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【GDC 2014】500万ドルを売り上げたインディーズ「AntiChamber」、4年間の暗闘
一体と化した改善とマーケティング。無名開発者が大ヒットを創りだした秘訣とは?
(2014/3/24 00:00)
GDC 2014のホットピックはインディーズにあり。いまひとつパッとしなかった大手ゲームスタジオによるセッションをよそに、例年以上の盛り上がりを見せていたのがインディーズ開発者の集まるIndie Game Summitだ。
昨年、2013年はたくさんのインディーゲームが成功を収め、それを反映してたくさんのインディーゲームのポストモーテムセッションが開催された中、満場のスタンディングオベーションという最大級の賛辞を受けた開発者がいた。
それはオーストラリア出身のインディーズ開発者、Alexander Bruce氏だ。Bruce氏は2013年1月末にSteamで哲学的パズル・アドベンチャーゲーム「AntiChamber」をリリース。一夜にして2万5千本を売り上げ、現在では100万本近いセールスを記録。これまでの売上は500万ドルに迫り、2013年最も成功したインディーズタイトルのひとつである。しかも開発は完全な個人開発というから異例だ。
しかし、その成功に至るまでには、4年間にわたる長い長い苦闘の歴史が合った。Bruce氏は言う。「どうしてこれが起きたのだろう?運かな?そうかもしれない、でも運を掴める人は少ない。何が僕に“違い”をもたらしたんだろうか?」。4年間の暗闘は、2009年、日本で始まった。
「センス・オブ・ワンダー ナイト 2009」から始まった水面下の大冒険
学生時代はとりたてて成績優秀でもなかったというBruce氏。ただ、人と違うことをすることに関しては誰にも負けない人物であったという。ゲーム産業で働くことを夢見て2006年から自作ゲームを開発するようになり、2007年にはインターンとしてとあるゲームデベロッパーで働くことに。UnrealEngine 3を使ったゲーム開発に従事するも、まもなくプロジェクトはキャンセルされてしまった。
開発からインフラ系部門に異動となり不満だらけの境遇となったBruce氏は、世界的に立ち上がりつつあったインディーズゲーム界に刺激を受け、独立を決意する。こうして開発に入ったのが「AntiChamber」のベースとなる「Hazard: The Journey of Life(以下Hazard)」だ。
Epic Gamesが主催する、6ヶ月毎に開催されるコンテストを目指しての開発となった。しかし急ぐことはなく、1年以上先のファイナルラウンドに目標を定め、じっくりと作品を組み立てていった。“急がば回れ”、“外堀を埋める”、というのがBruce氏の行動原理であるようだ。これが後に「AntiChamber」の大成功を導くことになる。
こうして最初の機会が訪れる。東京ゲームショウ2009の開場で開催された、CESA主催のイベント「センス・オブ・ワンダー ナイト(SOWN)」だ。世界中からハッとするゲームアイディアを紹介するこのイベントで、「Hazard」は格段に高い評価を受け、有名デベロッパーから様々なアドバイスを受けることができた。“何かをすれば、何かが起こる”。行動がチャンスに繋がることをBruce氏は悟った。
特に重要だったのは、「SOWN」を切っ掛けに知り合ったひとりの開発者のアドバイスだ。「インディーコミュニティーに参加すべきだよ。GDCに行って人々に会うといい。きっと居場所が見つかるよ」(Shadow Phisics、Steve Swink氏)。こうしてBruce氏は、このようなイベントが自分を知ってもらう最高のきっかけになると知り、世界最大のインディーズフェスティバル、GDC内で開催されるIndependent Games Festival(IGF)に応募した。
しかし2009年末、「Hazard」は十分な得票を得られず、IGFアワードの最終候補に残れなかった。「SOWN」の成功で自信過剰気味になっていたBruce氏は打ちのめされ、考えた。なぜ自分のゲームはIGFに選ばれなかったのか?「SOWN」は新奇性が評価に繋がる新しいイベントであることに対し、IGFは広く知られた傑作を紹介する場なのだ。そして、「Hazard」はただ、とても変わったゲームであるだけにすぎない。
ここでめげることなく、新戦術を編み出してさらなる戦い挑むのがBruce氏の面白いところである。「注目を集めなければ!」。Bruce氏の新戦術。それは機会があるだけインディーズのイベントに参加し、人々とのコネクションを作り、それを通じてゲームをさらに改善することと、作品の存在を広く知らしめることだ。
パイプを作り、ゲームを改善。高まるプレッシャー。正気を保ち続ける戦い
初めてのGDC参加から3ヶ月後、E3 2010のIndieCadeに出展してからは、ゲームそのものの大幅な改善が始まる。ゲームをプレイしにくる来場者は多くいたものの、皆すぐにやめてしまい、平均プレイ時間はたったの5分に終わってしまったのだ。「Hazard」はプレイ開始直後にどんなゲームかがわかりづらく、人にも説明しづらい。それによって、人々の関心を維持できないという弱点が明らかになったのだ。
E3でのプレーヤー観察によって多くの収穫を得たBruce氏は、ゲームの最初の10分会を徹底的に改良する。その後も各種イベントへの参加は欠かさず、オーストラリア国内、国外の各種コンペティションに応募、落選やノミネートを幾度も経験。さらにプレーヤーを観察し、ゲームを改良していくことで、やがて平均プレイ時間は20分に上がった。
他のインディーズ開発者から、“良くやってるけど、急ぎすぎだ。そのままいけば病気になるぜ”などと心配されるほどの駆け足で、IGF China、IGF、DICEによるIndie Game Challenge、その他の催しに参加。作品の出展とプレーヤーの観察、フィードバックとゲームの改善を繰り返し、GDC 11においては来場者の平均プレイ時間が40~90分にも伸びた。
Steamでの発売予定を決め、コンソール版リリースの交渉も開始。製品化待ったなしである。しかし、ゲーム内容を洗練するにつれて、タイトル名との乖離が目立つようにもなっていた。それに先立つDICE Indie Game Challengeや、IGFアワードにノミネートされたGDC 11で多くの開発者から指摘された問題点。“どのへんがHazardなのかわからないよ。タイトル変えろよ”、というアドバイスを実行に移す。
そして「AntiChamber」への題名変更をアナウンス。動画を投稿し、IndieCadeに再びノミネートし、オーストラリア国内のフェスタで2つの賞を受賞したほか、世界中のインディーズ系の催しに応募。たくさんの有名インディーズ開発者と知り合い、作品の名を広めていった。しかし、注目を受けるたびに、周りの期待値も高まる。ゲームの完成にはさらに数ヶ月が必要だったが、資金も尽きかけていた。IGF 2012への参加をデッドラインに設定する。自分を追い詰める日々が続く。
そのかいがあってBruce氏は、IGF 2012にて最優秀技術賞を受賞。「AnchiChamber」は押しも押されぬ有名タイトルに成長したが、反比例するようにBruce氏の精神は病んでいった。受賞でやり遂げた感が出てきた一方で、注目を受けるたびに高まるプレッシャー。開発はたったひとりで、なかなか完成しないゲーム。疲れたからといって止めるわけにもいかない。死ぬ気で完成を目指すが、既に成功したゲームが羨ましくて仕方がない。失敗を異常に恐れるようにもなってきた。限界が近づいている。
発売延期を決断。入念な仕込みを行ない、最高の形でリリースを目指す
最後の力を振り絞り、ゲームファンの祭典PAX Primeを最後の機会に定め、出展。そこで、YouTubeで最大級の人気を誇る、ゲーム紹介番組「WTF is?」シリーズを運営するTotalBiscuitに接触した。イベントから3ヶ月後、11月の番組で紹介されることに。ゲームの発売はもっと早くに予定していたのだが……。
これに加え、他のインディーズ開発者から、“いい機会だ。急がずに、人々の注目が集まる最良のタイミングを待て”というアドバイスを次々に受けたBruce氏。「AnchiChamber」のリリースを数ヶ月伸ばし、2013年頭に設定する。この決定は、Bruce氏が落ち着きを取り戻し、最善のリリース戦略を組み立てる時間的、精神的余裕につながった。
そして2013年1月。全ての判断について大勢の開発者やプレス関係者からのフィードバックを求めつつ、トレーラー、価格、発売日等の万全な準備を進めていく。1月30日、トレーラームービーを発表。ゲームメディアGiantbombがファーストインプレッションを掲載し、TotalBiscuitによる「WTF Is?」ビデオも公開。「Minecraft」作者のNoch氏をはじめ、たくさんの有名デベロッパーがTwitterでコメントを発した。すべてが事前に用意された動きだった。
こうして「AntiChamber」はリリースされた。最初の1時間はSteam上でナンバーワンの売上を記録。24時間で2万5000本を販売し、メジャーサイトを含む40以上のサイトでレビュー記事が掲載。その週はYouTubeで大量の動画が投稿されたほか、Twitterで作品の話題がとどまることがなかった。それから現在までに、売上は75万本に登るという。
Bruce氏はこの成功を振り返り、「最後には運も大事だけど、運というのはきちんとした準備によって、機会を掴んだ時にだけ訪れるものだ」と語る。また、成功した人々を参考にする際、彼らが何をしたかではなく、“なぜ”それをしたのかに注目することの重要性や、徹底した自己批判の必要性を指摘した。
本作の開発、販売、ビジネスの80~90%は自分ひとりでこなしたというBruce氏。しかし、そこには何百人もの人々のフィードバックがあった。それはゲームを良くするため、また正気を保つためにも不可欠だったことを合わせて強調し、インディーズコミュニティへの感謝を示した。そして最後にまとめの言葉となったのは「ゲームを作るのは大変だ」である。
講演が終わるや、満場のスタンディングオベーションが贈られた。Bruce氏が4年間に渡って続けた水面下の努力に対する、開場に集まったゲーム開発者からの素直なリスペクトの現れであろう。
Q&A時間には「マーケティングの話をもっと聞かせてくれないか?」という質問があったが、Buruce氏が「自分にとってゲームの出展・改善とマーケティングは完全に一体のものだったので、区別できないな」と答えていたのが印象的だった。これから成功を目指すインディーズ開発者たちにも大きな刺激を与えたに違いない。