★PS3ゲームファーストインプレッション★
シビアなストーリーが残酷なほどに愛を試す 独特なプレイ感と心理描写が生む“没入感”が魅力のサイコ・サスペンス 「HEAVY RAIN -心の軋むとき-」 |
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「あなたは愛する人のために、どれほど自分を犠牲にすることができるだろうか?」2月18日に発売となる「HEAVY RAIN -心の軋むとき-(以下、『HEAVY RAIN』)」は、そうしたテーマを持つ“本当の意味での大人向けのゲーム”を目指したタイトルだ。
本作では、4人のプレーヤーキャラクターが「折り紙殺人鬼」と呼ばれる連続殺人犯を追っていく。キャラクターが死亡してもゲームオーバーにはならず、それを反映した物語が展開される。それだけにエンディングが多数存在するというのが大きな特徴だ。開発はフランスのQuantic Dream。
サンプルROMをお借りしてプレイさせて頂いたので、そこからファーストインプレッションをお伝えしていこう。お借りしたROMは製品版と同等のマスターバージョンだが、細部等が変更される可能性はある。その点はご理解頂きたい。
■ 殺戮を繰り返す「折り紙殺人鬼」の事件に様々な人物が迫っていくサイコ・サスペンス
アメリカ東海岸で起こる連続殺人。「折り紙殺人鬼」と呼ばれる犯人の事件を追っていく |
「HEAVY RAIN」にはプレーヤーが操作できる主要な人物が4人登場する。4人はそれぞれの事情で、「折り紙殺人鬼」と呼ばれている犯人の事件に関わっていくことになる。「折り紙殺人鬼」はターゲットを次々と殺害し、その遺体の手に折り紙を、胸に蘭の花を残していくという特徴を持った、連続殺人鬼だ。
「折り紙殺人鬼」の犯行は狂気に満ちている。犯行に及ぶ者の狂気もあり、それに脅かされる側の心理にもまた狂気に近いものを感じさせる。狂気、不安、焦燥。そうした難しい人間心理をうまく描きながら事件を追うこの物語には、サイコ・サスペンスという言葉がピッタリとあてはまる。
全体的なテイストは海外ドラマにとても近い。そのドラマに登場する人物を自分が動かし、セリフや行動を自分の操作で選択し決定する。その感覚は自分がキャストの1人となって演じているようなところがありつつも、客観的な立場から物語が進行している感覚でもあった。
これを、“インタラクティブにドラマをプレイできる”と表現すると、なんだか古くさく、“プレーヤーがドラマの一部になる”という表現のほうがしっくりくる。登場人物の気持ちが痛いほど伝わってきて、シンクロできる、これまでのゲームよりも一歩先にある新しさを感じさせてくれるものだ。
4人のプレーヤーキャラクターがチャプターごとに切り替わる。行動するシーンもそれぞれにガラリと変わる |
本作はチャプター形式で物語の場面をプレイしていくスタイルを採用。チャプターが切り替わるタイミングで、多くの場合は操作するキャラクターが変わり、まったく別のシーンが展開される。「次は誰だろう?」と気になるし、状況がガラッと変わるのでプレーヤーを飽きさせない。
父親のイーサン、私立探偵のシェルビー、FBI捜査官のジェイデン、女性ジャーナリストのマディソンの4人の行動は、おおむね肩書き通りのもので、それぞれに違った魅力がある。境遇や性別、行動の理念も異なるので、まったく違う場面や距離から1つの事件を追っているという形になっている。
イーサンは事件の被害者となりつつある息子の父親。事件に思い悩む当事者として最も深くストーリーに関わり、シェルビーは、老練な探偵として事件に様々なアプローチで迫っていく。やり取りには渋い魅力が感じられる。女性ジャーナリストのマディソンはどの場面も刺激的なものが多く、他の3人とは違う、女性という立場での展開がある。
4人の中で異彩を放つのは、FBI捜査官のジェイデンだ。彼は「ARI」という特殊な装置を使って捜査に臨む。ARIは特殊なサングラスとグローブを使う捜査ツールで、サングラスを通すことで視界に様々なデータを映し出し、グローブでそれをコントロールして“データを触ったり”もできる。
この近未来的なツール「ARI」を駆使して事件の手がかりを探っていく彼のシチュエーションは、1番ゲーム的な要素が感じられる。私立探偵のシェルビーに近くなってしまいそうなところを、「ARI」によってまったく違った面白さが感じられる。個人的には、このジェイデンを操作するチャプターが気に入り、彼の出番が来るのを期待しながらプレイしていた。
ちなみに、4人は各々問題を抱えている。イーサンは長男を事故で失い心に深い闇を持ち、シェルビーは喘息を、マディソンは重い不眠症、ジェイデンはARIの過度の使用により薬を飲んでいるが、その副作用に体を蝕まれている。
【イーサン(左)、シェルビー(右)】 | ||
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【ジェイデン(左)、マディソン(右)】 | ||
4人の中でも特殊な要素を持っているのがFBI捜査官のジェイデンだ。彼はARIというサングラスタイプの近未来的な捜査ツールを駆使する。ARIは視界にデータを投影したり周囲をスキャンできる装置で、みすぼらしいオフィスもARIによって一瞬で別世界になる |
■ 「操作」 / 行動や選択を全てプレーヤーの操作でリアルに行なわせることで、独特な一体感が生まれる
続いては、操作を中心としたシステム周りを紹介していこう。キャラクターが動ける範囲や、するべきことはほぼ固定されている。ただ、その場所でできることや会話の選択肢はかなりの量が用意されている。これはちょっと簡単に表現するのが難しいので、冒頭のシーンを例に紹介しよう。
ある晴れた日。目覚めたイーサンはベッドから起きて部屋を歩き始める。このシーンで移動できるのは家の中だけだ。朝目覚めたら何をするだろうか? ちなみにイーサンはパンツのみを身につけた裸の格好で寝ていた。となると、一般的には服を着るだろう……というわけでイーサンをクローゼットのほうに近づける。
歩く時はR2ボタンで前進する。方向は、左アナログスティックで首の向きを変えてから、体の向きがかわるので、何か触るときは首だけを向けてもいい。
クローゼットの前ではグルリと半回転するような矢印のアイコンが表示される。“右アナログスティックをアイコンに通りに動かせ”というわけだ。グルリと回すような仕草は、腕を上げ、手首を捻ってクローゼットを開ける、という感覚を連想させる。このように、本作はアナログスティックをものすごく繊細に使わせるゲームなのだ。
すると、“服を着てくれる”と思いきや、イーサンは「そうじゃない」とでも言わんばかりに目を伏せながらクローゼットを閉じてしまった。どうしたのだろう? こういう時はL2ボタンを押せばキャラクターの思考を聞くことができる。思考を聞いてみると、どうやら彼は先にシャワーを浴びたいらしい。部屋を移動してシャワーへと向かわせる。
シャワーのあとはヒゲも剃りたいらしい。電動のシェーバーを頬に当てるイーサン。ここでまたアイコンが出る。点線の囲いの中に上や下などの矢印がある。“ゆっくりと矢印のほうに右アナログスティックを動かす”というものだ。ゆっくりとスティックを操作しないと操作ミスになり、イーサンが痛がる。ひげそりの感覚をアナログスティックで再現したゲームは前代未聞かもしれない。ちなみに、他にもとても独特な行動をコントローラー操作で行なわせるというシーンが多数ある。
やっと服を着て1階へと降りると、妻のグレイスや子供たちは買い物へ行っているようだ。誰もいない。このシーンに限ってはするべきことも何もない。次は何をしろとは言われない。自由だ。家の中を歩き回ると至るところでアイコンが出る。テレビを観てもいい。音楽を聴いてもいい。庭をうろついてもいい。仕事をしてもいい。触れるものやできることはかなりある。その時間に何をしたかは、奥さんが帰ってきた後のイーサンとの会話に影響する。
物語を自由に進めているわけではないが、登場人物になりきってそのシーン内を自由に行動できる。それが本作の基本的なスタンスだ。そこで何をしたか、会話ではどんな選択肢を選んだのかということは、後のストーリーに細かく反映されていく。
シーンによっては、時間経過で状況が変わる場面もある。この自宅のシーンでも、しばらくすると家族が帰ってくる。仕事をしていても、家をうろついていただけでも、置いてあったラジコンで遊ばせていただけでも、だ。
プレーヤーはこのシーンではあくまでイーサンであり、イーサンを操作することはできるが、家族は別の存在として自立して動いている。他のシーンでも同様だ。そうした作りもまた、自分がドラマというか世界の中に入り込んで演じているような感覚を感じさせてくれた。
シーンによるところはあるが、おおむね本作の基本的なスタンスは、シーン内を自分で考え、自分の操作で行動を実行するというものだ。ドラマの中で自分が役を演じているような感覚がしてくる |
本作はとても現実的な世界を、自然なやり取りのドラマが進んでいく物語だ。なので、それぞれのシーンで何をすべきかは「こうすればいいんだろうな」というように直感的にわかってくる。どうしてもわからない時は思考を聞けばいい。進め方がわからなくてプレイが止まるという事態はほぼ起こらない。本作のゲーム的なポイントはそこではないからだ。
単にボタンを押すだけでなく、キャラクターの動きを感覚的に表現している操作をするのがポイント。画面のシーンでは回転遊具を押すため、R1とL1で遊具を両手でつかみ、×ボタンの連打で走って押している |
ネクタイを締めてあげるという、ユニークかつ複雑な操作をする場面も。手順は長いが、それをうまく操作で再現している |
前述のクローゼットや髭剃りのシーンにあるように、「HEAVY RAIN」のもう1つの特徴は「操作」の入力にある。といっても複雑な操作ではない。画面に現われたアイコンに従って操作することで行動を実行させる、成功させるというもので、シンプルなだけに面白く、そして難しいときもある。
アナログスティックを上下左右に倒したり、回したり、あるいはボタンを素早く押したり、押し続けたり、連打したり。コントローラーを上下左右に振ったり、振り続けたりといった操作もある。そうした操作は全てキャラクターの動きとシンクロしていて、行動のステップ(手順)も再現しているのが特徴的だ。
例えば、イーサンがブーメランを投げるお手本をショーンに見せるシーンなら、
・R1ボタンを押して続けてブーメランを持っている腕を上げる
・R2ボタンを押し続けて体を上向きに反らす
・R1、R2を押したままコントローラーを下に振って投げる
という手順を踏む。
公園の回転する乗り物を押してあげるシーンなら、
・R1ボタンとL1ボタンを押し続けて両手で遊具をつかむ
・そのまま×ボタンを押してダッシュして回してあげる
となる。どのボタンが体のどこに対応するいったものは決まっていないが、感覚的に近い操作をさせる、という感じだ。
緊迫した場面、例えば格闘シーンでは、相手のパンチやキックに反応する動きとして、素早い入力を連続的に行なうし(反射を入力で再現)、押さえ込まれてもがく時にコントローラーを振ったり(ジタバタと暴れるのを再現)、振り下ろされようとしている凶器を手で押さえるときにはボタンを連打する(力比べを再現)など、いろんな操作がでてくる。勢いで操作ミスをしてしまわないよう、冷静に、かつ素早く反応することを求められる。
このアイコンの通りに操作をするシステムも、“プレーヤーがそのキャラクターになりきって演じているような感覚”を高めている要素だ。日常的な行動でもその動作を細かに操作で再現しているし、危険なシーンでもキャラクターの動きに合わせた操作をアクション的に行なう。
この操作方法は、キャラクターと一体感を感じさせると同時に、物語がイベント的に自動的に進行している時でも、“いつアイコンが出てくるかわからない”という緊張感を生み出す効果があるように思える。本編の物語もテンポが良く面白いので、そもそも飽きるようなことはまったくなくプレイできた。
画像の左は、コントローラー自体を横に振る操作で歯磨き中。こんな動きもプレーヤーにちゃんと操作させる。右はイーサンが仕事をしているところで、定規と紙をしっかりと押さえながら線を引くという動きを3ステップの操作で行なっている |
こちらは格闘シーン。相手の動きに俊敏に反応する動きを、素早いボタン操作で行なう。もちろん格闘ならボタン操作のみということでもなくて、キャラクターの動きに合わせてアナログスティックやコントローラー全体を振る動作も使う |
こちらは会話等の選択肢。選択肢やアイコンは、キャラクターの心理状態に合わせて表示が乱れたりする。この画像でも文字が揺れている。また、このシーンでは銃を突きつけられて両手を挙げているので、L1とR1を押しっぱなしで選択肢を選ばないといけない。こうした組み合わせもある |
本作では、会話や行動の選択肢が画面に表示された時も、自分でボタン操作で選ぶ。会話のやり取りもうまくできていて、例えば、銃を向けられている相手を説得する場面なら、まず落ち着かせて、事情を聞いて、そこから銃をおろすように説得するといったように、手順を組み立てて選択していけるようになっている。その一方で、逆に相手を脅すような高圧的な態度での説得も選べる。この選択の違いはどのような結果に繋がるかも、もちろん変わってくる。
秀逸なのは、こうした操作のアイコンや選択肢などの表示が、キャラクターの心理状態を表わしているということだ。恐怖を感じていたり動揺していたりすると、アイコンや文字が揺れ動く。それも一定ではなく、場面によっては揺れがものすごく激しくなる。感情の揺れの大きさを表しているわけだ。振動機能もうまく使っていて、鼓動の大きさなどを効果的に伝えてくる。
なお、アイコンや選択肢の入力には時間制限があるので、反応できない、反応しない、入力を失敗した、という時は、その行動は行なわなかった、もしくは失敗したという結果になる。例えば誰かに襲われて応戦するといったような重要な場面があるとして、そうした場面での操作をたくさんミスしてしまうと、それに“ふさわしい結果”がついてくる。最悪の場合は死が待っている。だが“物語は終わらない”。
繰り返して言うが、本作にはゲームオーバーという概念が存在しない。例えばプレーヤーキャラクターが死亡してしまっても、そのキャラクターが死亡したという物語が続いていく。たとえ4人のキャラクターが全員死んでしまっても、そういう結果のエンディングが待っている。それもひとつの「HEAVY RAIN」の結末であり、エンディングというわけだ。エンディングの種類は20種類を越える。
■ 操作面で気になったところは2つ
プレイしていて、操作について気になった点が2つあった。1つは前に例でも挙げた移動に関するもの。ちょっと独特でぎこちないところがある。首だけを動かして横方向にある操作アイコンを表示できるのはいいのだが、思った方向に進んでくれないときが何度かあったのは気になった。
もう1つは選択肢を決定するときのボタン操作。メニュー操作などのシステム面の操作は、日本式の×ボタンがキャンセル、○ボタンが決定となっているのだが、ゲーム中の選択肢は×ボタンがYES、○ボタンがNOの選択肢であることが多い。これに関しては慣れるほかないとしか言えないのだが、何らかの配慮があったらより嬉しかったと感じたところだ。
■ 「ストーリー」 / 丁寧な心理描写が感情移入度を高め、そこからシビアなテーマが心をえぐっていく
妻と2人の息子。建築家の仕事も順調で、幸せそのものな暮らしを送っていたイーサン |
幸せな日々は交通事故によって長男のジェイソンを失ったことで無惨に崩れさってしまう |
父親のイーサンと息子のショーン。長男のジェイソンを事故で失った痛みは今もはっきりと残っている |
独特の操作方法によってキャラクターとの不思議な一体感があることを紹介したが、それに続いて今度は、“その一体感でストーリーをプレイ(体験)していくとどんな感触がするのか”を紹介していこう。
冒頭ではイーサンとその家族たちの暖かな生活が描かれる。愛する妻と2人の息子に囲まれ、建築家としての仕事も順調。順風満帆の人生を楽しんでいた。
だが、それはある日突然に、あっけなく崩れてしまう。彼は、自分の不注意から長男のジェイソンを交通事故によって失なってしまい、自身もまた事故による後遺症か精神的なものか、なんらかの異変を抱えて生活することになってしまった。
変わり果てた家庭。妻のグレイスは別居という答えを選択した。イーサンの姿には以前の力強さも明るさも無くなった。ショーンもまた笑顔を失ってしまった。
イーサンとショーンの2人だけの暮らしには、以前のような明るさはもうない。薄暗く、憂いが漂っている。イーサンがショーンに話しかけても、ショーンに笑顔はなく口数は少ない。哀しみに暮れる父親や、変わってしまった生活から逃げるかのように、ただただテレビを観ている。
ショーンに話しかけたり、洗濯をしたり、部屋の電気をつけたりと、日常的な行動をいろいろと行なえる。だが、以前の明るい家庭で行なった行動とはもう本質的に違う。境遇が違う。2人の心理状態が違う。悲しさや虚しさ、無常観や後悔の念が漂っている。
この生活や人生にイーサンはどんな気持ちでいるのだろうか?そうした心理描写はプレーヤー側が積極的に理解しようとせずとも、イーサンのショーンに対する遠慮がちでぎこちないコミュニケーションや、ときどき見せる哀しみに満ちた表情、自室での“ある行動”で泣き崩れる姿から、痛いほど伝わってくる。心理描写がとてもうまい。プレーヤーが自分の操作でさせた行動とその反応で、キャラクターの心情がまるで雨がしみこんでいくかのようにプレーヤーの心に伝わっていく。
このシーンであなたはイーサンとしてどんな行動をするのだろうか?まだまだ冒頭のシーンなので目的も特になく、行動の自由度は高い。前述のとおり、行動は全てプレーヤーが考え自分の操作で行なうところが大きなポイントだ。
ショーンに話しかけて、おやつを食べるか聞いてみた。食べるというので、台所の戸棚から買っておいたお菓子を出し、それをショーンに渡してみる。声は小さいが「ありがとう」とショーンは言ってくれた。ごくわずかだがショーンが喜んでくれたことに、イーサンもぎこちない笑顔を見せた。
他にも様々な行動ができる。宿題をみてあげたり、果物でお手玉もできる。そうした日常の細かいこともプレーヤーの操作で行なえるのだが、それ自体はやらなくてもいいのかもしれない。だが、そんな日常的なことも2人の心理を掴めていると随分と意味合いが変わってくる。イーサンの心理状態を見せつけられた上で、あなたはショーンとどのように接するだろうか?
何気ない日常的な行動もできると聞いて「それができることに意味はあるの?」と思ってしまうかもしれないが、その行動のあとには結果であったりキャラクターの表情なりがついてくる。その細やかな描写の積み重ねが、プレーヤーとキャラクターを一体にしていく。その一体感が高い没入感(世界に入り込むような夢中の感覚)を生んでいく。操作の一体感とストーリーの心理描写という2つの軸によって没入感を作っているというわけだ。
妻のグレイスとは別居することになり、2人で暮らしているイーサンとショーン。イーサンは事故を防げなかったことを悔やみ続け、ショーンはそんな父親の姿を前に笑顔を失ってしまった。ショーンに話しかけたり、おやつや夕食を用意したりといった日常的なことも、全てプレーヤーが選択して行なう。そうした行動はやらなくてもいい。だが、2人の心境が掴めているとそうしたちょっとした行動も大事に思えてくる |
■ ローカライズについて
オリジナルの英語音声で日本語字幕という字幕版の設定にもできる |
音声、字幕、メニューを3項目をそれぞれ英語と日本語に切り替えられる |
みなさんは海外の映画を観るなら、オリジナルの音声に忠実な字幕版か、それとも気軽に観られる吹き替え版か、どちらがお好みだろうか? これは好みによるところだろう。「HEAVY RAIN」では嬉しいことに、音声、字幕、メニュー表示の3つをそれぞれ、英語か日本語に個別に設定できるようになっている。音声を英語で字幕を日本語にすれば字幕版になるし、音声を日本語にすれば吹き替え版にできる。
吹き替えの音声等や字幕等のローカライズは、無難なラインを保っているものの基本的に良いと思えた。本作の持ち味である日常的で自然なやりとりはきちんと日本語でも再現されている。アドリブや意訳が効いていてそれがマッチしているような“ものすごく良い”というところまではいかないが、一定以上の水準を無難に保っていると感じられる。
唯一気になったのは、日本語にしたためにセリフが長くなり、キャラクターの動きとズレるところがあるところ。音声、字幕をバラバラに切り替えられる以上、なかなか難しい問題だが、そういうシーンはたまにある程度に抑えられているので、オリジナル音声も選べる「HEAVY RAIN」の形式が嬉しいという方も多いだろう。
■ シリアスに展開するストーリー、一体感の高いプレイの感触、描くテーマも“大人向け”のシビアさ
今回「HEAVY RAIN」をプレイして感じた1番の魅力は、一体感の高さからくる“ドラマへの没入感”だ。各項で書いてきたが、“プレーヤーがドラマの中に入り込んで演じているような感覚”がある。その一体感の高さがプレーヤーを夢中にさせるほどの没入感を生んでいるというわけだ。
何気ない行動も重要な行動も、全て自分のコントローラー操作で行なうところ。行動の手順を段階的に操作で再現しているところ。人物の心理状態を丁寧に描きつつシリアスに展開していくストーリー。今回のファーストインプレッションで紹介してきた各要素がどれも“一体感”を高める役割を果たしている。もっとシンプルに言うと、プレイ感もストーリー内容もリアリティを持っているので、スッと作品に入っていけるという感じだ。
そこには1つのドラマがしっかりと流れている。だからこそ“演じているような感覚”という言葉選びになる。ストーリーを展開するテンポもよく、画面を分割して複数のアングルを見せたりといった各所の演出も良い。選択や行動結果による変化も多く、何度もプレイして試したくなる魅力もある。とても良くできている、と感じさせる作品だ。
細かな動きや選択もプレーヤーに実行させるところが、一体感をとても高いものにしている。そのうえ物語も非常にシビアでシリアスなだけに、夢中になってプレイを進め、選択によって起きた結果に考えさせられるところがある。非常に面白いゲームだ |
この画像からは、本作の「グラフィックスのクオリティの高さ」、「クオリティの高さからくる生々しさ」、「本作のテイスト(のほんの一端)」を感じ取ってもらいたい |
この画像のメッセージは、「HEAVY RAIN」がどんなゲームなのかを全て物語っていると言っていい。あなたは愛をどこまで貫けるだろうか? |
最後に、本作がどのような性質を持ったゲームなのかを書こう。本作に興味を持ってこの記事をお読み頂いている方へ伝える、大事なポイントだ。今回はまだファーストインプレッションなのでどんなシーンがあるかなどは具体的には書かないが、どういった性質の内容なのか、テイストなのか、ということは知っておいたほうがいいと思う。
雨という天候に対して個人的な好みはさておき、楽しくて明るいというイメージを持っている人はほとんどいないだろう。多くのイメージは、暗い、冷たい、虚しい、哀しい、寂しいという傾向のものと思う。「HEAVY RAIN」というタイトルは、本作のイメージ、作品の性質をきちんと表現している。
それは悪い意味ではない。雨粒が冷たい街のビルをつたって落ちていくように、悲しみは静かに溜っていき、どこかに流れて消えていく。数多くのやりきれない出来事に包まれて、現実は存在している。そうしたセンスを表現した希有なゲームだ。開発会社がフランスの会社だからかもしれないが、フランス映画等のセンスに近いものを感じる。
ゲーム中には精神的に“きつい”と感じるような表現や描写が出てくる。単純に残酷なシーン、というものだけではなく、現実社会に内包される薄暗い側面を全面的に感じさせるし、シーンによっては人の心に潜むアンダーグラウンドな面、強い異常性もダイレクトに描いている。通常、商業作品ではマイルドな表現に留めそうなところも、そのままストレートに描写している。
それだけに、“プレーヤーに大きなショックを与えるのでは”と感じる場面もある。個人的に言わせてもらえれば、本作のCEROレーティングが「D」であることに正直驚いているほどで、「Z」で問題ないと思うほどの重みを持った内容になっている。映画にもそういった内容のものがあるが、いたずらに“怖いもの見たさ”という感覚でプレイすると、内容の重さについていけない人が出てくるかもしれない、という意味での話だ。
ただし、誤解しないで頂きたいのは、CEROレーティングはメーカーが決めるものではなく、CERO側が内容を審査し、規定しているものであること。そして、私は規制そのものに反対しているわけではなくて、むしろ必要であると考えていることだ。
人間はあらゆるものから常に影響を受けている。特に無意識下に。人格形成の途中にある若い世代へ向けて、エンターテイメントであるゲームにも、過保護になり過ぎない程度の規制は必要だと考える。
ここまで書いていて、思い起こされたのは、本作のエグゼクティブプロデューサーであるGuillaume de Fondaumiere氏にインタビューを行なった際の彼の言葉だ。彼は「ゲームも、ゲーム業界も成熟しなければいけないと思います」と語っていた。ゲームに関わる全ての人は、この言葉を真摯に受け止めるべき時期を生きているように思う。そういった意味で、「HEAVY RAIN」は一石を投じる作品になるだろう。
ちなみに日本語版には「心の軋むとき」というオリジナルの副題がついているが、登場人物たちの心情であるとともに、本作の性質、さらにプレイ中のプレーヤーの心情をも言葉にした、的確なものと思える。まさしく心が軋むようなシビアなテーマを持つゲームだ。ある意味では、「これはそういうゲームなんですよ」と伝える警告のようなところもあるのかもしれない。上に書いたように「HEAVY RAIN」だけでも十分に本作の性質を示しているが、英語タイトルだけではプレイ前にはピンとこないかもしれない。そこで副題が加えられたのではと思う。
そのシビアさ、刺激の強さは、大人が真剣になれるレベルになっている。例えば、現実的な物語を描いたゲームであっても、各所の表現、会話の言葉選び、描写等がマイルドなものになっていた場合、どことなく違和感を感じて興冷めしてしまうことがある。子供だましというと言葉が悪いが、“まあこれぐらいだよね”と感じるだろう。だが、本作のやり取りや雰囲気は非常に自然でリアルであり、刺激としても強い。美しくて薄汚い現実を感じさせる。
“本作は現実をぼやかしていない”。ゲーム中からプレーヤーの心に入ってくる感触は、鋭く刺さり、鈍く残り、無視できない。大人のプレーヤーが真剣に向き合うことになり、それゆえに物語を追うことに夢中になれる。だからこそ没入感も高い。万人にオススメするのは難しいが、その一方でゲームが好きなみなさんが本作をプレイしてどのような感想を持つのか、私は非常に興味がある。ぜひ触れてみて欲しい。
また、SCEJ公式動画チャンネル「ぷれちゃ」にて、本作の解説付きプレイ動画が公開中だ。気になる人は、1度動画を見てみるのもいいだろう。
(c)Sony Computer Entertainment Europe. Published by Sony Computer Entertainment Inc. Developed by Quantic Dream S.A..
http://www.scei.co.jp/
□Quantic Dreamのホームページ
http://www.quanticdream.com/
□「HEAVY RAIN -心の軋むとき-」のホームページ
http://www.jp.playstation.com/scej/title/heavyrain/
(2010年2月15日)