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【GDC 2013】「TOKYO JUNGLE」の成功から振り返る日本の感性を生かしたゲーム制作

ゲーム開発経験が殆どないデベロッパーはどう成功したか

3月25日〜29日開催(現地時間)

会場:San Francisco Moscone Center

 人類がいなくなった東京を舞台に様々な動物たちがサバイバルを繰り広げる「TOKYO JUNGLE」。これまでになかった新たなゲーム体験はは世界中のゲームプレーヤーに衝撃を与えた。

 本作を開発したのは株式会社クリスピーズという日本のデベロッパーだ。ゲーム開発経験がまったくなかったというクリスピーズがなぜここまでインパクトの大きなタイトルが開発できたのか、そしてなぜファーストパーティであるSCEから発売できたのか、そして「TOKYO JUNGLE」の成功から見る、日本のゲームの可能性について株式会社クリスピーズの代表取締役で、「TOKYO JUNGLE」のディレクターを務めた片岡陽平氏がを語った。

クリスピーズはどの様ににして生まれたか

株式会社クリスピーズ代表取締役 「TOKYO JUNGLE」ディレクター 片岡陽平氏
片岡氏が見つけた「PlayStation C.A.M.P!」のポスター。エルヴィス・プレスリー風の男が「プレイステーションお前節。」というセリフを吐く、かなりインパクトのあるポスター
初期の株式会社クリスピーズのスタジオ。6畳1間の3万8000円のマンションで、隣の建物のせいで太陽光が一切入ってこない劣悪な環境だったという
SCEに企画を送付する際に同封したメンバーの集合写真。この集合写真を見た「PlayStation C.A.M.P!」のプロデューサーは直感的に「このメンバー達に会いたい!」と感じたという

 株式会社クリスピーズは2007年に片岡氏自らが設立した会社だ。当時美術学校に通いながら、フリーのデザイナーとして活動していた片岡氏は、並行してゲームが作っていたという。その時作っていたのが隕石が衝突する直前の惑星が舞台の「メテオ」というゲームで、滅亡を目前にした惑星の住人たちの最後の日常を追っていくというコンセプトのRPGだったという。

 しかし開発当時の2005年、今の様にスマートフォンは普及しておらず、PCゲームを配信したり、販売するプラットフォームもなかった。自己資金を使ってゲームを開発しても披露する場がなく、遊んでくれる人やお金を出してくれる人が居なかったという。

 そこで趣味ではなくゲーム開発で生計を立てたいと考えていた片岡氏には、「ゲームを作れる会社に就職する」か「自分で会社を設立する」のどちらかの選択肢を選ぶことになったのだが、そこで「自分が作りたいと思うものしか作りたくない」と考えた片岡氏は「会社を設立する」事を決意したのだという。しかし資金を提供してくれる個人や会社はなく、Webデザインの仕事などを行ないながら会社設立の準備を進めていたという。

 その時片岡氏は「PlayStation C.A.M.P!」のポスターを見つけたのだという。「PlayStation C.A.M.P!」とは広く企画を募集し、面白いアイデアには開発などにかかる費用をSCEが負担するという企画だ。会社を設立するチャンスを探していた片岡氏は「これは応募するしかない!」と思ったという。

 そこで片岡氏は行動を始めた。6畳1間の3万8000円のマンションをスタジオとして借り、「メテオ」を開発していた5人のメンバーを集め、そこで3つのゲームのアイデアを考えていた。

 なぜ3つかというと、当時はPS3の発売前。PS2、PSPが現行機だったので、SCEのどのハードにも対応できるようにという理由からだったという。PS3向けの企画は今で言うソーシャルゲーム的なタイトル「Project ME:CO」、PS2向けの企画は3Dアクションゲーム「RAIN」、そしてPSP用の企画は以前から開発を進めていた「メテオ」の企画で応募することにしたという。

 この様にジャンルの異なるゲームの企画を、ジャンルの異なるアートワークで提案したクリスピーズ。片岡氏は「1つのスタイルに囚われず様々な世界観を構築できるチームとして印象付けたかった」と当時の戦略について話した。

 その結果企画が認められ、「PlayStation C.A.M.P!」から資金提供を受けることができたという。

【PlayStation C.A.M.P!に提出した企画】
異なる3つのプラットフォームに、異なるジャンル、異なるアートワークで提案を行ったという

内輪揉めによりクリスピーズは空中分解。そして2人からの再出発へ

 こうしてクリスピーズは順風満帆なスタートを切ったものの、それは長くは続かなかったという。

 クリスピーズが手がけた最初のタイトル「MyStylist」の開発後、内輪揉めが起きてメンバーがバラバラになってしまい、社員数が7人から2人になってしまったのだという。

 片岡氏は資金を提供してくれるSCEに対し、2人でも問題がないことをアピールするためにひたすら企画を出したという。セッションではその時の一部の企画が紹介された。

【当時のクリスピーズの企画】
「赤子:5歳」というゲームと、「ハイスピードヒキャク」というゲームの企画。あまりにシュールな図に会場からは大きな笑い声が聞こえてきた
「World of Colors」という企画。未開の星にたどり着いた旅人がその惑星を隅々まで探検し、地図を作るゲーム

 片岡氏はこの中で特に「World of Colors」という企画にフォーカスを当てていた。これは2Dの横スクロールアクションでオープンワールドを作るという企画で、明確なゴール地点はなくプレーヤーは旅人になって空を飛んだり、地底に穴をほったりして惑星を探検し、世界地図を作るというゲームだった。

 しかしこの企画はSCEには認められなかった。ゲームとしての遊びのボリュームや、ロジックがないと言われてしまったのだという。

 そこで「World of Colors」のコンセプトを引き継いだ新しいゲームを考えたのだという。新しい設定を考える際意識したのは「普遍性」と「斬新性」の共存だ。

 片岡氏は「ありきたりなゲームは作りたくなかったのですが、ただ新しいだけではユーザーの手にとってもらえないのです」と話す。

 そこで普遍と普遍を組み合わせることで、普遍だがユニークなものを作るという手法をとったという。「TOKYO JUNGLE」で定番の「動物」という要素と、定番の「人類が消えた都市」の掛けあわせから生まれている。こうして普遍性を持った斬新な作品が誕生するのだという。

 小予算の新規タイトルでありながら、SCEからバックアップを受けられたのはこれが理由だと分析していた。

【「TOKYO JUNGLE」の企画が生まれた時】
普遍的なものと普遍てきなものを組み合わせることで斬新な企画を作る。また主人公を動物にしたことで、自然とゲームルールが生まれた

ゲームの開発の常識に囚われない開発

 企画案が浮かんだ後、片岡氏は気分を盛り上げるために模擬広告や、ゲームのサントラのジャケットを作ったという。この頃から世界観やロゴが変わってない。最初から発売後のイメージを固めたのはビジョンの共有やモチベーションの維持に役立ったと振り返る。

【模擬広告とサントラのジャケット】
まだ開発が進んでいない段階で作成された資料。完成形と殆ど同じ世界観であることがわかる

 片岡氏はこうして作成したドキュメントをプロデューサーに見せたところ、「タイトルを見せた瞬間に採用された」という。本当に面白いゲームは内容の前ににタイトルやキャッチコピーだけでも面白さが伝わるのかもしれない、と片岡氏は話した。

 こうして正式に「TOKYO JUNGLE」の開発がスタートする。

 「TOKYO JUNGLE」は完全に新規タイトルで、同じプレイ感覚のゲームが他に存在しない。その為にまずビジョンを統一するためのムービーを作り始めたという。このムービーのお陰で開発チームとSCEが共通のイメージを持てて、結果的に大きなサポートを受けることができたという。

【ビジョン統一のために作成されたムービー】
完全に新しいタイプのゲームのため共通のイメージが持てるようにムービーを作ったという

 当時のクリスピーズにはゲーム開発の経験が殆どなかったことで、様々なメリットやデメリットが生まれたという。

 まずメリットとして、片岡氏は「常識がなかったからこそ無茶が出来た」と話す。アクションゲームの開発経験があれば、プレイアブルキャラを50種類以上作るという発想はありえないが、開発経験がなかったからこそ「ユーザーが欲しいと思う要素に素直に向かえた」と話す。「困難な内容でもそれがユーザーが喜ぶならチャレンジを検討するべき」と強調した。

 もちろんメリットだけではなく、いくつかのデメリットもあったという。当初は2Dの横スクロールアクションとして作成されていたのだが、どうしてもゲーム性が浅くなってしまったため、開発途中でから3Dに再構成したという。その素材の作り直しやゲームバランスの設定のし直しという作業が発生し、時間がかかってしまったという。

 開発が終盤に差し掛かった頃、片岡氏らはデバック作業と並行しながら、広告デザインなどの素材を作成していたという。通常のゲーム開発ではプロに外注するの当たり前だが、片岡氏は「広告はユーザーと自分達開発者をつなぐ最初のツールなので、魅力を知っている自分達が作ったほうがより魅力を伝えられる」と考えたのだという。実際ユーザーからの反響も良く、沢山の人に魅力を伝えられたという。

今後の日本のゲームの可能性

 こうして「TOKYO JUNGLE」を成功させた片岡氏は海外のメディアからインタビューを受けた際必ず「日本のゲーム業界は終わったのか?」と聞かれるそうだ。だが片岡氏は「終わってもいないし、終わりかけてもいない。ただ迷走していたのかもしれない」と答えたという。

 これまでの日本の文化や技術は独自の進化を遂げ、それは海外でも高く評価されていた。この感性の違いこそが日本のゲームの可能性だと片岡氏は話す。「日本には日本の良さが、海外には海外の良さがあります、必ずしも海外マーケティングを意識する必要はないと思います。自分達のルーツに向き合いながら、自分達にしか出来ないことをやり続ける事が重要ではないでしょうか」と思いを話す。

「自分達の感性を生かして、面白いと思うゲームを開発していく。それが海外でも新しい価値観を持つものとして評価されるのです」と講演を締めくくった。

【日本の文化と欧米の文化の違い】
歴史を振り返ると日本と欧米ではそもそも文化も感性も大きく異なってきた。そして日本の文化や技術は海外でも高く評価されていた

 無理に外を意識するのではなく、自分達の感性を信じて自分達が面白いと感じるものを作る。そんな当たり前だが忘れがちな要素を思い出させてくれたセッションだった。

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