インタビュー
【特別企画】往年のDOOMerが新生「DOOM」発売に寄せて「DOOM」体験を語る!
現代に続くFPSジャンルを築いた「DOOM」とは一体何だったのか?
(2016/5/13 00:00)
来る5月19日、ベセスダ・ソフトワークスからPC/PS4/Xbox One向けに発売されるFPS「DOOM」。最新のタイトルに与えられた名は、まごうことなき金字塔、1993年12月にid Softwareがリリースし、FPSというジャンルそのものを築いたと言われる、あの「DOOM」にほかならない。
新生「DOOM」もまた、id Softwareによる開発。といっても、オリジナル「DOOM」の製作者であるJohn Romero氏やJohn Carmack氏、American McGee氏らがid Softwareを離れており、本作プロデューサーのMarty Stratton氏を筆頭に、「DOOM」のファンボーイだった世代が本作を開発している。
そんな新生「DOOM」から感じられるのは、最新のゲームグラフィックス技術を使用しながらも、随所にオリジナル版へのリスペクト要素が網羅されていることだ。ゲームの舞台はもちろん、ゴシックホラー的な不気味さに彩られた“地獄”と、スペースマリーン(宇宙海兵隊)が活躍するSFの世界がないまぜになった、言いようもなくカオスな空間。襲い来るグロテスクなデーモンたちを、攻撃力過剰な主人公が次々に肉塊と変えていく徹底したゴア表現。純粋な恐怖感と暴力性にまみれた初代「DOOM」のイメージを、最新技術で現代に転写したかのような作風となっている。
クリエイターがオリジナル「DOOM」をリスペクトして本作を作り上げたならば、我々プレーヤーとしてもそれに応えるのがゲーマーたるものの使命だろう。ということで今回、オリジナル「DOOM」とは一体どんな存在だったのか? を明らかにするため、1990年台中盤当時に「DOOM」をヘビーにプレイしまくった3人の“「DOOM」”による座談会を実施した。
「DOOM」発売当時はプレイステーション発売前夜という時期。主流のOSはWindowsではなく、その前身のMS-DOSで、“パソコン”といえばNEC製の国内仕様機を指した。インターネットはほとんど普及しておらず、“ネット”と言えば重量課金制のパソコン通信サービスを、一部のエンスージアストが利用していただけという時代。“FPS”というジャンル名も、“PCゲーム”という言葉もまだ知られていなかった。
これらの時代背景が急速に変化しはじめるまさにその時期に「DOOM」が現われ、その変化そのものを加速していったのは疑いようのない事実だ。現代のFPSの作法やPCゲーム文化も、ほとんど全てがこの時代に築かれたといっていい。
それでは、3人のDOOMerによるトークをもとに、FPSやPCゲーミングのルーツを探ろう。そして、往年のプレーヤーが新生「DOOM」のどこに最も大きな期待を寄せているのか、明らかにしていきたい。
【登場人物紹介】
ときは1994年にさかのぼる。PCゲーム黎明期の「DOOM」プレイ事情
さて、初代「DOOM」は1993年の12月に発売された。当時はまだインターネットが(一般消費者層には)存在していないも同様で、海外の情報がダイレクトに届くことはなく、国内でその存在を知るには特別なきっかけが必要だったことは間違いない。往年のDOOMerであり、いまもPCゲーマーとしてのライフスタイルを続ける3人は、どうやって「DOOM」に出会ったのだろうか。まずはそのあたりの事情から紐解いていこう。
「DOOM」と出会ったきっかけ
KAF:じゃあ、まず自分から。1995年、高校の卒業寸前くらいのときだったかな、当時は「ストリートファイター2」にハマってて、いきつけのゲーセンで地元の友だちとほとんど毎日遊んでたんだけど、面倒見のいい店員のおっちゃんがいて、そのおっちゃんが、「『DOOM』って面白いゲームあるらしいんだよ。パソコン持ってるんだろ?やってみなよ」って。それでNIFTY-Serve(※1)の海外ゲームフォーラムで、「DOOM」のシェアウェア版(※2)を1日かけてダウンロードして、遊んでみたら、もう見たことのない世界でね。そのままハマって、「DOOM」の世界にどっぷり浸かりました。
※1 NIFTY-Serve:現在はISP事業を展開しているニフティが展開していた、当時最大のパソコン通信サービス。
※2 シェアウェア版:パソコン通信等で配信されていた、体験版のような位置づけのバージョン。「DOOM」の場合は全3エピソードのうち、最初のエピソードが無料でプレイできた。気に入ったらお金を払い、フルバージョンを送ってもらうという仕組み。
Matoko:自分の場合は、大学入ってすぐのタイミングだったかな。パソコンが大量にあるコンピュータールームってのがあったんだけど、そこにPC/AT互換機(※3)があって。そこでたまたま、友達が多分シェアウェア版の「DOOM」を遊んでるのを見かけて、一緒に遊ぶようになったんだよね。でも多分、「Duke Nukem 3D」(※4)のほうが先だったかも?
※3 PC/AT互換機:いわゆるDOS/Vマシン。当時はNECの国産仕様PC「PC-9801/9821」シリーズが定番で、舶来のDOS/VマシンはPCマニアくらいにしか普及していなかった。
※4 「Duke Nukem 3D」:3D Realms開発、GT Interactiveから1996年1月に発売された、「DOOM」クローン」のひとつ。同時PCアクションを遊ぶなら「DOOM」か「Duke」か、という雰囲気だった。
KAF:あ、じゃあ1996年の春くらいだね。Windows 95が出て、世の中に初めてのPCブームがきてたころ。
Matoko:それくらいだね。それで、家でもやりたいからってPC-98版を買って、遊んだらもうメチャクチャ重くて。同時に大学で遊んでた「Warcraft 2(※5)」とかも同様の状況だったから、これはもうPC/AT互換機を買うしか無いなとなって。最初に買ったのは確かPentium 120Mhzとかのやつだったね。
※5 Warcraft 2:すっかりMMORPGとして有名になった「Warcraft」シリーズだが、当時はRTSのはしりとして人気があった。
KAF:ハイスペックじゃん!
NaGaNo:やりはじめたときはまだ中学生だったな。1995年の春くらいだったと思うけど、PC/AT互換機を持っていた友達の家でたまたまやらせてもらったら、衝撃を受けて。それでさっそく家でもやりたいとなって、NIFTY-ServeでPC-98(※6)用のシェアウェア版みたいなのをダウンロードして。CPUが80486DXの66MhzのPC-98だったんだけど、これがクソ重くてね。
※PC-98:当時国内のパソコンシェアのほとんどを占めていた、NEC製のパソコン。「DOOM」に必要な256色グラフィックモードの仕様が特殊で、ネイティブ対応だったPC/AT互換機に比べて非常に動作が重かった。
Matoko:1番グレードの高いPC-98で動かしても重いっていう。
NaGaNo:非常に重かったね。15fpsも出るか怪しいくらい。
Matoko:軽くするために、画面を縮小して、しかも解像度も荒くしてやってたよね。
KAF:しかもただでさえちっちゃい画面をさらにちっちゃくして、ポストカードみたいなサイズの画面で、ほとんどモザイクみたいな画質で遊んでた(笑)。
Matoko:iPhoneくらいのサイズだよね(笑)。
KAF:それでみんな、「DOOM」が快適に遊べるらしいPC/ATマシンに走ったんだよね。自分の場合も最初はPC-98で遊んでて、でも、対戦とかやりはじめたら我慢できなくなってね。最初の自作マシンは486DX2の100MHzとかだったけど、PC-98とは比べ物にならないくらい快適にプレイできるようになって、サルのようにプレイしまくったなあ。
現代に繋がるプレイスタイルが爆誕。黎明期のネット(?)対戦デビュー
KAF:しかし、当時まだプレイステーションも出るか出ないかってくらいの時代で、本当に立体に見える世界で自由に動き回れる3Dゲームって衝撃だったよなぁ。しかも対戦ができるっていう。自分とNaGaNoはNIFTY-Serveの海外ゲームユーザーズフォーラムみたいなところに入り浸ってたから、確か1995年の秋くらいには知り合ってたよね。そこのチャットルームに行ってみたら、「DOOM」では遠隔対戦ができるとわかって、モデム(※7)直繋ぎで1対1対戦(笑)。
※7 モデム:アナログ電話回線に接続し、デジタル信号を音声変換して1対1の通信をする装置。当時は14.4kbps~28.8Kbps程度の通信速度が標準だった。
Matoko:そうだったよね。インターネットじゃなくて、モデムで相手の電話番号にかけるっていう。交代で発信して、2試合やるのが基本だった。電話料金かかるし。
NaGaNo:そうそう、NIFTYのチャットルームで時間とか決めてから、いったんオフラインになって、「DOOM」のコマンドラインツール(※8)でモデムのコマンド入れてやってた。
※8 「DOOM」のコマンドラインツール:当時の「DOOM」はMS-DOS用のプログラムで、コマンドラインでコマンドを入力して起動していた。対戦のときは相手の電話番号などをパラメーターにして起動する。
Matoko:俺はNIFTYではやってないんだよね。大学ではいつでもLAN対戦ができたせいもあるけど、家でも対戦がしたいなーって思って調べてみると、ネットに「DOOMer's Chat」ってサイトがあって。そこでも結局、対戦はモデムで直接繋ぐんだけど(笑)。そこでNaGaNoと知り合ったんだよね。
KAF:インターネットが一般に使えるようになってからは、その「DOOMer's Chat」とか、ネット上のコミュニティサイトにはじまって、IPXネットワーク(※9)をエミュレートするKali(※10)とかのネット対戦サービスでたむろってた感じだよね。あと初期のDWANGOにも集まって遊んでた(※11)。
※9 IPXネットワーク:当時におけるローカルネットワークの標準プロトコル。対戦が可能なゲームはほとんどIPXにのみ対応しており、インターネット上の対戦はできなかった。
※10 Kali:IPXネットワークをインターネット上でエミュレートし、IPX対応のゲームをネット対戦可能にするアプリケーション。ゲームごとのチャットルームもあり、初期のゲーマーはそこで日々のコミュニケーションや対戦を楽しんでいた。
※11 初期のDWANGO:Dial-up Wide-Area Network Game Operationの略。米Interactive Visual Systemsが開発したゲーム対戦用のパソコン通信サービス。現在動画サービスで有名なドワンゴは、当時ソフトウェアジャパンに在籍していた川上量生氏がDWANGOのサービスを国内展開したところにルーツがある。
Matoko:DWANGOだと4人対戦ができるから、わりと「Duke」も同時並行でやってたね。「DOOM」は1対1でも面白いんだけど、「Duke」はマップが広くて、4人で遊ぶのが丁度よかった。でも、5人以上になると急に重くなるっていうね。
NaGaNo:「Warcraft 2」とかは重くてもわりと遊べたから、8人対戦とかやってたね。
KAF:1996年に「Quake(※12)」が出て、インターネット対戦ができるようになるまでは、ずっとそんな感じだったよね。1996年の秋くらいまではモデム直繋ぎとか、パソコン通信系のサービスを利用して遊んでて。パソコン通信からインターネットへの技術の流れをそのままなぞるような体験だったね。今の人には、相手の電話番号を聞いてダイヤルアップで直繋ぎしますとか、理解できないんじゃないかな、原始的すぎて(笑)。
※12 Quake:「DOOM」シリーズに続き、id Softwareが1996年9月にリリースしたFPS。擬似ではないフル3Dでのグラフィックス表現や、インターネット対戦に対応するなど、初物尽くしの最先端ゲームで、MOD文化の成熟やプロゲーマーリーグの成立など、現在に続くFPS文化を花開かせた。
NaGaNo:対戦中に電話かかってくると、切れちゃうし(笑)。
Matoko:まあでも、あの当時、離れたところにいる人とまともに対戦できるというのは本当に衝撃的だった。
現在に繋がるプレイスタイルを生み出し、ゲームシーンに大きな影響を与えた「DOOM」
いまPCでFPSをプレイするとき、移動をキーボードの“WSAD”で、照準をマウスで行なうのはごく当たり前のように受けいられている。しかし「DOOM」発売当時、FPSという言葉すらなかったころ、そのような操作形態は対戦プレーヤーの間でもほとんど知られていなかった。しかし、北米を中心に大勢がプレイしていた「DOOM」である。対戦プレーヤーの中から“最適な操作方法”が考案され、全体に広まるのは時間の問題だった。ネット上のコミュニティで情報交換をしたり、プレイに使うデバイスへのこだわりなども、この時期から早々にはじまっているのが面白い。
強いプレーヤーに刺激され、いまのプレイスタイルが出来上がる
KAF:「DOOM」をプレイしてた最初の1~2年で、FPSのプレイスタイルそのものとか、PCゲーム文化みたいなのが急激に出来上がってきたっていう経緯もあるよね。例えば今ではキーボードで移動、マウスで照準ってのが当たり前だけど、「DOOM」やりはじめのころって絶対、みんなキーボードで全部操作(※13)してたじゃない。
※13 キーボード操作:「DOOM」のデフォルトのキーマップは、カーソルキーで移動、スペースバーで射撃というもの。当時のプレーヤーは皆この操作方法からスタートした。
Matoko:確か、マウスを使うのはNIFTYで広まったんでしょ? 広めた人の名前は忘れちゃったけど。
KAF:そうそう。チャットルームでいつも対戦している中に次元が違うくらいに強い人がいて。フォーラムでも話題になってて、そしたら、移動にEDSF、照準にマウスを使ってるんだよって。そしたら、同じフォーラムの人たちにあっというまに広まって、対戦のレベルがいきなり上がった記憶だね。そもそもは、確かCompu-Serve(※14)あたりから広まったのが最初じゃないかな。
※14 Compu-Serve:米国で当時最大手だったパソコン通信サービス。NIFTY-Serveを通じてのアクセスが可能なサービスが提供されており(料金がバカ高かったため利用者はほとんどいなかったが)、情報アンテナの高いユーザーはそこから海外の最新情報を仕入れていた。
Matoko:俺は大学でやってたから、最初はみんなキーボードでプレイしてたんだけど、秋葉原のT-ZONE(※15)かどっかでやってた大会に参加したときに、KAFにコテンパンにやられて。それでマウス照準が強いってことが判明して、キーボード+マウスで練習したっていう。
※15 T-ZONE:かつて秋葉原に存在していた大型のPCショップ。「DOOM」シリーズや「Duke Nukem 3D」、「Quake」シリーズなど、当時最先端のPCゲーム大会を多数、店舗開催していた。
KAF:覚えてねぇ~~~~。でも、当初キーボードでやってたときって、今考えると動きがあまりにも不器用すぎて、シングルプレイでサイバーデーモン(※16)とか出てきたらもう絶望を感じてたよね。ロケットが避けられないわ、一撃で死ぬわで(笑)。
※16 サイバーデーモン:泣く子も黙る、「DOOM」最強のモンスター。圧倒的に巨大でタフなボディから次々に直撃即死のロケットランチャーが連射され、多くのプレーヤーを絶望に陥れた。
NaGaNo:そう、避けられない(笑)。キーボードだけでクリアする人とか、逆に凄いわ。
KAF:対戦をはじめてからわりとすぐにマウス+キーボードになったから、キーボードオンリーのプレイはそんなにやりこまなかったってのもあるね。
NaGaNo:そうそう、凄い強い人にボコられて、くそーと思って練習して、気がつけばキーボード+マウスが当たり前になってた。
Matoko:キーボード操作だと、完全な真円を描いて動けないんだよね。最近自分がやってる「スプラトゥーン」とかでもある問題だけど、旋回する速度を微妙に調整するのが難しいから、どうしても多角形を描くような動きになるっていう。
KAF:最近はスティック操作でも上手にFPSをプレイできるようになったけど、最終的にどっちがいいかっていったら、やっぱりマウスでプレイするのが理にかなってる感じはあるね。
Matoko:もはや、空回りしなきゃ何でもいいすよ(笑)。
KAF:ボールマウス(※17)の話か(笑)。ずっとやってるとゴミが詰まって、コリコリッってへんな抵抗が生まれるんだよなぁ。アナログすぎる!
※17 ボールマウス:2000年代に赤外線マウス出てくるまで、主流だったマウスのトラッキング方式。マウス内部のボールとローラーが回転することで移動量を割り出す仕組みで、ゴミや汚れですぐにパフォーマンスが劣化していた。
NaGaNo:俺はわざとゴミを詰めて、ローラーの回転をいい具合に調整してた(笑)。
Matoko:それで僕ら、バスマウス(※18)を買ったじゃない。そのほうがPS/2接続のマウスより、反応とか、ボールの転がりがいいって。1個1万円くらい出して。
※18バスマウス:PC-98のシリアルポートに接続するタイプのマウス。当時ゲームにはMS製のMS-Mouse 2.0が人気だったが、PC/AT用のPS/2ポート用のものよりも、PC-98用のもののほうが作りが良く、PC/ATマシンにシリアルポート変換ボードをつけてこれを使用していた。
KAF:あった、あった!いまみたいな高性能なゲーミングマウスがあればどんなによかったことか(笑)。
「DOOM」がFPSに与えた影響
KAF:そんな感じで、黎明期から今のPCゲーマーみたいなことをやってたんだけど、総合的に考えると「DOOM」は、自分の人生を大きくかえたのは間違いないな。自分の場合は「DOOM」があったせいで洋ゲーにハマり、マップ制作とかプログラミングにも手を出して、それが昂じてゲームプログラマーになり、気がつけばゲームライターになってたっていうね。「DOOM」がなければ、多分全然違うことをしてたなあ。
NaGaNo:自分も似たようなもんだ(笑)。あと、「DOOM」が面白すぎたせいで、その時代の他のゲームをまったくやってないね。1995年、1996年にはプレイステーションもセガサターンも家にあったはずだったんだけど、それで何か遊んだ記憶が全くないっていう。
KAF:そうなんだよね、そのあたりから“PCゲームしか遊ばない病”みたいなのにかかって、それがやっと治ったのが、Xbox 360とかで洋ゲーを普通にコンソールで遊べるようになってからだね。
Matoko:自分の場合だと、「DOOM」はきっかけに過ぎなくて、致命的に自分の人生に影響を与えたのはKaliだったんだよね。インターネット主体で遊べるようになってから、時間を気にせずに繋ぎっぱなしにできるようになったじゃない。それで完全にスイッチ入っちゃったというか。
KAF:オンラインコミュニティの、自分の居場所的なところに、“常駐”するようなライフスタイルってやつか。
Matoko:そうそう、夜な夜なずーっと「DOOM」とか「WarCraft 2」の対戦をやってて。その直後には「DIABLO」(※19)が出て、「Ultima Online」(※20)が出て、「EverQuest」(※21)が出てっていう流れで、なし崩し的だったねえ。
※19 DIABLO: 1996年12月末にリリースされた、初のメジャーなオンラインプレイ対応アクションRPG。数々の伝説を産んだ。
※20 Ultima Online: 1997年秋にサービス開始された、世界初の大型MMORPG。初期は自由すぎる世界で対人サバイバル要素が強く、多くの逸話を残した。
※21 EverQuest: 1999年にサービス開始されたフル3DのMMORPG。現在のMMORPGの原型となる多くの要素を生み出した。
KAF:「EverQuest」は相当やってたよね。大手クランのリーダーもやってたじゃない?
Matoko:やってたねぇ。3~4年はやってたんじゃない?だって、2キャラ分のプレイ日数を合わせたら、1500日くらいあるからね。特に大規模レイドをやるようになってからが面白かったかな。50~60人で倒した時の感動がね……。話を戻すと、「DOOM」はそういう通信対戦ならではの面白さを知るきっかけになったという意味で、重要だったと思うね。
KAF:それがなければ、多分、そんな早い時期からインターネット上のコミュニティに入り浸るってことはなかったよね。多分他の楽しみを見つけて、ぜんぜん違うライフスタイルになっていたと思う。
NaGaNo:そのライフスタイルが、若い頃に築きあげられてしまった(笑)。
初代「DOOM」が生み出し、新生「DOOM」に期待する最大の価値とは?
こうしてこの3人は「DOOM」での対戦プレイにハマり続け、結局は「Quake」が発売される1996年秋まで、ほとんど「DOOM」だけをプレイして日々を過ごしている。他にプレイするゲームが殆どない時代だとはいえ、「DOOM」はどうしてそこまで遊び込めたのだろうか?「DOOM」ならではの価値というのはどこにあったのだろうか?
それを考えるとき、ユーザーMODという、「DOOM」時代に生まれたPCゲーム文化における最重要の概念が浮かび上がってくる。この3人が新生「DOOM」に期待することも、その延長線上に存在するようだ。
「DOOM」のどこが好き?
KAF:というわけで「DOOM」と言えばほとんど対戦してた思い出ばかりなわけなんだけど、ある意味、いまだに「DOOM」の代わりになるゲームって本当には出会えてない気もするよね。
NaGaNo:やっぱり、あのテンポの良さは最高だった。
KAF:そうそう、狭いマップでデスマッチ(※22)ばかりやってたのもあるけど、プレーヤーキャラの移動スピードが頭おかしいレベルで速い(※23)し、武器もほとんど一撃クラスの威力だったりで、とにかくスピーディだったよなぁ。10分1マッチで、100キル行くことも普通だったし。
※22 デスマッチ:単純にキル数を競うモード。「DOOM」においては、強武器を取り放題のスピーディなルールが人気だった。
※23 プレーヤーの移動スピード:全速を出すと自分が撃ったロケット弾を追い越すほど速かった。
Matoko:「DOOM」といえば、やっぱりコンバットショットガン(※24)でしょ。
※24 コンバットショットガン:別名スーパーショットガン。ダブルバレルのショットガンで、射撃時、攻撃力15ポイントの射線が放射状に21個発生する。全弾命中のダメージは300を超えるが、「DOOM」のプレーヤーキャラの体力は100しか無い。
KAF:あれを超える気持ちよさの武器って、いまだに見たこと無いよね(笑)。明らかに攻撃力過剰で、中距離でも当たりどころがよければほぼ1発、近距離なら2人まとめて倒せることもあるっていうのが、どっかん、どっかんって連打できるというね。「DOOM」対戦のテンポのよさ、気持の良さって、ほとんどコンバットショットガンの打撃感によるところが大きい。
Matoko:そう、普通のシューター系の武器だと、2発3発当てないと倒せない武器しかないのが普通だけど、「DOOM」は一撃で決められる気持ちよさだよね。実はあれに近い快感を得られてるのが最近あって。「スプラトゥーン」のローラーとブラスター。上手く当てれば1発で倒せるし、巻き込んでまとめて倒せることもあるっていう。インク飛ばして、弾がパーンって弾けて。“面”で当てていくっていう感覚も、完全にコンバットショットガンなんだよね。
KAF:それはいい話だなぁ。最近のゲームだと「Overwatch」はどうだろう?けっこうチマチマしてる印象はあるんだけど。
NaGaNo:うん、チマチマしてる感はあるね。まあキャラにはよるね。刀を使うキャラクターがいるんだけど、近距離での立ち回りはわりと「DOOM」っぽさがあるんじゃないかな。
KAF:「DOOM」の場合、クッソ狭いマップで対戦してたから、ほぼ常に近距離戦だったってのもあるよね。例えば自分の場合、当時最強と言われていたプレーヤーに13回連続で“出る死ぬ”(※25)を食らったことがあって。あまりの出来事に、いまだにその場面を覚えてるよ(笑)。
※25 出る死ぬ:「DOOM」の間では有名な現象。マップが狭いため、生まれた瞬間に一撃で殺されるということがよく起こる。一般に言われるスポーンキルとは違って、ゲームデザイン的に頻発するのが当然であることと、それを勘定に入れて勝負することから、敢えて“出る死ぬ”と呼ぶ。
Matoko:で、普通は弾が切れるまで生き延びることってないんだけど、圧倒的な実力差があると、相手が全部の弾を撃ち尽くすまで倒せないっていうのがたまにあってね。最後は拳銃とかでチクチク撃たれるっていう、あの屈辱(笑)。
KAF:コンバットショットガン撃ち尽くして、ロケットランチャー撃ち尽くして、プラズマガンとBFGも切れて最後拳銃ってなると、その段階で30キル差くらいはついてるよな(笑)。
NaGaNo:4人対戦で10分やると、みんな100キルは超えるし(笑)。平均寿命3秒とかだから、最近の複雑なシステムのFPSだと無理なテンポだよね。
KAF:そうだなぁ。そのテンポが好きだったせいで、「Quake」以降は、ずっとRocket Arena(※26)ばかりやってたわ。
※26 Rocket Arena:「Quake」の有名MODのひとつ。全プレーヤーがスポーン時のデフォルトでロケットランチャーを装備しており、狭いアリーナ内でハイテンポの戦いが展開する。
Matoko:Rocket Arenaはね、名作だった。あのテンポは本当によかったね。生まれた瞬間からロケットをフルチャージで持ってて、常に撃ちまくれるっていうね。「DOOM」でもDANZIG32(※27)での4人対戦が特に好きだったもん。
※27 DANZIG:海外のDOOMerが制作した対戦専用のマップセット。手狭ながら適度に複雑な構造を持ったマップが多く、かなり早い段階で日本の「DOOM」コミュニティにおける定番マップとなった。その中のDANZIG32は、シンプルな円形闘技場風のマップで、制限時間いっぱい、ひたすら強武器での殴り合いが続く。
KAF:あのマップは凄まじいよな。スポーンポイントから飛び降りると真ん中にBFGがあるんだけど、そこにたどり着くまでの3秒が生き残れないっていう(笑)。
Matoko:スポーンポイントから落ちながら撃つとかね。DANZIGシリーズは本当に好きだったなぁ。でも、その後の「DOOM」の拡張(※28)で、8人とか16人で対戦できるようになったやつでやると、ただのお祭りというか、カオスすぎて勝負にならないっていう。4人くらいで遊ぶのがベストバランスだったよね。
※28 「DOOM」の拡張:オープンソース化された「DOOM」本体をもとに、ファンメイドの拡張版が多数作られた。多人数でインターネット対戦ができる「DOOM Legacy」や「Skull Tag」といったコンバージョンが人気だった。
KAF:だって、スポーンポイントが4つしかないのに、16人でやったら、死因のトップがテレフラグ(※29)じゃん(笑)。運ゲーになっちゃうよね。そういう意味でいうと、「DOOM」の対戦マップは2人がメインで、せいぜい4人で遊ぶために調整されたものが主流だったな。
※29 テレフラグ: スポーンポイントやワープアウトに新たなプレーヤーが出てきた時、その地点に重なって立っているプレーヤーが爆散する現象。「DOOM」や「Quake」ではよく見る光景だった。
Matoko:そうそう、「DOOM」にしても「DOOM 2」にしても、デフォルトのマップって対戦向けじゃないから、今僕らが言ってるテンポの良さとか爽快感って、ほとんどユーザーマップで遊んだ時に得られるものだったんだよね。
KAF:確かに、実際に遊んでたのってDANZIGとかの、デスマッチ用にユーザーが作ったマップばっかりだったね。
Matoko:そう、それが「DOOM」をプレイしたときのデフォルトの思い出になってる。逆に言うと、標準マップのE1M1(※30)とかで対戦しても、出会うまでに時間がかかりすぎたりで、全然面白くない(笑)。
※30 E1M1:初代「DOOM」はエピーソード制で。エピソード1のマップ1、つまり冒頭のマップという意味。
NaGaNo:つまりMOD文化みたいなものが、当時からあって。そこで面白い遊びかたが発明できたのが「DOOM」で1番いいところだったんじゃないかな。
新生「DOOM」に期待することは?
Matoko:だから、あれなんじゃない? 今度の「DOOM」が盛り上がるとしたら、マップとプレーヤーの人数のバランスとかが、うまくオリジナルの雰囲気を踏襲したマップが作られるかどうか。2人とか4人のデスマッチに特化したマップが欲しいよね。
KAF:そうだねぇ。新しい「DOOM」って、オリジナルにあった、ゴシック的なホラーとSFの雰囲気がないまぜになった世界観とかゴア表現をそのままハイエンドグラフィックスにしたってのもいいんだけど、やっぱり対戦メインのプレーヤーとしては、ビルトインのマップエディター(※31)がかなり良さそうだ、ってのが1番期待するところだよね。
※31 ビルトインのマップエディター:「SNAPMAP」と呼ばれる、初代「DOOM」用のレベルエディターをかなりリスペクトした方式のエディター機能。
NaGaNo:おお、そうなんだ。
KAF:オリジナル「DOOM」当時のWADエディター(※32)みたいな感じで、上から見た画面でザクザクとレイアウトを決めるだけで、遊べるマップが作れちゃうってやつ。
※32 WADエディター:初代「DOOM」のデータファイルは「.WAD」という拡張子で、ここから転じてユーザーメイドのエディター類はWADエディターと呼ばれるようになった。
NaGaNo:ほう、それなら結構簡単にマップが作れそうだな。「Quake」以降はマップエディットがすげえ難しかったんだよね。最後のコンパイルみたいな作業にものすごい時間かかるし。
KAF:そうそう、BSP処理とか、ライティングとかに、複数マシン使っても何時間もかかったんだよなぁ。会社のマシンを6台くらい勝手に使って分散コンパイルさせてたのはいい思い出だわ(笑)。
NaGaNo:個人じゃ無理なレベルじゃん(笑)。あと、最近のUnreal Engineのゲームとかも、ツールがプロ向けみたいになってて、自分でマップ作るのはほぼ無理なんだよなぁ。
KAF:ゲームが高度化したせいで、マップ作りが一般ユーザーの手から離れすぎていたのは大きな問題だよね。だから、今度の「DOOM」で簡単にマップが作れるエディターが入るというのは、すごい歓迎してるし、期待してる。
NaGaNo:そうだね、面白いMODがどれだけ出てくるかってところに期待してるかな。あとはそのMODをどれだけ簡単に作れるかってところ。
Matoko:初代「DOOM」みたいに、武器が当たったかどうかとか、どういう攻防が行なわれているかどうかとかが、ぱっと見ですぐわかるような距離感で戦えるマップがたくさんでてくるといいね。
KAF:新しい「DOOM」のエディターでは、ゲームルールもわりと簡単にいじれるみたいだから、オリジナル「DOOM」をリスペクトしたMODとかもどかどか出てくるんじゃないかな。「ALIENS TC」みたいなトータルコンバージョンとかもね。
Matoko:そこは期待したいなあ。「Quake」とかも、MODが充実してくるまではなんか微妙だなって思ってたりしたし。ラグ対策がされた「QuakeWorld」(※33)が出たあたりで遊びやすくなったのと、ユーザーマップがたくさん出て、いろんな遊び方を試せるようになったことが大きかったよね。
※33 QuakeWorld:「Quake」リリース当時はネットワーク遅延の隠蔽処理がされておらず、操作に大きなラグが感じられていた所、改良版の「QuakeWorld」ではプレーヤーの先行表示など、現在のFPSタイトルでは必須となる機能が実装され、多人数プレイが快適に楽しめるようになった。
NaGaNo:同じような理由で、「Quake2」の出始めの時も対戦はほとんどやってなかったしね。マップとかMODが充実するまでは、クラン戦をちょろっとやったくらいしか思い出がないし。
KAF:そうだね。DOOMerとしては、やっぱりユーザーマップとか、MODで遊びの幅が広がるとか、オリジナル「DOOM」のテンポで遊べるかどうかが鍵になるね。個人的にはオリジナル「DOOM」時代に散々遊んだ定番のデスマッチマップを新しい「DOOM」で作ろうと思うから、それができたら皆で遊ぼうや。
Matoko:新しい「DOOM」、楽しくなるといいね。
NaGaNo:期待しとこうか(笑)。
(C) 2016 Bethesda Softworks LLC. All Rights Reserved
※新生「DOOM」の画面はすべて開発中のものです