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【CEDEC 2018】任天堂 宮本茂氏、「スマホゲーム」と「ゲームの自由度」を語る
この10年を宮本氏はどう見つめたか?
2018年8月22日 17:24
8月22日よりパシフィコ横浜で開催されているCEDEC 2018。今年のCEDECは、任天堂 代表取締役フェローの宮本茂氏の基調講演によってスタートした。宮本氏は2008年にもCEDECの基調講演を行なっている。宮本氏は10年前の講演後から現在に至るまでで変化したことと、それに対する宮本氏の見つめ方と取り組みを紹介する講演となった。
スマホが変化した10年。「スーパーマリオ ラン」から「ポケモンGO」を語る
宮本氏が「この10年で大きく変化したこと」として最初に述べたのは、スマートフォンの普及だ。
iPhoneの初代が登場したのは2007年。そこから10年以上が経過し、今では誰もがスマートフォンを持つ時代になった。スティーブ・ジョブズ「タッチだ!」と言ったとき、「タッチならニンテンドーDSの方が先なんだけど……」と思ったという。後の爆発的な広がりを見ていく中で、「タッチは間違ってなかったのかな」と思うと同時に、「携帯電話をスマートフォンに差し替えていく方がずっと簡単だったんだ」と悔しさもあったとした。
スマートフォンは、その普及とともにゲーム機としても使われるようになっていったが、宮本氏がどうしてもスマートフォンに積極的になれなかったのは、「スマートフォンは電話をするために持つもの」であり、ゲームなどをしていてバッテリーがなくなって本来の役割である電話ができなくなっては元も子もないという考えがあったからだという。
しかし今ではバッテリーの持ち時間も長くなり、モバイルバッテリーを持って歩くことが自然と行なわれている。さらにスマートフォンには優れたUIがあり、動画と写真をすぐに発信できるという強力なコミュニケーションツールとしての顔もある。
宮本氏は当時、「公共の場所で使える1番安い端末」としての可能性をDSに感じており、だからこそWEBブラウザなども入れていたそうだ。ニンテンドー3DSについては今でもルーブル美術館の公式ガイド機として使われているなど、その考えを受け継いでいる部分もあるが、スマートフォンの勢いに諦めざるを得ないことも多かったとした。
スマートフォンは多くのユーザーを抱えるプラットフォームなため、ゲームを1人でも多くの人に届けるという使命を持つ任天堂としては無視できなくなっていった。そのような中で開発されたのが、Android/iOS「スーパーマリオ ラン」だ。スマートフォンでゲームを作るのが初めてならば、他社のプラットフォームでゲームを作るのも初めてという、「覚悟のいる」挑戦だったそうだ。
「スーパーマリオ ラン」は2Dスクロール、マリオが自動で走るようにして、とにかく「簡単なマリオ」を目指して制作されたという。ところが現実は、ステージ1-3程度でやめてしまっている人がほとんど。簡単に作ったつもりでも、どこかしらチャレンジを入れてしまう自分の癖のようなものが悪い方向に出てしまったと、宮本氏は分析した。
その後「スーパーマリオ ラン」は、ショートコースをテンポ良く遊ぶ「リミックス10」というより気軽に遊べるゲームモードを実装する。宮本氏は「最初からこれを作るべきだったのでは」と思ったそうだが、配信当初ほどのインパクトを残すことができなかったのは残念だったそうだ。
ただプレーヤーの様子を見ながら次のゲームを作る面白さ、3億人を上回るユーザーにダウンロードしてもらえたことは、「スーパーマリオ ラン」を開発する中で収穫だったとした。
また「スーパーマリオ ラン」の開発で宮本氏がスタッフと多く話し合ったことに、課金の問題がある。その時任天堂が打ち出したポリシーは、「プレーヤーがお金を払うのは開発したデータなのだから、パラメーターに課金するような方法は止めよう」というものだった。さらに子供でも安心してプレイできるように、重課金を前提としたモデルにはしない。スマートフォンは巨大なマーケットだから、多くの人からリーズナブルな課金をしてもらうことでビジネスが成立するはずという考え方だ。
「スーパーマリオ ラン」は1,200円の買い切りモデルとしたが、他のゲームに比べると課金率が高いわけではないという。採算は取れているそうだが、無料のお試し部分を入れたことで逆に不満が出てしまうなど、ハードルの高さも感じたそうだ。この経験は、次のタイトル開発に活かして「チャレンジ」するそうだ。
もう1つ、スマートフォンタイトルで大きい話題となったのが「ポケモンGO」だ。発表そのものは2015年で、当時はあまり手応えがなかったという。しかしサービスを開始すると同時に一気に話題が広がっていった。宮本氏自身は開発には深く関わっていないが、それが良かったと思ったそうだ。
もし自分だったら「ゲーム性が足りない」などと口を出していたかもしれず、コミュニティで遊んだり、実際の地図情報を利用する「ポケモンGO」ならではの魅力を見抜けなかっただろうと振り返った。近所の友人が親子で遊んでいるのを見るにつけ、「このモバイルの楽しさを使って、ユニークなものを作りたい」と常々思うそうだ。
宮本氏が見つめるゲーム作りの「自由度」と「制限」
宮本氏が長年ゲーム作りをする中で、ゲームシステムの「自由度」と「制限」は常に考えてきた課題だという。以前ははっきりとしたゴールを作り、その目標をプレーヤーが目指すというゲーム構造が主流だったが、メモリやストレージが充実したことでできることが広がり、自由度の高いゲームシステムの中で「プレーヤー自身が自分でゴールを決める」という遊びが生まれてくるようになった。
Nintendo Switch「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」は、「移動することが楽しい」というプレイ感を実現するために多くの時間をかけたタイトルであり、Nintendo Switch「スーパーマリオ オデッセイ」もマップ内に細かく仕掛けを詰め込んでいる。「スーパーマリオ オデッセイ」がステージクリアとなってもそのままゲームが続くのは、それだけステージの作りを豪華にできるようになったからだと分析している。
また「自由なのが楽しいなら、その究極は3Dや2Dのモデル作成ツールではないか?」という考えから、以前から「エディター系」のゲームにも力を入れている。SFC「マリオペイント」やNINTENDO64「マリオアーティスト」シリーズなどもその1つで、最近ではWii U、ニンテンドー3DSで発売された「スーパーマリオメーカー」が挙げられる。
中でも宮本氏が感服しているのは「Minecraft」の成功。ブロック3Dビルダーという発想そのものは昔からあり、宮本氏もいろいろ実験したが、どうしても面白くならなかったそうだ。開発するうちにレースゲームやアドベンチャーゲームの要素が入ってきたりして、収集がつかなくなってしまったのだという。「Minecraft」は、たとえば「コンビニを作る」といったようにとことん遊びこなすことも可能で、その懐の深さに驚くと同時に悔しさもあったそうだ。
究極の自由度がエディター系ゲームであるとすれば、オープンワールドはいかに制限をかけるかにある。宮本氏は「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」を例に、床を作る能力には場所を制限し、適度に体力ゲージを入れることで壁を登る距離を制限して、ゲームの面白さを演出している。こうした自由度と制限のバランスを考えることは、今後も増えていくだろうとした。
ゲームのアイデアはどこから生まれるのか?
最後に宮本氏は、「ゲーム作りのアイデアはどこから生まれるのか」というテーマについて述べた。自身の経験を振り返ると、「無茶ぶり」や「モニターでの酷評」があったことで、それまで思いつかなかったアイデアを生むことが多かったという。
大事なのは、そうした無茶ぶりや批判を自分の中でどうポジティブなエネルギーに変えるか。気持ちをポジティブに持っていけば、きっと良いアイデアが生まれるだろうとした。秘訣は「とにかく笑うこと」。堅苦しい会議ではわざとダジャレを言って和ませるなど、楽しんで仕事をすることが何より効果的だそうだ。
またアイデアは誰でも常に考えているものだが、大事なのはあるアイデアがダメというときに、「なぜダメなのか」をはっきりさせておくことだという。問題点がわかっていると、ある時2つ3つの問題が同時に解けることがあり、それが「閃いた!」という瞬間なのだという。
こうした閃きは、「リラックスしている時に出やすい」そう。お風呂に入っているときやダジャレを言うときなど、1日の中で笑って過ごせる時間があると良いという。ただし普段からアイデアを考え続けてはボツにして、自分の中の「引き出し」をいっぱいにしておくことが1番大事だとした。
宮本氏はこの10年、ずっと「朝ドラ」を見続けているという。毎回出来に良し悪しがあるため、定点観測するために見ているそうだが、現在放送中の「半分、青い」で、漫画家を目指す主人公の追い込まれ方は、特に印象的だったそうだ。
主人公は漫画の骨子となるネームを出す度に「実体験に照らし合わせているのか」、「通り一遍のあらすじは読者に届かない」と師匠に何度もダメ出しされて、夜も眠れないほど追い込まれていく。主人公は思わず「自分の体験を掘り起こすのは辛い仕事ではないか」と師匠に話すが、「そのとおりだが、世の中にデビューしたときに報われるんだ」というシーンを宮本氏は引用した。
宮本氏は講演の冒頭で、ゲームの面白さは「自分の中にある経験、肌身に感じた経験から出てくるのではないか。流行に流されず、その実感とどのように向き合っていくか」だと分析していた。「半分、青い」の師匠はまさにそのことを言っているし、「辛いことも世に出たときに報われる」という言葉もゲーム作りにぴったり重なる。
結局、主人公は「悪くない」という師匠の言葉を聞いて挫折し、漫画家を諦める。宮本氏は「そうなると、我々なんか何度も挫折しなくちゃいけない」と話しながら、「でももし、ここまで自分を追い込んでゲームを作る人がこの中から1人でも出てくれるなら、世界に対して一矢報いると思う」とした。最後は「自分を追い込んで、お互い次の10年をがんばりましょう」と会場に呼びかけて、講演を締めくくった。