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ついにファミコンの名作、あの「クインティ」が帰ってきた!

Wii Uバーチャルコンソールでプレイ可能!!
制作を手掛けたゲームフリークの杉森建氏、増田順一氏が当時を振り返る

7月2日 配信開始

価格:514円(税込)

CEROレーティング:A(全年齢対象)

「クインティ」のメニュー画面。バーチャルコンソール化を心待ちにしていた人も多いのでは?

 バンダイナムコゲームスは、Wii Uのニンテンドーeショップでのバーチャルコンソール配信タイトルとして「クインティ」の配信を7月2日から開始した。価格は514円(税込)。

 「クインティ」は1989年6月に発売されたファミコン用ソフトで、いまや「ポケットモンスター」シリーズの制作で知られるゲームフリークが、まだ同人誌作成集団だった頃にインディーズ作品として制作をスタート。ナムコ(現バンダイナムコゲームス)に持ち込んで商品化された経緯がある。

 各1画面固定のステージには7面×5面のパネルが敷き詰められており、迫ってくる敵の下にあるパネルをめくると敵が転んではね飛ばされる。どんどんパネルをめくって敵を壁にぶつけるなどして倒していく。パネルには特殊効果を持つ物もあり、一発逆転も狙うことができる。杉森建氏が描く可愛らしいキャラクターも魅力的だ。

 これまで、リメイクなどを含めWii、ニンテンドー3DSなどのバーチャルコンソールでのリリースもなく、根強いファンが多くいるにもかかわらず幻のソフトとなっていたが、このほどついにプレイできるようになった。

 「めくる」という斬新かつあまり見かけないアクションを中心に、バラエティ豊かな敵や、敵を倒しながら自身をパワーアップ(星のパネルを100個取るとスピードアップする)しなければならないが、欲張ると失敗してしまうといったトレードオフのバランスが絶妙で、やればやるほど楽しめる長く遊べるタイトルだ。

 このほど、当時、ゲームフリークの田尻智氏と共に開発を手掛けた、ゲームフリークの増田順一氏と杉森建氏にお話を聞くことができた。25年前という発売当初の貴重なお話しを伺いながら、当時を振り返りたいと思う。

左がゲームフリークの取締役、開発本部部長を務める増田順一氏。右が同じくゲームフリークの取締役でありアートディレクターの杉森建氏。お2人とも25年前に「クインティ」の開発に深く深く関わったメンバー。当時を振り返ってお話しいただいた

「Apple II」で開発機を自作しファミコンの解析からスタート

面セレクト。周りにある8面はどこからでも自由に始めることができる。いずれも特徴的な仕掛けが満載。アイディアに満ちあふれている

編集部: 今回は「クインティ」がWii Uのバーチャルコンソールでリリースされるということで、いろいろと振り返っていただきながら、思い出話とか、ゲーム作りについてですとか、お話を伺えればと思います。

杉森建氏: もう忘れてると思う(笑)。本当に記憶が薄いんですよね、最近。

編集部: とりあえずまずはじめに、「クインティ」の制作において、どのような作業を担当されていたのかを伺いたいと思います。

増田順一氏: 当時は、主に音楽をやっていました。音楽データの打ち込みや効果音チェックなど、音まわりを担当していましたね。

杉森氏: 「クインティ」では、どのへんから参加したんだっけ……途中からでしょ?

増田氏: ええと、結構前半からですね。

杉森氏: どのぐらい出来てた時だっけ?

増田氏: 最初のときは全く出来てなかったですね。まだ研究段階で解析しているときに、マリオ(のグラフィックス)が回ってたところですね。

杉森氏: そうかそうか、全然出来てないときからいたんだった。

編集部: その当時はファミコン用の開発機材を自作で作られてた頃の話ですよね?

増田氏: そうですね。「Apple II」の頃で、1番最初の開発の頃ですね。「Apple II」のCPUが「MOS 6502」で、ファミコンと同じCPUということで「Apple II」を使いソフトの解析とかしていました。

 「ファミリーベーシック」のキーボードから打ち込み、「ファミリーベーシック」に付いていたキャラクターを使い、初めは解析などを行なっていましたね。「ファミリーベーシック」のキーボードでデバックするみたいな感じでしょうか。今のような開発ツールというものはなかったんですね。

編集部: グラフィックスをいじられたり、原初的なところ……「キャラクターはこんな風に動くんだ」みたいなところからスタートされていたんですね。

杉森氏: だからまだキャラクターエディタはなかったんですよね。田尻と知り合った後、プログラマーの友達の家に行って見せてもらったときに、「マリオが回っとる!」みたいな感じでしたね。

編集部: その頃からもうゲームへの興味と言うか、「作りたいな」といった想いはあったのですか?

メンバーの作りたいという気持ちが溢れ、様々なアイディアが「クインティ」に注ぎ込まれた

増田氏: 「作りたいな」という想いは、もう小学校の時からありました。ゲームはずっとプレイしていましたし、高校の時にパソコンを親に買ってもらい、ベーシックなどでたいしたものではありませんがゲームを作っていました。もちろん、ゲームセンターによく行って、ゲームをプレイしていました。

編集部: 「クインティ」の音楽を担当されていた頃は、ゲーム作りが本業ではなく、別のお仕事をされていたのでしょうか?

増田氏: そうですね。プログラマーをやっていました。専門学校でコンピューターグラフィックス科に通っていたのですが、そこでもやはりプログラムを勉強していて。UNIXのシステムを使ってプログラムを組むといった勉強をしていました。

 その後、普通に派遣会社のプログラマーとして就職し、会社のプログラムなどを組むといった会社員としての仕事をこなしながら、家に帰ると「クインティ」の曲を作ってるといった感じでしたね。そして週末になると、田尻や仲間達のいる会社になる前の「ゲームフリーク」に行き、データを落とし込んでいくといった感じでした。

編集部: 杉森さんは、当時はどのようなお仕事をされていたのでしょうか?

杉森氏: 当時僕は漫画家志望で、出版社に持ち込みなどをやっていました。その傍らで、「ゲームフリーク」という同人誌を田尻と一緒に作っていたんです。そこで、同人誌ではなくゲームを作ろうという話にだんだんなっていきました。

編集部: ちなみに「クインティ」の開発は、何人ぐらいでスタートされたのですか?

杉森氏: プログラマーが2人とグラフィックス1人と増田、田尻と俺かな。6人くらいだと思いますね。

 仲間内でゲームを作ろうとなった時に、「どういうの作ろうか?」ということで、その中の1人が出した最初の企画が、画面を7×5マスに区切り、その上をキャラクターが歩いて、マス目で道を作りながら右から左へキャラクターを誘導してゴールさせるというゲームだったんですよね。

 その企画をゲーム化しようとなりプログラマーが作り始め、マリオがいる仮の画面が出来てたのですが、考えた人が途中でいなくなり、そこで田尻が仕切り直しをするということになったんです。

 ゲームはある程度できあがっていたのですが、田尻はその企画をそんなに気に入ってなかったので、変えることになったんです。まるっきり変えてしまうと、今までの工程が無駄になってしまうので、パネルが敷き詰めてありそれが変化するというところを流用して新しいゲームが作れないかということで、「クインティ」の企画ができあがったんです。

編集部: 制作期間自体はどれくらいかかったのですか?

杉森氏: トータルだと3年弱……2年ちょいかな。

増田氏: マリオのキャラクターが回っているデモから考えると2年半ぐらいですかね。

杉森氏: でもやっぱり、解析してる時期が1番長かった気がします。それこそプログラマーは会社帰りに作業していたので。ですから、ナムコさんから発売されるとなり制作が本格的になってからは、急ピッチで制作が進んだと思います。「やるしかない!」ってなって。みんなそこは一心不乱にやってました。

編集部: それこそ寝ずに。

杉森氏: 寝ずにとか。専門でやる感じになってたので。

増田氏: ゲームカセットを買ってきて、中を開けてロムを外して「クインティ」のデータを焼いて、それをカセットにはんだ付けして、基盤を改造してテストをするといったことをやっていました。安いゲームを買ってきて、それも「MMC」とか「SD」とかいった基盤があり、それに対応するロムが入っていて、なおかつ安いファミコンカセットを探してきて買ってきて改造してテストに使っていました。

 そういう改造を施して、テスト環境を作ったりしていたので、すごく時間がかかっていました。当時はNECのパソコン「PC-9801」とエプソンの互換機が流行っていて、そのPCを2台同時に平行で接続してリンクさせ並列処理みたいなことをやっていました。まだネットワークという概念が確立されてない時代だったので。たぶん、5インチフロッピーディスクとかそんな時代です。

 そういう中での開発だったので、プログラマーも結構大変でした。「クインティ」でこれだけの処理をするのは大変だったんです。実は画面を見るとわかるのですが、右の画面の隅にチラチラとなんか出てるんですよ。実は、画面上部の文字ギリギリまで表示させているんです。ファミコンの場合基盤によって違いがあって、ギリギリまで表示させることでチラチラと表示されることがあると任天堂さんに指摘されたりしました。

 できる限り表示させるという処理にパワーを回すために、文字の上のところまで使ってます。そういった意味ではハードをガシッとイジってるところがあるので、普通にファミコン用ソフトとしてのルールからは外れて作っている。任天堂さんは、ギリギリ許してくれたんだと思います。

「クインティ」は「ゲームセンターで遊べるようなゲーム」を目指していた!

当時を振り返る杉森氏。アーケードゲームが好きだったメンバーは、当時台頭しつつあった「家庭用ゲーム機らしい作品」ではなく、あえてアーケードゲームテイストを目指したという

編集部: みなさん当時はプログラムを勉強なさっていたり絵を描いておいででも、ゲーム作りに関しては全くやったことがなかったんですよね?

杉森氏: 全然はじめてですよ。

編集部: そんな中でプラットフォームにファミコンを選んだというのはなぜなんでしょうか?

杉森氏: 1番最初はパソコンで作りたいといったこともあったのですが、夢としては、みんなゲームセンターのゲームが好きだったので、「ゲームセンターのゲームも作りたいね」といったことも話していました。でも、やはりファミコンというのは1番現実味がありましたね。

 それまでの時代はゲームセンターに行かないとできなかったゲームが、例えば家で「ゼビウス」がプレイできるというような、(ファミコンは)夢のようなマシンではありましたね。

 しかもパソコンのように初期投資が高いものでもないし。みんながゲームができるということで、すごくゲームが身近なものになりましたから。

編集部: 当時、「ファミコン」は爆発的にヒットしていましたものね。ということは、たくさんの人にプレイしてもらえるという夢みたいなところもあったのですか?

増田氏: ソフト作ってる時はたぶんそんなことは考えていなかったですね。たくさんの人に遊んでもらえるから作るという感じではなかったです。売れるとか、儲けるとか、それがあったらインディーズやってない気がします。作りたいから作ったという感じです。

編集部: 「プレイして楽しい」ことをみんなに広めたいという想いがあったのかと思ったのですが、それ以前として、自分でプレイしたいものを作るという欲求の方が大きかったと言うことですね。

杉森氏: 「ゲームセンターで遊べるようなゲームが作れるぞ」というのがファミコンだったんです。当時のパソコンはキャラクターを自由に動かすということは難しかったですし、スプライトのようなゲーム機に近い概念というのはパソコンにはありませんでしたし、コントローラーの問題とかもありましたから。やはりファミコンというのは、ゲーマーにとってすごくいい環境だったんですよね。

2年〜3年ぶりにプレイする杉森氏とかなり久しぶりという増田氏。「クインティ」は2人同時プレイの場合、自分がパネルをめくるとその効果は敵だけでなく味方にも発生する。この仕様にしたことで、味方として協力プレイとしてプレイすることもできれば、2プレーヤーの邪魔をすることもできるという奥深い内容となっている

編集部: では田尻さんとの出会いは同人誌からですか?

杉森氏: そこも語りますか(笑)。

 そうですね。僕は学生時代から同人誌を通じて知り合ってました。ずっと一緒に同人誌を作っていて。で、僕が高校を卒業して、田尻の自宅の近くにアパートを借りて、しばらくそこが同人誌「ゲームフリーク」の事務所みたいな感じになっていた時期がありまして、その頃に、僕が自宅用に買ったファミコンとかをみんなで遊んだり、みんなでゲームセンターに行ったりとかしてるうちに自分達でゲームを作ってみたいっていう気持ちが高まっていったんです。

 それで、どうやったらゲームを作れるんだろうと考えはじめた時に、同人誌「ゲームフリーク」の会員で愛媛県のプログラマー集団のような方達が、「なんでも解析できますよ」と言われたんです。「ファミコンも解析することができます」ということだったので、今で言う「インディーズ」という言葉はその頃はあんま聞いたことがなかったんですが、そういう(小さな)体制でもゲームが作れるんじゃないかということで、(ゲーム作りの)具体性が増して、実際にゲームを作ることになったんです。

編集部: 個人的な考えですが、当時はファミコンソフトってわりと商売としての規模も大きくて、「会社で」発売するものかなというイメージがありました。そんな中で、インディーズとして作られ、ナムコ(現バンダイナムコゲームス)に持ち込んでリリースに漕ぎ着けるという手段をとるというのは、バイタリティがあって凄くやる気の溢れる制作過程だと思うんですよね。

杉森氏: 無謀な感じもしますけど(笑)。

編集部: なぜ持ち込んだ先がナムコだったんですか。

杉森氏: ゲームを作って持ち込むというプランは、全部田尻がやってたんです。田尻の人格形成というか……彼の青春時代に強い影響を与えたのが、ナムコのゲームがたくさん置いてあったゲームセンターだということはあると思います。

 その環境が彼に強い影響を与えて、さらには彼のゲーム作りにも影響を与えたので、「(持ち込むなら)ナムコに持って行くしかない」と、彼の頭の中には最初からそういった考えがあったみたいですね。

編集部: ナムコが好きなメーカーだったからというところが大きいんですね。

杉森氏: そうですね。僕らはゲーセン野郎としてずっとナムコのゲームには衝撃を受け続けてきたので。ほんとうにナムコから出してもらえたらこんな光栄なことはないというのはありましたね。

編集部: 持ち込みは田尻さんがされたということですが、その時の苦労とかありますか?

杉森氏: 僕らはゲームの制作に集中していて、そういった交渉ごとはすべて田尻がやってましたから、僕らは田尻からしか(交渉については)聞いてないですね。そういった点に関しては、僕らは全然苦労してないです。

編集部: では、ゲームの制作過程において苦労とかはご記憶としてありますか? キャラクターが出てくると処理落ちしていますが、そういったところも含めて苦労があったと思うのですが。

杉森氏: 苦労は特にないっていうか。やっぱり仕事じゃなかったので、凄く楽しく作れましたね。今こういうことやれって言われると「ウェー!」ってなることでも、当時は作業としてこなせてました。とにかく、ドット絵を描けるだけで楽しかったです。

 寝なくても平気だったし。1回描き終わったキャラクターパターンを「ちょっと大きくしてくれ」とか言われて、「大きくするって言われても、それ描き直しじゃん!」みたいなこともあったのですが、「まあいいや」とか思って全部描き直したりしてましたね。

 ドット絵のノウハウなども、特に誰かに習ったわけではないのですが、いろんなゲームを見たり、あるいは自分でアニメなどを見て、「動かし方は、こうするといい感じに動くんだ」という具合に、自己流ではありましたがそういう知識を身につけていき、上手くいっていましたね。

楽しんで制作したという「クインティ」。その情熱がすべてをはねのけ、1本の名作アクションとして結実した

編集部:情熱のようなものが大きかったんですね。

杉森氏: そうですね、本当にその通りです。苦労した点があるとしたら、(カセットの)容量が足りないのでキャラクターを使いまわさないといけないというようなことでしょうか。キャラクターパターンをいっぱい持つには、使いまわして圧縮していかないと入らないと言われて、キャラクターのパーツを切ったり貼ったり、詰めたり、このパターンとここのパターンは似てるから一緒にしようとか、そういう工夫をしながらぎゅうぎゅうに詰め込んで作ったことはありました。

編集部: 当時は表示の制限がシビアで、敵キャラクターを何体表示できるか? といった制約があり、それが難易度の調整とかと密接に関係していたと思うのですが、そこら辺はいかがですか。データを入れては調整し、プレイしてといった感じでしょうか。みんなでプレイして、あーだこーだ言いながら調整していく感じでしょうか。

杉森氏: まあ、そういう感じですね。ほんとうに少人数で作ってましたから。一部屋で完結する人数で作っていたので、ちょっと遊んでなんか気になったら、「ちょっと(キャラクターの動きを)早くして」といった注文をこまめに言って、細かい調整を永遠にやるという感じだったと思います。

編集部: 当時、「スーパーマリオブラザース」とかですと1ドットジャンプの位置が変わるとゲーム性が変わるといった非常に細やかな調整がされていました。同じように、キャラクターのスピードですとか、プレイしながら細やかな調整がされていったのですね。

杉森氏: そうですね。でもだいたい、田尻が調整をやってたような気がします。僕とかはそこまでは携わってはいませんでしたね。

増田氏: 田尻がやってましたね。

 当時は会社ではないので、厳格な作業担当というよりも「それはやってね」といった緩い感じでしかなかったので、普通にプレイして気になったことがあったら、「ここは難しい」とか話し合って、ちょっと直すという感じでした。

「クインティ」の音楽はどのように生み出されたのか?

プログラマーとして2足のわらじでゲーム制作に携わっていたという増田氏。当時は出社時の電車の中で曲を考えていたという。今のように書き留めるようなデバイスもない時代のため「大変だったのでは?」と伺うと、「忘れるようなメロディは所詮その程度と思ってあきらめました」とのこと

編集部: 「クインティ」における音楽制作はどのような課程で進められたのでしょうか?

増田氏: 僕は、田尻のことはもちろん「ゲームフリーク」という同人誌の存在も知っていて、専門学校の友達が田尻と知り合いだったので、それで田尻を紹介してもらったんです。その時に杉森から「ゲームの音楽とはこういうもんだよ」みたいな感じで、「ドルアーガーの塔」とか「マッピー」とかいくつかの曲が入ったカセットを渡されました。

杉森氏: その頃、ゲームのサントラなどが出始めたあたりで、あるいは、自分で録音したものとか、個人的な趣味のライブラリーがいくつかありました。「クインティ」のイメージに合うような、ちょっとアップテンポなゲームミュージックを録音して、「こういうイメージなんだけど」って編集したカセットテープを増田に渡したんです。

増田氏: それを聞いて、自分もゲームはすごくプレイしていたので、全部わかるんですけど、実際にテープを聴いて「そうか、こういったイメージなのか」となにか掴むことができました。

 その頃はもうコンピューターで曲とか作ってたのですが、何音も持てる中で制作したんですね。でも「ファミコン」ということで、基本3音とノイズなんです。そういった制約になった瞬間、どうやって音楽を作ったらいいんだろうなとは思いましたね。3音をどのように使うとどんな音が出るんだろうと、少し試行錯誤して、結果的にベースを中心に構成された曲が多くなりました。

 やはり、効果音とかで(BGMの)音が消えてしまうのは、あまり好きではないので、メロディがなるべく消えないように気をつけました。あと、効果音もプログラマーと一緒に作ってました。あの当時はけっこうアセンブラ言語レベルでやっていたので。

編集部: 懐かしいですね! やはり当時はアセンブラ言語でプログラミングされていたのですね。しかし、効果音の鳴るタイミングはプレイによって異なるじゃないですか? メロディを1番重要視しながら、どうやって音が消えないような工夫をされたのですか?

増田氏: 確かにプレイによって、効果音は鳴るタイミングが変わります。ですので、消えても大丈夫なところがあるんです。たとえば、ドラムパターンが結構複雑になってるのですが、多少効果音で消えても(いっぱい鳴ってるので)よくわからないんです。4ビートで“ズッチャズッチャ”みたいな感じで鳴っているところで消えると、「あ! 消えた」と気付いてしまうのです。

 パネルをめくる音を、なんの音で作るのかというのはやはり悩みました。音の優先順位がどうなっているのかというのを話し合いの中で決めていく感じではありました。

「クインティ」は流行に逆らった反骨魂で作られたゲーム

編集部: ゲーム作りは楽しいという一方で、制作過程いろいろ大変なこともあったかと思うのですが、インディーズ環境でもやりたいと思うかどうかはその人次第だと思うんですよね。

増田氏: 作ることが楽しかったんですよね。夢のような感じですよね。

 ゲームを作ってて楽しいところだと思うんですけど、もともと1年間のサラリーマンの時って、銀行のシステムのようなプログラムを作っていたんですよ。なので、自分がプログラムしているものが、どこでどう使われているのかまったくわからないんです。それがゲームだと書いたものがそのまま反映されて、表示されて動くっていうところにすごく魅力を感じましたね。

杉森氏: そうですよ。今だとアニメーションのツールとかあって比較的簡単に絵を動かせたりできますが、当時は絵を動かそうとすると、たくさんの絵を描いてカメラで撮り、フィルムを現像するといった工程をとらないと絵って動かせなかったんです。でもドット絵だと描いたそばから動かせて、しかもそれを自分で操作できるという、ほんとうに「こんな楽しいことはない!」っていう感じでしたね、絵描きにとっては。

 制約が多い分だけできることが限られているので判断しやすいんですよ。

編集部: 一方で、その制約を工夫によって打ち破っていく楽しみもあるじゃないですか?

杉森氏: そうですね。当時のファミコンソフトとしてはかなり破格なキャラパターンとかを使って、とにかく動かそうみたいな気概がありましたね。

編集部: そうやって「クインティ」の制作が進む中で、他社のソフトもいろいろとリリースされるわけじゃないですか。他社のゲームをご覧になって、「別の方法をとれば、上手くいくんかもしれない」といった試行錯誤は、常にされてたのではないですか?

杉森氏: それはしてないんじゃないかな。いや、そもそも、あの、ちょっと、なんて言うんですかね……「クインティ」は流行に逆らって作ったゲームだったので。それがインディーズ魂だったのかもしれないんですけど。

編集部: 流行に逆行したゲームとは?

杉森氏: 当時はやはり、「スーパーマリオブラザーズ」がヒットしたので、横スクロールのアクションゲームとか多かったですね。あるいは、ロムカセットが大容量化しているような時期で、テキストがいっぱい表示されて会話をするとか、ストーリーが語られるとか、最後に巨大なボスキャラクターが出てくる派手な演出とか、そういったゲームの表現が盛んになっていた時期だったんです。

 (ほかのゲーム制作者が)みんなそっちに行ってたので、僕らはなんか逆にみんながしないことをやろうって。「昔のゲームセンターのゲームはそうじゃなかったよね」っていうことで、流行ってるゲームがあるんだったら、絶対にそれはやらないようにしようと話していました。ちょっと反骨魂みたいな感じだったんですよね。

 「クインティ」にはでかいボスキャラは出てこないし、画面は1画面固定ですから、そのせいでナムコさんに持って行ったときに「古臭い」とか言われたらしいんですけど。確かにメジャー感はないので、今考えるとまあ随分な作りだなとは思いますね。

 でも、その反骨魂みたいなものがあるところがゲームフリークの基礎になっていると思うんです。人と同じことやってもしょうがない。あるいは、みんな右にならえと同じことやるけど、そこは「なぜ?」っていうことに疑問を持ったり。

ちなみに、斜めに移動すると敵よりも早く移動できる。これは田尻氏による調整だという。「パックマン」などを参考にしながら、こういった仕様が盛り込まれていったのだとか。プレイしながらこういったテクニックを教えてくださった増田氏だが、最後は敵にやられてしまい、「結局は敵に追いつかれちゃうんですけどね」と苦笑い

インディーズブームに沸くゲーム業界に今、先人に聞く

編集部: 「ゲームフリーク」はインディーズの先駆けと言うこともあるかと思いますが、最近インディーズが流行だったりするところもあると思うんですけど、当時を振り返りつつ、インディーズでゲームの制作を行なう今の人達に対するアドバイスみたいなものはあったりしますか。

増田氏: そうですね。昔のインディーズとだいぶ違う感じで、すごく作りやすそうだなとは思うんですけど、逆に自分で作っていてつまんないなって思ったらすぐに辞めちゃう傾向にあるのかなと思います。ずっとやり続けて欲しいというか……どうやって面白くしようかというのをずっと考えるのが大事なのかなと思います。

 普通のアプリもそうですけど、ゲームをプレイしていて面白くなかったら辞めて、他のゲームを遊ぶという風になると思うので、作るときもたぶんそうなってしまいがちなんじゃないかなと思います。「ポケットモンスター」のイベントなどで接する時、みなさんが言うのは1つのアイデアで勝負しようとするんですよね。でも、実際にはアイデアにアイデアを重ねていかないと面白くなっていかないことがほとんどだと思うんです。だから諦めないでアイデア重ねて、どんどん面白くしてもらえればいいんじゃないかと思いますね。

杉森氏: アドバイスというとおこがましいですけど、インディーズにも、やりたいことをやる人と、「ひと山当てたい」と思う人とか、いろいろな方がいるかと思うんです。特に最近そういう夢を見られる環境があると思うので、そういう風になっていく人がいるのかなと思うんですけど、「ひと山当てたい」系に行き過ぎると、マーケティングでものを作ったりするような感じになりがちなので、できれば、自分しか作れないものや、世の中にないところに一石を投じるようなものを作るっていう気概でやるほうが、きっと楽しいんじゃないですかね。まあ若いうちにしかできないですから、そういうこと。

編集部: 「クインティ」を制作していた頃の経験がいまの礎になっているなと感じることはありますか? 逆に変わったなと感じることはありますか?

増田氏: 「クインティ」のミミーというキャラクターが止まると音楽が止まるという仕掛けがあるのですが、そういったインタラクティブ要素というのが、自分にとってはゲームの音楽のおもしろさだと思うんですけど、今はどちらかというと美しく綺麗で本物により近いといった方向になっているので、もうちょっとゲーム音楽って面白いことができるよって言うのは訴えていきたいですね。プレイと直結したところがゲーム音楽のおもしろさだと思うんですよね。

杉森氏: グラフィックスは容量を気にしなくて良くなって、今はひたすら物量を入れていく傾向にありますね。でもそれ故、1つ1つのキャラクターの印象が弱くなっている気がしますね。「クインティ」のようなすごく絞り込まれているのも大事だよなぁって気もします。今の時代「敵は8種類です」って言われたら相手にされないような気もしますが、1体のキャラクターがステージ毎に違う動きをしたり、使い回しの妙というか、そういうのもあるかなと思いますね

増田氏: 色替えとかね。でも今の時代、色替えが面倒くさいんですよね。昔はパレットをいじって色を変えられたんですが、今はそういった概念がないから、違う色のキャラクターをベタで用意することになりますね。

編集部: それでは最後に、当時のプレーヤーに向けて一言いただけますでしょうか。

杉森氏: バーチャルコンソールで「クインティ」を出して欲しいというご意見は聞いていましたので、やっとバンダイナムコゲームスさんのご協力の元、夢がかなって嬉しいです。ぜひ、昔っぽいゲームのスピリットのようなものを、また感じながら遊んでいただければなと思います。

増田氏: 当時のCMで「めくるめく快感」……でしたっけ? 「めくる」楽しみというのを再度楽しんで欲しいですね。「めくる」ゲームはなかなか無いと思いますので。

 それと、ゲーム音楽を初めて作ったのが「クインティ」ですので、ぜひ昔ながらの音楽も聴いていただけると嬉しいです。実は「クインティ」の曲を「ポケットモンスター 金・銀」のライバルの曲であえて近い曲調で使ったりしているんですよね。

編集部: 改めていろいろな歴史を感じました。Wii Uで改めて「クインティ」を楽しみたいと思います。今日はありがとうございました。

バンダイナムコさんが用意した「クインティ」25周年記念のケーキ。ケーキには「クインティ」のパッケージがプリントされていた。唯一のパッケージと共にパチリ。ケーキ入刀は杉森氏が行なったが「もったいない!」を連発されておいでだったのが印象的

(船津稔)