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【特別企画】洋ゲーファンはみんなお世話になったHarry Inaba氏は今何を?
海外ゲームローカライズのスペシャリストは、中華圏と東南アジア展開を本格化
(2015/2/2 12:38)
GAME Watchの読者はHarry Inabaという人物をご存じだろうか? 「ポートロイヤル」、「グランドセフトオートIII」、「スターウォーズギャラクシーズ」、「ギルドウォーズ」、「Mass Effect」、「Fable III」、「Halo 4」、「Alan Wake」。これら日本でもヒットした海外ゲームタイトル、すべてInaba氏がローカライズを手がけたものだ。Inaba氏は、海外ゲームでは欠かせないローカライズ作業を、海外ゲーム市場の成長と共に担ってきた知る人ぞ知る人物であり、現在は、グローバルでゲームのローカライズを手がけるSynthesisでアジア地域のマネージングディレクターを務めている。今回、台湾出張時に偶然取材する機会を得、彼が現在何をしているのか詳しく聞くことができたのでご紹介したい。
Inaba氏の略歴を簡単に紹介すると、KONAMIからゲーム業界でのキャリアをスタートさせ、28歳で独立、その後は15年以上にわたって、海外ゲームのローカライズを行なっている。最初にローカライズしたタイトルは、KONAMIの「幻想水滸伝」。それ以降、ローカライズの魅力に取り付かれ、テキストのみならず、音声収録も含めて、トータルでのローカライズを担当するようになり、28歳で独立してローカライズ専門の会社“ナニカ”を立ち上げる。その後、シンガポールに本拠があるグローバルでローカライズ事業を展開するSynthesisに自ら起こした会社を事業売却し、自身もアジア地域のマネージングディレクターとしてローカライズ事業を展開している。今回台湾で遭遇できたのは、Synthesisの事業拡大に伴う台湾オフィス設立に合わせて台北を訪れていたためだ。
Inaba氏が担当しているのは、日本、中国、韓国、インド、東南アジアといったアジア地域で、スタッフは7名ほど。アジアの主要な言語にはすべて対応し、下請けの形でローカライズを請け負っている。このため、契約上、現在、どのメーカーのどういったタイトルのローカライズを手がけているかについては話せないという。
Synthesisの強みは、アジア地域の多様な言語に対応できるところだ。日本語、中国語、韓国語といったゲームの分野ではメジャーな言語はもちろんのこと、まだまだ実施例の限られるマレーシア語、タイ語、インドネシア語、ヒンズー語といったアジア諸国の言語へのローカライズにもキッチリ対応できるという。
7人のスタッフは翻訳を手がけると同時に、プロジェクトマネジメントも担当し、複数の個人翻訳者や声優事務所などに孫請けに出し、全体をマネジメントしながら、同時に校正の役割も担う。現在はコンソールゲームとモバイルゲームが半々ぐらいの割合で、年々モバイルの割合が増えつつあるという。
ここでInaba氏がこれまでローカライズを手がけてきたタイトルの1部を紹介しよう。実際にはもっと多くのタイトルのローカライズを手がけているというが、契約上、これ以上は出せないという。
1. グランド・コントロール 日本語マニュアル付 英語版
2. エイジ・オブ・ワンダーズ 2 ~魔導師の玉座~ 日本語版
3. アークス・ファタリス 完全日本語版
4. ヘジモニア 日本語版
5. ポートロイヤル ~カリブ大航海記~ 日本語版
6. グランド・セフト・オートIII 日本語版
7. エンパイア・アース 日本語版
8. ポートロイヤル 2 ~カリブ大航海記~ 日本語版
9. ライオンハートサーガ ~十字軍の遺産~ 日本語版
10. スター・ウォーズ ギャラクシーズ
11. ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔
12. ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還
13. ロード・オブ・ザ・リング 中つ国第三紀
14. マーセナリーズ
15. スター・ウォーズ エピソードIII シスの復讐
16. ギルドウォーズ
17. シャドウラン
18. キングダムアンダーファイア:サークルオブドゥーム
19. バンジョーとカズーイの大冒険 ガレージ大作戦
20. Mass Effect
21. Fable III
22. Mass Effect 2
23. Halo:Reach
24. ALAN WAKE
25. Halo 4
26. Kinect ラッシュ: ディズニー/ピクサー アドベンチャー
27. Kinect スポーツ
28. Kinect スポーツ シーズン 2
28. Fable: The Journey
29. Kinect スター・ウォーズ
30. Mass Effect 3
31. Orcs Must Die!
32. Orcs Must Die! 2
まさに海外ゲームにおけるローカライズの歴史の一端を担うといっても過言ではないラインナップといえる。それにしても、これだけの海外ゲームの日本語ローカライズを手がけていたInaba氏が、なぜ日本語ローカライズから手を引いてしまったのだろうか?
Inaba氏は「決して手を引いたわけではなく、依頼があれば受けられる」としながらも、業態を日英/英日ローカライズからアジア言語のローカライズにシフトしていったのは、ナニカの事業そのものは年々成長していったものの、メーカーサイドのローカライズに対する取り組み方が、日本ローカルなものから、グローバル全体の取り組みの1パートとなり、個人事業主がそうしたグローバルでのローカライズビジネスにおいて契約を取っていくことに限界を感じたためだという。また、英日/日英のローカライズそのものに先細りを感じるようになっていたようだ。
具体的な例として、日本マイクロソフトを挙げた。リストを見てもわかるように、Inaba氏は後半、かなりXbox 360に深くコミットしているが、Xbox Oneの日本ローンチに前後して、大幅な組織改編があり、担当者が変わったことで、ローカライズも別の会社に変わってしまったのだという。Xbox 360とXbox Oneでは、ファーストパーティータイトルのローカライズの内容がかなり違うが、それはローカライズを行なっている会社が異なるためだ。
結果として「今後先細る」というInaba氏の読みは当たり、日本語ローカライズは、大手メーカーは自社が担当し、それ以外はスクウェア・エニックスやスパイク・チュンソフトなどごく一部の有力なパブリッシャーに限られるようになってしまった。Inaba氏によれば、海外でライセンスを獲得し、ローカライズを施した上で発売するというビジネスは、もはや日本だけでやっているメーカーは、つけいるすきがないのではないかと嘆いた。
話をInaba氏の現在の事業に戻すと、台湾オフィスは取材当日にあたる1月30日に発表したばかりということで、事務所の設立は2014年10月だという。日本とのビジネスにはまったくこだわっておらず、これまで培ってきた人脈、経験を活かして、米国から台湾、米国から東南アジアなど、日本語を介さない形で、外国語から外国語へのローカライズを行なっているという。
どことというのは守秘義務があるため教えてくれなかったが、欧米のアプリを手がけているメーカーからの引き合いが非常に多く、そのほとんどは誰でも知ってるメーカーだという。スタッフは現地の文化を知り尽くしているしている現地スタッフを雇い、フリーランスの翻訳者などを雇いながら進めていくという。
ここで筆者が、現在の日本語ローカライズについて、大手メーカーも含めてクオリティが下降傾向にあるという印象を伝えたところ、Inaba氏はその現状を嘆きつつも、その一方で、それらのローカライズを担当しているスタッフへの理解も見せた。
曰く、かつてはローカライズに半年の時間を掛けることができ、場合によっては製品版を遊んだ上でローカライズに望むことができたが、現在はグローバルでほぼ同時発売が当たり前であり、同じだけの時間を掛けることが物理的に不可能になっていることが、クオリティ低下の背景にあるという。同時発売を目指すため、映像がない中でテキストの翻訳に突入せざるを得ず、どうしてもクオリティが犠牲にならざるを得ないという。
ローカライズ業者にとってそのような悪条件の中で、Synthesisではどのようにしてクオリティを保っているのだろうか?
Inaba氏は「QAをしっかりすること」と即答してくれた。ここでいうQAとはQuality Assurance(品質保証のプロセス)ではなく、Q&Aのことで、各種翻訳素材を貰ってから、データを精査し、誰が喋っているのかわからないような場合や男女が不明瞭な場合は、必ず質問をまとめてフィードバックを戻すことが大事だという。
またフリーランスの翻訳者から上がってくる翻訳データの校正作業については、翻訳者のクセを把握し、ミスが起こりやすいポイント、誤訳しやすいポイントに注意して作業を行なうことが秘訣だという。
筆者は話を聞いていて、フリーランスを使ったローカライズ業務は、我々のライティング業務に近いところがあると思った。一般論としてフリーランスに仕事を頼むと、コストが押さえられる反面、原稿のクオリティや締め切り執筆契約の不履行など、様々なリスクを抱えることになる。このリスクヘッジはどうしているのだろうか?
Inaba氏は、「1人に任さないこと、得意分野をお願いすること」の2つを挙げてくれた。特に得意分野を任すというのは重要で、システムメッセージのみが得意、メニュー画面のみが得意など、翻訳者によって得意分野が異なるため、特性を活かした発注が大事だと言うことだ。
現在、ゲーム業界は、音声と字幕を同じ担当者がローカライズを行なうことが多い傾向があるということだが、映画業界では、吹き替えと字幕を同じ翻訳者が担当することはなく、翻訳者は得意分野が違うはずだから、それぞれ分けるべきだとInaba氏は言う。
今後Inaba氏は拠点を台湾に移すつもりなのかと尋ねたところ、拠点はあくまでシンガポールだという。理由はこれからローカライズの需要が高まることが確実視されるタイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンなど東南アジア諸国に行きやすいから。ボイスアクターの採用や音声収録の現場に立ち会う際、台湾だと行きにくいのだという。
ちなみに東南アジアのゲームメーカーの進出は、欧米メーカーに比べて日本はまだまだ遅いと苦言を呈した。モバイルゲームをグローバルに展開するディズニーやKing、Supercell、Rovio Entertainmentなどはすでに現地語での展開を果たしており、こうした事例は日本のタイトルではまだまだ限られるという。
Inaba氏は「日本のメーカーの弱点は慎重すぎることです。マネタイズができてからじゃないと出て行かないが、これではブランドは作れないし、成功できるはずがない。ヤクルトや味の素などはマーケットがまったくない段階から参入してマーケットを開拓した。家電の分野ではLGやサムスンが、どの日本のメーカーも参入していない段階からアジアを開拓してマーケットを作って行った。日本はもっと積極的になっていいんじゃないでしょうか」とコメントし、日本のメーカーに対して積極性を求めた。
Inaba氏が見据える今後のトレンド予測については、ローカライズの受注状況を踏まえても、今後、グローバルでコンソールゲームのマーケットが成長することはないのではないかという。とりわけ東南アジアでは、すでにスマートフォンでゲームを遊んでおり、彼らが今後コンソールを購入してテレビの前でゲームをするということはライフスタイル的に考えられないのではないかと、かなり厳しめの見解を述べてくれた。
ローカライズの未来については「わからない」と苦笑しながら、Googleの翻訳サービスが非常に高性能化していることを受け、単純な通訳業務については、あと数年でビジネスにならなくなる可能性があるのではないかと予測。ゲームのローカライズについては、テキスト、音声のローカライズに加え、カルチャライズもあるなど、非常に高度なプロセスが必要となるため、需要は変わらないのではないかと楽観的な見通しを立ててくれた。
Synthesisは、東南アジア市場へ本格進出していくと同時に、アジア地域から日本向けのローカライズの案件も増やして行きたいという。日本のメーカーに対しては、東南アジア進出案件については、「力になれます」と力強く語ってくれた。今後、Inaba氏のチームを通じて、より多くの日本のタイトルが、アジア地域に展開されていくことを期待したい。