「カスタムメイド3D2」のVR対応デモ、Illusionによる「セクシービーチ・プレミアムリゾート」のVR対応デモと、いずれも発売中・発売予定製品でのVR体験をアピール。弊誌ではその内容をあまり具体的に説明しづらいが、ハッキリ言ってその破壊力は、体験者の人生観を変えてしまうほどのレベルにある。

 魅力的なキャラクターが「そこに存在している」感に、本能的欲求を刺激する味付け。この魅力は(絵柄の好みは分かれるにしても)誰にでもわかるし、多くの人にド直球で刺さるから強い。だからこそメーカー側も、製品版のVRヘッドセットがまだ発売されていないという、このようなタイミングから積極対応してきているのだ。

 ここで“見立て”の能力が重要になってくる。VR内で実在として見るこれらのキャラクターたちは、基本的にアニメ調であり現実の人物に比べて顔がでかい、目もでかい。Illusionのものは比較的リアル頭身だが、やっぱり理想化されており、現実の人間とはだいぶ違う。

 ハッキリ申し上げて、初めて見るときは“目デカッ、こわっ”となる。だがしかし、しばらく眺めているとだんだん慣れてきて、違和感が消えていく。これはそういうものだと“見立て”ることで。そうすると純粋に、現実には存在し得ない完全無垢の理想人物が、「目の前に居る」という体験が成立する。これは一部、現実を越えるほどの体験だ。

 海外では(乱暴なカテゴライズだとはわかっているが)主流の、写実を追求したキャラクターではなかなかこうはいかない。リアルであればリアルであるほど、現実との僅かな違いが不気味さを生み出してしまうのだ。VRでは細部の誤魔化しが効かず、不気味の谷は果てしなく深い。ところが、適切に記号化されたアニメテイストのキャラクターデザインは、ユーザーの“見立て”という橋をかけることで、その谷を越えていく。そこに日本のコンテンツ文化とVRの相性の良さがある。

VRクリエイターの大規模交流会となった「VRまつり」
会場にはハコスコを生み出した藤井直敬氏の姿も
ゲームエンジン系企業として参加したEpic Games Japan。インディーVR開発者の支援に強い関心

 そして続いて開催された「VRまつり 2015夏」。こちらの催しはVR専門メディアPanora(パノーラ)とMogura VRが共催するVRファンおよびクリエイターのための交流イベントで、VR界隈で積極的な活動を行なっている人々が大勢参加。春先に開催された前回の規模から倍増し、250名もの来場者を集めた。

 会場各所で自作VRコンテンツをゲリラ展示する来場者が相次ぐ中、「クリエイターゾーン」とされた専用フロアでは様々な実験的インタラクティブVR作品に混ざり、ド直球のアダルトVRコンテンツも複数開陳されていた。無論、長蛇の列だ。

 アダルトVRコンテンツの圧倒的な“わかりやすさ”は、VRゲーミングの流行に先立ってVRデバイスそのものを普及させるための強力な武器になりうるし、文化的にこういったものの製作が難しい/不可能な国・地域に対して圧倒的な競争力を持ちうる。一方、アダルトPCゲームの存在によって、PCゲーム全体に対してそうしたイメージは根強く残っているように、VR自体に不健全なイメージを与える猛毒にもなる恐れがある。威力絶大であるだけに、今後VRの一般化に向け、ピーキーなコンテンツはしっかりとゾーニングしていくような、自主的な体制構築が必要だろう。

 それはさておき。

 産業というのは、先んじて商売が成立する部分から伸びていく。VRゲーミングの産業化は世界的にもまだ先が見えないし、五里霧中を脱するには何らかの決定的な触媒が必要だ。そこで、上記で見てきた系統のコンテンツの引きの良さ、クリエイターの積極性などを総合的に考えるに、ここ日本においては、キャラクター主導型のVRコンテンツが普及へのカギを握ると考えていいと思う。

 漫画・アニメ・ゲーム等で培われてきた日本型コンテンツは、ユーザーの“見立て”の力を土台に不気味の谷を比較的容易に越えてくる。それはハイレベルな記号化というアートスタイルが生み出すもうひとつの現実であり、限られた情報量でいながら、物理的現実と同じくらいの説得力と実在感、もしかしたらそれ以上の魅力をユーザーに届けうる。従来はフラットスクリーン上で展開されてきた膨大なコンテンツ資産や才能がVRに持ち込まれることで、いまはまだ皆が懐疑的に見ているVRの産業化・一般化に向けたハードルの一角が勢い良く突破されることになるかもしれない。

 今回はゲーマー的にピンと来にくい話となったが、VRゲーミングの世界が本格的に立ち上がっていくためにはまずVRシステムの幅広い層への普及が必要、という部分はみなさんにも同意していただけるはず。そのための触媒は何となるか……おそらくゲームそのものではあるまい。「サマーレッスン」が暗に示すのは、まさにそういうことなのだと思う。

ゲリラ出展でカオス空間と化した「クリエイターゾーン」はド直球コンテンツも含むVRコンテンツ展開の可能性を垣間見せた