Game Developers Conference 2009現地レポート

KONAMI、小島秀夫氏 基調講演
「Solid Game Design:Making the ‘Impossible’ Possible」
不可能を可能にするゲームデザイン


3月23~27日開催(現地時間)

会場:サンフランシスコ Moscone Center

 

 Game Developers Conference 2009の4日目となる3月26日(現地時間)、株式会社コナミデジタルエンタテイメント 専務執行役員 小島プロダクション監督 小島秀夫氏による基調講演が行なわれた。「Solid Game Design:Making the ‘Impossible’ Possible」(ソリッドのゲームデザイン:「不可能」を可能にする)と題された本講演では、小島氏が「メタルギア」シリーズを制作するにあたり、第1作目の「メタルギア」から背後で使われているゲームデザインの哲学をもとに、創造的なゲームデザインを行なうことで、さまざまな開発の障害を征服していくことについて語った。

 小島氏はゲーム開発における目標や障壁を“壁”にたとえ、スライド上にスネークと高い壁を表示。スネークの立つ地面をハードウェアと仮定し、高い壁であっても土台であるハードウェアが進化することでその高さは低くなり、飛び越えるための道具となるソフトウェアもまた同時に進化し、壁を越えて行けると説明した。


スネークにとっては越えられない壁だが、マリオはあっさりと飛び越えていく。冒頭で小島氏は、「人生においての壁とゲーム制作においての壁」というたとえを出し、不可能とは前例がない、経験がないことであると解説。この場合の不可能とはスネークの思い込みから発生する既成概念であり、ゲーム制作の場合であれば、土台はハードウェア、飛び越えるための台座はソフトウェア、そして棒や梯子といった道具がゲームデザインであると語っていた



■ 「メタルギア」の原点、ステルスゲームの誕生
ただし「NESバージョンは僕が参加していないのでクソゲーです」

小島氏は「生涯功労賞をいただき、ありがとうございます。GDCにくるのは今回が初めてです。GDCにくれば生涯功労賞をくれるということで来ました」と冗談を交えて挨拶を交わした

 小島氏は1986年に当時のコナミに入社。MSX2を扱う部署に配属され、会社から最初のミッションはMSX2で「コンバットゲームを作れ」というものだったという。当時のMSX2は、スプライト処理によるゲーム画面を構成しており、画面上に表示できるスプライトは8つまでといった制約があったことを説明。

 この機能例として同社から発売された「NEMESIS」を紹介。MSX2では、9つ目のスプライトを表示した場合、9つ目、または1つ目のスプライトが画面上から消えてしまうという仕様がある。このため、「NEMESIS」では9つ目のスプライトが発生した場合、表示順番をループさせ、無理やり表示させているということを例としてあげていた。このスプライト処理についての問題点を説明した後、これをコンバットゲームに置き換え、同様の解説を行ない、ハードウェア上の仕様を考慮に入れた結果、「戦えないコンバットゲーム」、「逃げ回るコンバットゲーム」、「逃げるけれども隠れる」といったテーマを作成。当時はヒロイックなゲームばかりであったため、隠れてじっとするというネガティブになりそうな部分を単独で潜入していくというヒロイックゲームの流れで作成したところ「ステルスゲーム」というジャンルが誕生したという。


MSX2のスプライト制限の例として「NEMESIS」を紹介。スプライトの限界という問題点を考慮し、コンバットゲームに置き換えた結果、ここから20年以上の歴史を刻んでいく「メタルギア」シリーズが誕生した



■ 「メタルギア2 ソリッドスネーク」
「NESで出ているスネークズリベンジは僕がかかわっていないので、ちょっとクソゲーです」

 小島氏は、「メタルギア」のヒットにより、次のゲームは“前作を超えるより深いゲーム”を製作することをミッションとし、「メタルギア2 ソリッドスネーク」の制作に入った。「メタルギア2 ソリッドスネーク」では、前作にはなかった、画面外の兵士も動いているという処理に加え、スクロールではなく、画面切り替えの制約があるために発生する衝突事故を回避するために、画面上にレーダーをつけるといった回避策をとったほか、現在も継承されているEVASION(回避)の実装し、さらに視界だけではなく敵兵士に聴覚なども持たせ進化した作品を完成させた。


 



■ 「メタルギア ソリッド」では、MSX2で3Dのゲームということになった……
不可能かと思われたが、しかし救いの神!?が登場

 小島氏は、ヒット作となったメタルギアシリーズの続編を作るということになったが、ミッションはMSX2で3Dのステルスゲームを作るということになったと説明。しかしMSX2は2Dでしか表現できないため、結果として3Dでの表現は不可能だったと説明。不可能なまま4年が経過した1994年にプレイステーションが発売され、MSX2ではなくプラットフォームをプレイステーションへと変更し、それに伴いミッションも変更。ポリゴンを使用した表現方法や、3Dになったことで高さの概念を加え、「3Dステルスアクション」、「リアルタイムカットシーン」、「音声」などを実装したという。こうして「メタルギア ソリッド」が発売された。

様々な要素を取り入れたほか、ローカライズも当時としてはめずらしい6カ国に対応。基調講演では、その違いなどを披露していた



■ 「メタルギア ソリッド2 サンズ オブ リバティー」
リアルなものから臨場感溢れるものへと変更

 続編の要望が高かったため、次回作の制作という新しいミッションが発令された。またプレイステーション 2が発売され、プラットフォームを移行。ハードウェア性能の向上により、リアルな体験から臨場感溢れるものへコンセプトを変更し、画面に雨が当たり、その場にいるような臨場感の技法を取り入れたり、これまでのゲームシステムに加え、光源から発生する影にも視認判定が加えられるなど様々な手が加えられていった。またメタルギアの伝統的な手法のひとつであるカットシーンも長めに設定することとなった。




■ 「メタルギア ソリッド 3 スネークイーター」
次世代機の出遅れにより現行機での試行錯誤とシリーズの見直し

 小島氏は「メタルギア ソリッド」も3作品目を迎えるにあたり、当時噂されていた次世代機(プレイステーション 3)のうわさを聞きつけ、次世代機で「メタルギア ソリッド3」を出そうと考えていたが、残念ながら次世代機の発表やスケジュールの遅れにより、現行機(プレイステーション 2)で発売することになったという。

 新しい「メタルギア ソリッド」では、「メタルギアソリッド」を1からゲームデザインを見直したほか、潜入するというシチュエーションを整理。これまで「メタルギア」は、ポリゴン数の問題や、水平・垂直など角度の問題もあり、人工物の中という直線的で偏った舞台が多かったため、本作では逆にジャングルにおけるサバイバルをテーマとし、ゲームデザインに反映させた。ジャングルの空間は隠れるのに難しく、メタルギアシリーズ上でも新しい空間でもあるため3Dのエンジンを作り直したほか、ゲーム部分では、サバイバルという部分に焦点を当て、姿を隠すカモフラージュや食事の自己調達、アイテムによる治癒などを取り入れたという。ちなみに「メタルギア ソリッド2」で長いと不評だったカットシーンは短くしたと説明し、「ここ笑うところですよ」といった冗談も飛び出した。




■ 「メタルギア ソリッド 4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」
究極のプラットフォームで究極のステルスゲーム(メタルギア)を! しかし……

 小島氏は、「メタルギア ソリッド」シリーズは当初3部作で完結すると宣言をしていたが、シリーズのヒットに伴い続編を作ることになった。プレイステーション 3の発表もあり、当時は「このプラットフォームさえあればなんでもできる」と聞いていたため、様々な企画や想像を膨らませ、「究極のプラットフォームで究極の『メタルギア』を作れば、それ以上を作らなくていいだろう」と考えていたが、発売されたプレイステーション 3は、小島氏の贅沢な希望からは若干外れていたらしく、PS3というプラットフォームのパワーを使って、新しい潜入感を持ったステルスゲームを製作というミッションへと変更された。

 結果として完成したのが「メタルギア ソリッド 4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」で、同作では戦場という状況での潜入、敵味方が流動的に変化するシステム、カモフラージュの進化系であるオクトカムといった機能が追加されたという。



 これらのタイトルから見た壁を階段のように見立てた図では、ハードウェアの制約や様々な事情など、高い目標があった上で、また不可能であれば様々な視点から見たうえで新たな目標を設定し、壁を乗り越えていくことの重要さが語られていた。また、このプレゼンテーションの最後には、これらの壁を乗り越えたスネークが、新しい壁である「メタルギア ソリッド」シリーズの制作を意図する部分も見受けられた。

 小島氏のゲーム制作における不可能を可能にするとは、「ゲームデザインとは高い壁があって、それをハードウェアによる土台、ソフトウェアによる台座、そしてゲームデザインによる工夫で飛び越えるというものであり、メタルギアも最初の『コンバットゲームを作れ』というミッションをあきらめていたら、今のメタルギアはなかった」と語っていた。

 ハードウェアの限界というものがあったからこそ、「メタルギア」は生まれ、ソフトウェア、ハードウェアの進化とともにゲームデザインも進化してきた。小島氏は自身のゲームデザインおよび、日本のゲームデザインは、制限などがある中で試行錯誤してデザインされていくという手法が多く、今の手法としては古いかもしれないと述べ、今のゲームデザインの手法はまた別にあり、「メタルギアソリッド3」でやったようにソフトウェアテクノロジとゲームデザインで壁を使って登っていく手法があると語った。また、ソフトウェアテクノロジーとデザインで壁を超える方法は、海外の手法に多くみられるが、この手法はロードなしで走れるゲームや、あらゆるものを破壊できるといった力技が多いが、これもニーズがあって初めて成り立っていると語っていた。

 最後に小島氏は、「前例がないからできないと思い込んでいる。不可能を可能をにすることで昨日の不可能が今日の可能になる」などをはじめ、Robert H.Goddard氏の言葉になぞらえ、昨日の夢は今日の希望、明日の現実などといった言葉のほか、自身のメッセージとして、「不可能と思われることの90%は可能であり、残りの10パーセントの不可能も時間と技術の進化により可能となる」と聴講者に送り基調講演を終了した。

 小島氏は、前日である25日に開催された「Game Developers Choice Awards」Lifetime achievementに選ばれており、翌日の昼となる本講演では、その熱の冷めぬまま、会場には多数の聴講者が足を運んでいた。登場時には、小島氏のこれまでの功労を称えるかのように聴講者は拍手を浴びせ、小島氏はその拍手に応えるように、講演内容にエンターテイメントを取り入れ解説、聴講者は時折笑い声を出しながら楽しんでいたのが印象的な講演だった。今回、小島氏自身は初めてGDCに足を運んだとのことだが、ぜひ来年も面白い講演を用意して壇上に上がってもらいたい。




(2009年 3月 27日)

[Reported by 鬼頭世浪 ]