CESA Developers Conference 2010(CEDEC 2010)レポート

 

「ポケモン」と「ドラクエ」のプロデューサーが共演

両者の異なる立ち位置と、競い合うゲーム要素とは


8月31日~9月2日 開催

会場:パシフィコ横浜



 「CEDEC 2010」の2日目、株式会社ポケモン代表取締役社長・CEOの石原恒和氏と、株式会社スクウェア・エニックスで「ドラゴンクエスト」シリーズのプロデューサーを務める市村龍太郎氏、同じくスクウェア・エニックスで「ドラゴンクエストモンスターバトルロード」シリーズのディレクターを務める吉田直樹氏によるセッション「人を楽しませるプロデュース」が開催された。

 登壇者を見ればわかるとおり、「ポケットモンスター」と「ドラゴンクエスト」という、日本を代表するRPGの代表者が顔を合わせ、お互いのプロデュース論を語るという、CEDECにおいてもかなり異例なセッションだ。講演では吉田氏がモデレーターとなり、石原氏と市村氏がそれぞれのタイトルへのアプローチについて語った。


ポケモン代表取締役社長・CEOの石原恒和氏スクウェア・エニックスのプロデューサー市村龍太郎氏スクウェア・エニックスのディレクター吉田直樹氏



■ 「ポケットモンスター」と「ドラゴンクエスト」は立ち位置が違う

 まず石原氏に対し、ゲームだけでなくアニメや映画、グッズなどにも展開している「ポケットモンスター」シリーズについて「IP(知的財産)で楽しませるプロデュースについてどう考えているか」と問いかけられた。石原氏は「ゲームから広がっているという原則は変わっていない。色々な入り口から入ってくるお客様を意識してゲームを変えていくことはあるが、3匹のポケモンから1匹を選んで旅に出るというのは変わらない」と、常にゲームが中心にあるという考えを述べた。

 市村氏は「ドラゴンクエスト」のプロデュースについて、「私は遊ぶ側からスタートして、途中からプロデューサーになった。石原さんのような生みの親ではなく、いわば家庭教師のような立場。遊んでいる時の感動を忘れず、それをパワーアップして伝えたい。今の世の中の人たちが、『ドラゴンクエスト』をどう見ているのかを分析する」と、石原氏とは全く違う切り口で回答した。

 次に「『ポケットモンスター』を広く伝えるために心がけていることは」という問いには、石原氏は「キャラクターをライセンスして派生商品を生み出す時は、できるだけキャラクターをプロデュースした、と実感を持てるような商品開発を考えている。このようなプロデュースをライセンスチームがしたと、自分の仕事を位置づけられるような取り組みを心がける」と述べた。

 ここで市村氏が両者の違いとして、「ポケットモンスター」に集中する株式会社ポケモンと、あくまでスクウェア・エニックスのコンテンツの1つである「ドラゴンクエスト」という立ち位置の違いを指摘。これに対して石原氏は、「ポケモンは『ポケットモンスター』以外はやらないと決めた会社。IPにおいて意義があるかどうかを中心に考えている」と答えた。




■ 「すれちがい通信」や「ロングセールス」で互いに競い、学びあう

まったく別の道を歩んでいるように見える両タイトルだが、実際にはかなりお互いを研究している

 続いてはゲーム作りの話題。ポケモンのスタンスは、「任天堂プラットフォームでゲームを開発し、その中で最大の商品を目指す」というもの。その分、特定ハードにフォーカスした作りになるため、「マルチプラットフォームになりえないものに仕上げている」のだという。

 「基本的にマルチプラットフォームで展開するスクウェア・エニックスは作り方が違うのでは?」という石原氏の問いかけには、「『ドラゴンクエスト』はその時に1番浸透しているハードに出すので、その時のお客様に向けてやれているし、戦略も立てやすい」と答えた市村氏。理由は違えど、ソフト単体では単一プラットフォームでの遊びに特化するという結果は同じであった。

 石原氏は、マルチプラットフォームでの展開に対して不安意識があるという。「ずっとドット絵ベースでゲームを作ってきた。決まった解像度で画面を考えたものづくりをしてきたので、携帯電話で画面サイズがまちまちだったりしたら、どうやっていいのかとパニックにならないのかと思う。ドット絵でデザインを偏執的に追求することは、そのハードでしか遊べないものづくりを追求するのと同じようなもの」と述べた。

 これについて「ドラゴンクエストVIII」でフル3D化を果たした市村氏は、「最近は容量も増えたが、制限があるほうが洗練されることもある。すぎやまこういち先生は限られた音数の中でどうするかを考えてきた。堀井さんのシナリオも容量も同じ。そういう時にクリエイターが研ぎ澄まされていくのかもしれない。ポケモンさんはその1番いいところに行き着いている」と、石原氏の手法を評価した。

 続いて石原氏は「すれちがい通信」に話を展開。「『ポケモン不思議のダンジョン』など複数のタイトルにまたがって通信したりと、ここは我々が元祖だと思っていたが、『ドラゴンクエストIX』の『ルイーダの酒場』に及ばなかった」と述べた。この理由を分析した石原氏の答えは、「同時期に遊んでいる人の数の違い」と、「遊んでいる人に、インターネットのコミュニティなどを活用できる声の大きな人が多かった」という2点を挙げた。

 これについて答えた市村氏は、「『ドラゴンクエストIX』は1度に300万本も出荷し、すれちがい通信を用意した。お客様も20代から30代が中心なので、学校でのコミュニティに限られがちな子供達よりも、すれちがい通信をやったときに面白い環境を持っている」と答えた。さらに成功のポイントとして、「その人の強さや、どれだけ遊んだのかがやりとりできたら面白いのではと考えた。感覚的にはmixi。人と交流して、カウンターが増えていけば嬉しいと感じるはず」という説明を加えた。

 石原氏もこれに対し、「ポケモンで足りなかったものは、ほぼつかめたと思っている。次はここを攻めればいいという作戦を立てている」と答えた。ポケモンは9月18日発売予定のニンテンドーDS用新作「ポケットモンスター ブラック・ホワイト」で「すれ違い調査」という機能を用意しており、ここに「ドラゴンクエストIX」の分析結果が反映されているようだ。

 市村氏からも石原氏に質問が投げかけられた。「『ドラゴンクエストIX』ではロングセールスに挑戦したかった。そのためクエスト配信やショッピングを入れた。ある程度の数字は出せたが、それでもポケモンさんのようにずっとランキングに出てくるほどではなかった」という市村氏。石原氏の答えは「株式会社ドラクエがないから」。「我々は毎日、そうなり続けるために何ができるかを考え続け、実践し続けている。アニメや映画、カードゲームなどと、あるいはゲーム本体で過去のゲームとの遊びを確実に連携させていくところが、少しずつ響いているのでは」と語った。




■ 全年齢にこだわるポケモンのプロデュース

 話題はゲーム以外の展開へ。「ポケットモンスター」のゲームが初めて登場したのは1996年で、その翌年にはテレビアニメがスタートし、さらに翌年には映画も始まった。「この展開は初めから考えていたのか」という問いかけに、石原氏は「カードゲーム以外は何も考えていなかった」と答えた。

 ただアニメの展開については、「『ポケットモンスター金・銀』の時にあらゆるメディアを動員して最大化するため」という目標から、1、2年で終わらないように、ずっと続けることが前提だったという。これについて石原氏は「ドラゴンクエスト ダイの大冒険」がどう終わっていったかを見て、「そうならないようにアニメをプロデュースするにはどうしたらいいか勉強させていただいた」と語った。

 結果的に「ポケットモンスター」のアニメは大成功した。今はアニメや劇場版のほうを楽しみにしている人も多いが、「そうなるとアニメとの連動に苦慮するのでは?」という質問が出た。石原氏は「すごく大変。結果としてつじつまはあっているが、実はえらいことが起きている。どこかがコケるとみんながコケるので、コケないようにする。コケたときにすぐ立ち直れるよう精神を鍛えておくのが大事」と苦労の一端を覗かせた。

 そして双方が抱える大作シリーズならではの課題として、「変わらない安心感」と「新たな刺激」という相反する面白さについても触れられた。石原氏は、「僕は破壊し変えていくことをためらわない方」とした上で、「ただし全年齢対象にものづくりをしたい」と述べた。

 この点については、暴力や性的、宗教による表現のほかに、スロットゲームなどの射幸心に関わる遊びについて言及された。「世界のある地域では、こういった要素があると全年齢対象にできない。その時にすごく悩んだが、やはり全年齢対象であるために、そういう要素を地域的に制限しなくてはいけない」と、全年齢対象であることへの強いこだわりを示した。また最近のゲームに対して、「射幸心を煽る、パチンコの代わりのようなゲームが増えているが、その作り方で本当にいいのかと考えている」と批判も述べた。

 最後に本講演のまとめを石原氏が語った。「商品を開発するとき、どういう人に向けてどういう面白さを提供したいのかを考えること。デジタルディストリビューションによるサービス業のようなゲームの提供の仕方から、年齢制限のこと、暴力表現のこともあるが、自分達が領域を守って、こういうクリエイティブで勝負したいという部分で戦っていきたい。それをプロデュースにおいて1番考えている」と述べ、講演を締めくくった。


(2010年 9月 2日)

[Reported by 石田賀津男]